290話 浮浪の来客


 因果応報なので擁護するつもりはないが、女性をあのまま道端で放置するのはどうしても気が引ける。

 なので、翡翠から愚痴を聞かされながらも俺は自宅へ彼女を連れて行く事にした。


 身体強化術式があるとはいえ、中学生の翡翠に成人女性を背負わせるのは体裁が悪いので、俺がおんぶで背負って運んでいる。


 なお、背中の触角はシャットアウト中だ。

 嘘です、童貞を卒業したばかりのやつには無理に決まってます。


「つーにぃが優しいのは良いですけど、もうちょっと危機感を持ってほしいです」

「まぁ、ただの行き倒れみたいだし、居候させるつもりはないって」

「当たり前です! 貴道パパと薫ママがお仕事でいないからって、人を、それも大人の女性を連れて行くなんて非常識です!」

「ごめんって。もうこれっきりだから……」


 妹からの説教は大変耳が痛い。

 ただ、俺の性格や考えていることは把握していることもあって、お人好しを咎めるよりは警戒心を持てという意味だ。

 

 実際、全く持ってその通りだと自覚もあるので反論し辛い。


 そんな反省を感じつつ、俺達は家へと辿り着いた。

 未だに気絶している女性をリビングのソファへ寝ころばせる。


 その際、薄汚れたローブのフードを取ったのだが、彼女は一目で外国人だと分かる顔立ちだった。 

 先程告げていた、一週間も体を洗ってないということを信じられる程、櫛の通りが悪そうな赤髪は、無造作に伸ばされてボサボサだ。


 如何にも大人の女性なだけに、身なりを整えればかなりモテそうだと思えるが、気になるのは左目を覆う黒の眼帯だろう。


 ただの行き倒れだと思っていたが、我ながら明らかに厄介事の種を運んでしまったと分かる要素でしかない。


 なんにせよ、その辺を知る為にも翡翠に気付け薬代わりの治癒術式を掛けてもらって起きてもらう必要はあるな。


「翡翠、頼む」

「はいです──治癒術式発動」

「ん……」


 女性の頭に手を置き、そこを起点に淡い光が灯る。

 翡翠の手際が良いためかすぐに効果を発揮したようで、女性は時間を掛けることなくゆっくりと目を覚ました。

 

 右目だけではあるが綺麗な紫の瞳をしている。

 それだけにもう片方を覆っている眼帯の詳細が気になるが、まずは容態の確認をしないと。


「えっと、大丈夫ですか? 頭結構強く叩かれてましたけど、痛みとかないですかね?」

「……あぁ、キミ達か。どうやら世話になったようだね」

「そういう礼は、風呂と飯を済ませてからにしてください」


 俺がそう言うと、女性はキョトンとした表情を浮かべる。


「こう言うのはなんだが、自分のようなどこの誰とも知れない女を連れて来るなど、正気を疑ってしまうね?」

「その辺りのことはついさっき、妹にも存分に叱られた後なんですが。悪い人でもないのにでも困ってる人を助けるのは、当たり前じゃないですか?」

「──ハハハッ。こうも純粋に返されては、自分のいやらしさを見せつけられているようだ!」


 女性がそう言って一頻り笑った後、俺は改めて告げる。


「それで、食事か風呂のどっちが良いかって聞きたいところなんですけど、こっちの都合で先に風呂からお願いします」

「あぁ、流石に助けてもらった恩人を前にいつまでも腐った垢の匂いを晒すのは忍びないね。むしろ両方の施しを受けられることを思えば、こちらが頭を下げるべき懸念事項だ。済まなかった」

