289話 今より先の話


 十一月中旬。

 文化祭がいよいよ三日後に迫った頃に、準備に勤しむ学生達に教師から空気の読まない進路希望調査が行われた。


 高校二年生とはいえ、大学受験又は就職活動を計画しておかないといけない時期なので、仕方ないといえば仕方ないが、クラスの様子を見る限りどうにも乗り気でない人が多いようだ。


 一方で俺は大体の進路は決めていたこともあって、特に悩むことなく進路希望調査のプリントに記入していった。


 そんなことがあった放課後。

 今日の文化祭準備を終えた俺は校門前で待ち合わせていたゆず達と共に、翡翠が通う中学まで迎えに行ってオリアム・マギ日本支部へ向かう。


 翡翠が妹になってからというものの、ゆず、鈴花、ルシェちゃんを含めた五人とこうして一緒に登下校するようになっている。

 

 周囲からの羨望の眼差しにも慣れたものだ。

 というか一々気にしてたら疲れる。

 

 我ながら随分と図太くなって来たなと、なんだか他人事のように感じながらも彼女達と共に歩みを進めていく。


 そうした中、鈴花がある話を切り出して来た。


「ねえ、ゆず達は進路ってどうするか決めてるの?」

「進路……将来のことですか……」

「人の進路を聞いてどうするんだよ……」

「どうにもしないっての。ただ単に気になっただけじゃん」


 俺の苦言に対し、鈴花は悪びれなく返す。

 コイツ、匿名のアンケート調査とかで連れがなんて答えたのか気にするタイプだし今更だが。


 ともかく、鈴花から尋ねられた質問にゆずは黄色の髪を指先で弄りながら、少々悩まし気に応える。


「私は……今まで魔導士以外の道を見ていなかったので、急激に広がった選択肢からどうにも自分に合った将来を選べる気がしないんです。……一応、第一志望は決まっているのですが」


 おい最後。

 なんで第一志望って言いながら俺を見るんだゆずさん?

 専業主婦って言いたいんですか?


 まぁ、それよりもだ。

 ゆずの選択肢が広がったことは素直に称賛するべきだろう。


「何も高校で自分の将来を決めなきゃいけないわけじゃないし、そのために大学に進学するのも普通のことだよ」

「……そうですね」

「なるほど~。で、ルシェアはどうなの?」

「ボクですか?」


 ゆずの意見を一通り聞いた鈴花は、今度はルシェちゃんに同様の質問をした。

 話題を振られた彼女は最初こそ少し目をパチクリとさせた後、顎に手を当てて逡巡し始める。


 やがて答えが決まったのか顔を上げ……。


「今はこうして皆さんとニホンで過ごしていますけれど、フランスに戻るかこのままこちらで暮らすかはまだ朧気ですね」

「ありゃ、ルシェアのことだからもっとハッキリ将来を見据えてるって思ってた」

「皆さんのおかげでアリエル様のお力になるという夢は叶いましたから、新しい目標探しというのが現状です! ……もしかすれば、ニホンに国籍を移すことになるかもしれませんけど」


 そう頬を赤らめて少しだけ……というか思い切り期待の眼差しを俺に向けて、ルシェちゃんは答えた。

 色々あって彼女に独占欲を抱いている身としては、否応無しに『そうあってほしい』と願ってしまうくらい胸が弾む。


「へぇ……そうですか……」


 抑揚の無い冷たい声音とハイライトの無い目をしたゆずが、そう小さな声で呟いた。


 うわぁっ、出てる出てる!

 ゆずさんからここ最近頻回に目撃する〝私、不機嫌です〟オーラが、真っ黒な輝きで以って出て来てるよ!?


「ルシェアが日本に居てくれるままなら、退屈しなさそうだよね~。翡翠は?」


 待って鈴花!

 この流れで翡翠に将来のことなんて尋ねたら……!?


 だがしかし、俺が目で訴えたことも空しく、質問を投げ掛けられた翡翠は可愛らしい笑みを浮かべて……。


「ひーちゃんはつーにぃのお嫁さんになるです!」


 さも当然のように爆弾を放り投げて来た。


「「へぇ……」」


 ほらみろ増えた……。  

 ただでさえ翡翠が俺の義妹となって一緒に住んでいるという、他の四人からすれば羨ましい限りであろう状態なのに、その妹も俺に好意を抱いているんだからな。


 菜々美とアリエルさんという年上組がいないとはいえ、俺に好意を向けている三人が火花を散らし合うに決まってるだろ……。


「司はどうすんの?」

「俺か?」


 後ろでやいのやいのと口論を繰り広げる三人を尻目に、鈴花は最後と言うように俺へ尋ねて来た。

 

「もうそろそろ、答えは出すつもりだよ」

「え……?」


 俺の返答に、鈴花は鳩が豆鉄砲を食ったように呆けた。

 その反応に妙な感覚を抱きながらも俺は続ける。


「なんだよ。ゆず達からの告白の答えだろ? 自分で聞いておいてその反応は変じゃないか?」

「っ! い、いや……アタシが聞いたのは進路のことなんだけど」


 呼びかけに対し、ハッとした表情を見えた鈴花は取り繕うようにそう訂正する。 


 あぁ、そっちか!

