第15話 地下世界9-2

【≪雷撃≫】


衣服のはためく音すら聞こえぬ無音空間の中、凛とした硬質めいた響きで音が響く。

無音環境下にも関わらず大きなカマキリはただ一人、奇妙な音色の声を発していた。


≪消音の小部屋≫の範囲内で秘術行使だとっ!!


驚きに身体を止める間もなく放たれた電撃が迫りくる。

すでに俺自身が≪消失の小部屋≫の影響下だ。呪文行使も回避行動すら間に合わない。


顔を手で覆い、≪みかわしの霧≫の回避補正と『秘術的鎧』の防御力場を信じて電撃に正面から突っ込む。


「ーーーーーーっ!!」


体内を力場により減衰された電撃が駆け巡る。

痛みに対する苦悶の声も無音空間に吸収され、耳には自身の悲鳴すら届かない。

体毛の一部は焦げて縮れてしまった。


全身の痛みに耐えて、秘術行使後の硬直にいる大きなマンティスへと爪で斬りかかる。

音もなく反発する力場により爪は防がれた。≪非常時の盾≫だ。


爪に反発を感じた直後に拳を引き戻し、力場ごと蹴り飛ばす。

一度マンティスの飛翔攻撃でやられたことだ、俺でもできる。


大きな奴の処理は後回しでまずは取り巻きからだ。

加速中になんとか終わらせたい。連続して『加速のポーション』も服用できなくないが、相次ぐ加速は加速酔いを引き起こし前後不覚に陥ってしまう。


取り巻きは二体ほど、無音の世界から逃れようとしている。

残りの二体は鎌を振り上げ近接攻撃を挑んできた。

軌道から判断し、僅かに身体を反らす。鎌は地面へと吸い込まれていく。

≪みかわしの霧≫が敵の攻撃の焦点をずらしてくれる。


ダメージを受けた身体の悲鳴を抑え込み、攻撃後の硬直を狙い二体の頭部へ両手を伸ばす。

当然の如く阻まれた。≪非常時の盾≫、使われてわかる厄介さだ。

手を引き、再び振るわれた鎌を最小限の動きで回避。


【≪火球≫】


硬質な音が耳に届く。蹴り飛ばしたやつの呪文だ。

鉄球を拾いながらその場から大きく飛びのき、階段付近まで逃げる。

外れた火球がテーブルを燃やし、焦げた臭いが広がる。


咄嗟の対応から、大きな奴を除き二体が近接、距離を取った奴が術者としての役割があるとと想定。

術者の二体へと鉄球を投げつける。鉄球との距離を取ったことで音が戻る。

まずは近接を屠るべきだ。非常時の備えは使わせた。


「身の程知らずの犬っころを切り刻め!! 内臓は俺のものだ!!」


鎌を二度も当てられなかった奴が、虫にふさわしい下品な事を言っている。

宝石を使用し、左右の手甲から順次、秘術を発現させる。


「≪火球≫≪雷の武器≫(サンダー・ウェポン)」


大きなマンティスへの牽制に火球を放つ。避けられるが仕方ない。

その隙に掌に雷が宿り、爪へと伝わった。

手を介する攻撃の威力が上がる秘術が形を成した。バチバチと威圧する音を立てている。


加速のポーションの効果時間内に数を減らさなければ勝機はない。


地を蹴り、天井を蹴り、近接型マンティスへ踏み込む。

ポーションの効果時間内なら俺の方が圧倒的に機動力がある。

こいつらの非常時の盾はもうないのだ。

