第50話 地下世界34-2
高そうな調度品がいくつも飾られている廊下を音を殺して走り抜ける。
並べられた調度品は統一性がなく、ハーフリング的な造形からギガントが好みそうな紋様まで節操がない。
その乱雑ぶりから高いので集めてみたという道楽者の思想が見て取れる。
「『偉大で素敵なミッド・ポーカー』」
邸宅に侵入し都合六度目の合言葉を口にして、内心でため息が出る。
合言葉はどこも同じでセキュリティがしっかりしているのかしていないのか判別に困る仕様だ。
一流の建築士が提案するとも思えないので明らかにミッド・ポーカー本人の意向だろう。
頭の痛くなりそうな合言葉でも、唱えなければ壁から粘性のある油が噴き出し燃やされてしまう。なんという極めて悪質な罠だ。
この罠一つで一年は宿屋で引きこもり生活が送れてしまうというのだからなんとも微妙な気分になる。
そんな金にものを言わせた罠がそこらじゅうに設置されている。
通路の分かれ道や渡り廊下などの要所要所で要求されるこの言葉は、防衛という意味ではザルだが精神攻撃と思えばなるほどどうして高い効果を発揮していた。
近親者には発動しないという設計と設計図に明記されていた以上、邸宅を守る傭兵は罠の対象に含まれているはずだ。
毎度毎度この合言葉を唱えながらも真面目に警備にあたるソルトバン結族の傭兵には頭が下がる。
概ね警備網は情報通りで今のところ傭兵との接敵はない。
大きすぎる邸宅のせいで侵入者の存在をわかりにくくさせているのはなんとも皮肉な話だ。
ミッド・ポーカーの名前を口にしながら予定通りに後宮エリアを慎重に進む。
家政婦などがちらほらと見受けられる。
不可視のままならばそよ風か通った程度にしか彼女たちは感じないだろう。
この道は人は多いが罠が少ない。このままいけば問題はない。
すぐ横の巨大な扉が開き、人影が飛び出してくる。
背丈がリナやココと同じ程度、顔が大きく頭身は5程度だろうか。
ギガントの子供だ。服装から判断するに少年。
不可視を頼りに息を殺して音を立てない様にゆっくり進む。
此処に至るまでに何度かあったシチュエーションだ。
「あなたはだぁれ?」
幼さの残る声音が廊下に響いた。
咄嗟に通り過ぎた扉を振り返る。
少年の目が怪しい光を放ち、しっかりと俺を見つめていた。
「≪意識混濁≫(コンフュージョン)」
驚くよりも前に、用意していた秘術を解き放つ。
宝石が砕け光線が少年に殺到した。
目を見開いたまま大きな子供が廊下に崩れ落ちる。
床に到着する寸前、なんとか身体を受け止めた。
物音は出ていないはずだ。
腕の中の少年というには大きすぎるギガントの子供を見やる。
≪意識混濁≫の効果が発揮され、彼の意識を昏睡状態に陥らさせた。
肉体的には損傷はなく、一定時間ですぐに目を覚ましてしまう。
急速に思考を巡らせる。
少年が出てきた室内の奥には気配が一つ。
おそらくは少年の母親、ないしは世話係。
放っておくわけにもいかない。このギガントの母親が元冒険者だったら事だ。
秘術の攻撃だとすぐにばれてしまう。
そして侵入者がいるとわかれば必ず警備の人間に知らせてしまう。
二人とも殺すか? 死人に口なしだ。
いや、ダメだ。
二人とも殺してしまうのが一番楽だが、命を奪ってしまえば大富豪との遺恨が残るどころの沙汰じゃない。それに、俺は良い人間ではないが子供の命を奪うのは流石に忍びない。
拘束する?
