第37話 地下世界24-4
「≪時間操作・詠唱≫」
世界が色を失いモノクロと化す。
呪文の効果範囲内には誰もいない。
マンティスが使ったの時のように詠唱を聞かせる相手もいない。
俺の、俺だけの時間が加速された。
静止した時の中で詠唱を紡ぐ。
「『何もない、俺にはきっと何もない。だから全部を隠したい、俺の手元に、すぐ近くに』」
一言ごとに自身の中で何かが変わる。
「『誰からも奪われぬよう、誰からも盗られぬよう、俺だけの空間に隠してしまいたい』」
脳髄が痺れ心地良い感覚が身体を満たした。
「『だから俺は全てを隠すのだ』」
漏れだす力が臨界へと向かっていく。
「『そこは俺だけの収納空間≪便利で愉快な収納空間≫(ポータブル・ホール)』」
やがて溢れた力が形を成し、脳力が発現した。
世界が色を取り戻し時が刻まれる。
黒い孔。
ゴルドが支配していた空間に幾つもの黒い孔が出現した。
俺やココ、リナの周りだけには収まらずゴルドの周囲にも展開されている。
突如現れた大量の黒点にゴルドが困惑の表情を浮かべ、歩みを止めた。
これだけでは足りない。
俺の脳力は決して戦闘向きではないのだから。
黒い孔から金属の先端が突き出した。
動けぬ身体のままゴルドを睨みつけもう一つの呪文を唱える。
「≪踊る剣撃、舞う鉄塊≫(ソードダンサー)」
ゴルドに近い黒い孔から先端を覗かせていた肉厚幅広の長剣が飛び出した。
勢いよく飛び出た長剣は踊るようにゴルドへと迫る。
奴が曲刀を振るい長剣を叩き落そうと試みた。
しかし、その努力は無為に終わる。踊る長剣が軌道を変え滑るように曲刀を潜り抜けた。
1本、2本、4本と数を増やし長剣が四方からゴルドへと殺到する。
曲刀と盾では防ぐことが叶わず、ゴルドが室内と跳んで逃げ回った。
ココとリナの二人に近い孔からも長剣が4本ずつ出現し、彼女たちの周囲にまるで守るかのように円を描いて展開される。
「誇れよ、ゴルド。俺のとっておきの奥の手だ」
「くそっ! 人間風情が! 〈展開する球体〉(オールド・ソフィア)」
ゴルドが腰の布袋から何かを振りまき、自分を中心とした全方位に球状の膜を出現させた。
膜が16本の長剣を柔らかく受け止め、停止する。
彼の集中が切れたのか身体を縛る強制力が消失した。
軽くなった腰を上げ身体を動かさず、剣の操作に集中する。
この武器は自動で敵を狙ってくれる便利な道具ではないのだ。
ココやリナは今にも飛び掛かろうと腰を落として今にも弾けそうなほどに下半身に力を貯めていた。
「『動くな!』」
再びゴルドから力を込めた言葉が放たれる。
二人が跳びだそうとした不格好な状態で身体が止まった。
「俺達に構ってていいのか?」
俺の言葉が終わると同時にゴルドの張った防御膜の内側に黒い孔が現れる。
〈展開する球体〉に阻まれていた長剣が近くの孔に入り込み、防御膜の内側の孔から飛び出した。
「なんだと!!」
都合24本の『秘影剣』。過去の誰かが作り上げたアーティファクト。
呪文に効果により≪念動力≫のように意思による操作が可能。
剣のみを対象とすることでその操作性を飛躍的に向上させ速さと鋭さを両立させた偉大なる遺物。
〈展開する球体〉の発動を停止し、ゴルドは室内を逃げ回る。
安全な場所ではない全方位の盾など移動を阻害する邪魔な存在なだけだ。
ゴルドの背後の孔から『秘影剣』が突き出した。
鎧にぶつかりゴルドが体勢を崩す。崩した先にも黒い孔。
奴は剣から逃げれない。何処へ行こうと。俺の認識できる距離ならば。
俺の脳力は戦闘用ではない。
詠唱してもしなくてもただの収納能力だ。
重さ大きさに関係なく収納し、そのまま出すことができるだけの力。
どんなに速く投げ入れてもただ収納されるだけ、決して別の孔から速さを保って出てくるわけではない。
その上、収納のための黒い孔も自分で認識して出現させねばならない。
いくつでも物が入れば利便性は高いがそういうこともなく、収納力にも限界ある。
収納力は宿屋の一室程度の大きさもないだろう。