 話の流れで変に勘違いしちまった。


 なんかキザっぽいセリフ口走ったことに、若干羞恥を覚えながら出来るだけ平静を装って言い直す。 


「進学するよ」

「なんで?」

「カウンセラー、本気で目指そうと思ってさ。菜々美が通ってる大学に心理学を専攻出来る学科があるからそこを目指すよ」

「……そうなんだ」


 俺の返答に、鈴花は心此処に在らずといった様子で返した。

 

 この進路を定めたのは、俺がゆず達を支えるために出来ることを模索した結果、一番の道だと判断したからだ。


 メンタルケアの勉強をしていけば、今よりもっと効率的に支えられるはず。

 そのための準備も菜々美の助力を得て徐々に進めている。


 教師を目指しているだけあって菜々美の教え方は凄く分かりやすく、成績的には問題無い。

 学科は違うとはいえ俺が同じ大学に行こうとしていることが嬉しいのか、彼女の表情はめちゃくちゃ笑顔だった。


 学費だって組織から支給されている給料で賄える。

 

「カウンセラーかぁ……まっ、天職なんじゃないの?」

「そう言う鈴花はどうするんだよ?」

「アタシ? アタシは……」


 散々俺達に聞いて来たんだから、彼女だって何かしら将来を見据えているものだと思って尋ねた。

 だが、鈴花の表情は眉間にシワを寄せて何を恐れるように思わしくない。


 その表情に気付いたからこそ、続けられた言葉に耳を疑った。


「──アタシも進学しようかな。同じ大学に」

「おいおい、かよ……」  


 驚きよりも呆れが勝った俺は、思わずそう苦言を指す。


 何せ、今俺達が通っている羽根牧高校を受験する時も、鈴花は『俺が受けるから』という理由で受けることにしたのだ。


 鈴花の成績は、お世辞も言えないくらい低い分類に入る。

 当時は俺に勉強を教わりながら何とか合格にありつけた。


 けれども、大学受験でも同じことをするかと言われれば、それは『NO』だ。


 何も、また勉強を教えることが嫌なわけじゃない。

 むしろそっちだけなら俺よりも教えるのが上手な、ゆずや菜々美にアリエルさんといった人材がいる。


 俺が呆れたのは……。


「高校受験の時にも言ったよな? そんな曖昧な気持ちで受けるなって?」

「っ、で、でもゆず達だって同じで──」

「ゆずは事情が事情だし、ルシェちゃんは留学生で、翡翠に関してはまだ中学生だ。そもそもの土台が俺とお前と違うだろ」

「こ、高校だってアタシは!」

「ハッキリ言ってやるが、羽根牧大の入試テストで点数が良くても内申点で落とされるぞ」

「──っ!」


 大学受験を高校受験と同列に認識すること自体が筋違いだ。

 付け焼き刃の学力で大学に合格出来るなら、浪人生なんて存在しないだろう。


 分不相応の学力についていけずに自壊するよりは、不合格だって一種の恩情みたいなものだ。

 無理に背伸びをしても最後に後悔するのは自分だから。


「つ、司が偉そうにアタシの進路に口出ししないでよ! どこを受けようがアタシの勝手でしょ!?」

「そうだけど、でもお前が心配だから言ってんだろうが!」

「そんな心配してくれなんて言ったこと無いし! 恩着せがましいっての!」

「んなこと考えてるわけねえだろ! こっちの気も知らないで決めつけんな!」

「す、鈴花ちゃん! 司君! 落ち着いて下さい!」

「こんなところで喧嘩したら目立っちゃいますよ!?」

「ケンカしちゃダメです!」


 意地っ張りな鈴花に対し、説き伏せようとして口論に発展する。

 俺としては最早慣れたやり取りだが、他の三人にとってはそうじゃなかった。


 三人を困らせたことに気付いて俺は幾分冷静さを取り戻りせたが、鈴花は不満に満ちた苦々しい顔のままだ。


「──ッチ、はぁもうこれ何十回目? もういい。悪いけど今日は帰る」

「待てって! 話は──」

「うっっさいっ! 恋人でも家族でもない司には関係ないでしょ! ほっといてよ!」

「──っ!」


 そういって鈴花は、足早に来た道を戻って去って行った。

 その背中を眺めつつ、頭を抑えてため息をつく。


「っ、はぁ~~。またやっちまった」

「ツカサ先輩……」

「すーちゃんがあんなに怒るなんて初めて見たです」

「私はこれまでも二人の口論を見て来ましたが、今日は一段と鈴花ちゃんの態度が刺々しい感じでしたね」


 ゆずの言う通り、最近の鈴花の様子は確かに変だ。

 返事が遅かったり、思い詰めた表情をしていたり……。


 とにかく何か情緒不安定に見える。

 心配だがさっきの状態で構っても、アイツにとって負担にしかならないかもしれない。


 気になるしどうにかしたいが……。


「大丈夫だよ。今までもこんな風に喧嘩したことは何度もあるし、すぐにいつも通りになるからさ」

「司君……」


 ゆず達にそう言うしかなった。

