『意志を持つ魔剣』ラグナロク
夕暮れもすでにその役割を終え、茜色に染め上げられた空が西へと沈んでしまってからしばらくたった頃。
日中よりは多少静かになった森の生命のささやきと、草木を踏みしめる音だけが鼓膜を震わせている。
連日の歩き疲れがさすがに溜まってきているのか、自然と口数は少なくなっていき、夜になる頃には誰も口を開こうとはしなかった。
草木の中に倒れ込み、そのまま眠ってしまいそうな表情で全員が視線をどことも知れず彷徨わせながら歩いていると、遠くに大きな坂らしきものが見えてきた。それは紛れもなく『神々の丘』の入り口だった。
全員が解放感から喜びの表情になる。
「いい~やっほお~ぅ!やっと着いたでござるよ!いや~あれが神々の丘でござるかぁ~!名前の通りに神々しきこといとあはれ!でござるな!さあみんな!急ぐでござるよ!」
「どこにそんな元気が残ってたんだよ……」
さっきまでみんなと同じように死にそうな顔をしていた旨味之介が、飛び跳ね、回転して踊りながら、まさに狂喜乱舞と言った感じで先頭に立った。
ツッコミの言葉をこぼしたリッキーをはじめとして、それに続く。
しかし。
「うおっほおぅ!」
旨味之介が奇妙な声をあげた。
完全に夜闇に包まれた森の中を照らすのは月明かりだけで、それだけではうまくものを見分けることはできない。
目に映るありとあらゆるもの同士の境界線は曖昧で、何がどこにあるかなど一切わかりはしなかった。
それ以外は。
「おいオッサン、変な声出してんじゃねえよ。またステラが怖がるだ……ろ……」
「こ、これって……」
リッキーの言葉は最後まで続かない。
ステラも、それが何であるのか、答えを出すのを途中で拒否したようだった。
先ほどまで聞こえていた生命のささやきは、今のステラたちには届いていない。
静かな暗闇の中にぽつりぽつりと佇む、白い何か。
声も出せないまま、絶望の中を彷徨い歩く亡霊のように浮かび上がるのは。
かつて動物だったものであり。
肉は自然に還り、魂すら失った今でも命ある頃の容姿だけをかたどった――
――白骨の群れだった。
『神々の丘』のふもとからステラたちの間にある地面に、まるでそこから先へは通さぬと言う警告であるかのような、無造作な骸の海があった。
「アランが行けばわかるって言ってたのは、これのこと……?」
昨晩、ステラの『神々の丘』に危険動物は入って来ないのか、という問いに対してのアランの答えだ。キャンディはそれを指摘した。
「ああ、そうだ。昨日教えて丸一日怖がらせることもないだろうと思ってな」
「これは何なのでござるか?」
オタク忍者の問いかけに対し、再び歩き出しながらアランは、
「『神々の丘』に入ろうとした動物を、オオマダラドラゴンが無差別に駆逐しているらしい。このペンダントは、ここへの入場許可証でもあったというわけだな」
首から下げたペンダントを指でつまんでそう言った。
アランは何度かここに来たことがあるのでずんずん進むが、他のメンバーは恐る恐ると言った感じで、避けることのできない白骨の群れを、なるべく踏まないようにしてその後に続く。
何とか亡霊の寝床を抜けると、『意志を持つ魔剣』があるという『神々の丘』の頂上へと続く坂道に差し掛かる。
坂は、ゆっくりと気まぐれに右に左にと登るように伸びていた。
いくらか歩いてから、大森林に生えている樹々よりも高い位置まで登って後ろを振り向くと、そこには一面の星空が広がっている。
樹々に切り取られることもなく無限に伸びていく夜空のキャンバスには、遥か昔に放たれた星々の輝きが宝石のように散りばめられていた。その光景は眼下に広がった闇を纏う大森林と対を成して、それまで沈んでいたステラたちの心を明るく照らしてくれる。
「さて、今日はこの辺りで休んでおこうか。疲れ切ったままで『意志を持つ魔剣』と対面と言うのも、あまり盛り上がらないだろう」
「そうだな、それがいい……」
肉体的にも精神的にも疲労困憊の一同。返事をしたリッキーを初めとして、反対するものなどいなかった。
朝になっても身体は重く、一行はいつもより遅めに起床した。
アランは一人だけ早く起きていたものの辺りを散策するわけにもいかず、待ちくたびれた様子だ。
何とか元気になったステラたちは丘を登り始めた。
徐々に近くなる空はぽつぽつと雲を浮かべている。どこからともなくやってきた風は肌に心地よく、朝の陽射しと共に清涼感を運んできてくれた。
背中越しに聞こえていた大森林の喧騒も遠くなってからしばらく歩いた頃、ようやく一行は頂上にたどり着いた。
ゆるやかになっていく勾配がやがて水平へと近づくと、繋がった地面の先に頂上が現れた。
丘の先端は崖になっていて、その先には空と大地が無限に広がっている。
遥か彼方にはアルミナの街並みがあり、『神々の丘』から眺める故郷はいつもとは違う顔をしていた。
周囲に芽吹く草の絨毯にはまばらに木が立ち並び、梢が風に揺られてわずかにざわめく。
まるで下界から隔離されたような静謐さを保つその場所は、『神々の丘』と言う名にふさわしかった。
そして丘の中心から少し崖よりの部分に、一本の剣が刺さっている。
「ああ~やっと着いた~!」
伸びをしながらキャンディ声をあげた。
「ひとまずご苦労と言ったところだな。さて……ステラ、あそこに刺さっているのが『意志を持つ魔剣』、ラグナロクだ」
「あれが……」
