第3話 寺本の実力

 その日は梅雨の真っ只中で、行く当てを失った学生が図書室でたむろしていた。


 私は卒業論文を書くためにノートパソコンを借りた。本論を書き始めようと空いた席を探していたのだが、見渡す限り先客で埋まっている。


 知り合いの隣に座らせてもらおう。私は一人で作業することを諦め、友人がいないか確かめながら歩いていった。


「河井さん。席を探しているの?」


 誰かが私の名を呼んだ。凜とした声の主は、寺本だった。


「僕の隣の席を空けようか?」


 寺本の席は、一テーブルに三つ椅子がある。二つの椅子を荷物置きとして使っているため、端の席を空けてくれるらしい。


 荷物を挟んで座るのなら、お互い気まずくないか。


 私は寺本の誘いをありがたく受けることにした。


「寺本くんも卒業論文を書いているの?」


 開いているパソコンの画面を見て、私はそう聞いた。


「いいや。うちのゼミは卒論を早く書き始めているから。あとは推敲だけだよ」


 寺本のゼミは日本近代文学を取り扱っている。私のゼミとは違い、英語の文献を訳す作業がないため進行が早いのだろう。


「じゃあ、何を書いているの?」

「部誌に載せる小説だよ。一ヶ月後の締め切りに向けて、アイデアを書き起こしているんだ」


 寺本は本気で小説を書いているようだ。すぐに挫折するだろうと思っていたため、私はまじまじと寺本の顔を見た。


「頑張って書いているのね」


 私の言葉を皮肉と受け取らなかったのか、寺本は嬉しそうに頷いた。


「元々、高校のときに小説を書いていたんだ。書くのをやめていたのは、県大会で最優秀賞を取った後に書きたいものが見つからなかったからなんだ」

「そう……なんだ」


 私は掛ける言葉が見つからず、卒業論文の執筆を始めることにした。パソコンを立ち上げるまでの間、ちらりと寺本を見た

 無精髭で冴えない横顔が、ほんの少しだけ輝いて見えた。




「河井先輩。明日の四コマは空いていますか?」


 副部長が帰りがけの私に声を掛けたのは、作品の締め切り日だ。


 うちのサークルでは、三年生が副部長の役職を担っていた。四年生になった後で、副部長だった人が部長を引き継ぐ。それがサークルを円滑にまとめる伝統だった。


「空いているけど、どうかしたの?」


 副部長はトートバッグからクリアファイルを取り出した。プリントアウトしてホチキス留めされたものが複数入っている。


「三時に、部室に行って作品のデータをUSBに取り込んだんです。全部印刷したら、予想以上に枚数が多くて私一人では読み切れません。顧問の先生に見せる約束が明日の五コマ終わりなので、それまでに誤字脱字を見つけてほしいのですが」


 私はなぜ副部長が原稿を読んでほしいと頼むのかがよく分かった。毎回ページを埋めるためにイラストを描いていたが、今回は作品数が多いために表紙絵だけで十分なのだろう。仕事が減る私のために、少しでも役割を与えようとしているのだ。


 副部長は三つの作品を私に渡した。


「誤字脱字があれば、直に書いてください。明日の四コマが終わるまでに部室に置いていただければ、私がデータを修正しておきます」

「分かったわ。お疲れ様」


 副部長は丁寧に礼をすると、バスの時間が近いのか勢いよく走り出していった。 

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