第16話 地下世界10
どれだけの時間死体をもてあそんでいたのか。
気が付くと全てが終わっていた。
防衛本能による野生の開放が終わりを告げる。
身体が収縮し、元のサイズへと戻る。
両手足の獣化も消え、耳だけしか獣の名残は存在しない。
四つん這いで胃の内容物を吐き出す。緑の物体が溢れ出た。
「あぁ、ちくしょう」
吐いても吐いても不快で濃厚なマンティスの臭いが口から漏れ出てくる。
「あの野郎、好き勝手に食いやがって……」
厄介なことに完全な獣化はまだ自分でも制御しきれていない。
内なる野生が本能のままに攻撃をしてしまう。
下手したら仲間に攻撃が及んでしまう場合すらある。
迂闊に攻撃も受けていられない。
任意に変身でき、勝手なこともしなければとても強力な力だというのに。
先程の雄たけびか、戦いの余波を嫌ってか、ここらに潜んでいたものはすべて逃げたらしい。
周囲から生物の息遣いは聞こえない。
震える手でポーチから『癒しのポーション』を取り出す。
ポーション類ももうこれで打ち止めだ。
随分と使った、また補充しなくてはならない。
仰向けになり、崩れた瓦礫にもたれ掛かりながらポーションの中身を飲み干した。
胃が痙攣し、もどしそうになるのを懸命に堪える。
正常に機能しない胃袋がポーションの吸収を妨げている。
荒い呼吸を押さえつけ、ゆっくり深呼吸を繰り返す。
目を瞑り、その場でポーションが効くのを待つ。
少し休むと次第に元気が出てくる。
あと少しで動けるようになるだろう。
その時、突然、遠くで爆音を耳がとらえた。
まだ、困難な時間は続くらしい。
倒したマンティス共の装備あさりも済んでいないというのに。
ポーションが効くのを待ってはいられない。
動かすのも億劫な手を使い、ポーチから宝石を取り出す。
「≪癒しの微熱≫(キュア・スレイト・フィーバー)」
暖かい光が宝石から溢れ身体に降り注ぐ。
ポーションと呪文で回復させた身体は全快にこそ程遠いが動くには支障がない。
貴重な回復の秘術だ。できれば使いたくなかったが仕方がない。
誰かが駆けてくる音が聞こえた。
目を凝らす。鼻はマンティスの臭いで使い物にならない。
ココがリナをお姫様抱っこで瓦礫を器用に躱しながら走ってきていた。
俺を見つけたのか、進路を変え此方に向かってくる。ココが軽やかに隣に降り立った。
リナを降ろし俺の姿と周囲を見回してココが一言。
「うわ、随分と手酷くやられたね」
自分の身体を確認する。
右の手甲は無事だが左の手甲は凹み、宝石を取り付ける箇所が幾つか歪んでいる。
革鎧は斬撃を喰らわなかったおかげで裂けてこそいないが、電撃の影響で一部が焦げ土埃で汚れている。
何よりも悲惨なのは全身が緑の血に汚れ、ところどころにマンティスの肉片がこびりついてていることだろう。
「でもまぁなんとか生きてるよ」
リナが取り繕った笑みを浮かべて近づいてくる。
「……スバルさん無事でよかったです」
リナの瞳には翠の淡い光と怯えが見て取れた。
ココに≪暗視効果≫をかけてもらっているようだ。
今は見えないほうが幸せだったかもしれないが。
俺の立つ場所には黒く太い触手の残骸が散乱し、原型留めないマンティス死体がすぐそばにある。
おまけに俺の口は緑の血だらけだ。
何が行われていたのか想像に容易い。
怖がらないという努力はしてくれているようだ。
「こっちは片付いた?」
冷えかけた空気をココが本筋に戻してくれる。
「あの建物の中に居たやつは全部殺った」
赤い屋根の建物を指さす。
同時に再び爆音が聞こえた。まだ音源は遠い。
「で、ココのほうはどうなったんだ?」
「たぶん上の連中に襲われた。今はファイリエ達が火をばら蒔いて頑張ってるけどすぐに力尽きて帰ると思うよ」
