宵闇からの侵入者

 松明の灯りのみに照らされた地下通路に、足音が響く。

 既に陽は沈み、月が空に浮かぶ時刻。

 その足音は特に急ぐわけでもなくゆっくりと、しかし確実に目的地へと近づいていく。

 知られざる通路の中で、男は薄いローブを外そうとはせず。

 慎重に自分の位置を確認しながら進み、周囲への警戒も怠らない。

 やがてある場所で足を止めると、男は左手を使って懐から仮面を取り出した。

 かなり長さの余った右の袖からは、杖のような、棒状の何かの先がわずかに覗いている。

 そして何かを思案するように少しの間俯くが、余ったローブのフードが生み出す影で、その顔も、表情も窺い知ることはできない。

 やがて意を決したように顔を上げると、男は再び歩き出した。


 ◇ ◇ ◇


「しかしこの歳になると、慣れたはずの作業でも中々に辛いものですな」


 ヤギの顔をした中年の司教が愚痴をこぼすと、向かいあっている二人の神官が苦笑を返す。

 夜になり、それまで結界を張っていた神官たちと交代し、一仕事を終えた同僚たちが休んで体力を回復させ、自宅へと帰ってから少し後のことだった。

 ここは、王都アルミナの行政区にある聖ウホホ教会。

 神に祈りを捧げる際に、ウホホッウホホッという言葉を呪文のように唱えることで有名なこの教会の結界専用部屋では、今日も『闇の民』の侵入を防ぐための結界が、二十四時間交代で張られている。


「つまらないことを言いました。さて、集中しましょうか」


 自らの発言を戒めると、司教デュフフは一人だけ結界を解き、再び集中するためのお祈りを始めた。


「ウホホッウホホッ。ウホホッウホホッ」


 手に持っている杖を両手で持ち、ウホホッに合わせてU字型に弧を描くように、右から左、左から右へと振っている。

 自分たちも何度かやっているし、既に見慣れた光景だが、それと笑いを堪えることができるかどうかは別問題だ。しかも、目の前でお祈りをしているのが真面目な性格で知られる自分たちの上司となればなおのことだろう。

 三人は、三角形を描いたときに、ちょうど頂点に位置するように顔を向い合わせて立っており、目を開けていればどうしても視界に入ってしまう。

 神官たちは結界を張りながら、俯いてプルプルと震えている。

 しかし、幸いにもお祈りは軽いものだったので数分で済んだ。

 お祈りを終えると、改めてデュフフは結界を張る作業に参加する。


 聖職者は、光魔法のエキスパートだ。特に防御魔法や回復魔法については日頃から修練を積んでいるので、教会での仕事以外にも学校の臨時講師や、教会のすぐ側に建っている病院の手伝いなどもしていたりする。

 そういった事情と、そもそも数が少ないということもあり、各聖職者たちは多忙を極めた。聖職者の数が少ない理由としては、まず『光の民』であれば誰もが使える光魔法の修練を積む者が少ないということ。

 普段の暮らしの中で戦闘をすることのない一般市民にとって、回復魔法とはせいぜい軽いかすり傷や切り傷を治す程度のことができれば十分であるし、病気にはそもそも回復魔法は効き目がない。だから回復魔法の修練を積む必要も、その機会もないのだった。

 もう一つの理由は、これは身も蓋もない話だが、聖書者という職業に興味を持つ者が少ないから。

 基本的に何もかもが自由で、それに加えて魔法というシステムによって神を身近に感じるヒトガタにとって、神は大切な存在ではあっても、敬うべき存在ではなかった。「崇めたい人はどうぞ」というスタンスである。


 そういった事情により人材の足りない状況で、何とかやりくりをして結界を張るシフトに参加している者たちは、今日も市民のために頑張っていた。

 結界専用部屋は、魔法の行使音が鳴る以外は静寂に包まれている。何か大きな音がすればすぐに気づく状況だ。加えて、夜になってただでさえ少ない参拝者もいない今となっては、結界専用部屋と直接繋がっている教会の礼拝堂も、物音一つするはずもない。


