黄昏の旨味之介

 そびえ立つ樹々が切り取る空と、動物たちが生み出す喧騒。

 今では踏み鳴らす者もほとんどいなくなってしまった、草木に狭められて輪郭もおぼろな道を、ステラたちは歩いていた。

 興味津々と言った感じであちこち見回しているペロとは対照的に、ステラは少し不安そうな表情で恐る恐る歩いている。

 そんなステラにリッキーは声をかけた。


「どうだステラ、初めての大森林は?」

「暗いし、虫とか鳥?の声がたくさんしてやだ。リッキーは来たことあるの?」

「いや、俺も初めてだよ。でも本当にステラの言う通りだな。薄気味悪い」


辺りを見渡すと、ここに暮らすヒトガタの存在を否定するかのように、見たこともないような草木が雑多に生い茂っている。

 しかし、たまにその中にちらりと、見たこともない材料でできた建物の一部らしきものが見て取れた。


「ねえねえ、たまにちょこんってあるあの石みたいなやつって何?中に鉄の棒みたいなのが入ってるやつ」


 キャンディが誰ともなく投げかけた質問に応えたのは、アランだった。


「あれは古代遺跡の残骸だな。我々の祖先がまだ神々と共に暮らしていた遥かな昔に、神はこの地にあったかつての『ニンゲン』の遺産や建物を、全て片付けて持ち出すように命令したと言われている。しかし『ニンゲン』の技術によって作られたものは我々には分解や破壊ですら難しかったらしく、ああやって今も残骸が残っていたりするのだそうだ」

「ふ~ん、『ニンゲン』ってすごいのねえ。どれどれ……」


 そう言ってキャンディは茂みに分け入ると、奥にちらりと見える古代遺跡の残骸を目掛けて進んでいく。すると背が高い茂みに埋もれて、キャンディの姿はあっという間にほとんど見えなくなってしまう。


「キャンディさん、あんまり奥に行くと危ないよ……?」

「うむ。見た目が大きくてわかりやすい危険動物だけではなく、小さくても危険な虫などもいるのだから、あまり勝手な行動はとらない方がいい。まあ、興味を惹かれるのはわかるからしょうがないとも思うが」


 ステラとアランの注意を余所にぐんぐんと奥に進んでいくキャンディ。


「も~心配しすぎ。どうってことないって」


 やがて目標までたどり着いたのか、ガサガサと茂みを分け入る音が止んだ。


「ワンダフオォウッ!!!」

「わっ!!!」


 キャンディの奇声に、ステラがびくっと肩を震わせて驚いた。


「変な声出してんじゃねーよ!ステラがびっくりしてんだろうが!」

「ごめんごめん、足に何か触った気がしてびっくりしちゃってさ~」

「余裕あるなあ、お前……」


 リッキーの声に応えながらキャンディが茂みの奥から戻ってきた。

 するとキャンディの背後を指さしながら、オタク忍者がつぶやくように言う。


「キャ、キャンディ殿……う、後ろ……」

「え?」


 振り向くと、ステラたちの背丈ほどの大きさがある巨大なカエルが無表情にキャンディを見つめていた。


「いやーっ!!!」

「キャンディ、伏せろ!」


 アランが真っ先に声をかけた。他の全員も戦闘態勢をとる。


「『雷撃サンダーボルト』!」


 キャンディが伏せたのを確認してから放たれたアランの魔法は、カエルを吹っ飛ばした。

 巨大なカエルは、そのまま体をぴくぴくさせて起き上がる気配を見せない。

 その時、後ろから旨味之介が叫んだ。


「こっちからも来たでござる!」


 キャンディが入っていったのとは歩道を挟んで逆側の茂みからも、巨大な二匹のカエルが現れる。そちら側の茂みにいた旨味之介とオタク忍者の斜め右と斜め左から軽く挟み込むような形だ。


「『居合スラッシュ』!」


 毎度お馴染み、旨味之介必殺の一撃が、背の高い草木を寸断しながらカエルに向かって飛んでいく。

 カエルはそれを避ける暇もなく、そのままかまいたちを食らって後ろに吹き飛んだ。


「忍法『右膝蹴り』!」

「それ実戦でも使うのかよ!」


 リッキーのツッコミを聞きながら、リッケンベルクシュタインも近くいたカエルに攻撃を加えるが、威力が不十分で敵が多少後ずさったのみ。

 そこに、後ろに片手剣と盾を構えて様子を見ていたリッキーが突っ込んでいく。


「うおおっ!」


 カエルの急所――この場合は脳――を知ってか知らずか、リッキーは剣を縦方向に振り下ろそうとした。しかし、一番高く手が上がったところでカエルの舌に手首を弾かれ、剣はリッキーの手を離れて飛んで行ってしまう。

 そのままカエルは舌でリッキーを吹き飛ばした。吹き飛ぶ瞬間にステラが光の支援魔法をかけたので、負傷はしていないようだ。


「『一度生で聞いてみたい言葉シリーズその一……』」


 その後ろで、キャンディが詠唱をしている。


「『君といつまでも……』!!!」


 魔法のイメージが完成すると同時に杖を振ると、カエルが凍った。

 それを目掛けてすかさず旨味之介が得意の魔法を放った。


「『居合スラッシュ』!」


 身動きの取れないカエルにかまいたちを避ける術はなく、その身体は宙を舞い、吹き飛んで転がるとそのまま動かなくなった。


「ふう……。何とか全員無事でござるな」


 オタク忍者が嘆息した。


「まあ、今のは『オオマダラフロッグ』と言って、この森の中では危険度の低い部類の動物だからな。あの変幻自在で威力も高い舌は厄介だが、足も遅くて丈夫でもない。毒も持っていないし、食料が底を尽きたら捕まえて食うやつらもいるくらいだ」

