夕暮れ時のソルティア

 パイ生地とりんごを焼いた香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。

 西へ沈みゆく太陽が、最後の力を振り絞るように空を赤みがかった色に染め上げていた。

 夕暮れどきの空と似た色をしたりんごのタルトにかじりつきながら、バルドはステラたちに感想を求めた。


「どうだいこのりんごのタルト。美味いだろ?ここソルティアの名物でな、『ここで突然のタルト』って言うんだ」

「バルドさん、今帰りかい?いつもご苦労様だねえ」

「兄貴に頼まれてな。これからこのお客さん方をドトンじいさんの宿まで連れていくところさ。それでここの名物でも食ってもらおうと思ってな」

「おやおや、それはどうも。お口に合いますかい?お客さん方」


 バルドと話しているのは、食料品店『ここで突然のタルト』を経営している年配の女性だ。

 店の前は食後のデザートとしてタルトを買い求める主婦や子供で賑わっている。他にも様々な食糧を販売しているのだが、今の時間帯にこの店へやって来る客のターゲットはもっぱらタルトのようであった。


「大変美味にござるな。首都ではワッフルやスポンジケーキが流行でござるから、あまりこういった菓子は見かけぬのでござる」


 タルトを味わって飲み込んでからオタク忍者が答える。


「そう言われれば、最初はあまり気にしてなかったけど、りんごの木が街のあちこちに生えてるのね。あれはりんごのタルトを作るためなの?」


 キャンディの問いかけに店主が応じた。


「そうだよ。最初は近くの森でたくさんりんごが採れるっていうんで、余ってもったいないからりんごのタルトを作ってみた、ってのが始まりだったんだけどね。それで街の名物になってからは誰でも安心してりんごが採れるように街中に木を植えたのさ」


 ステラやリッキーがタルトを忙しく食べている傍らで、ペロが大人しく座っている。当然ペロの分もあるのだが、あまり気に入らないのか丸々残っていた。

 その様子に旨味之介が疑問を覚えたようだ。


「ペロ殿はりんごのタルトはあまり好きではないのでござるか?」

「タルトっていうより、甘いものには興味ないみたいだよ」


 ステラの返事を聞いてリッキーが後に続いた。


「ペロはフランスパンが好きなんだよな」

「フランスパン?それはなにゆえでござるか?」


  旨味之介の問いかけにステラがペロの方を見ると、尻尾を振りながら「何?フランスパンくれるの?」といった顔をしている。


「なにゆえって……理由はわからないけど、小さい頃からペロはずっとフランスパンが好きだよ」

「甘いものに興味がないのはともかく……フランスパンが好きというのは、なかなか変わった御仁にござるなあ」


 そんな会話をしていると、買い物に来ている客の中からイヌの親子がこちらに寄って来た。


「バルド先生ー!こんにちは!」

「バルド先生、いつも息子がお世話になってます」


 バルドもアランと同じく、図書館の仕事をする傍らで学校の教師をやっている。図書館の仕事はアランほど忙しくないので、学校に顔を出す機会もアランより多い。


「こんにちは。といってももうすぐこんばんは、になる時間かな」

「先生はアラン先生と違ってよく街で会うね!暇なの?」


 生徒のそんな生意気な一言にも、バルドは一本取られた、という感じで頭を掻きながら笑顔で応じた。母親も笑顔になっている。


「こらこら。バルド先生もお忙しいのよ」

「全くだ。今だってりんごのタルトを食べるのに忙しいんだぞ」

「暇なんじゃん!」


 そんな微笑ましい会話を交わす三人のところに、次々に住民が寄ってくる。みなそれぞれにアランへの挨拶を口にし、少しばかり他愛のない話をしてから去っていく。その様子を見たリッケンベルクシュタインがつぶやく。


「人気者なのでござるな」

「まあ、この街には首長ってのがいないからな。実質的に俺と兄貴が仕切ってるような感じになっていて、それだけ住民と触れ合う機会も多いのさ。さて、それじゃぼちぼち宿屋に移動するか」


 街の入り口から図書館まで真っすぐ続く大通りを入り口方面に向かう。

 いつしか太陽に代わって月が浮かび、夜の帳が下りた空には無数の星が浮かんでいた。そんな空を見上げながら、ステラが感慨の声を上げた。


「うわあ、空がすごくきれいだね」

「ほう、これはこれは。宝石を散りばめたような星空のアンサンブルがオーケストラを奏でて、それがしらを歓迎するかのように終焉という名の狂乱の宴を催しているでござるな」

