第14話 地下世界9-1

崩れかけていても壁は壁。縄梯子の落下防止のために固定する。

穴から壁までの長さ、穴から地下の底までの長さを考え、二つの縄梯子を連結し穴へと投げ下ろす。


≪跳躍≫を使えば簡単に行き来できるが宝石のスタックはそのまま戦闘時の対処の幅を示す。使えば宝石はなくなってしまう以上、できるだけリソースの節約するのに越したことはない。

僅かな間を利用して再び消耗した宝石を『秘術手甲』に補充する。


呪文の選択をしている時が一番緊張する瞬間だ。

果たして本当にその選択でいいのか、いつも自問自答している。


穴から下のぞき込むと予想通り、縄梯子が底まで接していた。

『神秘の携行袋』から棒の先に炎を宿す秘術アイテム『潰えぬ松明』を取り出す。


これは熱を発しず、明かりのみを周囲に伝え、物理的破壊以外では揺らめく炎が消えることがない冒険の必須アイテムだ。

『幸運のよつば亭』で使われている消えないランタンと似ている。


『潰えぬ松明』を穴の中へ投げ入れ、『神秘の携行袋』を背負う。

下の層では何が起こるかわからない。降りてから出すより今、出した方が安全だ。


「二人はこの入口で待っててくれ」

「ん。わかった」


少し離れた位置にいる二人に声を掛ける。

穴からそう遠くない位地にアジトがあるらしいので、この場所ならいざというときココも来やすいだろう。


縄梯子を見たことがないのかリナは設置されたものを物珍し気に触っている。

泣いたせいかすっかり落ち着いたようだ。


一緒に見て回った地区は高級歓楽街。こういった泥臭い探索道具は売っていないから興味が湧くのも仕方がない。

近くにいるココが周囲を監視しながら腰のポーチから宝石を三つ取り出し、呪文を三度唱えた。


「≪炎の幼子の招来≫(サモン・レッサー・ファイリエ)」


宝石に内包されたエネルギーが順に虚空へと吐き出され、紅く形を描く。

やがてそれは30センチほどの火の小さな人を模った。

炎の翼を生やした三匹の火の精霊が手を振りながら現出する。


招来の秘術はデーモンやヘイメルのような違う世界の存在、他次元からの来訪者を一定時間使役する呪文だ。

何処から彼らがやってきているのか、本当におとぎ話で書かれているような精霊なのか、学者たちが頭を捻っているが答えは出ていない。

冒険者としては便利に使えるならそれでいい。


「こ、こんな事もできるんですね……」


手を振る精霊に顔を引きつらせながらリナも手を振り返す。

彼女の反応が気に入ったのか精霊はリナの周りをふよふよと漂いだす。

一定の知性がある彼らは招来した術者に従い、可能な範囲での手助けをしてくれる。


火を操る精霊を召喚して、ココは俺を待っている最中の手数を増やしたようだ。


「じゃあ気を付けて」


ココは激励と共に拳を向けてきた。体毛が生え揃った拳を突き合わせそれに答える。


「そっちもな」


軽く縄梯子に体重をかける。きちんと固定されているようだ。

足場を確かめるように一歩一歩丁寧に下る。


リナのいってらっしゃい、という言葉が頭上で聞こえた。

スラム街の地下遺跡への出入り口を使うのは初めてだ。

俺は手足の爪で縄を切らないよう慎重に穴の中へと降りて行った。



第九話 地下での攻防



底に着き、松明を拾い上げる。周囲には旧市街地のものであろう建物と崩れた瓦礫の山。

東西二手に分かれた道。

意外なことに道と思しき場所の西方面には小さな明かりが点在しているのが見える。

誰かが日常的にその道を使用していることがわかった。

下もスラム街と変わらず臭いがきつい。


視認できる範囲には人やクリーチャーの姿はない。

しかし、嗅覚と聴覚が訴える。何者かの息遣い。何かに見られている。

おそらくは瓦礫の後ろなどの暗がりに誰かが隠れているのだろう。


手を出してこないのならば放っておこう。

それよりも早くマンティスのアジトを見つけなければならない。


ある程度光があるのならば自前の光を用意しないほうが敵には見つかりにくいはずだ。

出しておいた松明はこの場所に置いていくことにする。

高いものじゃない。無くなってもそんなに痛くはない。


腰のポーチから宝石を取り出し、詠唱。


「≪暗視効果≫(サイト・ヴィジョン)」


小さな明かりでも一時的により明るく見ることができる便利な呪文だ。


準備ができた。

さぁ、奴らのアジトを探しに行こう。


大きく光の差す穴から離れ、西の道へと足を進める。

興味が失せたのかいつくかの探るような視線は穴から離れるのつれ減っていく。


瓦礫を避け、物陰に隠れながら進んでいく。

補正された視覚のお陰で平時と変わらず行動が出来ている。


10分程歩くと臭いを感じた。マンティスのものだ。

臭いの元は正面の建物からのようだ。

建物の窓部分から見られないように隠れ、注意深く観察していく。