「げえ……あんなの食べらんないわ。食料は節約していきましょ」


 アランの解説に、キャンディが顔を青ざめて言った。

それから全員武器を収めて戦闘態勢を解くと、再び歩き始めながらオタク忍者が独り言のようにつぶやいた。


「しかし、こういった森の中だと火属性の魔法が使えないから不便でござるな」

「そうだな。野生の動物とはいえ、火属性魔法は他の属性に比べればかなり有効だからな。もっとも、こんなところで使えば敵と一緒に森も全て燃えてしまうが」


 反応したのはアラン。

 その会話をしていて思い出したようにオタク忍者が質問をした。


「そういえば、リッキー殿はどの魔法が使えるのでござるか?」

「火属性だけだよ。でも、熟練度も低いしどっちにしろまだ実戦で使えるようなものじゃない」


 魔法は、人によってイメージしやすいものやしにくいものがあったりする。そしてイメージできても、その属性の魔法を使い慣れていないと、そのイメージが神に伝わりきらなかったりする。そのイメージのしやすさや伝わりやすさをひっくるめて「熟練度」と呼ばれているのだった。


「そうでござったか。使っていればそのうち熟練度もあがって威力もあがるでござるから、気にすることはないでござるよ」

「だといいな。ありがとよ」


 リッキーがリッケンベルクシュタインの気遣いに礼を言うと、次に口を開いたのはステラだった。


「そう言えば、熟練度を高めて一つの属性を極めたら、次はどうやって二つ目の属性の魔法が使えるようになるの?選べるの?」


 これに応えたのはアランだ。


「結論から言うと、選べない。しかしその辺りはまだ良くわかっていなくてな。選べはしないのだが、日頃『次はあの属性が使えるようになるといいな……』と思っていると、次にその属性が使えるようになるという迷信はある。だが迷信と言っても、大勢のヒトガタの体験談に基づく仮説であって、そうそうバカにできるものではないと言うのが主流な見解だ」

「例えば、大体のヒトガタは最初か二番目に風属性の魔法が使えるようになるというデータがあるのでござるが、これは風属性の魔法が非常に使い勝手が良く、最初の適性が風属性ではなかった場合に、みんなが『次は風属性の魔法が使えるようになればいいなあ』と思うからだと言われているのでござるよ」


 オタク忍者の補足に、ステラが頷いた。


「へえーそうなんだね。二人ともいつもものしりですごいなあ」

「い、いや~ハッハッハ!これしきのこと!研究者であれば当たり前でござるよ!それに『魔法を極めし者』であるアラン殿に比べれば!拙者ごとき!大量の十円玉の中に埋もれたギザ十のようなものでござるよ!もう本当に!こやつめハハハ!」

「よくわかんねえ例えだな……」


 照れ隠しに妙な事を口走ったオタク忍者に、リッキーが呆れた声を出した。

なお、アミューズでは共通の通貨として日本円が使われている。これは昔に古代遺跡から日本円が発掘されたのが始まりで、これを使えば商取引とかに便利ではないかと考えたヒトガタが、それを複製して現在まで使っている。


「ステラ殿、それがしもものしりでござるよ。何でも聞いて欲しいでござる」


 オタク忍者に対抗意識を燃やしたのか、それまで全く喋っていなかった旨味之介が急に口を開いた。

 ステラは少し首を傾げて考え込んだが、何かに気づいたような表情で顔を上げて言う。


「じゃあ……旨味之介さんはどうしてそんな名前なの?」


 今まで誰も聞いたことがなかったが、当然の疑問だった。

 彼らに戸籍というものは存在しない。わかりやすく言えば、名前は何でもよく、自分で適当にその場で決めてしまえるのだ。

 もちろん他人から決めてもらった名前を名乗ることもできる。とにかく、名前に関しては良くも悪くも極めて自由なのであった。

 ちなみに、現在『光の民』の間では親からもらった名前を名乗るのが主流になっている。

 とはいえそんな慣習の中にあっても、無料飯食乃旨味之介という名前は極めて異彩を放っていた。


「それってたしか『ニンゲン』の一種で『ニホンジン』とかいうのが良く使ってた名前の形式だったらしいけどさ、今のヒトガタでそういう名前にしてるやつってほとんど見たことないし、珍しいよな」


リッキーが旨味之介の名前について少し説明をすると、旨味之介が語りだした。


「古代の文献に散見される『他人の金で食う焼肉はうまい』という格言らしきものがあるのでござるが……それに由来しているのでござるよ。それがしは他人の金

でご飯を食べるときに、自分の金で食うときよりも、食べ物から旨味が出ている気がするのでござる」

「そっか。よくわかんねえけど頑張れよ」


 思ったよりもどうでもいい内容だったので、リッキーは聞き流すことにした。

 質問をしたステラはステラで、何のことかよくわからずにぽかんとしている。


「じゃあ最初からその名前だったわけじゃないんでしょ?古代の文献を読んでそれを知ったんだから。本名は何て名前なの?」


 キャンディ本人は何気なく問いかけたが、旨味之介はなぜかしみじみとした、どこか遠くを見るような目をして応えた。


「それがしが研究者になったのももう何十年も前の話でござるからな。親の決めた名前でもござらぬし……。はっきりとは覚えていないでござるよ」


 それなりに事情がありそうだったが、全員ぶっちゃけどうでもいいのでそれ以上名前について聞くことはなかった。

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