VS『黄土色の大根おろし』ムーンライト池谷

 キャンディを除く全員が宿屋に戻り、就寝した後。

 ステラは何だか眠れなくなってしまい、宿を抜け出して少しばかり散歩をしようと街をうろついていた。ペロもそんなステラに気づいてついてきている。


 ステラは王城での事件の日から今日までの出来事を思い返していた。

 日常の突然とも言える終焉。初めての戦闘。そして慣れ親しんだ故郷からの旅立ち。

 いかに生い立ちからして特殊なステラとペロでも、育ての親がいてくれて、住むところがあり、学校にも通って仕事をして……と、それなりに幸せだった日常から追い出されるようにして放り込まれた慣れない非日常の環境は、本人たちですらも気づかない内にその精神を疲弊させていた。

 そうして弱っているステラは、堂々巡りのように再び自分が戦闘であまり役に立てていないことを考えてしまっている。


「僕、何もできてない……」


 生まれて初めての戦闘では、間一髪でやられそうなところをリッキーに助けられて。

 ヒョードル坂口との戦闘では全く歯が立たず、友人のピンチを歯を食いしばって見ていることしかできなくて。

 チョリッスバッファローとの戦闘では、キャンディが魔法を放つまでの時間稼ぎの役割はリッキーがほとんど一人で果たしていて。

 今のところ、誰かに加えた有効な攻撃ですら、先ほどオタク忍者にかましたカンチョーだけという有様だった。とはいえあれはかなり効いていて、宿屋に戻る際にもオタク忍者の足取りはかなり怪しかったものである。

 ステラの思考は、もはやカンチョーに支配されてしまっていた。自分がもっとあのような必殺技を身に付けることができれば……。カンチョーカンチョー……。

 ふと自分を見つめる視線に気づいてステラは我に返った。足元をみると、ペロが心配そうな顔をしてこちらを見上げていた。


「ごめんね、何でもないから」


 気づけば宿屋からはかなり離れ、街の隅にあるちょっとした広場のようなところに来ていた。

 夜の遅い時間帯とはいえ春にしては少し冷え込んでおり、うっすらと肌に纏わりつく冷気が心の薄暗い部分に入ってくる。良く見ればぼんやりと、霧もかかっているようだ。

 そろそろ宿屋に戻ろうかと、少し先を行って広場を散策しているペロに声をかけることにした。先ほどより少し霧も濃くなっていて、ペロの姿も白みがかっているように見える。


「ペロ、そろそろ戻ろっか」


 ステラの呼びかけに応じて、ペロは尻尾を振りながらこちらに戻ってきた。

 しかし、ペロがたどり着く前に、ステラの視界は足元を残してその全てを霧に覆われてしまった。


「……あれ?ペロ?どこに行ったの!?ペロ!?」


 右に左に、たった一人の家族の姿を探せと見当たらず。

 頭の隅でかすかに聞こえていただけの警鐘が、盛大にその音量を上げ、急速に現実味を帯びて世界の中心でがんがんと鳴り響く。

 ペロも異常を察知してわんわんと叫び声をあげている。


『フフフ、かわいい坊やね。お名前は何て言うのかしら?』


 その声は、直接頭の中に響いてきた。


「この声は……さっきのお姉さん!?」


 ステラが戸惑いながらも鋭く声の主に当たりをつけると、相手はその艶やかな声の中に多分に焦りの色を含ませ始めた。


『はっ!?い、いえ?ちぎゃうわよ?……噛んじゃったじゃない。もう、こっちが先に聞いてるのにいけない子ね。でもいいわ。先に教えてあげる。お姉さんはね、『黄土色の大根おろし』ムーンライト池谷って言うのよ。ちゃんと覚えておいてね?』

「その大根おろし、ちゃんと洗った方がいいよ……」

『フフフ、ありがとう。初対面のお姉さんの心配をしてくれるような子に会えるなんて、ここで陽が落ちたころから待ち続けた甲斐があったわ……。お姉さんちょっと泣きそうになっちゃった……』