 分かってる……こんなの、ただの逃げだってことくらい分かってるさ。


 でも、今の口論で一番心を痛めているのは鈴花本人だ。

 例えアイツが別の道に進もうとも、俺と鈴花が築いて来た絆は絶対に崩れない。


 少なくとも、それは確かだと自分を奮い立たせながら、ゆず達三人とオリアム・マギ日本支部へと向かう。


 ~~~~~

   

「あれ、あそこに誰か倒れてるです」

「あ、ホントだ」


 オリアム・マギ日本支部での訓練を終えて食堂で夕食を摂った後、帰路を歩いていた翡翠が向けている視線の先に、薄汚れているローブを羽織った人がうつ伏せで倒れている姿があった。


 何かあっただろうかと駆け寄って容態を確かめたいが……如何せん怪し過ぎて近付きたくない。


「怪しいけど、でもほっとくわけにはいかないしなぁ……」

「大丈夫です! もし起き上がって襲ってきたら、ひーちゃんの魔導武装で鳩尾を貫いてやるです!」

「さらっと恐ろしいこと言わないで?」


 絶対に無事じゃ済まないだろ、それ。

 何度か棒術の鍛錬を見せてもらったけど、あの突きを急所に食らったらしばらく呼吸出来ないと思う。


 しかも美沙直伝。

 唖喰と戦うのに必要だったとはいえ、元カノが達人級の技術を持ってると知った時は驚くしかなかった。


 っと、思い返すのはここまでにして、あの人をどうにかしないと。

 いきなり近付いて不意打ちを食らうのは嫌だし、遠目の位置から呼びかけてみるか。


「あの~、すみません! 大丈夫ですか?」

「……うぅ」


 お、反応あり。

 見た感じ息はあるみたいだ。


 フリって可能性はまだ捨て切れないけれど、一歩近付いてもう一声掛けてみる。


「何かあったんですか?」

「……お、す……た」

「え?」


 何か言ったみたいだが、上手く聞き取れなかったのでもう一歩近付く。


「今なんて──」

「おなかすいたぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」

「どっ、おぉっ!?」


 三度目の声掛けの途中で、ローブの人は勢いよく起き上がって、あろうことか俺に全身を密着させるようにしがみ付いて来た。


 その勢いに押されて尻餅をついてしまったが、それはまぁまだいい。

 ある二つの問題が俺の心に大きな動揺を与えているからだ。


 まず一つ──この人は女性だった。


 なんで判ったかって?

 今密着している俺の体に、明らかに女性にしかないであろう柔らかな物体が押し付けられているからだ。


 しかも大きい方だわ。

 接触面積からして、ルシェちゃん以上ゆず未満といった感じか?

 って、何分析してんだ俺は!!?


 そ、そしてもう一つの問題だ。

 ある意味、こっちの方が気になって仕方がない。


 なんたって──。


「臭っ!? 何この人、体臭すっごい匂うんだけど!?」


 そう、臭いんだよ。

 鼻が曲がりそうで『人ってここまで臭くなれるの?』ってくらい、酷い匂いだ。

 女性なのに自分の身嗜みにあまり感心が無いように思える。


「それは致し方ない。何せ、自分は一週間近く体を洗っていないし、人は自らの体臭を嗅いでも気付かないのだからね。それよりもう三日も食べ物を口にしていないんだ。腹が減って最早歩くことすらままならん!」

「開き直るなよ!? というか腹減って力出ない割にはえらくガッチリと拘束してるような気がするんだけど!?」

「キミは押せば折れるタイプの人間と見たからね! 見返りについては生憎と今は金銭を切らしている。だが、望むのならこの体を差し出すことも厭わない所存だよ!」

「厭えよ! 現代社会に置いてそれは越えちゃいけない壁だろ!!?」


 色々言いたいことが多過ぎる。

 だが少なくとも、途轍もなく破天荒な人に絡まれてしまったことだけは確かだ。


 妙に力強くて振り払えない状況に、どうしたものかと頭を悩ませていたら……。


「つーにぃにそんなことしちゃ、めっ! です!」

「んぎゅっ!?」


 翡翠が魔導武装を展開させ、自分の身長以上の長さがある棒を女性の脳天へまっすぐに叩き付けた。

 耳元で背筋が凍るような鈍い音が木霊した後、ローブの女性が気を失ったことで俺の拘束はあっさりと解かれる。


「さ、サンキュ、翡翠」

「つーにぃを守るのが、ひーちゃんの役目です!」


 ゆっくりと立ち上がり、ひとまず妹に感謝の言葉を伝える。

 服に匂いが付いてそうなので、出来れば早く家に帰って風呂に入りたい。


 でもその前に……。


「この人、どうしようか?」


 自業自得とはいえ、気絶させた人を放置する事は憚られそうだ。

 自分のお人好しなところは承知しているが、そうでなくとも見捨てる選択肢は思い付きもしなかった。

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