『闇の民』襲来

 珍しくペロの鳴き声でステラが目を覚ましたのは、その日の夜のことだった。


「ん……」

 

 ステラがベッドから身を起こすと、ペロが家の出入り口となっている扉の前にたち、外に向かってけたたましく吠えている。

 ペロがそんな様子を見せることは滅多にない。そもそもあまり吠えることがないからだ。

 それに扉の下の辺りにペロ専用の穴が空いているので、誰に頼らずとも家から出ることはできる。

 これはペロがステラに外の異変を気づかせるためにしていることだった。

 ステラもすぐにそれを察知し、ベッドから飛び起きて扉に向かう。

 

「ペロ、どうしたの?外に何かあるの?」


 まだ少しばかり重い瞼をこすりながら、ステラは扉を開けて外に出た。

 ぐるりと周りを見渡すと、どこまで続くともしれない夜の闇が、ずっしりと地上に重くのしかかっている。

 ぼんやりと頼りない月明かりに照らされた街並みが、その身を縮めていつ現れるとも知れない太陽を待っていた。

 しかし、それにしては街が明るい。よく見てみるともう一つ、その身を犠牲にして暗闇を追い払おうとしている一つの光源がある。

 

 王城から、火の手があがっていた。

 

「王城が……!」

 

 気づけばステラは、いつも使っている袋だけを持って王城に向かって走り出していた。ペロもそれに続く。

 

 どうして?

 

 ステラは走りながら、なぜ王城から火の手があがっているのか、その原因を考えていた。可能性として最も高いのは、城に住まう王族や貴族、または宿直の兵士などによる反乱だ。

 

 襲撃を受けた、というとすぐに思い浮かぶのは『闇の民』の存在だが、アルミナは複数の神官が一日中交代で張っている結界で覆われていて、『闇の民』ではそう簡単には侵入できない。

 そして夜間には街から王城へと渡るための跳ね橋は上げられているので、街の住民が侵入することもほぼあり得ないのである。

 他には何らかの事故による火災という場合もあるが、単にそれだけならば水属性の魔法などを使ってすぐに消化できるため、可能性としては低い。

 

 しかし、ステラには反乱の可能性は考えられなかった。いや、考えたくなかったと言った方が正しいだろう。

 城の内部の者がクーデターを起こすということ。

 それは、ステラの同僚となる兵士たちや官僚たち、大好きな王子様やコイちゃんのうち誰かが起こすということに他ならないからだ。

 

 あれこれと考えているうちに、ステラとペロは王城の前まで来ていた。

 何と跳ね橋が下がっていて、王城との行き来が可能となっている。

 不審に思いながらも二人がそれを渡って王城の敷地内に入ると、城門をくぐってすぐに見える跳ね橋の操作盤のところに兵士が倒れていた。


「どうしたの?何があったの!?」

 

 ステラは片膝を立てて座った姿勢で、兵士の顔を覗き込んで尋ねた。


「や、『闇の民』が……襲って……グフッ……」

「グフッ?」

 

 グフッ、とは何なのかステラは詳しく尋ねようとしたが、それだけ返事をすると兵士は意識を失ってしまった。どうやら操作盤を使って跳ね橋を下げたところで、ほとんど力を使い果たしていたようだ。

 兵士はボロボロで、身に着けた鎧のところどころが欠けたり汚れたりしている。怪我もしているようだ。

 どうやら王城内では戦闘が行われているらしい。


 ここまでボロボロになったヒトガタを、ステラは見たことがなかった。

 一瞬ショックで呆然としてしまっていたが、ペロが一緒であることと、正に今危険に晒されているであろう大切な人たちの顔を思い浮かべ、何とか気を取り直すことができた。

 

「誰かいませんか……!」

 

 光魔法もまだ満足に使えず、手当をする技術を持たないステラは助けを求めようとしたが、周囲には誰もいなかった。

 それに、先を急がねばならない、とも少年は考えている。

 さっきの言葉が本当なら、原因は不明だが結界が破られ、「闇の民」が城に侵入してきたということだ。

 こうしている間にも、大好きな人たちが危ない目にあっているかもしれない。

 

「ごめんなさい」

 

 無力な自分を恨み、聞いてもらえているかもわからない謝罪の言葉を残し、負傷した兵士を置いてステラとペロは玄関ホールに向かって駆け出した。

 ステラの手には、念のためにと常日頃から袋の中に入れていたにも関わらず、遂に護身用としてすら使われることのなかった、短剣が握られていた。

 一体その短剣で誰と、何と戦おうというのか。

 この時はまだ何も知らないステラに、赤々と燃える城がそう問いかけているかのように暗闇の中で佇んでいた。


◇ ◇ ◇


 玄関ホールに入ると、そこには凄惨な光景が広がっていた。

 飛び交う怒号。耳を切り裂く断末魔。

 その面影の薄れた、煌びやかな内装。地面に貼り付いた血に、あちこち崩れ落ちている柱や壁。

 しかし、ステラにとってはそれ以上に驚くべきものが視界に入っていた。

 

 仲間たちが戦っているのは……。

 

 こちらに気づいた「それ」の内の一つが、こちらに向かってきている。

 しかし、ステラは身動き一つできなかった。未だに用途のわからない短剣を持つ手が震える。

 本当に?本当に戦うの?戦わなければいけないの?

