第36話 地下世界24-3
扉を開き室内へと侵入する。
室内は秘術で読み取った通り『木漏れ日酒場』と同程度の広さ。
壁には燭台がかけられ、部屋の要所には篝火が焚かれ最低限の明るさを確保している。
装飾の類は無く、地面も壁も岩がむき出しになっていた。
壁の近くには石材が積まれ、ふかふかの厚手の生地もそのまま置かれている。
見るからに作りかけの空間だ。
部屋の奥、出窓のように壁が削られ作られた空間には階段六段ほどの高さの台座、さらにその上には岩で出来た玉座があった。
玉座の上には一際大きなホブゴブリンがゆったりと腰を掛けていた。
遠目からでも分かる良質な防具に身を包み、その巨体は通常のホブゴブリンの1.5倍程にも及ぶだろう。
間違いなく奴がゴルドだ。
ゴルドの左右には二人の屈強なホブゴブリンを控え、玉座の周りには一人のメスのホブゴブリンが彼にしな垂れかかっている。
「人間か……まぁ、コボルトでは此処まで来れぬか」
経験に裏打ちされた力強い声音がゴルドから放たれる。
返事とばかりにゴルドへと駆けながら秘術を構える。
敵の言葉に悠長に答える必要はない。
「≪連鎖する雷撃≫」
宝石を砕き発せられた雷撃が一直線にゴルドに迫る。
その時、右隣にいたホブゴブリンが腰の布袋から何かを取り出し振りまいた。
「〈赤い稲妻〉」
サイオニックによって生み出された赤い稲妻が≪連鎖する雷撃≫に命中し相殺する。
左隣のホブゴブリンが祈るような動作をして呪文を唱えた。
「〈呪文抵抗付与〉(レジスト・エネルギック)」
(あれは攻撃呪文への抵抗をあげるサイオニックだよ、当然秘術にも効果がある)
ココから術の正体が教えられる。
どの程度の効果があるのかはわからないが、呪文への抵抗力が上がってしまったというなら物理で殴るしかない。
ゴルド自体も厄介そうだが取り巻きをかなりの実力を込めていそうだ。
(左右の取り巻きを頼む)
「お前たち、人間のメスを相手しろ」
二人に思念を飛ばしてさらに呪文を起動。
≪みかわしの霧≫が俺の身体を包んだ。
奇しくも俺とゴルドの判断が重なり、三対三の個別での戦闘が始まった。
ククリを握った右手でゴルドへと斬りかかる。
狙うは脚部。デカブツも動けなくなれば終わりだ。
「せっかちな奴め」
ゴルドが侍らせていた女ゴブリンを振り払い、ゆっくりと立ち上がる。
台座を一足で跳び越え、ククリを振るう。
手にはもはや慣れてすらきた柔らかな手ごたえ、分厚い何かに阻まれた。
確実に当たるはずだった俺の一撃は≪超常・不可視の皮膜≫によって防がれている。
「言葉も喋れぬのか犬め」
残り少ないスローイングナイフを抜き、後ろで立ちすくむ女ゴブリンへと放つ。
いつの間にか握られていたゴルドの曲刀にその全てが薙ぎ払われる。
流れるようにゴルドが力ある言葉を紡いだ。
「〈超常の矢〉(サイオニック・ミサイル)」
触媒を必要としない呪文が形を成し、五つの青い力場の矢がゴルドの周囲に展開され俺へと射出された。
後方へ跳び回避する。一瞬前まで俺のいた場所付近には青い光線で地面に穴が空いていた。
≪みかわしの霧≫の効果か、着弾点はばらけている。
ゴルドは誤認させた位置を面で狙ったようだ。
距離を取り、仕切り直す。
「羽虫のような攻撃だな、その程度か」
ポーチから『加速のポーション』を取り出し嚥下する。
余裕を現すためかゴルグは俺に対して妨害をしてこない。
視線を巡らせるとココとリナがそれぞれ取り巻きに苦戦を強いられていた。
当たれば殺せるはずのリナのドリルは熟練した動きを見せるホブゴブリンに掠りもしない。
空間をも抉りとらんと唸るドリルも当たらなければただの太い棒。
卓越した回避を見せるホブゴブリンを前に三対の腰の刃も意味は無く、戦闘経験の薄いリナの攻撃はただ空振り続けている。
遠距離攻撃が使えればどうにでもなるだろうがガトリング砲のオーバーヒートのせいでまだ使えない。
完全に使いどころを間違えたな。俺の指示ミスだ。
ココは動きでも敵を圧倒し、攻撃も何度も当たっている。
しかし、過剰なまでに防衛呪文を施された相手にココの攻撃は貫通しえない。
薄皮一つを傷つけるのみに留まる。