『秘術の携行袋』と違うのは俺だけしかその空間にアクセスできないぐらいのもの。
先日の騒動で預かった記録媒体のように一時的に物を保存する程度にしか利点はなかった。
『アッシュの古代遺物店』が使えるようになるまでは。
一日に十分前後しか使用時間、リチャージも可能のアーティファクト、『秘影剣』。
通常、異空間からの呪文詠唱はできない。宝石も『秘術の携行袋』から利用できないのもこのためだ。
そのため普通の人間が数を揃えた『秘影剣』を使うとき、『秘術の携行袋』から一本ずつ取り出して使わなければいけない。
だが、俺の脳力は違う。
物を出し入れする力なのだ。自由に異空間にしまい、自由に異空間から出す。
そして出てしまえばアーティファクトは起動できる。
使い手がおらずほこりを被っていたこの剣も俺ならば有効に使うことができる。
孔から剣先を出した『秘影剣』が呪文の効果で動き出した。
それは即時に最高速度に達しゴルドを追い立てる。
逃げることに必死のゴルドはまたしても強制力の制御を失った。
身体が自由に動く。
機を逃さず、ココが呪文を唱え、リナが巨大なドリルを振り上げる。
俺は剣の操作と脳力の制御に腐心する。
手に入れて日が浅いこの力は未だに自身が動きながら使うことは出来ていないのだ。
「≪絡めとる蜘蛛の糸≫」
ゴルドに糸が絡みつき、ギリギリで回避していた身体を停止させた。
孔から16本の長剣が殺到する。
何本かは不可視の守りに遮られ、何本かは我武者羅に振った曲刀と盾に弾き飛ばされる。
防がれる度に黒孔が剣を回収し最適な場所、最高の角度から射出される。
遂にはサイオニックの守りを貫き、ゴルドの逞しい足へと突き刺さった。
ゴルドが膝をついた。
「良い格好じゃないか、ゴルド。膝をつく気分はどうだい?」
「行きます!」
ココが嗤い、リナが咆える。
此処に至ってはすでに≪精神的集団連鎖≫の思考会話は切れている。
リナ振りかざしたドリルがゴルドへと向かう。
「うおおおお!!!!!!」
雄叫びを上げたゴルドが盾を手放し地面を殴りつけた。
反作用でゴルドの身体が宙に浮き、寸でのところで死の回転の範囲から逃れる。
しかしその先にも黒孔。その程度じゃ逃げられない。
消耗しきったサイオニックの守りに全てを防ぐ力はなく、2.5メートルの巨体に『秘影剣』が降り注いだ。
胴体に何本も剣が突き刺さり、体中に剣の柄を生やした歪なオブジェクトが出来上がる。
血を流し、だらりとゴルドの力が抜けた。
浅く刺さった剣がゴルドを横たわることすら許さない。
「なんだか危機一髪な感じです……」
死体から距離を取り、リナがボソッと呟く。
「危機一髪どころか死んでるようにボクには見えるけど」
はははと誤魔化すようにリナが笑い、外装骨格を解いた。
二人につけていた『秘影剣』を引き戻し、全ての剣を自分の周りに浮かせておく。
このアーティファクトは一度起動したらきっちり効果時間発動し続ける。
途中で効果を切って使用時間を温存なんて器用な真似はできない。
「危ないところもあったけど無事に終わったみたいだな」
戦いが終わってみればココもリナも無傷。
俺は蹴りを一発喰らった程度。わざわざポーションを飲む必要もない。
室内を見回す。床はデコボコ、台座と玉座は粉々。戦いの爪痕は大きい。
視界に誰も居ない。
死体から装備をはぎ取るのは後回しにしてボルトガの救援に向かわなくては。
『秘影剣』の効果時間内にできるだけゴブリンを屠りたい。
ゴルドを殺した剣を操り、全て引き抜く。濡れた音を立て、血溜まりにゴルドが倒れた。
「ボルトガのとこに向かおう。ちっちゃな身体の首を長くして待ってるだろうさ」
「いやいや、駄目だよスバル。その前にゴルドの貴重なアーティファクトだけでも取っておかないと」
ココが弾んだ声で死体に近寄る。
どの装備がアーティファクトかは調べないとわからないがはいで後から調べればいいと彼女はのたまう。
呆れながらココを見守り、そして、唐突に違和感に気が付いた。何かおかしい。
……誰も居ない? この部屋に?
あの女のホブゴブリンはどこにいったんだ?