まぁこんなところに来ている以上、そうなっているだろうな。
「≪凶弾の遅延≫で見えた弾数からすると敵の数は20はくだらないね」
腕を組みココは最後にため息をついた。
俺が想像していたよりも敵の数は遥かに数が多い。
宝石もかなり使っているし体力も万全とは言いづらい。
ココは無傷だけど上の連中が使うとリナが言っていたガイソウコッカクの情報の無さを考えると一人で突っ込んでこいとは言えない。
「ココ、一人で倒せるか?」
「正面からで位置バレバレなのに無理に決まってるでしょ」
「そうだよな。よし、逃げるか」
地下遺跡は街を埋め立てて使っているだけあって様々な場所に通じる抜け道が多い。
別の出入り口には少し走ればたどり着けるだろう。
「あ、今思い出したけど四つ葉亭のブラウがここら辺にワーグの群れが来てるって言ってなかった?」
「……そうだっけ?」
記憶をたどる。
全然覚えてないな。
「そんな大きな耳してるのに聞いてなかったとは言わせないよ。そういった情報覚えておくのはボクじゃなくてスバルの役割でしょ」
「ごめん忘れた。獣化した影響で記憶が混濁してるのかも」
俺の言い訳にココは白い目で見てくる。
「……そんなこと今までなかったでしょう。ワーグのやつらかなり足速いし鼻も良いししつこいよ。ボクたちだけならともかくリナ持って逃げ切れるとは思えない」
リナは黙っている。戦力にもならないうえにお荷物状態だからしかたない
足場も悪く、ワーグは集団で狩りをする。しかも的確に弱い所をついて。
対処すること自体は容易いが荷物があり移動速度が落ちるのであれば別だ。
「ふむ、ここは二手にわかれ……」
「それは前にやりました!」
言葉を被せてくるリナ。さっきまで黙っていたのにすごい反応速度だ。
「よし、逃げるか。ワーグの方が得体のしれない上の連中と戦うより幾分かましだろう」
ポーチから宝石を取り出し、潰れていないスロットに嵌める。
≪水の鞭≫などの普段はあまり使わない秘術はストックがない。
補充しておかなかったことが悔やまれる。
手足を獣化させる。
腕は手首まで、脚も足首までしか変化しない。
やはりまだ体力が戻ってないな。
獣化を終えるのを見届け、ココがポーチから宝石を取り出した。
俺が本調子でないことはまるわかりのようだ。
「≪稚拙な子蜘蛛達の招来≫(サモン・シックス・ブラザーズ)」
空間に黒い渦を描いた穴が空き、中から30センチほど単色の蜘蛛が六匹、飛び出てくる。
色はそれぞれ赤、青、紫、緑、黄、桃だ。自然界にしては派手な色をしている。
「適当に無理せずあっちから来る奴らを足止めしてきて」
招来された六匹の毛むくじゃらチビ蜘蛛にココが指示を出した。
蜘蛛はめんどくさそうに前足を上げキィと鳴いて散っていく。
俺はあまり使わないがココは他次元からの招来を好んで使う。
その蜘蛛が可愛いといつも言っている彼女の神経は理解できない。
「じゃあとっとと行こう」
まだ、この辺りにはクリーチャーが戻ってきたような音は感じられない。
今なら無事に行ける可能性がある。
目でリナのことをココに頼む。
またか、と目で俺に返しながらもココはリナに向けて歩き出す。
リナをココが抱えようとする寸前、リナがおずおずと声を上げた。
「……姿を変える呪文はありますか?」
「どうしたの? 早く行かないと」
ココが疑問符をあげた。
爆音はすでに聞こえてこない。
つまり、戦いはもう終わっている。
「ありますか?」
「……俺はあと2つしかない。ココは?」
「ボクもあと2つ」
急がなければ追いつかれる可能性もある。
さっさと答えてさっさと行こう。
「ミサイルを吹き飛ばした風を作る呪文はありますか?」
「あと2つある」
