第24話 父親の愛

「残りの一千万円は間違いなく貰えるんだろうな?」

 

警告灯の光に顔を赤く染めながら板野が尋ねる。新宿を出てから5分、これで3回目の同じ質問だ。ああ、と亮二はうんざりしたような口調で返事をした。


「俺のことを軽蔑してるだろう。金に汚い奴だってな」

「別に、そんなことはないよ」


 図星ではあったが、亮二はとぼけてみせた。


「嘘つけ。カネの件を持ち出してから俺に敬語を使わなくなったじゃねえか」


 言いながら、板野はぐいとアクセルを踏み込んでみせた。前方を走る車はみな王に対する忠実な臣下の様に、うやうやしくパトカーに道を開けてゆく。一般道ではあったが、メーターは120キロを超していた。


「俺はな、どうしてもカネがいるんだよ。金の亡者と思われるのは癪だから、拓海を見つけるまで俺の話でも聞いとけ」


 猛スピードで車を走らせているにもかからず片手運転をしながら、板野は煙草にぱちりと火を点けた。


「俺はノンキャリア組でな。エリートじゃあない。まぁ頑張っても警部補どまりだろうが、それなりに頑張っていたんだよ。刑事ってのはいざ事件ってなると夜も昼もなくなる仕事だから、結構残業代を稼げてな。都内にマンションを買って、私立の一貫校に息子を入れてやることぐらいの給料は貰ってた」


 板野はさらにアクセルを踏み込む。メーターの針は130キロに振れた。


「ところがだ、女房が浮気しやがったんだよ。日暮里のホテル街で張り込みしてたら、よりによって女房が自分の部下としけこむ所を偶然見ちまったんだな。俺はそいつをずいぶん可愛がってたから余計腹が立ったぜ。家によんで飯食わせてやったり、酒飲ませてやったりな。今思えば、そいつが仇になった」


 ふう、と板野は一旦息をつくと再びしゃべり始める。


「で、俺は女房を問い詰めたんだ。そしたら女房の奴。俺に別れてくれと抜かしやがる。浮気じゃない。本気で部下に惚れちまったんだとさ。かっとなって、思わず手が出たね。気が付いたら女房は血を流して俺の足元に倒れてたよ。頭蓋骨陥没骨折、重症だ。頭にきて振り回したゴルフクラブが偶然当たっちまったんだ。もちろん本気で殴るつもりじゃなかったさ。脅すだけのつもりだったんだ」


 ふう、とまたひとつため息。


「本来なら傷害事件になるところだが、身内から逮捕者が出るなんて警察は許さねえよ。上司は女房に因果を含めて穏便に事を納めてくれたよ。俺がマンションと息子の親権を渡して離婚っていう形でな。お相手の部下は一身上の都合で円満退職さ。今は息子と3人、よろしくやってるらしい。俺にはめでたく二千万円の家のローンだけが残った。なんとも不公平な話じゃないか。俺は浮気された方なんだぜ」

「で、金が必要な件は?ローンの返済か?」

 

 もう中野駅は目前だ。亮二はせかすように板野に言った。


「ローンもだが、息子が来年スペインへサッカー留学へ行くと言っててな。なんやかやで300万円くらい必要なんだが、元女房は留学に反対しているそうだ。おれは、その金を出してやりたい。一緒に暮らせない、会えもしない俺が息子にしてやれることは、もう金を出してやることしかないじゃないか。見栄を張りたいんだよ。父親としてな」


 ぐすりと音を立てて板野が鼻をすすった。


「女房の浮気も部下の裏切りも、家を取られたことだってなんとか我慢できるさ。だけどな、息子に軽蔑されて忘れられることだけは、どうにも耐えられねえよ」


 くたびれた背広の裾でぐいと目を拭う板野を見て、亮二はこの男を軽蔑するのを止めた。なるほど、この男には確かに金が必要な理由があるのだ。


「俺は父親に早く死なれたから、父に世話になった記憶がほとんど無いんだ。だから板野さんの息子さんがうらやましいよ。息子さんは大人になったらきっと、自分からあんたに会いにきてくれると俺は思う。本当だ」


 慰めるでもなく亮二は言った。うらやましい、というのは本音だ。亮二は父の愛を知らない。命がけで息子の留学費用を捻出しようとする板野には、紛れもなく本物の愛情を感じることができる。そういえばあの拓海の父親でさえ、亮二の拷問に遭っても拓海の居所を吐こうとしなかった。奴もまた父親だったのだ。


 そう思うかい、と力なく板野が言った時、スマホの画面が光りだした。


「拓海を見つけた。今両国国技館前よ。あたしはまだ奴に気づかれてない」


 ハンズフリーの機能を通して押し殺したレンコの声がする。拓海が両国に居るということは、中野の無差別殺人は奴ではなかったのだ。亮二の額から汗が噴き出した。両国に向わなければ!


「よし、奴をマークしろ!俺たちは14号線を戻って両国橋のたもとにパトカーを止める。着いたら連絡する。それまで奴に見つかるな!」


 亮二が言い終わる前に、パトカーが道の真ん中で派手な煙を上げてUターンした。


「早く!早くしてくれ!」


 せかす亮二に板野が怒鳴った。


「解ってるよ!限界まで飛ばしてんだ!」

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