神々の丘のドラゴン
とある日のグランツォーレ川崎
コウモリの甲高い鳴き声に、鳥や虫が飛び立つ梢のざわめき。
耳を澄ませると、どこか未知の世界に吸い込まれてしまいそうな風情がある。
満面に敷き詰められた枯れ葉に彩られた足元は、生命の残滓すらも感じさせない色合いをしていた。
とある深い森の中にある『闇の民』の拠点、『グランツォーレ川崎』。
その中の一室では今日も会議が行われて――
「おい、お前以外の幹部はどうした」
――いなかった。
「みんな死にました」
「お前ってそういうボケをかますタイプだったっけ?」
「閣下ほどではないかと……クックック……」
「お前がそれやるとムカつくな……」
いつもの会議室は昼下がりの陽光に照らされて、少し明るい雰囲気を醸し出してはいるが、閑散としているせいで不思議と哀愁も漂わせている。
そんな中でグレート村田とねずみのチュー太が雑談を繰り広げていた。
「まあ、実際しょうがないですね。今日はタイミングが悪いです。ヒョードル坂口閣下は一時帰省、ムーンライト池谷閣下は病院で療養中。他にもジム通いに料理教室、ポエムを綴るなど予定が重なりました」
「どいつもこいつも私用ばかりではないか……」
少しがっかりした表情を見せて、村田は続けた。
「やつらの動向は把握できているのか?」
「はい。現在は何もない森の中を移動しているようです。どの街を目指すにしてもそこそこの距離がありますから、再び妨害をするにしても少し様子を見た方がよろしいかと」
「そうだな。まあいいだろう、このところ働きづめだったしな。我は悪魔皇帝様の護衛ゆえにここを離れられぬが、お前もこの際帰省でもしてくればよかろう」
「帰省でも何でもいいのですが、ここを離れる前に尊敬するグレート村田閣下から是非とも二つ名を賜りたいのです」
「お前、それにこだわるなあ……『トイレの汚水流し』では不満なのか?」
「逆になぜそれで私が満足すると思ったんですか?母に会ったところで俺、あのグレート村田閣下から『トイレの汚水流し』なんて二つ名を賜ったんだぜ!って言えますか?」
「父親に言えばいいだろうが。お前の父親は寛大なやつだろう」
「子供みたいな屁理屈言うのやめてくださいよ。第一私の父と会ったことないでしょう」
グレート村田は両腕の肘をテーブルでついて指を組み、しばらく唸りながら考え事をして、数分後に口を開いた。
「『虹の向こう側へ……』とかどうだ?」
「また予想の斜め上をいくやつが来ましたね……虹の向こう側に何があるというのですか?」
「え……どうだろ、トンカツとか?」
「それは行ってみたいですね。わかりました、ではその二つ名をいただきます。グレート村田閣下、ありがとうございました。私は一時暇をいただき帰省してまいります」
「お、おう。数日後には『アレ』の準備に取り掛かるからな、それまでには戻るんだぞ」
「わかりました」
◇ ◇ ◇
一方その頃、王立チャロライリスルアチョピョルポ学院。
「それでは今日の授業はこれまでにします。レッツテイクオフ!」
担任教師である田中ガルシア伊藤の号令で本日の授業も全て終了し、生徒が思い思いに行動し始める。
そんな中、にわかに沸き立つ喧騒をくぐって、悪ガキでクラス男子の元締めたるモンドがガルシアに話しかけてきた。
「先生!何だよレッツテイクオフって。わけわかんねー」
「おや、君がそんなところに興味を持つなんて珍しいですね。『ニンゲン』の言葉の一種で、離陸する、とかそういう意味です。服を脱ぐといった意味でも使われますね」
「ちげーよ!変な言葉使うなって言ってんだよ先生のバーカ!」
そう言い捨てると悪ガキは走り去って行った。
「こらっ!正解!気を付けて帰ってくださいね!」
走り去る背中をじっと見つめたまま、ガルシアは数日前、ステラが旅立った日のことを思い出していた。
〇 〇 〇
「突然ですが、ステラ君はしばらく学校をお休みすることになりました」
朝のホームルームでそう告げるとクラスはざわめき、「何で?」「ステラだけずりーよ」「ズル休みだろ!」といった声が飛び交った。
意外なことにこのとき、いつもならこういった話題に真っ先に飛びついて騒ぎ立てるモンドが、珍しく唖然とした顔でガルシアの方を見ていたのである。
