森の絶対王者 前編

 全員が一斉に振り向くと、そこには信じられない光景が浮かび上がる。

 先ほど巨大な岩だと思って通過していた「それ」が、隆起し始めた。

 ステラたちが呆然として見届ける中で、「それ」はまず一行から見て左側を向いた状態で起き上がり、翼を広げる。

 それからゆっくりとこちら側を振り向き、男を見下ろしていた。

 全長は十メートルほどもあるだろうか。

 緑を基調とし、ところどころに斑点の見られる特殊な色をした鱗が全身を覆っている。

 その巨大な体躯に加え、手に備えられた鋭い爪と、その全長ほどもあろうかという長い尻尾が、死と恐怖を連想させる。

 爬虫類を思わせるような頭部には、二本の角と、口元に見える牙が、対峙したあらゆる生物を威嚇し、その双眸は逃さぬとばかりに獲物を捕らえて離さない。

 背中には体格の割にはやや小さめの翼。

 誰も、見たことはなかった。

 しかし、「それ」が何であるかは、その場に居合わせた者が全員、直感で理解できてしまった。

 「それ」は、男を見下ろしていた首を更に一度下げ、その反動でぐいっと天を仰ぐ。

 次の瞬間。


 咆哮。


 無造作に生い茂った緑に住まう生物が、生存本能を頼りに逃げ出していく。

 梢を戦場に変えられてしまった鳥たちが羽ばたき。

 地を這う動物たちは、脇目もふらず草木を突き破って駆け出した。

 空気は裂かれ、大地は震え。

 轟音が全てを支配する中で、ステラたちは耳を塞ぎ、膝を折ってただうずくまっていることしかできなかった。


 森の絶対王者――オオマダラドラゴン。


 咆哮が止むと、その恐怖から脱することのできないステラたちの視線の先で、ドラゴンは腕を振り上げた。


「ひっ……!」


 足元にいるイヌ風のヒトガタから、小さな悲鳴があがる。

 『神の使い』であるオオマダラドラゴンは、主となる『炎の神』が契約を司る火属性の魔法を使うことができた。

 しかし。

 そんなものは必要ない。

 その圧倒的な巨躯は、振り回すだけであらゆるものをなぎ倒す凶器と化す。

 身体ごと前に倒すようにして振り下ろされた右腕は、男を直撃することはなかった。辛うじて横に飛び、間一髪で九死に一生を得た男は、そのままその場に尻もちをつく形で座り込んでしまっている。

 不幸にも巻き込まれた草は散り、木はまるで小枝のように折れてしまった。

 倒れ込んでいるせいで、ドラゴンは起き上がるために僅かながら時間を要する。

 それを見たアランは、咄嗟に水魔法を使った。


「いかん!『氷槍』!」


 アランの周囲に発生した、いくつものつららがドラゴンを襲う。

 しかし、つららが当たった箇所をぽりぽりと書いたまま男から視線を外さないドラゴンを見て、間違いに気づく。


「リッキー!すぐにペンダントを外してくれ!あれの注意をこちらに引き付けるんだ!」

「引き付けてどうするんだよ!一緒に死ぬ気か!?」

「かといって見過ごせないだろう!」

「そりゃそうだ!くそっ!」


 オオマダラドラゴンに襲われなくなるというペンダントは、現在アランとリッキーがつけていた。いくら攻撃をしようとそれを付けている限りは、どうやらドラゴンはこちらに気づかない仕組みらしい。

 リッキーは首にかけてあったペンダントを外して地面に投げつけた。アランは、自身のものを、リッキーに語り掛けている最中に既に外している。

 ドラゴンは身体を起こして、再び腕を振り上げているところだった。


「『雷撃』!」


 アランがかざした右手から稲妻が走る。

 雷魔法を受けたドラゴンはその大きな身体を少しばかり仰け反らせながら、軽く声をあげた。


「今のうちに逃げろ!宿屋の方へ走れ!」


 アランに促されると男はようやく立ち上がり、一目散に逃げだす。

 ドラゴンはこちらを向き、アランの方を見てゆっくりと歩き出した。

 次に、旨味之介が前に出て魔法を使う。


「『居合スラッシュ』!」


 攻撃が当たると、今度は首をもたげ、低い唸り声をあげた。


「今日のそれがしはどうにかしているでござるよ!」

「すまねえ!」


 ステラたちとすれ違いざまにそう言い残すと、男は入り口方面に消えていった。


「皆散れ!私と旨味之介殿から離れるんだ!」


 その言葉を合図に、こちらから見てドラゴンの正面にアラン、右側に旨味之介とオタク忍者、左側にステラたち、リッキー、キャンディと言う風に分かれた。もちろん、各々くっつかないように距離をとっている。