 しかし、いや、だからこそと言うべきか。


「こんばんは」


 誰も、侵入者の存在に気づくことができなかった。


「『雷撃サンダーボルト』」


 侵入者が右の袖を神官たちに向けてスキル名を宣言すると、三本の稲妻が走り、神官たちの身体が後ろに吹き飛ぶ。

 反応できていたのは、司教デュフフだけだった。

 デュフフは、侵入者の姿を認めた瞬間に光の防御魔法を展開。

 防御力をあげることで、ダメージを受け、身体が後ずさりはしたものの、意識を保ったまま耐えることができている。


「今の攻撃に反応するとは、さすがは司教様といったところですか」


 灰色のローブを纏い、顔には仮面をつけた男だ。

 男の言葉からにじみ出る余裕と、今の魔法の威力から、デュフフは今直面しているのが最悪の状況であると推測する。


「大司教様がいないときを狙ったのか……。お前は一体誰だ!」


 そう言いながらデュフフは火の魔法を侵入者に向けて放った。

 魔法陣が発生し、そこから飛び出した大きな火の玉が、尾を引きながら男に向かって飛んでいく。


「『アースシールド』」


 男が左の袖を下から上へと振ると、土の壁が地面から飛び出した。

 火の玉は、土の壁にぶつかると霧散してしまう。

 デュフフは、頬に伝う汗を拭うこともせずにつぶやく。


「やはり……これはカレーを服にぶちまけてしまったときよりも悪い状況ですね」


 それを聞いた侵入者の声に喜びの色が混ざる。もし仮面がなければ、口の端が吊り上がっている様子が見て取れたことだろう。


「フフフ……ケチャップをぶちまけてしまったときと、どちらの方が悪い状況なのでしょうかねえ!」


 一本になった分、先ほどよりも太くなった稲妻がデュフフに襲い掛かる。

 デュフフは風魔法で移動速度を上げてそれを間一髪で避ける。

 戦闘に慣れていないのだろう、右に飛び込むような形になり、受け身を取ると身体を横転させて止まり、体勢を立て直す。

 その動きの最中、横転して止まると、身体を起こしながら再びデュフフは火の玉を放つ。


「『ウォーターボール』」


 侵入者がそう宣言して左手をかざすと、彼の前にデュフフの火の玉よりも一回り大きな水の玉が発生した。

 次の瞬間、火の玉は水の玉とぶつかると、爆発を起こした後に消えてしまう。

 デュフフはそれを見て、驚きのあまり言葉も出ないようだ。


(いくつもの属性の魔法をこの水準で、こんなにも使いこなせるなんて、まさか……)


 思索は、侵入者の言葉で遮られる。


「フフフ、同じ魔法で防いでばかりではつまらないですからね。さて、そろそろ遊んではいられなくなってきました。終わりにしましょう。次に会うときまでに、カレーとケチャップのシミ、どちらの方が落ちにくいのか、調べておきます」


 デュフフは、ひきつった笑みを浮かべながら、最後の抵抗を試みた。


「何をおっしゃいますか、そんなの、ケチャップに決まっているでしょう。カレー色素のターメリックに含まれる成分は紫外線に弱いため、洗濯した後に日光にあてれば、分解されて色が薄くなるのですよ。カレーの方が落とすのは簡単です」


 しかし、その言葉を発した瞬間に、デュフフは場に漂う空気が冷えたように錯覚した。


「どうして……!」


 司教が最後に記憶する光景は、怒りのあまり、全身をプルプルと震えさせる侵入者の姿となる。


「どうしてそれを早く教えてくれなかったんですかあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 誰もいない夜の教会に、絶叫が響き渡る。 

 知らんがな、という言葉を発することもできず、司教の意識は闇に葬られた。


 ◇ ◇ ◇


 地下通路を出て夜空を見上げると、翼を持った大きな白い生物たちが続々と王城へ向かう様子が見える。


「これで、任務完了ですかね……」


 少し油断したのか、男は街中にも関わらず声を発すると急ぎ足で駆けだした。

 落とそうと四苦八苦したのか、少しだけ薄くなったカレーのシミがある、ローブの裾をはためかせながら。

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