第3話 地下世界2-1
裏路地の小さな細道を警戒しながら走り抜け、大したアクシデントもなく街の外れの宿屋に辿り着いた。
木と石とで建てられたこの三階建ての宿屋は、この一帯では一番お手頃価格でサービスのよい宿屋の一つだ。
石細工で装飾が施されている木製のドア、そのドアの上に掲げてあるベットと四つ葉のクローバーが描かれた看板が目に入る。
無駄に良い耳が宿屋の室内から穏やかな話声を拾い上げる。
どこかの酒場とは違い、いつも通りに静かなでゆったりとした時間が此処では流れている。
念のため宿の周りを一瞥した。ココも同じく周囲を警戒している、
どうやら追跡者は完全に撒いたようだ。
肩に担いだ少女を石で舗装された地面に降ろす。
運んでいる最中は初めこそ体をこわばらせていたが、少し経てば慣れたようで力を抜いて身体を預けてきていた。
初対面の人間を信用して運んでもらうなんて本当ならこの街では何をされても文句は言えない。下手したら路地裏で物言えぬ身体に成り果てることすらある。そこらの子供でも知っていることだ。
そんなリスクがあるにも関わらず助けを求めてきたこの少女は何者なのだろうか。
当然の疑問が脳裏をかすめた。
「あの、この場所は?」
不安気な少女が口を開いた。
「俺たちが借りてる宿『幸運のよつば亭』だよ。話は後だ。ついてきて、マンティスは撒いたみたいだけど何処に目があるかわからない。早く室内に隠れたほうがいい」
ドアを押し開き後に続くようを促す。
中はちょっとした運動場程度の大きさだ。乱闘のあった酒場より数段こじんまりとしている。大小様々なテーブルが並べてあり、そのいつくかには客が付いていた。
時間帯のせいか殆どの客が静かに酒を飲み、話やカード遊びに興じている。
「やぁ、今日はずいぶんと遅かったな。もう夕食の時間は終わっちまったぜ」
カウンターの奥からハーフリングの男性が声をかけてきた。
中年ながらに愛嬌のある笑みを零すこの宿屋の主人だ。
「そいつは残念だよブラウ。でも、今日は『木漏れ日酒場』のほうで済ませてきたんだ」
「そうかい、じゃあもらってる夕食代の分、つまみ用に豪華なチーズでも仕入れておくよ」
「ありがとう期待しておく」
「あんまり酔ってなくて良かったよ。最近スラムの地下じゃ新しいワーグの群れが来てるって話だ。街に上がってくることもあるかもしれん。酒を飲んで帰るときは気を付けな……おや、ここらじゃみない女性だ」
軽い挨拶をしているとブラウは俺の後ろにいる少女に気が付いたようだ
「まぁ、ココのちょっとした知り合いでね。今日だけ一人宿泊追加で頼むよ。部屋は同じでいいから」
少し遠くから金貨を一枚ブラウに放る。
宿泊するだけというサービスには過剰な支払いでこれ以上の質問を遮る。
「……わかった、じゃあまた今度地下の冒険話でも聞かせてくれよ」
「あぁその時は旨い酒とつまみを用意しといてくれ」
意図は正しく理解され、小話もそこそこに一階の飲食スペースの奥にある階段へと進む。
宿屋の三階、もう二年も借り続けている一室に戻る。
室内に入り窓のカーテンを閉め、ランタンを隠してあった布を外す。
『消えずの灯り』の光が室内を明るく照らした。
オレンジ色のその灯りは宙の光と違い柔らかな印象を与える。
少女を椅子に座らせ、その対面に腰を下ろした。
椅子は二つしかないため、ココは窓際の壁に体を預けることにしたようだ。
外への警戒も兼ねているのかもしれない。
「さて、そろそろどうなってるのか事情を聴かせてもらおうかな。俺たちはまるで状況がわかっていないんだ」
「私もよくわかっていなくて……なんと言えばいいのか……たぶん誘拐されたんだと思います」
少女は困ったように顔を顰める。
「そいつは運がよかったな」
運が良いと言い放つことが意外だったのか少女は僅かに目を見開いた。
誘拐自体はまるで珍しい話じゃない。
一日中明かりの消えないこの街も、裏路地や建物の隙間、地下などの暗がりでは悪意ある存在が多い。彼らは容赦なく牙を?き光の中にいるものを暗闇へと引きずり込む。
