第2話 地下世界1-2

誰かが倒れこむように入ってくる。


過激な客の登場に、あれだけ騒がしくしていた酔っ払いが動きをとめ、誰もがその珍客に視線を送った。酒場がしん、と静まり返った。


例に漏れず、俺やココも入口の人物に目を奪われていた。


女の子だった。

綺麗な顔の作りに腰まで届きそうな銀色の髪。服はここらじゃみない造形の服。

赤いネクタイに白い上着。紺色の縦筋の入ったスカート。黒い靴に黒いソックス。

そしてベージュ色の羽織り物。


肩で大きく息をするたびに豊かな胸が僅かに揺れる。疲労のためか視線を一挙に受け止めている羞恥のためか、少女の顔は赤く染まっていた。

こひゅこひゅと苦しそうな呼吸音を響かせながら、少女は店内を見回した。


背格好からしてハーフリングやギガントではないだろう。

言わずもがな機械兵でも金属人間でも虫人間や魚人の類でもない。

エルフの少女だろうか。


少女は何かを見つけたのか突然眼を見開きすぐさまこちらに駆け寄ってきた。


靡いた銀髪から耳が垣間見える。

エルフのように尖ってはいなかった。


少女は倒れこむようにテーブルにもたれ掛かった。

俺とココが使っているテーブルに。


「助けてください」


ココと顔を合わせてどう答えたものかと悩んでいるとバンッと、再び大きな音が鳴り響いた。

音と共にドタドタを四つの人影がなだれこんできくる。

息を乱した少女を視界の隅に抑えながら二回目の珍客に視線を移す。


長いフード付きマントから見え隠れするカマキリのような気持ちの悪い顔。

この街では珍しい虫人間、マンティスだ。


「おいお前ら動くな!」


一際大きなマンティスが前に出て声を上げた。

しかし、二回目の乱入者には飽きたのか酒場の客たちは一人、また一人と酒を飲み始めた。

静止に従うものはほとんどいない。冒険譚の続きや他愛のないことを話し始め、酒場の客たちの話し声は徐々に大きくなり、少し前の喧騒を取り戻す。


「おい、お前らおとなしくしていろといっているだろ! 殺されたいのかっ!」


無視をされ痺れを切らしたマンティスが、鎌を振りかざし近くのテーブルを縦に切り裂いた。

テーブルが崩れた衝撃でグラスが倒れ、料理があたりに散らばる。

そのテーブルの周りに腰かけていたギガントの集団のズボンにエールが掛かった。


「このテーブルと同じ末路を辿りたくなかったら大人しくしているんだな」


マンティスが得意げに告げた。彼の後ろに控えた三人のマンティスも鎌を持ち上げて周囲を威圧する。


「スバル」


ココが何かを伝えるように小さく呼びかけてくる。

言葉を返さずにココへと目で意思を伝え、いつでも身体を動かせるように意識を向けた。


異様な気配を察してか最初に酒場に入ってきた少女も乱れた呼吸を抑えるように口を手で押さえて周りを窺っている。

テーブルの隙間を縫うように動き回っていた小さなウェイター達は、素早く端のバーカウンターの後ろに隠れた。


扉の前で誇らしげにしているあのマンティス達はおそらくこの街の外部からきて日も浅い者たちだ。

この場所、ここいる者たちのことを知らなすぎる。


料理をぶちまけられたギガントのグループが静かに立ち上がった。

小さく見積もってもマンティスの二倍以上あるその体躯をゆっくりと動かし立ち上がり、全員がマンティスのほうへと向き直る。


酒場の隅の演奏者がこれからの事態を予見して激しくリュートを奏で始めた。


ここは冒険者の酒場なのだ。

商人やただの街人が集まるような酒場じゃない。

誰もが剣や銃を持ち、神秘に満ちた秘術を操り、怪異や凶悪な異形へと戦いを挑んでいく。

己こそはと自負を持ち、過去の遺跡や深い洞窟に果敢に足を踏み入れ生還する。

この場所でゆっくりと寛いでいる彼らはそれぞれが何かしらの修羅場を潜り抜けてきた冒険者達なのだ。

そんな彼らはあの程度で怯みはしない。