「お疲れ様です……」


 少しだけ鼻をすするような音が聞こえたが、それもすぐに止んで気を取り直したようにムーンライト池谷は喋りだした。


『でも残念ね……そんな素敵な坊やとここでお別れなんて』

「えっ?」

『『月明ムーンライトかりのダンスり』』


 次の瞬間、どこからか飛んできた何かにあちこちを殴られ、ステラは地面に倒れ込んでしまう。


「ううっ……」

『フフフ、どうだったかしら?私の踊りは』

「何も見えなかった……」

『そうでしょう?この霧はね、もちろんただの霧じゃないのよ。私のユニークスキル『ラビリンス迷宮オブミスト』っていうの。この霧の中にいる坊やたちの視覚と聴覚を奪い、頭の中に直接私の声を届けてくれるわ。そして私は坊やたちがどこにいるのかを把握できるし、声も聞こえているの。とっても素敵でしょう?』


 眼前の風景は足元を残して全てを白に切り取られ、いつしかペロの鳴き声も聞こえなくなっていた。言いようのない不安と恐怖がステラを襲う。

 霧から逃れようと駆け出すが、どこまで走っても晴れる気配はない。

 やがて何かが足元にひっかかって転んだ拍子に、ステラは闇魔法をかけられて動けなくなってしまった。


『坊や、大分弱ってるわね。闇魔法がかかりやすくなっているわ。霧を展開させたり移動させたりするのはすごく疲れるから、早めに終わらせてあげる。いい子にしててね』


 何もできない。このままギャス君のように消えてしまうのだろうか。


『『月明ムーンライトかりのダンスり』』


 ムーンライト池谷の二度目の攻撃で、もはや闇魔法がなくても動けなくなるほどにステラは弱ってしまっていた。


『フフ、さあこのまま『勇気』を奪ってあげる。大丈夫よ、痛くなんかない。そこのお友達のように、動物に還るだけだから……』


 全てを諦めて敵の手に自らの身を委ねようとしたその時。

 ステラの足元に何か暖かいものが触れた。


「ペロ……?ペロ!」


 そこには物心ついた時からずっと一緒にいる家族の姿があった。

 ステラはペロを抱きかかえると、大切そうに自分の腕の中にしまう。もうこれ以上離れ離れにならないように。

 ペロの体温は冷え切ったステラの心に染み渡り、戦う意思をわき起こした。自分のために、家族のために。ペロと一緒に生きて、大好きなギャス君との再会を果たすために。

少年は、自らの意志で立ち上がった。

 過酷な運命に追い立てられたわけでもなく。

 王様の勅命に従ったわけでもなく。

 生きて、望む明日をその手に掴みとる為に。


『フフフ……あなたの『勇気』、とってもいいわ。まるでバナナの黒くなった部分みたいよ。私、あれ好きなのよねぇ……』

「あれって食べても平気なの?」

『もちろん平気よ。むしろあの部分こそがバナナの真骨頂よ。あれを食べない人は人生を半分損していると言っても過言ではないわ』

「そ、そんなに……!僕も食べてみるね……!」


 バナナの身の黒い部分は、バナナの細胞がダメージを受けた際に、菌の繁殖を防ぐなどの目的でポリフェノールオキシダーゼという酵素がタンニンと呼ばれる成分を酸化することによって生まれている。食べても問題はない。しかし一応言っておくと、別にあの部分を食べないからといって人生の半分を損しているということはない。

 ちなみに皮の黒い部分に関しては、シュガースポット、あるいはスウィートスポットなどと呼ばれ、バナナが熟した証拠である。見かけたら早めに食べるといいだろう。閑話休題。


どうやら『勇気』を奪う速度はゆっくりのようで、身体にはまだ何も変化はない。戦う決意を固めると、目が覚めたように頭の冴えてきたステラは、こうして敵と会話をしているうちにあることに気が付いていた。


(ペロはどうして僕のところに来れたんだろう……?)


