さすらいのTAKA

 光もほとんど届かない森の中。

 鳥や虫、獣、果ては草木、花に至るまで、全ての生命がそこかしこで声をあげ、今日を生き抜くことに必死になっている。

 そんな中、彼はわがもの顔で道なき道を歩いていた。

 この森の中では上位カーストに位置する「オオマダラスパイダー」。

 蜘蛛とは思えぬその巨大な体躯と強靭で汎用性の高い糸、敵を一瞬で死に至らしめる猛毒、それに鋭い爪と牙まで併せ持つ彼は、この森では食うに困らない。

 糸を張って巣を作り、待ち伏せをして捕らえるも良し。今しているような散歩中に見かけた美味しそうな動物を捕まえて食うもよし。

 彼が道を歩けばとばっちりを恐れた動物たちが、脇目もふらずに逃げ出してしまう。


(さて、そろそろ腹が減ってきたかな……)


 もし喋ることができたとしたら、彼はきっとそう言っただろう。

 獲物を吟味するかのように、周りをきょろきょろと見渡している。

 やがて、一匹のイノシシのところでその視線が止まった。

 「オオマダライノシシ」。イノシシにしては大きな身体と角を持ち、その突進は他のイノシシやバッファローとは比べ物にならないほどの破壊力を持っている。

 しかし、オオマダラスパイダーにはそんなことも関係ない。

 たしかに突進は多少の脅威にはなり得るが、糸か猛毒入りの牙さえ当ててしまえばもうこちらのものだ。

 こいつを捕まえればしばらくは食うに困らぬだろう。

 そんなことを考えているような様子で、蜘蛛は糸を吐き出してイノシシに奇襲をかけた。

 それを受けて驚いたイノシシは、戸惑いながらも野生の判断で蜘蛛に突進を試みる。

 しかし、既に糸にその身体のほとんどを絡め取られてしまっている彼の突進は鈍かった。

 悠々と蜘蛛に交わされ、そこに牙を撃ち込まれる。すると猛毒がすぐに回り、あえなく力尽きてしまう。

 命の輝きを急激に鈍らせてゆくイノシシを見ながら、彼は思う。

 自分こそがこの森においては最強であると。

 いや。この森に限った話ではなく……。

 世界中を探しても自分に勝てる動物などいないのではないだろうか?

 そうやって勝利の余韻に浸っていた時だった。


 すさまじい衝撃。


 自身の身体が吹き飛ばされる。

 何とか振り返ると、つい今まで自分がいたところには自身の足があった。

 その更に向こうには、闇の中で動く巨大な何かが見える。

 片側の足を全て失いながら、彼は考える。


 何が起こった?と。


 次の瞬間、再度の衝撃。


 またも身体が吹き飛ばされるが、今度は振り返ることすらもできなかった。

 足を全て失い、動けなくなってしまったから。

 すると、何かの影に彼の視界は覆われ、薄暗い森の風景がより光を失ってしまうのと同時に、その身体が持ち上がった。

 高いところで一旦停止。

 一瞬、宙に浮く感覚があった後に何かの中に放り込まれる。


 ゆっくりと閉じてゆく、わずかに光の差し込む天井。

 それを見上げながら、生暖かい暗闇に包まれ、薄れゆく意識の中で彼は思う。

 ああ、そうか。

 自分は最強などでは断じてなかったのだ。

 どうして忘れていられたのだろう。

 自分だけではない。

 このお方に比べれば、全ての生物は虫けらに過ぎなかったのだと。


 そうして、ある一匹の「オオマダラスパイダー」はその生涯を終えた。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝。起床して諸々の準備を済ませたステラたちは、大森林に入る前にさすらいの一族用の詰め所へと来ていた。アランとオタク忍者の首元には、ドラゴンに襲われなくなるというペンダントが光っている。