赤い屋根だ。


建物は例によって石造り。入口にはドアがなく、窓にガラスも嵌っていない。

建物そのものは他の廃墟と化した物より随分とましで、壁が崩れているということもなく最低限住居として使えないレベルではないことが分かった。


建物の周りを隠れながら探っていく。窓の間隔からおそらく三階建て、窓自体は比較的多い。

広さは『幸運のよつば亭』と同じくらいだ。

臭いからしてそこそこの数のマンティスがこの中にいるらしい。

慎重にいかなければ人数差ですぐに殺されてしまう。


予想よりも多い人数にため息をつき、少し建物から離れる。


今は時間がない。ゆっくりと鼻や目で罠の有無を調べている時間はない。

宝石をポーチから取り出し、最低限呪文を起動できるだけの小声を発して起動する。


「≪罠探知≫(ディテクト・トラップ)」


秘術の弱点は音声による起動が必要不可欠であるという点だ。

潜伏しながら使うときはばれないことを祈るしかない。

離れたから大丈夫なはず。


秘術によると罠の類は一切ないらしい。

拠点なのに無防備とは虫頭にもほどがある。せめて蜘蛛を見習え。あいつらの巣は罠だぞ。

スラム街の穴付近でもマンティスの見張りはいなかったし、カマキリはよほど余裕をかましているとみえる。

その慢心は俺としては有難いけど。


出来れば建物内部の探りも入れたいが、それを成す秘術は一般的には出回ってないので買えない。


今の俺にできることは一つだ。

潜入を気づかせず一人ずつ消していく。正面から戦うよりもこちらの方が得意分野だ。

臭いで大まかな位置はわかる。それを頼りにやっていこう。


周囲を警戒しながらポーチから再び宝石を2つを取り出す。


「≪消音の小部屋≫(サイレント・ホール)」


呪文を唱え、携行袋から取り出した手のひらサイズの鉄球に効果を付与する。

≪消音空間≫は付与された物或いは人の半径5メートルの音を一定時間消し去る秘術。

遠くの敵には鉄球を投擲しあらじめ音を消し奇襲。近くの敵はそのまま音が取り除かれる。

一室に多くの敵がいる場合手早くやらねばならないがこれで別の階に悲鳴が聞こえる心配はないはずだ。


音声を発することができないため、音声を必要とする宝石仕様の秘術も使えなくなるが、敵の秘術も使えなくなるので人数差からメリットは大きいはず。

無詠唱でも意思の力のみで発動できる脳力は発動前に殺してしまえば問題ない。

そもそも脳力は無数にあるのだ。全員が全員攻撃脳力とも限らない。


建物の外周を一周し、一階で比較的マンティスの臭いが少ない場所を探し、忍び寄る。

俺の前方左側がおそらくマンティスが2体しかいない部屋だ。

幸いなことにガラスのない窓がある。侵入口はそこでいいだろう。

内部が実は大部屋でした、とかお手上げだが、確かめる術はない。


腰のポーチから小さなフラスコを二つ取り出し、瞬時に飲み干し、空瓶をポーチに戻す。

嚥下した『秘術的鎧のポーション』が不可視の防御的補正を与え、同時に『加速のポーション』が身体を軽くする。

できれば『透明化のポーション』を使用したかったがあいにく手持ちがない。

今あるもので最善の結果を手に入れなければならない。


持続時間は共に3分。ここからは正真正銘の時間との勝負だ。


不安定な足場、瓦礫を全力で蹴りぬき窓から室内へと侵入する。

『加速のポーション』の効果は正しく発揮され、通常の2倍程度の速度は出ている。

常にこの状態でいられたらどんなに良いことか。


内部は小さな部屋。

マンティス二人が廃墟には不釣り合いな真新しい椅子に座って談笑していた。

突如音が消失したことで何事かと首を左右に振り、事態を確認しようとしていたようだ。

侵入の勢いを殺さずにそのまま二匹に肉薄する。

即座に一匹目の顔を握りつぶし、二匹目が振り下ろした鎌を避け、獣の爪で切り裂く。

緑色の血が噴き出し、死体が二体、地面へと倒れ込んだ。


呪文の効果で無論、音はない。

想定していた奇襲対策の≪非常時の盾≫は無かった。

ここまで対策がされていないところを見るとマンティスという種族には≪秘術発動体≫を製作する技術がない可能性すらありうる。

それはそれで好都合だ。


この小部屋には外から見えた入口と違い扉が付いていた。

ドアを開け、隙間から外を窺う。荒れ果てた室内、見える範囲にはドアが2つ、廊下の奥に階段が一つ。

きっとこの建物は集合住宅だろう。


臭いからして一階にはあとマンティス二体。手前側のドアの先に二体ともいるようだ。

手早く済まさなければ。

自身への呪文の持続時間の問題もあるが、≪消音の小部屋≫が壁を越え別の部屋にいるマンティスに効果が及んでしまうことが怖い。


異常を察知されてしまうと隠密に行動している意味がない。

人数差による秘術攻撃は身体能力の違いを優位に覆す。

