286話 術式の匠の希望
オリアム・マギ日本支部の地下三階にある技術班の整備室。
魔導銃と魔導器の定期メンテナンスのために、俺は放課後にそこへ訪れていた。
「うし、んじゃ三十分くらいで済ますから、それまでテキトーに時間潰しとけ」
「は、お願いします」
技術班班長である隅角さんに二つの装備を手渡して、そう挨拶を交わす。
しかし、彼は立ち止まったままジッと俺を見つめて動こうとしない。
どうしたのかと疑問に思っていると、隅角さんは頭を掻きながらあることを尋ねて来る。
「なぁ、チビの様子はどうだ?」
「チビって……あぁ、翡翠か」
言われて納得した。
この人は亡くなった美沙の代わりに翡翠の保護者として、彼女の面倒を看ていたからだ。
いくら信頼出来る相手の家族になったからと言って、心配しない通りは無い。
そう理解すると、俺はあの子が妹なってからの日々を思い返しながら伝える。
「はい、毎日楽しそうですよ。うちの両親のノリにもすっかり慣れて、俺よりずっと親子なんじゃないかってくらいです」
「……普通は良い言葉のはずなんだが、坊主の親が独特過ぎて素直に喜べねえな」
「……すみません」
複雑な表情を浮かべる隅角さんに申し訳ない気持ちで謝罪する。
実際、可愛い妹は両親から吹き込まれたことを一部実行したことがあったりするが……。
言ったら魔導器と魔導銃が没収されそうなので黙っておく。
そうして翡翠の様子を伝え終えて、これからどうしかと思った時に最近会えていなかった人物を見かけた。
漆のような艶やかな黒髪をボブカットの長さで、前髪を一の字……所謂ぱっつんにしている。
見事に着こなしている赤い着物は動きやすい袖を捲り上げている彼女──和良望季奈は、前に立つ俺に気付いていない様子でなにやらブツブツと呟きながらタブレットを片手に歩いていた。
「おい季奈? 歩きスマホみたいにタブレットばっか見つめてたら危ないぞ」
「──んにぉ? おおっ、つっちーやん! 久しぶりやなー!」
奇妙な声を発したが、声を掛けた相手が俺と分かるや否や溌剌とした笑みを浮かべて挨拶をして来た。
一見するといつもの季奈……だがよく見るとその目の下には若干黒ずんだ隈が出来上がっている。
「相変わらず術式の研究か?」
「せやで。あ、今何日の何時か分かる?」
「十九日の午後四時半だな」
「おぉ、つまり四徹越えたってことやな」
「寝ろよ!」
成長期の女の子が四日も寝ないとか何考えてんだ!?
そういう性分だって知ってはいるけど、だからといって見過ごすことは出来ない。
「えぇ~、今ええところやのにグースカ寝れるわけないやろ?」
しかし、俺の言葉に季奈は不満気な顔をしてオタクみたいなことを言うだけで、改める様子はないようだった。
その気持ちは痛い程分かるけど、ちゃんと節度を持ってやらないと却って効率が悪くなると思う。
「はぁ……まだ翡翠の固有術式を解析出来てないのか?」
「そうやねん! 一つだけでもアホみたいに難解やのに、それが四つもあるとか『フェ〇マーの最終定理』以上やないかって思ったで!?」
「あー、あの解くのに三百六十年掛かったっていう数学の最難問だっけ?」
「ウチあれを半年掛けて自力で解いたんやけど、ひーちゃんの固有術式と比べたらまるで赤子扱いやな」
「…………」
……流石、中学時代に有名大学の推薦を蹴っただけあるな。
あれって物凄い遠回りをしてやっと解けるんじゃないのか?
そしてそれを赤子と称せる固有術式の解析って一体……。
でたらめ過ぎて途方に暮れるしかないな。
「翡翠の固有術式って確か、魔力を回復させる、敵味方を個々に識別する、テレパシーみたいに意思を伝える、炎を発生させるんだっけ?」
「その通りやで。はぁ、改めて口に出すとほんま無茶苦茶やなぁ」
それには俺も反論出来ない。
季奈なんて術式の造詣に深い分、俺より感じる呆れはずっと強いだろうな。
そう思える程に、翡翠の固有術式は魔導の歴史を揺るがす希少かつ類を見ない高度なモノだ。
「でも幾つかの基礎術式や特殊術式だって、元は固有術式だったんだろ?」
「正確には固有術式の劣化コピーやけどな。どうあってもオリジナルは越えられへんわ」
口調に違わず、季奈の表情は悔し気だ。
今まで自分が築き上げて来た研究成果を置いてけぼりにされるような、とんでもない効果を見せつけられれば、そんな顔をするのも無理はないだろう。
「まぁ、テレパシーと識別化はまだマシな方や……問題は残りの二つやねん」
「魔力の回復と炎のやつか……」
前者二つはまだ既存の術式の発展形みたいなものだから、確かにマシかもしれない。
けれども、後者の二つは本当に未知過ぎる。
ただそれ以前に……。
「そもそも魔力の回復方法ってどんなのがあるんだ?」
「そこからかいな……」
はい、組織に入って半年経つのに浅学で大変申し訳ない。
呆れが混じったバカを見る眼差しを向けられて、そう肩身が狭い気分になる。
「まぁ後になって響くよりはマシやな。まず、魔力を未使用状態やったら時間経過で回復する……基本はこれやな」
「なるほど……」
ちなみに回復速度は当人の魔力量に比例するらしい。
膨大な魔力量を誇るゆずやアリエルさんなら、少し休むだけで一般的な魔導士と同等にまで回復するんだとか。
最高序列に名を連ねるだけあって、やはり規格外だと実感する。
「他には?」
「時間経過以外の場合は人間の三大欲求を満たすことで回復出来るんや」
「へぇ~」
三大欲求……それは食欲、睡眠欲、性欲の三つの総称で、人間が生きる上で欠かせない本能的な欲望を指す。
それが関係していること自体はそこまで不思議じゃない。
むしろ通りがあるようにも思える。
「三大欲求での魔力回復はどれも自然回復より遥かに効率がええねん。ゆうて、その三つも回復効率に差があるんやけどな」
「そうなのか?」
「せや。睡眠<食事<性欲の順に回復率が変わるんや」
「んんっ!?」
さらっと告げられた回復率の差に、俺は目が飛び出るのではと錯覚する程にびっくりした。
性欲を満たすことが一番効率良いってどういうことだ!?