「≪死の狂乱≫(フレッシュ・フレンジー)」
女性の凛とした言葉が響いた。
とてもゴブリンのものとは思えない綺麗な発音。
声が響いた現実に反し、室内を見回すが誰も居ない。
嗅覚に意識を集中し、『秘影剣』に指令を下す。
俺達三人以外に動き回り臭いを発するその人物。
入口であり出口でもある扉に向かってその臭いが駆けていた。
『透明化のポーション』に類する効果をもたらす何かを使った奴が居る。
おそらくは女ゴブリン。正体こそわからないものの、そいつが何かをしたことは明白。
視認できない人物に向かって追撃、若干の手ごたえを負わせながらも俺たちはそれどころではなくなった。
≪死の狂乱≫死者を狂気に落とし肉体を強化し効果時間切れまで暴れさせる冒涜的呪文。
効果は正しく発揮され死んだはずのゴルドが立ち上がる。
肉を膨らませ、瞳を白濁させ、その場に立つ。
「ーーーーーー!」
獣とはまた違う理性を失った者、ゴルドの叫び。
歪に盛り上がった筋肉は生きた生物の成しえぬ変化だと教えてくれる。
彼の筋肉は不気味に膨れ上がり、背丈はココの数倍まで一瞬で倍加した。
装備を脱がそうと近くにいたココに狙いを定め、巨大な拳が振り下ろされた。
間一髪、ココが指輪に込められた守りの力を開放させて青い膜を展開し直撃した一撃のダメージを減らす。
ココが瞬時に壁まで吹き飛ばされた。
攻撃が通じないとなると獣ような切り替えの早さで、生者にあらざる動きを繰り出しゴルドがリナへと肉薄した。
四つ足で彼女に近寄る様は低俗なクリーチャーを見ているようだ。
秒単位の間でも行動の遅れた自分の脳に活を入れ、『秘影剣』をゴルドに向かってけしかける。24本の剣がゴルドに向かって繰り出された。
『秘影剣』をたった5本でも二人にきっちりとつけておけば良かったのに、と舌打ち。
最悪なことにどうあがいても剣が間に合わない。絶望的に遠すぎる距離。
彼女は外装骨格を纏ってもいない。
ミンチになるリナを幻視し、願いにも似た二言が口から出る。
「指輪だ! リナ!」
短文。意味が伝わるかもわからない言葉を投げかける。
ゴルドの破滅的な拳がリナの身体に届く寸前、青い膜が彼女の身体を覆う。
外装骨格が機敏に動くも残念なことにゴルドの拳には間に合いそうもない。
『守りの指輪』が力を発揮し、青い力場の壁を生成した。
力場ごと撃ちだされ、受け身も取れずリナが壁へと投げ出される。
「ーーーーーーッ!!」
声にならない不快な鳴き声をゴルドが叫ぶ。
『秘影剣』が俺の意思を正確に実行し、ゴルドの肥大化した足先に迫る。
俺の意思を反映した『秘影剣』が重なり合い、ゴルドの脚を断つ。
反撃を許さずゴルドの手を胴体を頭部を切り刻む。
サイオニックの守りもなく簡単にゴルドは装備ごと分割された。
悲鳴も介さず丁寧に綺麗に感情的に、ゴルドが刻まれ、小さなサイコロ状肉と化す。
動かぬ肉片を見届け、二人のいる壁に駆け寄る。
「大丈夫か!?」
壁にめり込んだココがふらふらと手を振り、リナが血を吐き出しながら身体を抑え半ばまで埋まっていた壁から這い出てくる。
「≪癒しの微熱≫≪癒しの微熱≫」
非常時に備えていた手甲の回復呪文を吐き出し、二人に掛ける。
見た目ほど傷は深くはないようで回復の呪文一回ずつでほぼ健康体を取り戻した。
少し足りないのかリナは『治癒のポーション』を飲んでいる。
「指輪がなかったら不味かったかも、死んだとおもって油断しちゃったよ」
「私も咄嗟に使えたの奇跡に近いです」
一瞬の油断、意識の欠如で女ゴブリンの事を忘れてしまった結果がこれだ。
今は意識の網を広げ聴覚、嗅覚を総動員して警戒に当たっている。
「……二人とも良かった」
深いため息をつく。
ココはマイペースにサイコロ肉になったゴルドに向かった。
「あぁ!! スバル!! 貴重なアーティファクトがばらばらだよ!! これじゃあ何の価値もないよ!!」
限界以上に切り刻んだゴルドは当然のこと、頑丈であるはずのアーティファクトも同じアーティファクトである『秘影剣』では相手が悪かったらしく、装備を含めて原型すら残っていない。
「生きてるんだから許せ。元々は君らの油断なんだから」
「うぅ……」
落ち込んだココに声をかけ、座り込んでいるリナに手を貸して立ち上がらせる。
「回復したてのところ悪いけどボルトガを助けなきゃ。ここで立ち止まっていてあいつらが敗走なんてとても笑えない」
金属球が心配そうにリナの知覚をくるくると漂う。
「二人とも無事でよかった。流石に肝を冷やした」
「スバルは心配しすぎだよ。リナはともかくボクはそんなにやわじゃない」
軽く告げたココの防具の金属部分はひしゃげて曲がっている。
死んだ後に放たれたゴルドの一撃は相当な威力であったのだろう。
女ゴブリン、いやおそらくはゴブリンに見せかけた何者か。
これが終わったら事情の知っていそうな生き残りの捕虜に話を聞かねばならない。
もしかしたら、今の騒動で命が危ぶまれている可能性もある。急がねば。
使った呪文は16。手甲の残りは8つ。
攻撃呪文が1つに防御やかく乱の呪文が7つ。
呪文選択は何度やっても難しい。自身が成長し、認識できる宝石の数が増えてからの方が悩んでる時間が多い気もする。
携行袋と黒孔から宝石を取り出し手甲に嵌めていく。
防御と回復の呪文を気持ち多めにする。
準備不足の痛手を痛感したばかりだ。
ボルトガに悪いがは自分の力で少しの間頑張ってもらおう。
回復に、宝石の交換に水分補給。
準備を整え、物言わぬ肉と成り果てた三人をもう一度視界に収め、部屋を後にした。
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