短時間ならともかく長時間は難しい。
人間は脳力や秘術のせいで人間は拘束して置いておくにはとても不向きだ。
奥の一人がどんな脳力を隠し持っているかもわからない。
いつかのフラーラのように全身を縛りまともな思考を行わせなければ可能ではあるが、それを実現する道具がない。
考えている間にも時間は無情にも進んでいく。
「グース!? どうしーーーー」
「≪意識混濁≫≪消失の小部屋≫」
息子の異常を見たギガントの女性が声を上げようとして叶わなかった。
倒れた少年を中心に≪消失の小部屋≫が形成され、部屋の奥から出てきた大きな女性を包み込む。
彼女が自分の口から音が出ないことに気が付くと同時に、放たれた光線が女性の意識を刈り取った。
二人の巨体を室内に押し込み、『秘術の携行袋』から縄を取り出し念入りに拘束する。
俺が選択したのは拘束。殺すことのリスクが大きすぎる。
無音状態で縛って転がしておけば二人の能力次第ではそこそこの時間は稼げるはずだ。
幸いなことに目的地は近い。
効果時間の怪しい透明化を『透明化のポーション』を再度服用して延長し廊下に飛び出す。
時間がますますなくなった。帰りの時間を考慮するとかなり不味い事態だ。
急がねばならない。
廊下を走り抜け、後宮エリアの端に辿り着く。
物陰から建築途中の建物を盗み見る。
渡り廊下の先では何人もの大工が作業をしており、それに混じって武装した傭兵がちらほらと見受けられた。
情報よりも傭兵の数が多い。
黒曜龍について多方面に探りまわったせいで警戒が密になっているようだ。
もっと時間を掛けて水面下で調べられればこんな事態にはならなかったというのに。
手の平で蠢く刻印を睨みつける。
愚痴を言っていてもはじまらない。
警備にあたっている者は5人。
大工のハーフリングやギガントは数こそ多いが無力化は容易い。
しかし、一度の当たりじゃ傭兵全員を無力化することはかなりむずかしいだろう。
人が行き交う中では透明化していても人に触れあってしまう可能性も高い。
「≪伝言≫」
腰のポーチから宝石を取り出し、短文で思念を送る。
(リナ。指定場所についたか? 建築現場に人が多すぎる。援護してほしい)
距離に関係なく言葉を伝えられるこの呪文は、便利だがリアルタイムで会話できるわけじゃないのが辛い。
(着きました。此方でも武装した……6人を確認しました。誰か死角になってるみたいですね)
(俺がいるのは手前の建物だ。見えない位置にいる奴の処理は最優先で頼む。タイミングはそっちに合わせる)
少しの間の空く会話を済ませ合図を待つ。
警備の傭兵を眺めた限り、外よりも建物内部に意識を割いているように見える。
当たり前の話か、子供とはいえ龍だ。しかも亜龍ではなく翼持ちの。
その脅威は計り知れない。
些細な変化を逃さないよう傭兵を見つめていると突如、彼らのすぐ近くに白銀の弾丸が現れた。
着弾音も発射音もなく、銃弾に襲われた四人の傭兵たちの周囲は静寂に包まれた。
≪消失の小部屋≫が全ての弾丸に付与されている。
音の消失に近くで作業していた大工が慌て始めた。
リナの攻撃に遅れないよう俺自身も物陰から躍り出て傭兵たちへと駆け寄る。
極太の弾は傭兵たちの≪凶弾の遅延≫によって優しく受け止められていた。
だが、リナの外装骨格はその守りの上をいく。
白銀の弾が形を変え細く長い布状に変化した。
弾しか遅らせることのできない≪凶弾の遅延≫の力場を近接攻撃と化した布が掻い潜り、彼らへと殺到する。
見慣れぬ武器に判断が遅れた四人が金属布に拘束された。
拘束力が強すぎるせいか二人程、腕の関節があらぬ方向に曲がってしまっている。
首がへし折れなくて本当によかった。
リナに負けじと味方が攻撃をうけたことに気を取られた残りの傭兵に背後から近寄る。
「≪便利で愉快な収納空間≫」
黒孔から紫色の毒が滴る短剣を取り出す。
危なすぎてこんなものは通常の手段では持ち運びたくない。
透明の空間から出ない様に慎重に持ち、一人に背後から肉薄。
「≪意識混濁≫≪意識混濁≫」
短剣で斬りつける寸前、残りの傭兵に秘術を飛ばす。
声が聞こえたのか、目の前の傭兵が振り向こうと身体を動かそうとした。
≪意識混濁≫の結果を見届けずに目の前のエルフの口元を手で塞ぎ、後ろから短剣を肩口に突き刺す。
「がぁ!!」
透明な俺に組み付かれたエルフが苦悶の声を上げた。
流れるように秘術を起動。
「≪消失の小部屋≫」