天井の高さを見るに別の階への影響がないことが救いだ。


小部屋から出て、マンティスがいる方のドアを蹴破り入室。

室内にいるマンティスは両方椅子に座っている。最初の部屋と同様に簡単に処理。

狭い室内ではお得意の羽による飛翔も使えまい。これで一階は制圧だ。


すぐさま二階への階段を駆け上がる。

二階に辿り着き間もなく、こちらに背を向けて廊下を歩いているマンティスを視認。

運が良い。背後から音もなく首をもぎ取る。

マンティスは首の付け根が細くてやりやすい。


廊下の左右にはドアが二つずつ。臭いは右側に集中している。

左側にマンティスはいない。


即決し、右側のドアを破る。

室内にはテーブルを囲んでカード遊びに興じているマンティスが四体。

音を立てられる前に室内へと跳び込み、テーブルの中央へと降り立つ。

全員を≪消音の小部屋≫の範囲内に収めた。

行き掛けの駄賃に経路上に居た敵の頭部を握りつぶす。あと三体。


残りのマンティスが応戦しようと立ち上がる。

気色の悪い口が無音でせわしなく動いている。

昆虫のそれは一般的な人間と違い唇を読むことすらできない。


はは、何言ってるかわかんねぇ。


両手で一人ずつ命を刈り取る。マンティスの胴体を通過させた腕を引き抜き。

最後の一体を足の爪で切り殺す。部屋全体に緑の血がまき散らされた。

俺の身体は血で濡れていないところを探す方が難しい。

この部屋は制圧できた。

最後の確認に、部屋を見回す。


左の壁の一部が崩れて穴が空いていた。奥の部屋が覗けてしまう。

穴の先にはマンティス。目が合ってしまった。


不味い!!


慌てて壁の穴目掛けて鉄球を投げ込む。狙い違わず鉄球は奥の部屋のマンティスにぶつかった。

急いで自身に付与した≪消音の小部屋≫を解除する。


途端、世界は音を取り戻し不快な声が耳に飛び込んできた。


「新鮮な肉がやってきたぞ!! 八つ裂きだ!!」


上の階から不快な声と共にどたどたと走る多くの足音が聞こえた。

壁の穴の先への対処が遅かったせいで声を上げられてしまったらしい。


≪消音の小部屋≫は自分の音が出なくなるのは良いが、周りの音も聞こえなくなるのが弱点だな。すでに侵入はばれてしまった。正面からいくよりほかにない。


鉄球により音の消失した隣部屋に急ぐ。

最低でも上からの増援が来る前に処理しなければならない。


廊下に戻り、もう一方のドアを蹴破り侵入。

崩れかけた木のドアが大きな音を立てて砕けた。

中では全員が両手の鎌を構えて待ち受けている。


全速力で飛びつき、爪をふるう。

此方のスピードに相手は全然対処できていない。


鉄球の範囲内に囚われ、悲鳴すら認知することのできない哀れなマンティスを『メズスティス』の元へと送りつけた。二階もこれで終了だ。


心配していた上からの増援はなかった。

敵は三階で準備をし、応戦することにしたようだ。

元より下の階に居た連中は捨て駒だったのかもしれない。


元はカマキリだ。どうせあほみたいに卵から子供が出てくるのだろう。


階段から上るか、回り道をして三階の窓から侵入する刹那の逡巡。

階段からの攻勢を即決。準備をされればされるほど敵が倒しづらくなる。


二階から三階への階段へ向かいながら手甲の宝石から≪みかわしの霧≫(ケン・ブルード)を発動。

身体の周りを微量の霧が覆う。

秘術的に生成された霧が認知能力を誤魔化し、距離感や位置を僅かに誤認させる。


臭いの数は五体。鉄球を手に持ち何時でも投げられるように構え突貫。


三階は不幸なことに大部屋だった。

調度品の類はもちろん無く、汚く薄汚れた室内の真ん中に質素で巨大なテーブルが一つといくつもの椅子。

その上には飲食物やカード、そして何かの書類に用途不明な道具が並べられていた。


テーブルをはさんで対面、奥でマンティス五体が固まって此方を見据えている。

中心の一匹は他の個体よりも二回り程度大きい。


直後、≪火球≫が五つ出現し、飛来する。同時にこちらも姿勢を低くして鉄球をマンティスの集団の足元へ投擲。音を消す空間が鉄球と共にマンティスへと迫る。

これで、追い打ちにすぐさま攻撃秘術は飛んでこないはず。


鉄球を見届け両手の手甲から一つずつ順に≪水の鞭≫を起動。

≪水の鞭≫を操り、一本で二つの≪火球≫を処理する。

水の鞭が火球を柔らかく包み込み、水蒸気が部屋全体に広がる。

視認に軽いもやが掛かる。


直前までの視界の記憶を頼りに残った最後の≪火球≫をの射線上から回避し、中央のテーブルの上を駆け、一塊のマンティスに接近戦を仕掛ける。


霞の先で大きなマンティスの口元が不気味に蠢いた。

カマキリの表情に疎い俺ですらわかるほどの愉悦の笑み。

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