「ボクはもってないね」
「最後に……さっき食べさせられた木の実はまだありますか?」
それは何よりも大事な物だ。
『神秘の携行袋』の奥に大事に大事に保存してある。
「……何を考えてるんだ?」
俺の問いかけにリナはすぐには反応しない。
ココはどうするのコレ、と指差しながら囁いた。
何を考えているのかぶつぶつと俺にすら聞き取れない音量でリナは呟いている。
時折聞き取れる単語はやれる? いや、いやらなきゃなどの言葉ばかりだ。
僅かに顔を俯かせた後、決心したのかこれまでで一番強い口調でリナは切り出した。
「私に考えがあります」
第十話 くれいじーリナ
「気が狂ってる」
地下遺跡の暗闇の中、思わず出てしまった声が響く。
リナの語った作戦は頭のねじが緩んでいた。
作戦とすら言えないものだ。
「俺たちは最悪な状況になっても逃げきれるけど君は違う。一番危険なのは君だぞ、リナ」
「わかってます。お二人がもし実現不可能と言うのであればあきらめます。判断は私よりもスバルさん達の方が絶対に正しいと思いますし」
リナの言う作戦も上手くいけば得られるものの価値は高い。
しかもこちらの労力は最低に近しい。
しかし、順当に逃げて後から戦いを挑んで勝ったときに手に入るものでもある。
「スバル、時間がない」
「わかってる」
「ボクはやってみることには賛成」
意外なところから援護が入る。
「ほ、本当ですか!?」
リナですら驚いている。無視してココは言葉を続けた。
「もし逃げて再戦ってことになっても場所はきっと街中になる。街中だと他の結族や種族にも見られることになる。それに上の連中を手伝っておぼえを目出度くしたい輩だってきっと出てくる」
ココは腕を組んで顔だけで上を指す。
「今、この場所にはボクたちしかいない。スラムの奴らは余計な争いに首を突っ込まない。あいつらの事を構えるんならこの時をおいてほかにないと思う……あと、歓楽街のど真ん中であれだけやられて、やられっぱなしなんてこれからに響く」
「それは一理ある」
苦虫を噛み潰したような表情をココが浮かべた。気持ちはよくわかる。
冒険者稼業、というよりこの街で暮らしている以上他者になめられるのは良くない結果を生む。
あいつは何されても報復しない、する勇気もない。
そんな噂が広がってしまえば暗がりで襲撃を考える不届き者が現れる可能性も少なくない。
準備を重ねられて襲撃されれば脳力や敵の手持ち秘術によっては対処できない事態にもなりかねない。
「まぁ、ダメな時はダメな時。その時はスバルお得意の獣化で尻尾まいて逃げよう」
笑いながら尻尾を見るな。
現在、アイリスでは上の連中が降りてきて俺達に攻撃して回っているという噂がすでに広がっていると思って間違いない。
俺達がやり返せば必ず噂が広まる。
20名近くの上の人間がスラムの穴に入り、出てくるのは俺達だけ。穴の中には死体。
そんな状況なら誰が殺ったのかは明らかだ。
たしかに、言ってることは間違ってないが……。
「なんだかやけにリナの考えに肩を持つな」
「待ってる間にお話すれば多少は仲良くもなるさ」
「……まぁいい」
鼻で笑いながら最悪でもボクだけは多分逃げ切れるし、と小さな声で呟いたのは聞こえている。
上手くいって得られるものはガイソウコッカクをはじめとした上の物品。
上での価値は知らないがアイリスでならその価値はどう考えても低いものではない。
失うものはリナの命。
リナを見捨てれば俺やココはまず間違いなく逃げられる。
それだけの経験を積んでいるし自負がある。
リナを見る。
怖いのか震えていた。ただ、震えながらも真剣な表情で俺を見つめている。
新たに爆音が聞こえ始めた。蜘蛛達が戦い始めている。
本格的に時間がない。