無音空間を作ることで音声要素の必要な秘術の起動を阻止。
エルフは一瞬だけ振りほどこうとしてすぐに抵抗がなくなる。
「ーーーー」
口をぱくぱくさせ何かを言おうとしているが生憎とすでに此処は無音の世界。
何も聞こえやしない。
脳までとろける筋弛緩剤が作用してエルフがだらしなく口を開いて涎を垂らした。
あらゆる筋肉が緩み、身体を直立させることすら困難だろう。
短剣を引き抜き、ふにゃけたエルフを捨て≪意識混濁≫を放った傭兵を見やる。
連続した呪文の抵抗に失敗したようで想定通り地面に横たわっていた。
念の為、短剣で傷をつけておく。
「ーーーーーー」
何かをしようしているのかと毒にかかったエルフが身じろいだ。
おまけに垂れ流しちゃいけないものまで尻から出し始めている始末。
予想以上に毒が聞いているらしい。
ケラニア結族からよく効くと受け取った毒なのだが、これは効きすぎなのではないだろうか。
まさか、死んだり後遺症が残ったりしないよな……。
いや、その心配はないと言っていたはずだ。
降ってわいた心配を脳の片隅に追いやり、急いで逃げ出そうとしている大工の元へと向かう。
助けを呼ばれてはかなわない。
人の尊厳が失われるおぞましい短剣で戦闘経験のない彼らに浅く傷をつけると、次々と地面に倒れ伏した。
研鑽の積んだエルフや身体を使う仕事の大工なら酷い後遺症はきっとたぶんないだろう。
そう願う。
本当なら全員どこかに押し込んでより発覚されづらくしたいところだが仕方ない。
辺りに垂れ流されている汚物を悠長に片づけている暇などないのだ。
(完璧な援護だった。これから黒曜龍と対面する。何かあったら頼む)
リナに秘術で礼を送り、鉄の足場に覆われた作りかけの建物へと足を向ける。
簡易的な扉を潜ると設計図通り、堅牢な両開きの扉のついた建物が目に入った。
作りかけの外観とは反対に一目で丈夫な作りであるとわかる。
その中央の建築物を囲うように円形の通路が敷かれていた。
道の端には工具や建材が並べられている。
足元に気を付けて大きな扉に近づいた。
「『偉大で素敵なミッド・ポーカー』」
胸糞悪い合言葉を唱えると扉が一人でに開きだす。
最初に感じたのは鼻がよくなくてもわかるほどに濃密な男臭さ。
嫌な予感を脳裏に描きながら視線を部屋の内部へと移す。
目に飛び込んできてしまったのは秘術的に照らされた内部の様子。
幾何学模様がびっしりと書き込まれた部屋の中央に両手足や首を鎖でつながれ、座り込む長い黒髪の少女が一人。幼いながらに出るとこが出ている身体。整った容姿。
人とは一線を画する超然とした気配を纏う不思議な少女だ。
最悪なことに服は着ていない。
少女は力なく項垂れ、時折鎖をどうにかしようと身体を動かしている。
淡く彼女の瞳が光った。
手足が形を変え、最近見た黒龍のソレに類似した造形になる。
地面を覆う巨大な模様が明滅して龍に戻ろうとした手足の末端が人の姿に戻ってしまう。
自らの手足をさすり、少女が涙を流した。
「ーーーー」
鈴を転がすような澄んだ声が静かな空間に響く。
黒曜龍は雌だったうえになんらかの秘術で強制的に人型に固定されてしまっているらしい。
目の前の情景は最悪で最低な結果の末なのだと瞬時に理解した。
色ボケドラ息子だバカ息子だとミッド・ポーカーが揶揄されていたのは重々承知していたが此処までのうつけだとは思ってもみなかった。
どうやら馬鹿野郎は黒曜龍の幼体を旧時代の奴隷のように扱ってしまったようだ。
予想を遥かに超える惨状に体内の血が冷えていく。
「ーーーーーー」
来客に気が付いたのか少女が此方に顔を向けた。
俺の知らない言語で彼女が何かを口にする。
何を言っているかはわからない。
わからないが、今、俺の顔を鏡で覗いたら文字通り顔面蒼白だろう。
この眼前に広がる光景を見ているのは決して俺だけではないのだ。
俺やリナ、ココたちの生殺与奪を握る彼の黒龍の俺を同じものを見てしまっている。
急激に冷えていく身体とは裏腹に燃えるような熱を左腕に感じた。
熱が腕だけにとどまらず、身体全体に広がっていく。
右腕に目を落とすと紋様が右の手の平で踊り狂っていた。
刻印がその面積を広げ体中に広がるのを肌で理解する。
人非ざる圧力を放ち、怒りに満ちた声がそれらから紡がれた。
「おのれ、人如きがふざけた真似をーー」
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