 戦いは、一定のパターンで展開していた。風魔法で移動速度を上げられる、アランか旨味之介のどちらかが囮役となり、ある程度時間がたったら囮役になっていない方が攻撃をして囮役を交代する。

 しかし攻撃はドラゴンにはほとんど通じておらず、ダメージはほとんど与えらていない。魔法も無限に撃てるわけではないし、そもそも回避のために移動速度を上げる風魔法でも体力を消費している。このままではすぐに囮役のどちらかが体力の限界を迎えるのは明らかだ。


「ステラ!『召喚』は使えないのか?」

「無理だ。『勇気』が全然足りない。今『召喚』を使うと一瞬でステラが野生に帰ってしまうぞ」


 リッキーの問いかけに、ラグナロクが代わりに答える。

 ステラは怯えながらも、万が一誰かがドラゴンの攻撃を受けた際、せめて致命傷にならぬようにと、光魔法で防御系の支援をすることに集中していた。


「旨味之介殿!このままではジリ貧だ!一か八か攻勢をかけるぞ!」

「応でござる!」


 ドラゴンは、アランと向き合った状態から体を横に回転させ、その勢いで尻尾を薙ぎ払った。

 ブォン、という空気を切り裂く重低音と共に振るわれたそれは、あらゆるものを蹴散らしながらアランの下を通過していく。

 アランは尻尾の長さから横移動での回避は危険だと判断し、移動速度を上げる風魔法と同じ要領で、ジャンプ力を強化して上に飛んだ。そして空中で火と水属性による合成魔法の名を叫ぶ。


「『爆発』!!!!」


 轟音。


 一回分ほど回避の余力を残しての、アランの最大出力のうち七割ほどの威力の攻撃は強烈で、ドラゴンの身体の中心部分で大規模な爆発を起こした。

 爆発の衝撃でドラゴンは悲鳴のような声をあげながら、数歩あとずさる。

 そこに、アランの視界の右側から旨味之介がドラゴンに飛び掛かった。


「はああっ……無料飯流剣術奥義!『弱小で爆笑の東京特許許可局局長、バスガスバキュッ……』」


 愛用の刀に風魔法を纏い、華麗なまでの流れるような連撃。

 相手に反撃の隙を与えないまま切り刻む、必殺の太刀筋。


 ……のはずだった。


「なっ……」


 刃が通らない。

 まずこのとき誰もが失念していたこととして、野生の動物は魔法防御力がヒトガタに比べて高い。ドラゴンとなればなおさらだ。

 アランの魔法もその威力を減らされたうえ、旨味之介の風魔法もあまり意味をなしていない。

 この場合、旨味之介が刃に纏わせた風魔法は、物理的に刀でドラゴンを斬るためのサポート的なものだ。刃が切ろうとしている部分のみに集中し、刀が相手の身に到達する寸前にかまいたちで肉を押し開く。そこに斬撃を押し込む。

 しかし、魔法防御の高さのせいで、かまいたちはドラゴンにほとんど通じていない。そうなれば、元々硬い鱗を刃が通るはずもなく、旨味之介の刀はドラゴンを斬れずに押し返されてしまったのだ。

 空中で刀を弾かれて無防備な体勢の旨味之介に、ドラゴンの右腕が横から飛んできた。旨味之介の身体が、ドラゴンの左方向へと吹き飛ぶ。


「旨味之介殿!!」


 オタク忍者の叫び声。ドラゴンはそのまま旨味之介に止めを刺そうと歩み寄る。


「忍法『水鉄砲』!」


 びくともしない。そもそも魔法が当たったことにすら気づいていないだろう。

 オタク忍者は、ドラゴンに向けて駆け出した。


「忍法『飛び膝蹴り』!!」


 身体を張っての行動は、何とかドラゴンの注意を引き付けることに成功する。

 しかし風魔法を使うことのできないリッケンベルクシュタインは、そのままドラゴンの左腕になすすべもなく吹き飛ばされてしまう。


「『汝、主と交わした契約を糧に、一日を費やす……』」


 それを見たキャンディが前に出て詠唱を開始した。

 様子を見ていたリッキーも、ドラゴンに少しずつ近づく。

 アランの左斜め後ろほどに飛ばされたオタク忍者を追いかけて、ドラゴンはゆっくりと歩く。そうするとアランが視界に入り、先ほど何度も攻撃を加えてきたやつから始末しようと、ドラゴンは標的を切り替えた。