「突然どうしたんだよ……最後の辺りは何でそんなに物騒なんだ?」


 突然口頭で謎の情景描写を始めた旨味之介に対してリッキーがツッコんだ。

 それを聞いていたバルドが笑い声をあげる。


「本当に面白いなあんたら。全然王様に任命された捜索隊には見えねえよ。いい意味でな」

「面白いのはこのチョンマゲザムライだけでござるよ。拙者らまで一緒にされてはたまらんでござる」

「『ニンジャ』に言われたくないでござるよ。お主の全身黒ずくめと便底眼鏡の恰好も端から見れば十二分に変態でござるからな?」

「まーた始まった。本当に仲いいわねえ、あんたたち」


 いつも通りのやり取りを聞きながらキャンディが呆れた顔をしていた。すると正面から、黒い外套を身に纏ってとんがり帽子を被った、キャンディと似たような服装のやや小柄なヒトガタが歩いてくる。

 外套の襟で隠されたその口元から、色香の漂う声が発せられた。


「そこの坊やたち。ちょっといいかしら」


 坊や、という言葉に反応したのか、ステラが前に出た。


「何ですか?」

「この街に初めて来たのだけれど、宿屋はどっちの方に行けばあるのかしら?」


 黒いローブのヒトガタは、声こそ大人びた雰囲気を漂わせているものの、実際にはその全身は凄まじいチーズインハンバーグの匂いに包まれていた。その怪しげな服装はペロの警戒心を引き起こし、唸り声をあげさせた。

 何か妙なものを感じたバルドがステラたちを制して問いに答えた。


「今日はお客さんのたくさん来る日だな。ちょうどこの人たちもお客さんで、正に今宿屋に案内してるところなんだ。良かったらあんたも一緒に来るか?」

「フフ、そうだったのね。この近くに宿があるとわかっただけでも充分よ、ありがとう。私は寝る前に少し散歩をするから。また会いましょう」 


 そういってそのヒトガタは去っていった。


「すごいチーズインハンバーグの匂いだったね……」

「うむ。チーズと、そしてあのジューシーなひき肉が奏でる奇跡のアンサンブル……。あれはまさしくチーズインハンバーグにござる」

「もうあの人がチーズインハンバーグにしか見えなかったわ」

「お前らそんなにチーズインハンバーグ好きだったっけ?」


 あまりのチーズインハンバーグっぷりに耐え切れず感想を漏らしたステラ、オタク忍者、キャンディの三人にリッキーが尋ねる。


「さっ、もう宿屋に到着だ。すっかり遅くなっちまって悪かったな」


 気を取り直してバルドが歩き出す。しかし、そう言いながらも彼の目線は歩き去っていく黒いローブのヒトガタの背中を追っていた。


 ◇ ◇ ◇


 一方その頃、『闇の民』の本拠地「グランツォーレ川崎」。

 ヒョードル坂口を城に居させ続けるために、本日は晩餐にチーズインハンバーグが大量に振舞われていた。城中を包むチーズとひき肉の匂い。当初予定されていた二つという数を遥かに上回る二十を平らげてなお、大食いパンダの食事は続いていた。


「一体どれだけ食べる気だ!あいつは!」


 私室に戻ってきたグレート村田は、ヒョードル坂口の顔を思い浮かべて憤っていた。

 そこに、扉をノックする音が鳴り響く。


「入れ」

「チュー。坂口閣下の食べすぎにより食材が底を尽き、遂には私のチーズインハンバーグまで食べられてしまったでチュー」

「お前の都合など知るか!あとその語尾をやめろ!」

「そんな……ひどいでチュー」


 ねずみのチュー太は、自分に『トイレの汚水流し』というひどい二つ名が付けられてしまったのを見て、かわいいキャラ作りをすればせめて『トイレの妖精』くらいの二つ名に変えてもらえるのではないかと、奮闘しているのであった。


「そんなに『トイレの汚水流し』が嫌なら自分で考えればいいだけであろう」


 実はなんだかんだで「いい上司」であるグレート村田は、幹部であれど自分の部下にもあたるねずみのチュー太の意向を汲み取ってみせた。


「私は二つ名を、尊敬するグレート村田閣下に考えていただきたいのです」

「な、何だと?ふん、あんたなんかにそんなことを言われても全然嬉しくなんてないんだからねっ。その内考えてあげるから、待ってなさい!べ、別にあんたの為じゃないんだから、勘違いしないでよねっ」

「ツンデレいただきやしたあざぁーーーーーーーーーーーーーーーっす!!!」


 寿司屋のようなチュー太の絶叫が深い森の中までこだまするのであった。

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