「いえ、もう湯は沸かしてあるんでどうぞ」


 そう話に区切りを着けて、女性を風呂へ案内する。

 着替えの用意等は彼女が持っていた手荷物にあるそうなので、こっちから貸し出すことはないようだ。

 その間、俺はレトルトではあるが女性へ食事を用意しておく。


 久しぶりの入浴に時間を掛けていたようで、彼女は一時間程してリビングへ戻って来た。

 赤色の髪を後頭部に束ねて、湯船で仄かに赤い顔から堪能としたのだと伝わる。

 入浴中は眼帯を外していたようで、隠されていたの左目が露わになっていた。


 まさかのオッドアイに中二病心がざわめき立ったが、女性はニコリと笑みを浮かべる。


「おや、この左目が気になるかい?」

「え、あぁ、まぁ……食事の後に聞いてもいいですか?」

「構わないよ。別段、隠すようなことでもないしね」

「それじゃ、レトルトですけどどうぞ召しあがって下さい」

「あぁ、ぜひ頂こう」


 三日ぶりの食事とあって、女性は美味しそうに食べて行った。

 三回のおかわり経て腹を満たした彼女は、自らの左目を指して口を開く。


「この左目はね、自分が過去に負った怪我で欠損したのだ」

「えっ……それは、すみません……」

「気にする事ではないさ。こうして義眼を嵌めているしもう割り切っている」


 片目を無くすなんて、どんな事故に遭ったんだろうか。

 流石にそれ以上はデリケートな話題だろうと思い、今度は別のことを尋ねることにした。


「あ、あなたは外国人みたいですけど、やけに日本語が上手ですね」

「こう見えてニホンにも何度か来ているんだ。旅先の言語をある程度記憶することくらいは造作もないさ」


 アリエルさんと同じように、日本の文化を好ましく思っているようだ。

 ならばと、俺は本題に踏み切ることにした。


「それで、あなたは一体どうしてあんなところで生き倒れていたんですか?」

「つーにぃ! その前にこの人のお名前を聞かないといけないです」

「あ、そういえば……」


 行き倒れの理由を聞く前に、これまで彼女を警戒していた翡翠からそう指摘された。

 うっかりにも程があるぞ俺……。


「あぁ、失敬。まだ名乗っていなかったね」

「あ、いや、俺の方もまだでしたし、お互い様かと……」

「キミはなんとも謙虚な性格だね。では、改めて名乗ろう」 


 女性はそう言って一度言葉を区切り、まっすぐに俺と目を合わせる。

 

 ──その瞬間、彼女の纏う雰囲気が変わったように感じた。


 飄々としてつかみどころのない様子から一変、厳かな瞬きすら許されないような緊張感を抱いてしまうくらいだ。


 俺も翡翠も、そんな変わり身を披露した彼女の佇まいに呑まれて無意識に身構える。

 そして女性は、ゆっくりと自らの名前を告げる。

 


「自分は──ファブレッタ・インクロッチ。イタリア出身のしがない旅人だよ。堅苦しいのは好まないから、ぜひ名前で呼んでくれたまえ」



 彼女──ファブレッタさんは、そう言って笑みを浮かべた。

 名前に続けて伝えられた身分に、俺はなるほどと内心納得する。


 今どき珍しいが、特定の住処に留まらずに世界中を渡り歩く生き様は、なんとも自由で楽しそうだと思えた。


 ……流石に、一週間近く風呂無しで三日も食事を摂らないのはどうかと思うが。


 俺のそんな呆れを含んだ視線に気付いたようだが、ファブレッタさんは特に後悔する素振りも見せずにケラケラと笑う。


「アッハハハ、いやぁ流石に今回ばかりは焦ったよ! ニホンに来たのは良いものの金銭が底をついてしまったのだからね。キミのおかげで自分の純潔は守られたよ!」

「そんな笑い話で済む問題じゃないでしょうに……」


 全く反省してないことがなんとなく伝わって、呆れるばかりだ。

 恥も外聞も捨てて縋ったのが俺じゃなかったら、見返りに何をされていたか分かったもんじゃない。

 

「なんのなんの。アフリカ大陸のある村に滞在していた際、原住民に寝込みを襲われて身包み剥されてよくわからない儀式の生贄にされかけた時に比べれば、ニホンは全然治安が良いさ」

「アンタホントよく無事だな!?」


 そんな経験しておいて、よく旅を続けようって思えるな。

 普通はトラウマになって最悪引き籠もりにならない?


「旅はいい。未知に溢れかえるこの世界を知るには最適な方法だ」

「わざわざ現地に行かなくても、本とかSNSで済むんじゃないんですか?」


 やけに感慨深いことを言うファブレッタさんにそうツッコむと、彼女は右目を瞑って笑みを浮かべる。


「ニホンには『百聞は一見に如かず』という言葉があるだろう? 他人が見聞きした知識を教わって世界を知った気になるのは傲慢というものだよ、少年」

「っ、それは、そうかもですけど……」


 やけに物事の核心を衝いた物言いに、何も言い返せない。

 それは今の言葉だけで、彼女が旅を通して蓄積した経験の一端に触れたからだろう。


 唖喰という得体の知れない怪物と、ゆず達魔導士・魔導少女の戦いも十分に濃密な経験だったが、ファブレッタさんのそれとは大いに差が開いていると実感せざるを得ない。


「何事も経験だ。旅を重ねれば重ねる程、自分はそれを痛く深く身に染み込むくらいに実感させられる。なに、悲観することはないさ。自分の言葉をしっかりと受け止めたということは、キミがそれだけの経験を積み重ねた証拠だ」


 本当にそうだろうか?