反応する間もなく、二度目の斬撃は交差する瞬間にマンティスの命を刈り取った。


血しぶきが上がり周囲に噴水の如く吹き荒れる。

死体は電撃を纏った爪により、ビクビクと痙攣を繰り返す。

急反転し、術者型のマンティスへと向かう。


残りは三体。


無音では秘術も唱えられず、また近接型よりも格闘に精通しておらず俺の方が圧倒的に早い。

術者方に成す術はない。爪を二体へと振るう。当然≪非常時の盾≫が起動した。


しかし既に状況が違う。

大きなマンティスも視界に収めている。周囲に警戒すべきものはない。

このまま連撃が仕掛けられる。


≪非常時の盾≫も万能ではない。

≪非常時の盾≫は一方向の不意打ちにしか対応できないのだ。


しゃがみ込み、マンティスの片足首を両手で一本ずつ掴む。

そのままマンティスの身体を持ち上げ顔面から地面に叩きつける。

爪が足に食い込み雷が流れ、緑の血をまき散らすそれは不気味に引きつりを起こした。


高速で三度ほど地面に打ち付けると足が付け根から取れる。

邪魔な足首は残る大きなマンティスへ投げつけた。


帯電が死体に移り、合計四つものマンティスの死体が地面をのたうち回る。

見ていて気持ちのいいものじゃない。

不必要になった鉄球を拾い上げ≪消音の小部屋≫を解除した。


すでに窮地は脱した。あとは最後に大きなマンティスを殺るだけだ。

死体を一瞥し、最後のマンティスへと躍りかかる。

持続時間が切れ、爪の雷は消えてしまっている。だが問題ない。


「よくも……よくも同胞たちをッ!! 串刺しとなれ!! ≪氷の槍雨≫(アイシィ・ランサー)」


無音空間時に声を発する秘術が解けたのか、マンティスらしいギチギチと聞き取りづらい声で奴が叫んだ。

血をまき散らし、血に這いつくばり、不気味なダンスを踊る同胞を見て鶏冠にきているらしい。


虚空に氷の槍がいくつも生成される。

焦らずに生成されつつある場所へ呪文を放つ。


「≪炎の壁≫(フレイム・ウォール)」


宝石が砕け、炎の壁が地面から噴き出した。氷は熱せられ、気化し、消滅する。

役目を終えると壁は消え去った。

俺が地を蹴り向かう先には叫び声をあげるマンティスが一人。


「おのれおのれおのれおのれぇええええええ!!!!!!!!」


振り返れば、手甲から使用した秘術は僅か六個。

手甲全体からすると四分の一だ。この人数差なら大金星と言える。


マンティスの鎌による最後っ屁を距離感の誤認と、少し身体を傾けることで回避。

右手の爪を振り上げる。

目の前こいつも緑の血で周りを汚しながら絶命する。


視界の端に映るのは緑の血で染まった大きな部屋。

部屋中が緑の血で染まった惨状をみてふと思う。


この光景をみたら、またリナは怖がってしまうのだろうか。


また化け物を見るようね目を向けられるのだろうか。

まぁ、仕方がない。必要なことだ。


感傷的な気持ちを端に押しのけ、今に集中しなおす。

そんなどうでもいいことを考えている場合じゃない。


止まりかけた右の爪を振り下そうとしてーー


身体に重りがつけられたかのような錯覚に陥った。


ポーションの効果が切れた!!


