2月29日 コロナ休校におもうこと
今回はご批判もあるかと思いますが、あえて今おもうことを。
小学生の登校班に毎朝付き添うようになってもうすぐ八年になります。
ということは、今の六年生たちを一年生の頃から知っているわけです。
一年生の頃はやんちゃして上級生から目をつけられ、イジメられそうになったこと、朝が弱くて登校班にはいつも遅刻していたこと、上級生になったら急に自覚が芽生えたのか遅刻しなくなったこと、ちょっと厳しすぎるんじゃない? と思うほど、班長としてみんなをまとめ上げたこと。
そんな思い出と共に「卒業、おめでとう」と言葉を掛ける機会も突然なくなってしまったんです。班長を交代してのんびりと最後部を歩いていくことも、登校班みんなで記念の写真を撮ることも。
新型コロナウイルスによる感染力が強いことも、インフルエンザに比べて致死率が高いことも分かります。
でも感染範囲(言い方は違うかも)は狭い空間での接触に限られているし、現時点では55000人に1人の感染、315万人に1人の死亡例という状況(いずれも今日現在の日本の場合)で全国の学校を休校にする必要があるのでしょうか。
もちろん、これらの数字は増えていくのでしょう。
それでも、1000人に1人どころか、10000人に1人の割合にもならないのでは?
そんな状況の中で1000人にも満たないコミュニティである学校を封鎖する必要などないと私は思っています。
勉強なんか学校じゃなくても出来る、という意見も目にしました。
その通りでしょう。
でも学校生活でしか出来ないこともたくさんあります。
コロナを怖がっている子供たちを守るべきだ、という意見も目にしました。
どこにそんな子供がいるのでしょうか。
私が毎日接している子どもたちは二百人くらい、その中でも特に近い関係が五、六十人、コロナを怖がっている子なんて一人もいません。
コロナは怖い病気だということは、小学生たちもきちんと認識しています。
一方で、大人たちのように必要以上に怖れたりなんかしていません。
怖い病気だからきちんと手洗い、うがいをする、そういう意識で日々の生活をしています。
昨日の朝もみんないつも通りでした。
「もしかすると、今日で学校が終わりになっちゃうかもしれないね」と言っても、そのことは親から聞いてはいても他人事。
出発時間まで走り回ったり、おしゃべりしたり。歩き出しても、ふざけ合って列をはみ出しそうになったり。
そんな子供たちの日常を突然奪った今回の措置は、大人の責任逃れにしか思えません。
このまま収束すれば「休校措置を取ったからだ」と言えるし(休校にしなくても収束する可能性があるのに)、感染が拡大しても「ここまでやったのに」と言い訳が出来ます。どちらに転んでもマイナスがないと見込んでのことでしょう。
今やるべきことは、うがいや手洗いをしっかりする、電車やバスなど狭い空間では必ずマスクを着用する、といった当たり前のことを周知徹底することだと思います。
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