一度その深みに嵌ってしまったら自らの実力で切り抜けるか、骨の髄まで利用され尽くすか、物言わぬ死体に成り果てるしか選択肢はない。
目の前の少女は実力で切り抜けられる人物とはお世辞にも言えない。走るだけで息が切れ、≪火弾≫で腰を抜かすようでは話にもならないだろう。
「全然よくないと思いますけど……」
口の先を尖らせ不満げに少女は答えた。
「どうやって抜け出したのかしらないが、いま命があるだけ上等な結果だよ。此処じゃふらっと消えてしまった人が裏路地で死体でみつかるなんてよくある話だ」
「うぅ……私が住んでいた場所とは全然違う世界の話です……」
不安なのか少女の自らの身体を抱き、小さく揺れている。脚で貧乏ゆすりをしているようだ。
「そういえば君はどこに住んでいたんだ?」
この街の出身ではないとすると考えられるのはどこだろうか。
彼女が耳の短い奇形のエルフであるなら、エルフの国『悠久都市』(シルフィア)、天使どもが住んでると言われる『無窮の楽園』(セラフィア)、色々な種族が集う秘術至上主義の国『地底の篝火』(ミルトリオン)が考えられる。
実は姿を変えた悪魔の類で地中深くからやってきた可能性もあるな。
だが、いずれ街もこの場所からはかなりの距離がある。
距離的制約をクリアする手段はあるにはあるが、それを成せる存在が易々と目の前の少女を逃がすはずがない。
「えっと、私はセントラルシティのプリツカヤ地区に住んでいました。住所は1540-3-23です」
「……聞いたことないな」
セントラルシティ? プリツカヤ地区? というか住所が数字って何なんだ。宿屋暮らしじゃ想像もつかない。
記憶の中の知識をいくらひっくり返しても彼女の言う場所は思い当たらない。
都市に住むことを良しとしないで、どこかの辺境で暮らす小さな部族の集落の名前だろうか。
少女の身なりからは想像できないが。
「君の種族は何? ココと同じっていうなら『本の居住者』(ブリント)か?」
「うー……種族種族言われても、私たちは普通に自分たちのことを人間って呼んでるので細かい種族とかはわからないです。見た目はココさん? と同じですからたぶんココさんと同じそのブリントってやつだと、思います」
少女は口元に手を当て必死に考えている。
「……あ、授業では私たち人間を学名で言うとホモ・サピエンスって言ってましたけど」
授業? どこかの教育機関に属しているのか。この街の人間なら街について知っているはず。流石にこの街以外の教育機関はわからない。
ホモ・サピエンスという単語も聞いたことがない。
……まずは種族の確認をするためにココの変身を見てもらうか。
「ココ、警戒してるとこ悪いけど、ちょっと変身してみて」
カーテンの隙間から窓の外を見ていたココが無言で耳元の髪をかき上げる。
顔の横にあった本来の耳がみるみるうちに萎み、代わりに頭部に犬耳が生え始める。
「えっ! 犬耳が生えたっ!?」
ココに礼を言うと犬耳が萎み始め元の姿へと戻り、再び窓の外を見つめだす。
「これが君にできないならブリントではないな」
「で、できるわけないです。うぅ、普通の人かと思ったら違った……」
頭を抱え慌てる様や落ち込み方からは少女が嘘をついているようには見えない。
「秘術で姿を変えてたりする?」
「変えてないです。その秘術っていうのがよくわからないです」
ブリントの種族としての変身能力をしらないならブリントであるわけがない。
それに誰もが知っている秘術すらしらない。無知にもほどがある。
本当に彼女の種族はなにで、いったいどこから来たんだ?
「ここの地名はなんですか? もしかしたらきいたことあるかもしれませんっ!」
「ここは『虹彩都市』(アイリス)だよ」
思考に埋没しながらぞんざいに返す。
少女も記憶にあるかもわからない何かを思い出そうと思案顔になっている。
秘術しらない、変身じゃない。一番の手掛かりはココと同じ姿。
ココは今の外見を知識にある存在を模してるって確か言ってた。
……まさか、この少女は天井の上に住んでいる人間か?
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