彼女が憎々し気に漏らす思念曰く、秘術で言う≪急所への守り≫(ヴァイタルス・ライブ)に類する呪文が敵に付与されているようだ。
その証拠にホブゴブリンが攻撃を受けるたびに黄色い光を発し、ココの攻撃を妨げていた。
≪急所の守り≫は生物の急所を守る力場を構成する呪文。
急所を突き、敵を殺すココにとっては天敵と言える効果だ。
急いだつもりだったが通路での戦闘で時間をかけすぎたらしく、ホブゴブリン共はかなり準備を重ねてしまっているようだ。
この世界では準備に時間を掛ければかけるほどあらゆる事態に対応できてしまう。
逆にその準備を奇襲に費やせばその成功率も格段に上がる。
下手に通路での殲滅を考えずにすぐ様、ゴルグを狙った方が良かったかもしれない。
通路での敵を殲滅後に奇襲を恐れて間髪おかずに入室した俺たちは準備が足りていない。
俺達三人の苦悩を余所に女ゴブリンは壁へと移動し、戦いを見守っていた。
意識を戻し、ゴルグに集中する。
地を蹴り、ポーションの効果で加速した俺の肉体がゴルグへと瞬く間に到達した。
身体にゴルドの視線が射抜くように突き刺さるのを感じた。
現状の最高速度が完全に目でとらえられている。
嫌な予感を押し殺し、ククリを最小限の動きで胴体の鎧の隙間を狙い突き入れた。
点になった攻撃を僅かな動作でゴルグに避けられる。
速度を重視した攻撃が外れ、心の中で舌打ちをした。
お返しとばかりに上段から振り下ろされた曲刀をこちらも身体を横にずらして軌道から外れる。
そのまま勢いのままに地面に吸い込まれるはずの一振りはゴルグの強靭な筋肉によって俺の腰辺りで急静止。
刃が横向きに寝かせられる。
不味い、と意識をする前にククリを引き戻し、横っ跳びをしながら予測される斬撃の位置で
ククリを構えた。
衝撃。
力によって軌道を強引に変えられた曲刀が俺を襲い火花が散った。
宙へと弾き飛ばされる。
空中で一回転してゴルグに手を向けた。
「≪氷の槍雨≫」
解放された呪文が形を成し、無数の氷となってゴルグへと射出される。
その体躯からは想像できない速度でゴルグが回避。跳躍。
僅かに身体を掠めるかに見えた氷槍もゴルドに付与された呪文耐性の前にあっさりと砕け散る。
残りの氷槍が虚しくも誰もいない石の台座を削った。
瞬く間に目の前に迫った巨体の太い足が俺の顔面へと思い切り振り下げられる。
≪みかわしの霧≫の誤認が機能していない。一回の攻撃で適応してしまったらしい。
咄嗟に手甲で顔を守る。宙に居る俺は抵抗もできずに下へと吹き飛ばされた。
ゴルドの速度が異様に速い。
俺の『加速のポーション』に類するサイオニックがかけられている。
なんとか体勢を立て直し足から着地。
土煙をあげて地面を滑る。入口の扉付近までとばされてしまう。
「≪岩の大槍≫(ロック・シェイプ)」
地に手をつきながら宝石を砕いた。
≪石の加工≫よりも小規模ながらに攻撃性を高め、先端への鋭い加工を可能としたこの呪文。
床が盛り上がり幾つもの鋭い岩が自由落下を始めたゴルグに向けて伸びていく。
ゴルグが宙で無造作に曲刀を薙いだ。
岩が破壊され、瓦礫が散らばる。
部屋の中央へと柔らかく着地したゴルグは室内を見回し、面白そうに口角を歪めた。
「貴様のメスも苦戦しているようじゃないか」
「……彼女たちはお前の取り巻きに負ける程、弱くはないさ」
初めて会話が成り立ったことに驚いたのか、少しだけゴルグの目が見開かれた。
「ようやく口を開いたと思ったらそれか。世迷言を」
俺の発言が期待外れだったのだろう。呆れた口調でゴルグが言った。
おおかた絶望の言葉か、弱音、或いは命乞いを望んでいたのだろう。
けれど、この程度の障害で諦める程、俺たちは弱く無い。
思考での打ち合わせはすでに終わった。
(ココ!)
一言呼びかけククリをココへ投擲し、素早く手甲の宝石へ意識を向ける。
「≪絡めとる蜘蛛の糸≫(ワイヤード・ロック)」
俺の手から放たれた糸がゴルグから大きく外れ、リナの相手取るホブゴブリンへと向かっていく。
その糸は空間そのものが編み込まれた秘術の産物、敵に張り付き行動を阻害する。
≪稚拙な子蜘蛛達の招来≫が尻から出す糸よりも数段強力な糸だ。
突然の乱入に成す術もなくホブゴリンが捕縛され、空間に固定される。
(リナ! 今だ!)