 自らの内から湧き出る自問自答に支配された少年の脳は、「それ」に対する敵意を捻出できない。

 身体は、凍りついたように動かなくなってしまっている。

 

 なぜなら、目の前にいる「それ」は。

 今まで闇の民として、自分たちの宿敵として、殺すべき敵として教えられてきた「それ」は。

 角や牙といった多少の外見の違いはあれど紛れもなく――――

 

 自分たちと同じ、ヒトガタだったのだから。

 

 敵意をむき出しにしたままこちらとの距離を縮めてくる「それ」は、こちらの様子など意に介すはずもない。

 どうすることもできずにステラが立ち尽くしていると、ペロがワンワンワン!と警告の鳴き声を発した。

 我に返ったステラの眼前には、剣で自分に切りかかろうとしている、ネコのヒトガタである「敵」の姿がある。

 ステラは慌てて右手に持っていた短剣を構える。

 何とか攻撃を受け止めるも、その衝撃でステラは短剣を弾き飛ばされ、自身も少し後ろに押されて尻もちをついてしまう。

 ペロが、ステラを庇うように前に躍り出た。


「ペロ!だめ!逃げて!」


 ステラの悲鳴。

 

「オオオッ!!!」


 雄叫びと共に、「敵」が剣を振り下ろそうとしたその瞬間。その左手側から体当たりでそれを吹き飛ばす影が現れる。


「ステラ!ペロ!大丈夫か!」


 そこには右手に片手剣、左手には木で作られた小ぶりの盾を持ったリッキーの姿があった。

 リッキーは、起き上がって体制を立て直す「敵」から視線を外さずに、床にへたり込んでいるステラに呼び掛けた。


「動けるか?こいつを倒したら急いで玉座の間に行くぞ!陛下と殿下が……」


 と言葉の途中で、遮るように「敵」が剣を振りかぶった。

 斜めに弧を描くようにして、リッキーの左手側から首筋を狙う軌道。

 リッキーは、それを左手に持つ盾で受け止めながら、素早く身を屈めて相手の懐に飛び込んだ。

 そして次の瞬間、相手の胴をめがけて、彼は武器を突き立てる。

 ステラの網膜に生々しく、憂いにも似た鋼色を帯びた剣が、「敵」の身体を真っすぐに貫く光景が焼き付いた。

 時間が止まり、視界から色彩が剥がれ落ちていく。

 しかしその中にあって唯一、「敵」の傷口から溢れ出る鮮血だけが、紅に染まっていた。

 頽れる、魂の抜け殻。

 戦闘を終えた親友の右手には、命を奪って鈍い光を放つ、量産型の凶器が握られている。

 

 初めて命のやり取りを、「死の瞬間」を目撃したステラは、呆然としている。

 先ほどの城門の兵士を見た時とは違う。彼の怪我もひどかったが、致命傷というほどではなく、「死」を感じなかったから。

 戦場に佇む戦士となったリッキーを見つめていると、複雑な気持ちになった。

「どうして殺してしまったの?」とは、聞けない。

 リッキーが戦って倒してくれなければ、今頃はステラもペロも殺されていたのだから。

 

「……テラ!ステラ!おい!大丈夫か!?しっかりしろ!」

 

 戦闘を終えてこちらの無事を確認しようとするリッキーの声で、ようやくステラの世界が動き出し、色を取り戻した。

 ペロも、クゥ~ンと鳴きながら不安そうにこちらを見ている。

 

「ごめん、大丈夫だよ。初めてのことばかりだからびっくりしちゃって……」

「そうか。無事ならいいんだけど、無理はするなよ」

 

 いつもと変わらぬ兄貴分の姿と声に、わずかばかりの安堵感を覚える。

 そこで、先ほど何やら言いかけていたのを思い出して尋ねた。


「ありがとう。それよりさっき王様と王子様がどうって……」

「ああ、陛下と殿下が見当たらないんだ。二人が中庭に出てきているのを見たやつがいないから、二人は玉座の間で敵と戦っていると思う」

 

 ステラの瞳の奥が不安に揺れた。


「そんな……誰も玉座の間には行ってないの?」

 

 リッキーは記憶を辿りながら答える。

 

「やつらはどうやったのか結界をやぶって空から中庭に侵入し、すぐにリーダー格っぽいやつを玉座の間へ入れると、扉の前を固めて封鎖しちまったんだ。そのまま玉座の間へ助けに入ろうとする味方と乱戦になって、この有様ってわけだな」

「そうだったんだ……」

 

 闇の民が城内に侵入しているのでわかりきったことではあったが、それでも結界が破られていたという衝撃に戸惑いを隠せないままステラは頷いた。


「俺みたいに玄関ホールで戦ってるのは、外へ救援を呼びに行こうとしたり、お前みたいに騒ぎを察知してここに来た連中と、それを邪魔しようとした『闇の民』のやつらだ」

「救援はもう呼ばなくていいの?」

「戦闘が始まって大分時間が経ってるし、お前が来る前に何人か外に送り出せたからな。増援がすぐに来てくれると思う」

「そっか。じゃあ行こう。僕じゃ何もできないかもしれないけど……」

「ああ」


 互いに意志を確認して頷きあうと、三人は未だ混沌としている玄関ホールを脇目もふらずに駆け抜け、中庭へと向かった。

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