 ムーンライト池谷は自身のユニークスキル『霧の迷宮』について、「霧の中にいる者の視覚と聴覚を奪う」と聞いてもいないのに親切に教えてくれた。実際にステラは足元以外は真っ白で何も見えないし、自分を探して吠えていたペロの声も聞こえなくなっていた。

 そう考えて、ステラは一つの結論に達した。


(そうか、匂いだ……!)


 視覚と聴覚が封じられていても、五感には味覚、嗅覚、触覚が残されている。

 野生動物やヒトガタではない動物は、五感のうちいずれか、もしくは複数がヒトガタよりも優れており、ペロの場合は聴覚と嗅覚、場合によっては視覚も優れている。

 ペロは嗅ぎなれた匂いを辿ってステラを探し当てたのだ。

 ムーンライト池谷討伐作戦を完成させたが、こちらの声は相手に筒抜けであるため、ペロに直接話すことはせず、たった一言だけをステラは叫んだ。


「ペロ!チーズインハンバーグの匂いだよ!」


 その一言で意図を察したのか、ペロはステラの腕をするりと抜けると、どこかに走って消えていった。


『えっ、お姉さんそんなに匂うかしら?まったく、あいつらチーズインハンバーグ食べすぎなのよ……。たしかにおいしいけれど。坂口なんてチュー太の分まで取っちゃって、チュー太がかわいそうだったわ。……ってえっ?なに?どうしたの?ちょっと!』


 どうやら猛烈な勢いで自分に接近するペロに近づいたらしい池谷は、少しだけびびった。『勇気』を奪う魔法がとまる。


「よし!」


 魔法が中断されると、ステラは移動を開始した。

 時を同じくしてペロも池谷を探し当てることに成功した。最初に頭がコツンとあたり、視線を上にあげると動揺した敵の顔があった。するとペロは有無を言わさずに足に噛みついた。


 ぶわっ、という音を錯覚させるような勢いで、異常なまでに濃い霧が晴れる。

 魔法はイメージしたものをそれぞれの属性の神の力を借りてこの世に具現化するため、『霧の迷宮』のような常に発動し続けるタイプの魔法は、常にイメージを維持していなければならない。

 そのことを知ってか知らずか、ステラとペロは池谷の魔法への集中を阻害することで『霧の迷宮』の発動を解除したのである。

 霧の晴れた先には、少し前にも街中で会った、声に似つかわしくない姿をしたネコのヒトガタがいた。


「ちょっと!やめなさい!お姉さん怒るわよ!」


 一旦足からは振りほどいたものの、すばしっこいペロは肉弾戦を繰り広げる相手としては中々に厄介で、ムーンライト池谷は苦戦を強いられた。


「『月明ムーンライトかりのダンスり』!!」


 先ほどからステラを苦しめていたその必殺技は、驚くべきことに、素人がガムシャラに手足をぶんぶんと振り回すだけのものであった。格闘アクションゲームにおいてプレイヤーがいわゆるガチャプレイをしているときの、ゲーム内のキャラクターのような動きをしている。

 ペロは後ろに下がったり左右に動くことで、攻撃を避けながらも相手の視点を一ヶ所にとどまらせない。

 焦った池谷は、体力の温存と、何より殺さずにステラから『勇気』を奪い取るために使っていなかった魔法をなりふり構わずに使い始めた。


「『土拳アースナックル』!」


 拳を握った腕の形をした土が突如地面からせりあがり、ペロの身体を後ろに吹き飛ばした。


「フフフ、ようやく捕まえたわよ。悪く思わないでね?」


 そして地面に横たわったペロに向かって池谷が魔法を繰り出そうとしたその瞬間だった。


 ズンッ!


 ムーンライト池谷の視界が、凄まじい衝撃と共に揺れる。

 震源は彼女のお尻だった。

 激痛にその愛らしい顔を歪めながら後ろを振り向くと、そこには真剣な眼差しで必殺のカンチョーをかましたステラの勇姿があった。

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