「何をしやがるんだ蟷螂野郎が!!」


ギガントの一人が巨大な肉体からは想像できない速度でマンティスに殴り掛かった。

マンティスは吹き飛ばされてドワーフが集まるテーブルにぶつかり倒れこんだ。

座っていたドワーフが巻き込まれて地面に投げ出される。


鋭く体重の乗った迷いない拳、恐らく巨人は素手格闘に精通しているのだろう。


「おっと、悪いなおチビちゃん」


悪びれもせずギガントはへらへらと謝罪の言葉を口にした。

地面に倒れこんでいたドワーフが俊敏に立ち上がり、落ちていたグラスをギガントへ投げつける。投擲されたグラスは恐ろしい速度で彼の顔へと命中した。


「気にしないでいいぜウドの大木。なんせ俺も思わず手が滑っちまったからな」


続々と立ち上がった仲間のドワーフ達とガハハと笑い合っている。

呑気に笑い合うドワーフの一人にギガントの太い足がめり込み真上へと一直線に飛んでいく。

ギガントが見下したような下卑た笑いを浮かべた。


空中のドワーフは高い天井にぶつかる直前に身体を翻し天井へと着地した。そのままの勢いでさらに天井蹴りつけ、蹴り上げたギガントの顔めがけて加速する。

加速するドワーフの小さくも逞しい手にはいつの間には煌めく何かが握られていた。


宝石、『秘術発動体』だ。


俺とココは目くばせをしてテーブルの下に潜り込んだ。

ついでに銀髪の少女も引きずり込む。

今いる場所は酒場の入口からはかなり遠い、しばらくはこのテーブルの下にいれば巻き込まれないはずだ。


「きゃふ」


可愛いらしい間の抜けた声の後に炸裂する爆発音。

此処まで届く僅かな熱気。

音と肌に感じる熱気からそんなに強力な呪文ではない。


「あのドワーフ、無茶するなぁ」


ポツリと俺の呟きが漏れた。同時に小さなため息もでそうになる。

悲しいことに少し前までの心地の良い酩酊感はすっかり覚めてしまった。


「店内で≪火球≫(ファイア・ボム)を撃つなんてね。貴重なリソースがもったいない」


独り言にココが律儀に返してくれる。


秘術は宝石やスクロールを使用して常ならざる事象を起こす技術。

目の前で爆発した火の塊がいい例だ。通常起こり得ない事象。

しかし、奇跡には代償はつきもの。奇跡にしては安い代償だが。


秘術は使い切り。使えば宝石もスクロールも砕け散る。しかも購入代金が高い。

≪火球≫ならこの酒場で一ヶ月はエールが飲み放題だ。

あぁ、喧嘩で使ってしまうとは勿体ない。


「ひ、火の玉が……ち、ちっちゃな人から……」


この乱闘騒ぎの切欠ともいえる銀髪少女は≪火球≫を見たことないのか唖然としている。


「……あ、惚けてる場合じゃありません。あの、助けてください! 蟷螂みたいなやつに追われてるんです」

「その蟷螂の一匹、今巻き添えくらって燃えて転げまわってるぞ」


格好つけて入店してきたわりに蟷螂達は秘術に対する備えを何もしていないらしい。


「えっとあなたは……え? い、犬耳? か、かわいい……!」

「よしココ、この無礼な奴は捨ておいてさっさと帰るぞ」


おい、ココ吹き出すな。笑うな。


「ご、ごめんなさいっ!」


少女を半目でにらみつける。


「あの、私……私とおなじ人間に助けてほしくて……」


少女の目線を追うと、その先にはにやけた面のココの姿。


「君はココと同じ種族なのか?」

「種族? よくわかりませんけど普通の人間です。ようやく私と同じ人を見つけたんです!!」


テーブルの下で大人しく話している間も乱闘騒ぎは加速していった。

反撃による反撃でどんどん被害が飛び火している。当然飛び火されたほうもやり返す。

ひどい悪循環だ。


巻き添えを食らわないような場所にいる他の客の中には、慣れたようにテーブルの下で酒を飲み、つまみを食べ続けている者達もいる。ある意味こんな喧嘩もこの酒場では日常茶飯事な光景なのだ。


