第5話 風のなごり

 その日以降、私は寺本と話さなくなっていった。熱く燃える感情を抱きながら、何でもない風を装っていた。


 大学祭が終わった後、卒業論文や進路に関わることが山積みだった。胸の内の感情が何なのか、じっくり考える暇はなかった。

 冬の風がじんわりと暖まり始めるころ、私は笹野と会った。




 先輩。


 帰りの電車を待っていると、不意に懐かしい声が聞こえた。私が振り返ると、笹野が微笑んでいた。


 電車の中で、笹野は未完にした小説の話をした。


 あの小説を、違う形で書き直しているんです。短い恋の話を一話読みきりの連作として、別のサイトで連載しようと思っています。


 少しずつ進み出した後輩の姿に、私は安心していた。そんな私に、笹野は声を落として囁いた。


 実は、相良のモデルは社先生がモデルなんです。


 馴染みの教員の名前に、私は目を丸くした。

 確かに黒縁眼鏡を掛けた若い先生ではあるが、私が思い描いていたイメージとは違う。社は正統派のイケメンというより、どこかマスコットのような可愛さがあった。


 笹野は静かに話し出した。


 一年生のときに、先生のことが好きになったんです。せめて小説の中では両思いになってほしくて、あの小説を書き始めました。誰かに、自分の気持ちを分かってもらいたくて。


 自分の気持ち。その言葉を聞いて、私はなぜか胸が苦しくなった。


 別れ際、後輩は明るい笑みを見せた。今度は、大切な人というテーマで頑張ってみますと言って。


 電車を降りて、私はマフラーに顔をうずめた。だいぶ暖かくなってきたとはいえ、まだまだ冷たい。


「振り向いてほしい、か」


 情熱的な恋をすることも、全てを捧げて愛されることも望んでいなかった。笹野は、社が自分の気持ちに気付くことを待っていただけだったのだ。そんな優しい性格が、作品を未完にさせたのかもしれない。


「肯定も、否定もいらない。ただ、振り向いてほしいだけだった……」


 大勢の中から、自分の気持ちを見つけ出してほしい。風の冷たさがほんの少しだけ和らいだような気がした。

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