そうステラがつぶやくと場が静まり、全員が息を呑む音が聞こえるようだった。
ステラが歩み寄るとペロとリッキーが続く。
剣は、柄のところに目がついている。それがデザインなのかどうかはステラたちにはまだわからない。
しかし、頂上についてからずっとその目はこちらを見つめていた。
「しっかし禍々しい見た目してんなあ。何か『闇の民』が持ってそうな感じがするぞ」
リッキーがふと感想を漏らした。すると……
「禍々しいだと?失礼なやつだ…って熊?」
「「「「「!?」」」」」
剣が喋った。そして浮いた。
「待っていたぞ。お前が新しいマスターか」
アラン以外の全員が目を丸めて驚き、言葉すら出てこない。
「…って、何だおい、俺の新しいマスターは雑巾か」
「マ、マスター?」
ステラが何とか口を開くも、それが限界だった。未だに頭の中は混乱を極めているようだ。
「けけけ、剣が喋っているでござるよ!」
「そういうお前も狼だろうが。一体何が起きているんだこれは」
旨味之介がようやく当然の驚きを口にしたが、剣の方も旨味之介、もとい動物の見た目をした生き物が喋っていることに驚いているようだった。
「混乱するのもわかるが、とりあえずみんな落ち着け。『意志を持つ魔剣』ラグナロクよ、初めまして。まずは私たちの自己紹介から聞いていただけないだろうか」
「ん、まあそうだな。そうしようか」
それからステラたちは各自自己紹介をした。
黙って一通り聞き終えた後、ラグナロクが口を開く。
「俺の新しいマスターはステラと言うのか。よろしく頼む。……で、まあ何だ。せっかく自己紹介してもらったところで悪いんだが、何もわからない。まず、何で動物が喋っているんだ?人間はどうした?」
「『ニンゲン』はとっくの昔に滅びたでござるよ」
応えたのはリッケンベルクシュタイン。
「滅びた?それは本当か?」
ラグナロクは信じられないと言った様子だ。
「本当のところはわかっていないが、とにかく事実として今『ニンゲン』は世界中のどこにもいない。ラグナロク殿も何も知らないのか?」
ラグナロクはアランの一族に伝えられてきた話によれば、、かつての『愚かな英雄』が武器、あるいは魔法を使うための補助具として使っていたとされている。そうであれば、これまでのアミューズの歴史を全て知っているはずだ。
「それなのだがな。俺には以前の記憶が何一つないんだ。覚えているのは俺の前のマスターのことくらいだ。それもかなり限定的でな」
「そこもさっきから気になっているでござる。ラグナロク殿の言葉から察するに、現マスターがステラ殿、前のマスターが『愚かな英雄』ということでよろしいのでござるか?」
オタク忍者がそう言うと、ラグナロクはフフッ、と一瞬笑い声を漏らした。
「『愚かな英雄』……あいつは今そう呼ばれているのか。たしかにあいつは愚か者だったからな。ぴったりだ」
嫌いな人の悪口というよりは、友人をからかうといったような口調だ。
「その『愚かな英雄』と言うのがあいつのことかは知らないが、それで合ってると思うぞ。俺の新しいマスターはステラだ。間違いない」
「で、そのマスターってのは何なんだよ?しかもそのマスターがステラってのは決まってるのか?」
質問をしたのはリッキーだった。
「俺の使用者だ。そして俺との契約はステラが生まれたときになされている。つまりステラが俺のマスターなのはステラが生まれたときに決まったことだということだな」
「ははーん、なるほどね。じゃあステラはあんたと契約したから魔法が使えないってことなのね」
要領を得たとばかりにキャンディが頷きながら言う。
「じゃ、じゃあ……ラグナロクさんを使えば僕も魔法が使えるようになるの?」
「不可能ではないが、実質的に無理だ」
ステラの淡い期待はラグナロクの即答によって断ち切られてしまった。
「ど、どういうこと……?」
「体質の問題だ。前のクソマスターは身体の中から無限に魔力が湧いてくるというあり得ない体質を持っていた。ステラも特異体質であることには変わりないが、無限ではない。魔力量は変動するようだが、少なくとも今のような通常の状態では人の平均的な魔力量とそう変わらない。これでは普通に魔法を使うとすぐに魔力が尽きて危険な状態になってしまうだろうな」
「そうなんだ……」
ラグナロクの説明を聞いたステラは、がっくりと肩を落とした。
「マスターよ、そう落ち込むな。全くやり方がないわけではないと思うぞ。今はまだわからないが……これから俺のうまい使い方を探していけばいいだろう」
「そうだぞ、ステラよ。わがエリFUNKYトカゲ一族が代々受け継いできた『言い伝え』が無意味であるはずがない。きっと、ステラをラグナロク殿のところに連れてきた意味があるはずだ」
ラグナロクとアランの二人に励まされ、ステラは落ち込むのをやめた。
「うん、そうだね……ありがとう」
「それで、俺からもいくつか聞きたいことがあるのだが……まあ、ここに居ても同じことだ。何かが変わるわけでもない。今この世界がどうなっているのか見てみたいのもあるし、歩きながら少しずつ話をしようではないか」
「ついてきてくれるの?」
「もちろんだ。というか、俺はステラの側にいないと起動できないからな。まあその辺りもおいおい話していくさ」
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