一瞬の迷いが、脳内での時間間隔を一秒狂わせた。

いや、問題ない。通常の速度に戻るだけだ。ただ、振り下ろせばそこで終わる。


殺す相手に視線を向ける。

違和感。


何かがおかしい。

何だ、何がおかしいんだ……。


あぁ、そうか。このカマキリは……


そのカマキリは死の間際にも関わらず

複眼いっぱいに嗤いを湛えていた。


「≪時間操作・詠唱≫(オーバークロック・ブレインスペル)」


世界が色を失いモノクロと化す。

振り下ろされるはずの爪は停止した。

身体が動かすことができずに意識のみが普通に働いている。

どんなに力を入れようとも手足はびくともしない。

もちろん口も目も動くわけがない。


静止した時の中で、目と鼻の先にいるカマキリの複眼全てが俺を見つめる。

止まった世界でギチギチとマンティスの気色の悪い口だけが動いた。


「油断したな犬!! 貴様はそこで詠唱が終わるのをただ、待っていろ!!」


噂で聞いたことがあった。

脳力最大の弱点である長大な詠唱を解決する秘術があると。

その噂は酒場でなされる誇大な冒険譚程度に信頼性のないものであるはずだった。


戦闘脳力者にとっては垂涎の品。

一般には流通していない宝石に込められた秘術。


「『帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい、遠い記憶の水底に。私を喰らい貴方が生きる』」


無音の世界でマンティスの声だけがそこに存在していた。

思考だけ働いていることが恨めしい。


「『貴方は水を求める、水をだせ、水を出せ、水を出せ、機よ熟せと祈り続ける』」


危機感だけが募り自分は何も行動を起こすことができない。

目の前で詠唱が紡がれていく。


「『もし貴方が動けるならばもし貴方が殺せるならばもし貴方も生かせるならばこの脳髄すら喜んで差し出そう』」


きっと攻撃の類の脳力だろう。

まさか、ここまで演出しておいて料理を出す脳力でもあるまい。


「『さぁ始まれ共に行こう、≪耐え難き共生の先≫(ゴルドイデア・プル・ストリング)』」


感じるはずのない悪寒を感じた。

マンティスの詠唱が完成した。

完成してしまった。


「この距離ならばどうあがいても避けられまい!!」


最後の宣言と共に世界が動き出す。

どんな脳力かはわからないが発動してしまった。


しかし、幸い今は攻撃の真っ最中だ。

爪をただ振り下ろせばいい。それで終わる。


金属同士を打ち合わせたような甲高い音が響いた。


爪が黒い何かに防がれる。最悪の事態だ。


俺が認識する前に≪非常時の盾≫が起動していた。

力場が防ぎきれないところから何かがすり抜け足を、手を、腹を打ち据える。

防具のお陰か、黒い何かの限界か、刺突が俺の肉を貫通していないことがせめてもの救いだ。


痛みで膝をつきそうになる。死を予感し、気合で呪文を発動する。


「≪跳躍≫」


寸でのところで後方に跳んだ。

そこでようやくふざけた詠唱の結果の全貌を目の当たりにした。


それは太く、子供の腕程の太さで怪しく動き、色は黒く艶やかな光沢を帯びていた。

マンティスの腹部から左右に五つずつ都合十本もの極太触手が延びている。

室内を無軌道にぞるぞると蠢き、腹部の体積以上の触手が出入りする様は悪夢以外の何物でもない。


「生きたまま腸を抜き取り、それを同胞への慰めとしてやろう!!」


マンティスが叫びに呼応し、触手が俺目掛けて殺到する。

異様な光景に気圧され、更に後ろへと跳んだ。壁にぶつかる。

壁際へと追い詰められた。


繰り出された触手は床を貫き、なおも不気味に蠢いている。


これまで生き抜いてきた経験則から今いる場所が死地であると悟った。

視線を巡らし、窓を確認。考えるより早く窓へと飛びついた。

後方で激しい音が聞こえる。


床を貫いた触手が二階を経由し、床下から襲い掛かってきていた。


窓から勢いよく飛び出す。できるだけその建物から遠くへ行けるように。


「≪軟着陸≫」


呪文の加護で宙を滑るように落ちていく。足元の淡い粒子が場違いに美しい。

ポーチから『癒しのポーション』を取り出し、即座に飲み干す。


甘ったるい液体が喉を伝い、電撃や触手による攻撃を受けた個所がじわりと暖かくなっていく。

痛みが少し和らいだ。手足に力を込めてみる。痛みはあるがまだ動ける。

滑空しながら建物へと振り返る。


壁を突き破り触手がぬらぬらと現れた。

崩れた壁からマンティスが虚空へとゆっくりと足を進める。


頼むからそのまま三階から落ちて頭打って死んでくれ。


祈り虚しくあろうことか、三階から一階まで触手が伸び、ゆらゆらと歩き始めた。

太い触手で二足歩行をするカマキリ、酷い絵面だ。


最悪なことにおそらく俺はまだ触手の射程圏内だ。

緩やかに下降する俺へ触手が向かってくる。数は八本。

俺の滑空速度よりも明らかに早い。宙に逃げたのは失敗だったか。

≪軟着陸≫を解除するも着地よりも早く触手は俺に辿り着く。


ダメもとで触手に≪電撃≫を撃つが効果なし。

何かの金属なのか電気を弾いている。


「≪風の壁≫!!」


自分に向かって風の壁を下向きに放つ。

吹き荒れる風が地面へ放たれる。強制的に地面へ着地した。

動きを止めずに瓦礫を全力で走り抜ける。

右に左に、建物の近くを逃げ回る。


瓦礫の砕ける音がすぐ後ろから聞こえてきた。

濃厚なマンティスの臭いを持つ触手は視認せずとも位置は把握できる。

追いつかれることはないが、逃げ切ることもできない。


仮にスラム街の方へ逃げ、アイリスへ戻ったとしても絶対にこのマンティスは追ってくる。

これだけの攻撃を前にココはともかくリナは瞬く間に穴だらけだ。

彼女の柔らかそうな肉体では容易に貫かれる。


こんな滅茶苦茶な脳力。

絶対に時間制限があるはずだ。ずっとは使っていられないはず。


しかし、癒えきっていないこの体で逃げ続けることは可能か?

いや、無理だ。


今もすぐ背後で瓦礫が砕ける音がしている。

この緊張感を保ち続けることなど到底できない。


手甲の中の秘術も触手の守りを抜いてマンティスを殺しきる程の火力を持つ呪文はないだろう。

俺の脳力も発動する暇はない。そもそも攻撃脳力ですらない。


助けをよぶか?