リナに合図を出す。
彼女が即座に反応し、ドリルを構え足の裏から火柱を立ち上らせて敵に肉薄した。
突き出したドリルが捕縛の糸ごと身動きの取れないホブゴブリンを抉り、哀れなホブゴブリンが爆散。唯一無事だった両足がべちゃりと生温い音を立てて倒れた。
時を同じくしてココが投擲されたククリを、飛来する方向も確認せずに後ろ手に受け取る。
長年の付き合いがあるココとのこれくらいの芸当はリナが泥酔するよりも容易い。
ククリを受け取ったココが軽やかにホブゴブリンに近づき目にも止まらぬ連撃を叩きこむ。
当然、サイオニックの守りが発動し薄皮しか傷がつかない。
だが、それで十分だ。
幾重にも刻まれた斬撃、やがてククリに内包されたエネルギーが解放されホブゴブリンの目を焼いた。目を抑え、痛みで敵の足が止まった。
動きを止めた敵などココにとっては木偶に等しい。
ココが足を払いホブゴブリンを転ばせる。
そして、体重をかけてククリを顔面に突き刺す。
如何に優れたサイオニックの守りとはいえ、腰を据えて放たれ秘術で強化された一撃であれば貫けないわけがない。
同時に二人の取り巻きが死に、後はゴルドと怯えた女ゴブリンを残すのみ。
「形勢逆転だな」
「……情けない奴らだ」
ゴルドが変わり果てた部下を侮蔑するように呟く。
戦闘に参加していない女ゴブリンは壁にもたれ掛かり、戦いに加わろうともしない。
意識を向けておく必要はあるが警戒するほどの者でもない。
詰まる所、現状は三対一、三人であれば如何に守りを固めたゴルグであろうと攻め切れる。
ゴルドに攻撃を仕掛けようと両手を獣化し、爪を振り上げ、呪文でデコボコになってしまった地を掛ける。
直後、視界に飛び込んできたのは自信に満ちたゴルドの顔。
背筋を嫌な予感が駆け巡る。
(何か隠し玉がある。二人も気を付けーー)
一言。たった一言ゴルグが口にした。
俺の警告が終わる前にその力が発揮される。
「『偉大なるゴルグ様の威光にひれ伏せ』」
重低音が強制力を持って放たれる。
秘術で幾重にも重ねたの精神的な守りが一言ではがれて消え去った。
「馬鹿な!! あれだけの守りが一言で!」
驚愕が口に漏れた。
俺の言葉がお気に召したのかゴルグが愉悦の笑みを浮かべた。
「『動くな、喋るな、頭を垂れろ』」
圧倒的な質量を持ってゴルドの言葉が場を支配する。
リナがゆっくりと膝をつき頭を下げた。
(な、なんで……身体が、勝手に!)
口を開くことのできないリナが思念で戸惑いを送る。
抵抗を試みるも敵わず、俺も膝をつく。
≪支配≫に似た力か? それとも相手を服従させる≪威圧する言葉≫(オベディエンス)?
脳内でいくつもの可能性が浮かんでは消える。
今、自身に掛けている精神的な攻撃に対する防壁はたとえ強力なサイオニックでもここまで素早く突破されることはないはずだ。
ならば、アーティファクトの効果が絡んでいる可能性が高い。
ボルトガもゴブリンが強力なアーティファクトを持っていると言ってたではないか。
思い出されるのはディグと一緒に聞いた、逃げ延びてきたコボルトの言葉。
「みんなミンなしんだ、あいつにげるとき急にうごけなくなっタ」
あの言葉はゴルドの≪言葉≫を聞いてしまった奴のことだったらしい。
(くそ……ボクでも歩くのがやっとだ……)
生まれつき精神の攻撃に対する耐性の高いココですらふらふらと歩くのやっとのようだ。
「この言葉を聞いて動ける人間がいるとはな」
ゴルグの興味がココへと移る。
このままではココが、リナが、やられてしまう。
強力なアーティファクト、強力なサイオニックは状況を覆す。
優勢だった状況は一転、想定外の攻撃に窮地を余儀なくされてしまった。
何度も必死に抵抗を試みるが体は動かない。
曲刀を肩に乗せ、ゴルガが焦らす様にゆったりとココへと歩み寄る。
今の俺では、精々動かせるものは打開策を模索する意識と文句を言う唇のみ。
ーーならそれで十分だ。
見せてやれ。
そのために手に入れた力だ。
宝石に意識を向け、俺はその呪文を口にした。
「≪時間操作・詠唱≫」
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