「ココと同じなら、この混乱に乗じてぱっと姿をかえて逃げなよ」

「……姿をかえる?」


疑問符を浮かべた少女を無視して俺は一方的に言葉をつづけた。


「事情はわからないけどこの混乱なら簡単に逃げ出せると思うよ。君を追ってきたマンティスはのされたり燃えてるし、残りの連中もこの乱闘に巻き込まれてるだろうし」

「で、でも私この場所とか全然心当たりなくて! 不安で! 誰も頼れる人もいなくて! なんかおっきいしちっさいしむしだしみんな普通の人じゃなくて! あと姿変えるとかわけわからないですし!」


慌てた様子で少女は支離滅裂なことを言い始める。

場所もわからず自分の種族もわからない、彼女は記憶喪失の類か何かだろうか。


「ココ、この娘どうする?」

「ボクはスバルに任せるよ」


正直助けても厄介ごとを抱えるようにしか思えない。

少女を見る。

見慣れぬ服は煤けて汚れ、不安なのか口はへの字に結ばれ、大きな瞳には涙を貯めている。

うるうると。つぶらな瞳が濡れている。

遂には限界を迎えたのか目の端から涙が頬を伝っていく。


深くため息をついた。どうにもそういう表情には弱い。

俺の顔を見て察したのかココは黙々と逃げる準備を始めた。

長い付き合いのせいで考えはお見通しらしい。


打算を言うならこういった明らかに育ちの良さそうな女の子が関わる面倒ごとには必ずお金が絡む。

しかもちんけな額じゃない。

着ている服は上等だ。有力な資産家、或いは商人の娘だろうか。

謝礼金がたんまりか、コネで安く商品を買えるようになるのか。

夢は膨らむ。お金は大事だ。


俺で対処できる程度の話であればいいが。駄目ならマンティスに熨斗をつけて送ろう。

きっとココもそう考えている。横顔から黒い笑みが見え隠れしている。


「合図出すからを裏口まで走ってくれ」

「……はい!」


俺が何を言っているのか理解するのに時間がかかったのか僅かの間の後に少女は満面の笑みを浮かべて頷いた。


「あ、でももうそんなに早く走れる自信がないです……」

「……じゃあ俺が担ぐよ。ココ、霧を出すから先導は任せた」

「ん、わかった。大丈夫、道筋は頭に入ってる」


『神秘の携行袋』から小さな白い宝石を取り出す。

取り出した宝石を手の平に乗せ、もう片方の手で少女の手を握る。


「うぇ!?」


驚いた少女を意識の外に追いやり、手の平の宝石にのみ集中する。

宝石の内部に込められた秘術的エネルギーが今か今かと解放される時を待ち望んでいた。


必要なものは意識と≪言葉≫。

俺は小さく唱えた。


「≪局所的な霧≫(セクション・フォグ)」


宝石から霧があふれ出す。

霧は瞬時に広がり、酒場の部屋全体を包んだ。

同時に内包する力を開放した宝石が砕け散る。


「くそっ!! 誰だ、めんどくせぇ呪文唱えやがって」


誰かが叫んだ。

この霧は長くはもたない。必ず誰かが霧を晴らすための行動をとるはずだ。


テーブルの下から飛び出し少女を引っ張り上げ肩に担ぐ。

ココは俺よりも一足早く裏口へと向かっていた。


目を瞑り嗅覚に周囲の状況把握を任せた。

ココの匂いは辿りやすい。長い付き合いだ。

残り香の示す道を正確になぞり後をついていく。


裏口まで距離にして10メートル弱。

机や人を避けできるだけ早くゴールを目指す。


ココの先導に間違いはなく、霧が飛ばされる前に俺たちは酒場を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る