いや、驚異ではあるが致命的ではない。

ココに助けを求めるには早すぎる。


……やれる、やるしかない。

覚悟を決めろ。


ポーチからポーションを二つ取り出し、口に運んだ。

『秘術的鎧のポーション』『加速のポーション』が効果を及ぼし、身体を力場が覆い、足を軽くする。


追いすがる触手に対してその場で即座に反転。

加速した肉体が触手の猛攻をすり抜ける余裕を与えた。

目指すはマンティス本体の身体。


関節がギシギシと悲鳴を上げる。

視界が明滅し、手足の感覚が薄れる。


『加速のポーション』を短時間に連続で服用した代償、加速酔いだ。


攻撃に使われた触手を置き去りにしてマンティスの足元を目指す。

奴は建物の前から動いていない。その場から驚異的な長さで触手を繰り出していたのだ。


胃の内容物が喉元までこみ上げた。

胸を叩いて無理矢理飲み込み、詠唱。


「≪雷の武器≫≪武器付与の効率化≫(エンチャント・エフィシェンシー)」


四肢の爪に雷が宿り、後の呪文で雷の大きさが増す。

付与された雷が効率的に運用され、大きさが増し、持続時間を延長させた。


足代わりの二つの触手を強化された右爪で斬りつける。

焦げた臭いと共に触手が焼き切れた。

ただの爪では弾かれた一撃も、秘術による強化でいとも簡単に切り裂ける。


バランスを崩したマンティスが自重に従い落下する。


切断され本体と切り離された触手が地面で跳ねまわる。

マンティスは落下しながら斬られた触手で攻撃を仕掛けてきた。

残りの八本はまだ引き戻されていない。


上方からの刺突を身体を横にずらし回避。

牽制の為の呪文を手甲から起動。


「≪光り輝く槍≫(スパーク・ランス)」


雷で形成された五つの槍が出現する。

槍と共に不安定な瓦礫の足場を蹴りつけ、落ちてくるマンティスへと跳躍。

伸びている触手の防御は間に合わない。

爪と槍が、マンティスの腹部へと肉薄した。


「もっと、もっとだぁあああああああああああああ!!」


マンティスの掛け声と同時に、腹からさらに触手が生えた。

丸みを帯びていた下半身は見る影もなく、もはや全てが触手で構成されていた。


「ごあああああああああああ」


無数の触手は壁となり俺の攻撃を簡単に受け止めた。

当然、カマキリの本体には届かない。

巨大な質量の前に俺は成す術もない


あと、一歩。あと一歩だったのに。そのあと一歩が届かない。


「あははははははは」


マンティスの笑い声。

触手で払われ、地面に叩きつけられる。

追撃とばかりに触手立ちをしたマンティスが俺を乱打する。一発一発が重く身体を打ち据える。

肺からは空気が吐き出され呼吸すらままならない。


『秘術的鎧のポーション』の防御力場がなければ既に全身骨折ですら生ぬるい程の猛攻。


酸素不足で加速酔いで朦朧とした意識が死を予感させた。


死ぬ。このままでは死んでしまう。


最後の賭けも失敗し、俺ではもはや打つ手はない。

助けも期待できない。



そしてーー



最後に感じたのは強い怒りだった。

怒りに裏打ちされた激情が全身を駆け巡る。

感情に反応して筋肉が脈を打つ。

背筋が膨れ上がり、犬歯が伸び、口が裂けた。


ちくしょうこんなものに頼りたくなかったのに。


これを俺は制御できない


「なっ!!」


膨張した身体が形作ったものは、体高2.5メートル程の狼男。

全身を硬質な体毛が覆い、秘術的な加工の施された鎧と服が更に身体を守る。

腕は丸太のように太く、爪は下手な剣よりも厚い。


立ち上がった。

何度も触手が俺を貫こうと試みた。

しかし、硬質化した体毛の前ではそよ風にも等しい。


「わおぉーーーーーーーーーん」


身体が勝手に雄たけびを上げる。強引な服用による加速酔いはすっかり消えていた。脳を支配するのは純然たる野性。


「ちっぽけな虫けら風情が」


低く唸るような声が漏れた。

完全な獣化が成された後も秘術の効果は正しく発揮されている。

分厚い爪には絶え間無く雷が這い回る。


俺の身体が勝手に動く。

触手を掴み強引に宙のマンティスの引きずりおろす。

マンティスの本体が地面に叩きつけられた。


倒れているマンティスの元へゆっくりと歩き出す。

触手が身体を撫でる。痛みこそないが目障りだ。

爪を無造作に振るう。触手が細切れになった。


虫の表情などわからないが、瞳は恐怖に濡れていた。


節足もぎ取り、羽を毟り取る。

腹に生えた無数の触覚を本能のままに引き摺り抜く。


「あああぁぁあああああああああああぁぁああああ」


悲鳴がとても心地良い。


「や、やめーー」


喉を鳴らして俺はそいつに牙を立てた。

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