 疑問は感じるが、偽っている様には思えない。

 

 何せ、ファブレッタさんの表情が慈しみに満ちているからだ。


「誇ると良い」

 

 ポツリと、そう説くように語る。


「されど驕ることはないように」


 でも、釘を刺す。

 

「誇りと驕りを履き違えるな。己の経験を驕り、他者の経験を貶すようではせっかくの積み重ねが宝の持ち腐れだ。そうなれば待つのは自らの破滅のみ……キミはそれをよぉ~く『』した目をしている」

「……」


 アリエルさんとは違った意味で見透かすような発言を受けて、絶句するばかりで呼吸すら忘れそうになる。

 

 思い返すのはあの時。

 美沙の死を知ったことで自暴自棄になり、ゆず達の信頼を傷付けた。

 ゆずや菜々美、アリエルさんにルシェちゃんを助けて来たことで、自分でも気付かない内に募り募っていた驕りを問い質されたんだろう。


「──と、まぁ、我ながら知的好奇心の塊でね。実際にこの目で見ないことには悪霊やUMAの存在も信じ切れないのさ」


 噂の真相を暴いてがっかりしたこともあるけれどね、と茫然する俺にファブレッタさんは笑みを崩さないままそう結論付けた。


 話が終わったと認識した瞬間、ハッと思い出したように呼吸を繰り返す。

 

 なんなんだこの人……。

 人柄が全然掴めなくて混乱してしまうな。


 そんな感想を抱いたファブレッタさんを尻目に、俺は彼女の名乗りから黙ったままの翡翠に声を掛けた。


「大丈夫か、翡翠?」

「えっ!? あぁ、その、ごめんなさいです……」

「凄い話だったもんな。俺も息を呑んだよ」

「お、お話しもそうですけど、ひーちゃん的にはその前の方がビックリしたです」

「前?」


 俺の質問に、翡翠は可愛らしく頷いてから答える。


「はいです。だって……、














 ファブレッタ・インクロッチは、最高序列第三位〝占星せんせい魔女ストレーガ〟の本名だからです」


「────え?」


 ……どゆこと?


 翡翠が告げた内容に、俺は理解が追い付かずに呆ける。

 

「おやおや。てっきり一般人だと思っていたが、もしやキミ達は組織の関係者だったのか!」


 そんな俺に追い討ちを掛けるように、ファブレッタさんはおどけた様子で言外に肯定した。

 

 ──落ち着け、そう、深呼吸だ……。


 そう吸って吐いてを繰り返した後。


「えええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!!?」


 俺の絶叫がリビングに響いた。

 隣に座っていた翡翠が耳を塞いでいるのが申し訳ないが、こればかりは許して欲しい。

 

 だって最高序列だぞ!?

 世界中に現存する最も優れた魔導士の一人が、一文無しになって生き倒れてたとか誰が想像出来るか!!

 

 だがしかし、同時に納得も出来た。

 第三位〝占星の魔女〟はイタリア支部所属であるにも関わらず、世界中を気ままに放浪する自由人だと聞いた事があるからだ。


 ファブレッタさんの旅人という、今どき絶滅危惧種のような行動とものの見事に一致する。

 改めてそう認識すると、確かに魔女っぽい感じはするが……なんというか奇妙な巡り合わせだな、オイ!


「な、なぁ翡翠。これってゆず達に連絡した方がいいかな? 組織でもどこにいるのか把握し辛い人を発見、保護したとか絶対に無視出来ない情報だろ?」

「ゆっちゃん達からすれば、この人がひーちゃん達の家にいることの方が無視出来ないと思うです」


 いやさすがにそんなことは…………あれ、あり得るぞ?

 

 やけに現実味を帯びている想像をして何故か寒気を感じた。

 

「いやいや、それはよしてくれないかい? まだ自分はニホンに来た目的を果たせていないんだ」

「目的? それってなんですか?」


 世界中を渡り歩くファブレッタさんが、明確な目的を持ってニホンに来る程だ。

 当然気になる。


 俺の質問に、彼女は数瞬悩みだす。

 やがて目を合わせたことから、どうやら教えてくれるようだ。


「そうだねぇ……キミ達兄妹を組織の関係者と見込んで明かすが……、









 最高序列第一位〝天光の大魔導士〟の日常指導係とやらに就いた『リンドウ』という少年を探しているんだが、心当たりはないだろうか?」

「「…………」」


 明かされたファブレッタさんの来日目的に、俺達は揃って押し黙る。

 

 ──心当たりも何も、今アンタの目の前にいる男がそうなんだが。


 そういえば、まだ俺達名乗ってなかったよ……。

 遅れに遅れてその事実に気付くが、この億分の一あるかどうかの偶然に言葉が出ない今では、とても名乗り出る気力が湧かなかった。

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