宿屋にて
ソルティアを出発してから三日目の夕暮れどき、ステラたちはオオマダラ大森林前の宿屋街に到着した。
宿屋街、といっても街というほどの規模ではない。
まず目立つのは宿屋らしき建物で、その他には流れの商人の露店や民家には見えない建物がまばらに立つばかりで、活気は感じられなかった。
広さもそんなにあるわけではなく、入口からでも大森林へと続く道が見える。
その内側まで陽光が届かないほどに鬱蒼と生い茂った樹々が、近くまできたものをその中に呼び寄せるかのように隙間を空けている。そこからはどこへ続くとも知れぬ頼りない歩道が、夜闇を彷徨う亡霊の足跡のように伸びていた。
「ようやく着いたな。向こうに見えるあれが大森林への入り口だ。色々森林について話さなければならないこともあるが、ひとまず今日は宿をとって休もう」
「何だか廃墟みたいなとこね。あっちの建物なんて使われてなさそう」
「古代遺産がまだたくさん森の中に残っていた頃は人の出入りが今よりも多かったからな。その頃の名残というわけだ」
「ふうん。何か寂しいわね」
ぽつりと感想をつぶやくキャンディ。それにアランが説明を入れながら歩いていると、もう宿は目の前にあった。
するりと旨味之介が一行の中から前に抜け出て扉の前に立ち、深く息を吸う。
「たのもっ……!!!」
『サムライ』の挨拶とやらは最後まで発せられることはなかった。オタク忍者の右膝蹴りがみぞおちに決まり、サムライは膝から崩れ落ちる。
「忍法『右膝蹴り』。それはやめろと言ったでござろう」
「忍法関係ねえだろそれ……」
ツッコんだのはリッキー。
以前ソルティア図書館前にて旨味之介があげた咆哮で学習したオタク忍者は、気配で「たのもう」を察知し、あらかじめ膝蹴りの構えをとっていたのだった。
「バカなことやってないで早く入りましょ」
そう言って先陣を切ったキャンディが扉を押し開けて中に入ると、まずはじめに香草や胡椒をはじめとした調味料、そして肉の焼ける匂いが鼻をつく。
バーカウンターの奥にある調理場から立ち込めてくる煙で、空気に薄く白のフィルターがかかっている。その向こう側では様々なヒトガタたちが、酒や食事を楽しんでにぎやかな空間を作っていた。
どこの街にあるものでも宿屋は基本一階が酒場になっている。人の出入りがほとんどないと言われていたのとは裏腹に、そこはやけに盛況だった。
周囲の客の注目を集めながら、ステラたちは入口に近い、一つのテーブルを囲んで座った。
「話に聞いてたよりは人がいるみたいだな」
「まあ、全くいないわけではない。研究者の中でもたまに調査に来るもの好きはいるし、そうでなくても強い危険動物が出るから、逆にそれを利用して修行に来る者もいる。今日は偶然にもそういった類の人が多く訪れているのだろう」
注文をしにカウンターへ向かったオタク忍者の背中を見ながらアランが言う。
「おいしそうな匂いだね、ペロ」
「明日からは森の中だからな。お前らも今のうちにたくさん食べておけよ」
素朴な感想をペロに漏らすステラが、リッキーの助言に「うん!」と元気よく頷き返してみせた。
オタク忍者が戻ってくると、アランが口を開く。
「さて、森に入る前に一つ言っておかなければならんことがある」
そう言ってポケットから二つのペンダントを取り出した。
片方のペンダントの先には赤い宝石がはめ込まれていて、もう片方には青い宝石がはめ込まれている。
「森の中に入ったら、このペンダントを肌身離さずつけておいて欲しい。これは『言い伝え』と共にエリFUNKYトカゲ一族の間で受け継がれてきたもので、この二つのペンダントを身に付けていれば、オオマダラドラゴンに襲われなくなるそうだ」
その言葉を聞いてオタク忍者が眉をひそめる。
「えっ……それってこのペンダントが魔力の込められた道具……魔道具ということでござるか?アラン殿とこの前そういったものは存在しないという話をしたばかりでござるが」
「ああ。そう言いたくなるのはわかるが、私も嘘をついたわけではない。『言い伝え』と共に受け継がれてきたんだから、これは神が作ったものかもしれない。とにかく私もこのペンダントが何なのか詳しくは知らない」
そこで肉の香草焼きにかぶりついていたリッキーが疑問を口にした。
「神様がそんなものを作ったんだとしたら一体何がしたいんだろうな。だってさ、ドラゴンに襲われなくなる魔道具を作るなんて、まるで森に来てくださいって言ってるみたいじゃねえか。でも実際にはヒトガタに『我々には近づくな』なんて伝言を残したんだろ?」
「めんどくさい彼女みたいでござるな」
ぽつりとつぶやくように旨味之介が言った。
「彼女がいたことがあったのでござるか?」
「ほう、どうやらそのメガネも一緒にチョンマゲにして欲しいようでござるな?」
「意味は全くわからないでござるが喧嘩なら買うでござるよ?」