「スバルさん言いましたよね? 一番危険なのは私だって。だったら私なら大丈夫です」
考えてみれば簡単な話かもしれない。
元より俺とココに失うものがない。だったらやらないのは嘘だろう。
必要な時に必要な賭け金を払う。賭け金が俺のものではないのならさらに当たり前のことだ。
「……わかった。今回はリナの案にのろう」
リナの真剣な目に合わせて俺も真面目な表情をする。
茶化すような場面じゃない。
「だけどよく憶えておいた方がいい。君がどうして命を懸けてこんな賭けをしたいのかわからないが、命に変わる報酬なんて存在しやしない」
「……私はその命のためにやるつもりです」
何を言いたいのか深くはわからないが、リナの決意は固いようだ。
レイナールが女性を守るための苦労は厭わないものだとか言われたが、その女性が死にたがりときている。ため息が出た。
「もう、何も言わないよ。さぁ、早速準備をしようか!」
「なんだか急に楽しそうな声になりましたね……」
「酷い言い様だ。命が掛かってるんだ楽しくなんてないさ。俺の命じゃないけど」
リナに白い目で見られるが散々文句はつけたが面白いものは面白い。
人生面白いってのが大事だ。
しかも他人の命の責任を取らなくていいんだ。
理不尽な死は可哀そうだと思うが自分で望むのなら問題ない。
背中の『秘術の携行袋』から宝石を取り出す。
この携行袋もボロボロだな。先程の戦いで壊れなかったのは幸運だ。
携行袋が壊れてしまえば中に貯蔵されていた物品は二度と取り出せなくなる。
この件が片付いたら修理に出そう。
「≪炎の幼子の招来≫」
「スバルもそれ使うんだね。いつもはケチなのに」
「今日はそういう気分なんだ」
宝石に内包されたエネルギーが順に虚空へと吐き出され、紅く形を描く。
それは30センチほどの火の小さな人を模る。
炎の翼を生やした三匹の火の精霊が不機嫌に現出した。
「あーまたわたしたちをよんだひとたちだー」
「さっきはいたかったぞー」
「またたたかわせるきかー」
「ファイちゃんたち無事だったんですね! よかった!」
リナは現れた精霊を見るや否や、彼らを嬉しそうに抱きしめた。
ぷりぷりと怒りながらも精霊は抱きしめを受け入れている。
彼らの名前まで知ってるうえに、ココが呼んだ個体と同じ個体らしい。
彼らはこの世界で致命的なダメージを受けても元の次元に帰るだけで死ぬことはない。
ただ、痛みはある。同じ個体を呼んだせいで怒っているようだ。
三日もすれば忘れる知能なのに連続で呼んでしまい記憶が残っているようだ。
携行袋から飴を取り出し精霊に放る。
飴を受け取った途端、精霊達は笑顔になり、彼らからすると口に入りきらない大きな飴を小さな手に持って舐め始めた。
「にんげんはいいやつだー」
「あまいぞー」
「たたかいもじさない」
さすがあまり知能が高くないだけあってちょろい。
こんな奴らだけど有用が故に彼らを招来する秘術は総じて高い。
グラント結族の報酬があるとわかっていなければ逆立ちしても使っていないだろう。
「安心しろ戦うわけじゃない。君らには他に手伝ってもらいたいことがある」
話を聞いているのかいないのかきゃっきゃと炎の精霊が騒いでいる。
こいつらは後回しだ。
リナとココの顔を見る。
「基本的にリナのやり方で問題ないと思う。別の秘術で準備できるものもあるけど、その作戦通り準備をしよう」
リナの作戦は最高に面白い。
ガイソウコッカクとやらが大量に入るかもしれない。
「さぁ、街中でバカスカ撃ってきたあいつらに目にもの見せてやろうじゃないか」
二人は力強く頷いた。
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