第4話 彼女の言葉

 エリスは渡り鳥になって二年目だと空を飛んでいるときに無線を通じて話してくれた。


 二年前彼女の祖国は西側の工業地域と東側の農業地域の関係が悪化して内紛になった。そしてちょうど中間地点で内紛の中心となった地域に彼女の故郷があった。

 彼女の父は内紛を止めようと必死に西側と左側の代表者の話し合いの場を設け故郷が戦場にならないようにと尽力したが、それを快く思わない者に目を付けられ殺されてしまった。それも彼女の目の前で。そして死ぬ間際に力を振り絞り、空を見上げ「自由に生きなさい。」と一言だけ彼女に告げたそうだ。

 すでに彼女に父以外の親類はなくそのことも理由で交換交流の家庭に選ばれたと以前彼女が話していたことを思い出した。くしくも彼女の母親も彼女が幼いころ拝天使病にかかり亡くなっていた。互いの境遇を語るうちに俺とエリスの間にできていた時間の溝も埋まっていった。

 すべてをなくしたエリスは自分の父との思い出や母のかすかな残り香のする家を売り払いその金で小型の飛行機を買ったという。

 そしてふとした時、学園生活の思い出が残っている日の国に来た。

 そして仕事の依頼を受けようと以前住んでいた土地勘のあるヤナゴ地区に来たところ俺の話を人づてに聞き、いてもたってもいられなくなったと話してくれた。そして廃人となっている俺を見て愕然とした。それは母を拝天使病で亡くしたころの父の姿に似ていたらしい。そして「以前の明るく面倒見の良かった君に戻ってもらいたかったんだ。」と思いのたけを語ってくれた。


 親を亡くし、その親と約束した夢さえも叶えることができずすべてを諦めていた廃人は、すべてを無くしたわけではなかった。兄弟もいた、親類縁者もいた。そしてこうやって本音を話せることができる友人も。


 「俺は何にも見ることができちゃいなかったんだな。」そしてそのこたえとして、「生きているんだ、色々あるさ。でもね、人生を呪ってはいけないよ。少なくとも私たちはまた出会うことができたんだから。」その言葉に何よりも救われた気がした。


 今思えば俺は親父とお袋を亡くした後、精神を病んでいる兆候があったように思う。俺は生きているとは何か死んでいるとは何か考え、自分とは何かと自分の存在さえ疑い信じられなくなったことがあった。

 人は生きている時間よりも死んでいる時間のほうが長い。むしろ生きている時間は死んでいる時間に比べて一瞬で、ほとんど存在していない。

 言うなれば白紙の上の点のようなものだと考えた。だとすれば自分とは何か存在しているとは何か。自分が存在することさえも疑ってかかるようになった。

  そうしたら足元のすべてが崩れていく錯覚に陥った。自分じゃなくてほかの別の誰かでも同じことじゃないのかと。


 自分が自分じゃない錯覚。


 それから俺は自分と乖離した感覚を覚えるようになる。すべてはこうしたほうがいいのだろうからこうする。服を着るではなく服を自分に着せる。自分が自分の人形になった感覚。


 これは一種の呪いだった。


 ものを手に入れる喜びも、何かを成し遂げる感動も自分のことのように感じることができない、自分を操る自分のもの。もはやそれは自分ではなく別の誰かのものであることと同じだった。


 その感覚は今もまだ続いている。でもエリスのこの言葉を聞いて少し体が軽くなった気がした。『私たちはまた会うことができたんだから』少なくともこの出会いだけは信じたい。


 それは俺がこうなってしまってから初めて誰かの心ではなく俺の心の奥にしみいるような感覚だった。

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