 巨大な腕が振り下ろされる。

 アランは最後の力を振り絞って風魔法で身体全体を押すようにして横に飛び、回避する。しかし、そこで体力が切れてしまった。

 次に薙ぎ払われる尻尾を避けることはできない。

 アランはオタク忍者のさらに左側あたりに吹き飛ばされて転がった。

 ここまでドラゴンの攻撃を受けたメンバーは、気は失っているが、ステラとリッキーが光魔法に専念していたので、死んではいない。しかし、戦線に復帰することはできるはずもない。ステラたちの人数は確実に減っていた。


「『自宅へ帰還したのち食卓へと赴くと、冷たくなった晩餐に手を伸ばす……』」


 気絶しているオタク忍者とアランの元に、じりじりとドラゴンが迫る。


「『家族の為に働き、しかし家族と夕食を共にすることも叶わぬ汝は涙を流すであろう……』」


 キャンディはそこでかっと目を開いた。


「『お父さん、いつもありがとう』!!!!」

「それ本人に言ってあげて!!」


またも爆発がドラゴンの身体で起きるが、アランに比べて威力の劣るそれは、こちらにドラゴンの注意を向けることだけには成功した。

 アランとオタク忍者が転がる場所に近い位置にいたキャンディは、自然と尻尾のリーチの中に入ってしまっている。

 キャンディはそのことに気づいた瞬間、自身の身体が宙を舞うことに気づく暇もなく、意識を闇の彼方に葬り去られていた。

 キャンディのやや後ろにいたリッキーは、ドラゴンの方に身体を向けながら、顔だけでステラの方を振り向き、叫んだ。


「ステラ!ペロ!ラグナロク!お前らだけでも逃げろ!俺が注意をひきつける!このままじゃ全滅だ!」


 そう言ったリッキーの足は震えていた。


(また、また……何もできないの?)


 ステラは今にも泣き出しそうになっている。

 ムーンライト池谷との戦いで、非力な自分でも、ペロと力を合わせれば何とか戦えると思ったのに。

 そんな一筋の光明はまやかしに過ぎなかった。

 本物の脅威を前にしてみればどうだ。何もできないどころか、怯えて動くことすらままならないではないか。

 目の前で、かけがえのない友達の身体が吹っ飛んだ。

 散々邪魔をされてドラゴンのフラストレーションも限界に近く、このままでは最初の犠牲者がリッキーとなることは明らかだった。

 ふと横を見ると、ペロは兄のような、父親のような、何かを迫るような意志を宿した目でステラを見つめている。


(僕は今も何もできないし、いくじなしだけど……)


 ステラは思い出していた。今よりまだ幼い頃にその見た目をからかわれ、泣いていた自分。

 モンドにいじめられ、泣いていた自分。

 こんな自分はもう嫌だと、ペロにこぼしながら泣いていた自分。

 その頃から自分は変わっていなかったけれど。

 そんなステラを家族同然に支えてくれた友人の命が、風前の灯となっている。

 黙って見ていたくはない。見ているわけにはいかない。

 気づけばステラは、ラグナロクをその手に握りしめて駆け出していた。

 ドラゴンとリッキーの間に割って入り、魔剣を天に向かって掲げる。


「う……。ステラ?バカ!何をしている!早く逃げろ!」


 辛うじて意識を取り戻したアランが悲鳴に近い叫びをあげた。

 オオマダラドラゴンの腕が、空からの陽光を遮り、ステラを影で覆うように振り上げられる。


「フレイム!お願い……!リッキーを、みんなを……守ってあげて!!!!」


 次の瞬間、掲げられた魔剣の刀身が、光を帯び始めた。

 その光は徐々に強くなっていき、次第に目を開けているのも難しいほどになるころ、魔剣からぽつりと声が聞こえた。


「なかなかやるではないか……マスター」


 ドラゴンの腕が絶望にも似た、風切りの重低音と共に振り下ろされる。


「ステラーーーーーッ!」


 ステラの身体が潰される悲惨な光景を幻視し、アランも、そしてステラ自身も思わず目を瞑り、顔を背けてしまう。

 しかし、そのような未来はいつまでたっても訪れない。

 何かと何かがぶつかる強烈な衝撃音がした。

 不思議に思ったステラが目を開くとそこには。

 先日の夜にも見た赤い鱗と、小ぶりな翼を生やしたドラゴンの背中。


「助けて、ではなく、助けてあげて……か。お主らしいな、ステラ」


 『子連れ龍』――フレイムの姿があった。 

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