「さすらいのTAKAさん、起きてるかなあ」


 素朴な疑問という感じでステラが言う。

 夜も明けて陽は昇っているが、空気の中を漂うわずかな冷気が、昼と言うにはまだ早いと思わせるような、それくらいの時間帯だった。


「二回呼んでみて出てこなかったら行くか」


 そう言って扉の前に立つリッキー。

 旨味之介が、「たのもう」防止のキックやパンチが飛び出てこないかと、身構えたままきょろきょろしている。


 コン、コンとリッキーが扉を叩く。


「郵便で~す」


 全員の視線がステラの方を向いた。


「おい、誰だステラに妙なことを教えたやつは」


 リッキーの問いかけに応えたのは、意外にもステラ本人だった。


「ガルシア先生がね、学校を無断で休んだクラスの子の家を訪ねたとき、普通に呼んでも怖がって出てこないからこうするといいんだって言ってたよ」

「ガルシア殿オオオォォォォッ!!!!!」


 それは生徒の家族すらも騙す友人の残念なエピソードを聞かされたゆえか、それとも、そうしなければ出てきてもらえない哀れな友人を思うゆえか。

 オタク忍者の悲痛な叫びは、眼前に広がるオオマダラ大森林を構成する樹々にあたって反響し、ステラたちの下へと戻ってきた。

 と、その時。


 キイィッ。


 木がわずかに軋む音を立てて扉が開いた。

 そこにいたのは、オオカミのヒトガタ。

 頭にはテンガロンハット。黒いワイシャツの上からメキシカンポンチョを羽織っていて、その隙間からわずかに見える首元には赤いネクタイがビシッときまっている。

 その下半身には、なぜかパンツ一枚という妙ないでたちだった。


「…………」

「…………」


 何とも言えない沈黙が流れる。

 均衡をやぶったのは、とある男だった。


「ハ~ア、ヨイサッサ~のヨイサッサ~!あ、それそれ!」

「……郵便は?」


 沈黙に耐えられなくなった旨味之介の突然の発狂に動ずることもなく、さすらいのTAKAは聞いてくる。


「こちらから言っておいて何でござるが、拙者らが郵便屋に見えるでござるか?」

「まあ、端から見れば仮装パーティーに呼ばれて浮かれてる庶民たちよね」


 オタク忍者がツッコミを入れると、キャンディが自嘲気味にいった。


「……用件は?」

「これは失礼。私たちはソルティアからやってきた一団だ。この友人たちがオオマダラ大森林を一目見てみたいと言ってな。大森林に入る前にかの有名なさすらいのTAKA殿に一目ご挨拶をと」


 全てを正直に話す必要はないと判断したのか、アランが事実とは違う事情を説明した後、ステラたちは全員が軽く自己紹介をした。


「……ンなるほど、歓迎する。中までは護衛できないが」

「いや、挨拶できただけで充分だ。それよりも……」


 少し言いよどんだ後、意を決したようにアランは続けた。


「なぜ下がパンツ一枚なんだ?」


 そっぽを向いて空を見上げ、どこか遠くを見るような目になってさすらいのTAKAは言った。


「呼んでいるんだ……俺のジーンズが。赤く纏わりつくケチャップのシミを落とせと、そう俺に囁きかけてくるんだ……」

「洗濯中だったのか……突然訪ねてきてすまなかった」


 突然やや饒舌になったTAKAにツッコミを入れることもなく、アランは謝罪した。


「……構わない」


 再び、少しの沈黙。


「それでは、私たちはこれで失礼する」


 これ以上話題もないと思ったアランがそう言うと、ステラたちは大森林の入り口へ向かおうとした。


「……待て」


 さすらいのTAKAの意外な制止の声に、全員が振り返った。


「……最近、この辺りの盗賊共の活動が活発になっている。その影響かどうかはわからないが、オオマダラドラゴンも以前に比べれば大森林の中をしきりにウロウロしているようだ。今中に入ると遭遇する確率はかなり高い。気をつけろ」


 一行の後ろにいたアランとオタク忍者が顔を見合わせる。

 まさかオオマダラドラゴンに襲われない魔道具なんて代物があることを喋るわけにはいかないが、TAKAの心遣いは嬉しかった。


「とても重要な情報と助言、感謝するでござる。ここに戻ってきた際はまた挨拶に伺うゆえ、一緒に食事でもお願いするでござるよ」


 オタク忍者のその言葉を最後に、ステラたちは大森林の中へと入っていった。


(……ござる、か)


 その後ろ姿を見送った後、扉を閉めて中に入る。

 たらいの前にかがみ込み、中断していた洗濯を再開。

 ジーンズをもみ洗いしながら、さすらいのTAKAは物思いにふけっていた。


(観光というのは多少不自然だが、悪いやつらではなさそうだったな。そこまで警戒する必要もないか……)


 彼はこの街、というより宿屋の護衛として、ステラたちに対してそう結論づけたようだ。


(それよりも……)


 宿屋がある方角に顔を向けると、目を細めた。

 それから気を取り直したように洗濯物を見て、たらいの中から持ち上げる。

 そしてTAKAは、ジーンズを干す場所を求めて歩き出すのであった。

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