その日の授業が全て終わって放課後になると、モンドは自ら職員室まで足を運びガルシアの下を訪れた。
これにはさすがのガルシアも面食らった。悪ガキのモンドが呼び出しを受けたとき以外で職員室に来たのは、彼の知る限りではこれが初めてだったからである。
「これはモンド君。どうしたのですか?」
振り返って顔を見ると、悪ガキはいつもとは違う神妙な顔をしていた。
「……ステラ、何でしばらく休みなんだよ」
「それは、ステラ君の個人的な事情にも関わることですから、言えません」
「俺がちょっかいかけてたのが嫌になってこなくなったのか?」
ガルシアはここでようやく、朝からモンドの態度や反応がいつもと違う理由を全て理解した。
いわゆる『いじめっ子』にはかなりざっくり言えば、『本当はいいやつ』と『本当に悪いやつ』の二種類がいる。
もちろん、ガルシアはモンドが前者であることをわかっていた。
たしかにモンドはいつもステラにちょっかいを出して泣かせたり困らせたりしている。しかし本当は、それはステラと仲良くしたくてやった結果なのだ。
強気で目立ちたがり屋で、派手なことが好きで、何でも積極的に自分から行動を起こす。でも同じくらいに不器用で、素直で、照れ屋さんで。
まだ幼いモンドには、何だか見た目が弱っちくてかっこよくないステラと大っぴらに仲良くするのは、気が進まなかった。だからちょっとひねくれて、いじわるな態度を取ってしまう。
自分のそんな態度がステラを傷つけて、そして嫌われてしまったのではないかとモンドは心配しているのだった。
「そんなことはありませんよ。詳しく話すことはできませんが、ステラ君は元気です。用事が終われば、すぐにでも学校に戻ってくるでしょう」
「本当か?」
「本当ですよ。私がモンド君に嘘をついたことがありましたか?」
「うん」
「そうでしたか……」
ガルシアは、普段モンドと接するときとは違う真剣な、しかしどこか優しいような声音で続けた。
「モンド君、私はいつもあなたたちに世の中所詮『コレ』だと教えていますね?」
ガルシアは、人差し指と親指で円を作っている。
「うん。最低だよな」
「そうですね。でも実際に、世の中はお金があれば大抵のことは何とかなるようにできてしまっています。お金さえあればウハウハです。だから先生もお金が大好きなんです」
「ウハウハ……」
「でも、世の中にはお金では買えないものもあります。厄介なことに、そういったものの中にこそ自分にとって本当に大切なものがあったりするんですよ」
「本当に大切なもの……」
モンドは何かを考え始めた。ガルシアは何を考えているのか聞きもせず、黙ってそれを見守っている。
「この前買ってもらった本とか……でもあれはお金で買えるし、何か違う気がするんだよな」
「ふふ……そうですね。本当に大切なものは人によって違います。君にとってそれが何なのか……これからじっくりと考えていくといいでしょう。でもね」
ガルシアは椅子から立ち上がる。
「今日モンド君がここに来た理由はなんですか?」
「……!!」
「君はもう、自分にとって本当に大切なものが何なのか、それに気づき始めているのかもしれませんよ」
そして、モンドの頭の上にぽんと優しく手を置いた。
「ステラ君が無事に学校に戻ってきたら、その時は素直に接してみてあげてはどうですか?」
「せんせー……」
気づけばモンドの目からは、普段クラスメイトの前では絶対に見せられない気持ちの塊が溢れ出ていた。
〇 〇 〇
そうした出来事かあってから、モンドは先生に突っかかってくるようになった。寂しさを紛らわせるための標的に選ばれたのだ。
周りの手下にあまり突っかかると嫌われる心配をし始めたため、何をしても最後には許してくれるガルシアに甘えるようになったというところだろう。
(ステラ君、どうか無事に帰ってきてくださいね)
ステラの担任教師は今日もそんなことを考えながら、きっと彼が見ているものと同じはずの、どこまでも果てしなく続く大きな空を、窓から眺めた。
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