音を立てて椅子から立ち上がり、二人が向かい合う。
「とにかく赤のペンダントは私がもつ。誰か青の方を持っていてくれ。これは一人が二つとも持っていても意味がないらしいからな」
旨味之介とリッケンベルクシュタインのやり取りにも慣れたもので、アランは完全に無視している。
そこに、近くのテーブルから一人が立ち上がって話しかけてきた。
「よう。あんたらこの辺じゃ見ねえ顔だな、どこから来たんだい?」
大柄な体躯に、頬の下辺りの切り傷。
いかにも流れ者といった雰囲気を漂わせている男だ。
そんな人物からの問いかけに応えたのは、オタク忍者とずっと額を突き合わせてにらめっこをしていた旨味之介だった。
「おお、『この辺じゃみない顔』という言葉を初めて生で聞いたでござるよ。そちらこそそれがしが見たことのない顔でござるな」
「それがし?ござる?何だそりゃ」
「すまないが、話がややこしくなるから旨味之介殿は黙っていてもらえないか?」
すまないが、とまで断られて何も言えなくなってしまった。
椅子に座った後、旨味之介は迷子になった子犬のような表情でテーブルの上の料理を再び食べ始める。続いてオタク忍者も腰をおろす。
それを見ながらアランが話を戻した。
「ソルティアから来た。そちらはここには良く来るのか?」
「そんなしょっちゅうじゃないけどな。この宿や森林のことなら良く知ってる。わからないことがあったら遠慮なく聞いてくれ」
「ああ。そうさせてもらおう」
そうしてそのヒトガタは元いたテーブルに戻っていった。
「ちょっと怖い顔だけどいい人そうだったね」
「正直俺はちょっとびびったけどな」
食事に戻りながらステラとリッキーが感想を言い合っている。
ペロはその横で黙々と料理を食べていた。
ペロはこういった時、きちんと自分の椅子が割り当てられる。
そして自分がテーブルに身を乗り出して届く範囲のものは自分で食べて、届かないところにあるものはステラたちに取ってもらうのだった。
「いい人か。そうだといいんだがな……」
男が戻っていった方を見ながら、アランはそうつぶやいた。
「何か言ったでござるか?」
「いや、何でもない」
「絶対に何か言ったでござるよ」
「旨味之介殿……そこは『そうでござるか』とか『変なアラン殿でござるな』とか言いながら流しておくところだろう。そんなに食いつかれると私も対応に困るのだが」
「いい人か。そうだといいんだがな……」
「全部聞こえているではないか!」
遂にアランまでもが旨味之介のペースに巻き込まれてしまう。
そんな様子を眺めながら食事をしていたキャンディが口を開いた。
「それで、今晩の部屋割りってどうすんの?また大部屋一つとって適当に寝るのでもいいけどぉ~」
「ああ、それなら俺が考えといた。二人用を三部屋、一人用を一部屋とろうと思ってる。空いてればな。それならペロもベッドを使ってゆっくり休めるだろ」
そんな粋な配慮に気づいたのか、ペロはリッキーに対して尻尾をふっていた。
キャンディは少しにやけながら言った。
「え~なになに?ようやくあたしをレディとして扱ってくれるわけ?わざわざ個別の部屋を取ってくれるなんて嬉しいわ」
「え?いや一人用の部屋に寝るのは旨味之介のオッサンだけど?」
「何でよ!」「なにゆえでござるか!」
旨味之介とキャンディの声がかぶった。
「いや、ほら加齢臭とか気になるじゃん?」
「最近の若者はオブラートに包むという言葉を知らぬのでござるか?ていうか加齢臭がきついのはそこのメガネオタクの方でござろう」
「メガネオタクって根本的に職業が変わってるではござらぬか……。わかったでござる。そういうことなら、どちらの加齢臭の方がよりきついか白黒つけるでござるよ」
「そんな想像するだけで寒気がするような勝負をするのやめてよね……」
キャンディが額に手をつけながら嘆いた。
そこでペロに料理を取り分けてあげながらステラが思い出したように言う。
「そういえば、さすらいのTAKAさん?って今はいないの?」
それに既に料理を食べ終えているアランが応えた。
「彼ならいつもは詰め所にいるぞ。明日森に入る前に挨拶でもしていこうか」
「うん!会ってみたい。どんな人なのかなあ」
「寡黙……口数の少ない人物だと聞いている。あと正義感が強いとも。用心棒というのは一族の伝統というか方針みたいなものだからやっているだけであって、本当はもっと困っている人を助けたり、悪いヒトガタを成敗したりといった活動をしたいらしい。まあ、それじゃ生活はできんから、仕方のないことではあるな」
「へえ、かっこいいね」
「うむ。さて、今日はそろそろ寝て明日に備えよう」
そう言ってアランが立ち上がって部屋に向かうと、全員が後に続いた。
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