普通食事じゃないの!?
「ん~? なんかやらしいことでも考えたんか~?」
「い、いや。考えてないから……」
俺の驚き振りに、季奈がからかうようにジト目を向けて来た。
嘘です。
ルシェちゃんがミミクリープラントが生み出した唖喰と戦っている時、やけに調子が良かったって言ってたのを思い出したよ。
あれってもしかしてそういうことだったのか……?
まぁ、一人で考えても仕方がないか。
「まぁ、性欲での魔力回復は魔力持ちの男相手とヤッた場合が最高なだけで、それ以外は食事の方が上やで」
「へ、へぇ~↑」
かなり際どい発言をしたのに、平然としている季奈に上擦った声で相槌を打つのがやっとだった。
あかん。
完全にその該当例だわ。
回数とかでも変わるのか気になるが、流石に聞いたら不味いと直感が告げたため忘れることにした。
「で、や。ひーちゃんの固有術式は魔力を回復させる効果があるわけやけど、何度か実験を繰り返していくつか分かったことはあったんや」
「分かったこと?」
俺が相槌と共に続きを促すと、季奈は右手の人差し指を立てる。
「まず、魔力回復効果は一人一日一回だけ。二回目以降は治癒効果だけで魔力は一切回復しやんかった」
「流石に回復し放題ってわけじゃないのか……」
「まぁ、そないな美味い話には裏っちゅうか絡繰りがあるってことやな」
違いない。
そう内心同意していると、彼女は右手の中指を立てる。
先の人差し指と合わせるとVサインのようになった。
「二つ目。魔力回復効果を受けたその日は自然回復の速度も急激に落ちるんや」
「マジかよ……まるで魔力の前借りみたいな回復だな」
「まさにその通りやろうな。使いどころ間違えたら魔力が足りへんから戦えんってこともありうるで」
唖喰が侵攻して来るタイミングや位置が完全にランダムだからこそ、より迂闊に頼り辛いってことか。
せめて敵の出現が定期的だったならもっと使いやすいだろうに……。
うんざりする唖喰の性質の悪さに歯痒い思いで眉を顰めていると、季奈が三本目のゆびを立てた。
「そんで最後。あの固有術式の効果はひーちゃん本人には適用せぇへんってことや」
「うわ、それはまたなんとも……」
よりにもよって術者本人だけハブられるタイプかよ……。
魔力の超高速回復という効果を考えれば当然かもしれないが、あの子の兄としてはどうしてそうなったとしか言いようがない。
まぁ、あくまで翡翠自身に効果が無いだけで、使用自体に関しては特に制限が無いみたいだが。
「まぁ魔力回復の方はこないな感じで、次は炎の方やな」
「そうだよ。魔導の術式じゃ自然エネルギーの再現なんて出来ないはずじゃなかったか?」
魔導士と魔導少女が扱う術式は、流された魔力を別の形に変換して放つことがほとんどだ。
解り易く例えるなら、溶かした金属を型に流し込んで形を整えるような感じに近いだろう。
その魔力を自然エネルギー……所謂炎や電気といったものに変換させることが不可能とされて来たからこそ、魔法でも魔術でもなく魔導と言われているのだから。
だが、翡翠がミミクリープラントにトドメを刺した固有術式はその常識を覆した。
あの天を貫くような炎柱はどう見ても本物の火炎そのもので、実際攻撃後にはゴルフ場に大きな焦げ跡が出来ていたのが何よりの証拠だ。
最高序列の魔導士が放つ固有術式でも、そんな物理的な痕跡は残ったりしない。
魔導士じゃない俺でも異常だと分かるそれに、季奈は難しい顔で見解を述べる。
「術式での属性再現はなぁ~……そもそも固有術式を構築すんのに術者の感情が深く根付いとるんや。その考えだけで言えば出来なくはないんやろうけど……」
「攻撃術式に流用出来ないのか?」
「なんてゆうたらええんやろうなぁ……武術の師匠に手取り足取り型を指導されても、百パー真似できひんのと同じって感じやな。人間は他人の思考に似通ることはあっても、全く同じっちゅうのはないんや。喜びの切っ掛けは同じでも度合いは人それぞれー、みたいな。つまりひーちゃんの感覚はひーちゃんにしか全部理解出来やんから、同じ術式を使っても発動すらしやへんのがオチやで」
季奈の言う通り、確かに難しい話だ。
翡翠の感覚を知ることが出来ても、理解出来るかと言われればそれはまた別の話になる。
知ることと理解すること、納得することは似てるようで異なるのだ。
それが出来ないからこそ、固有術式という術者本人にしか使えない術式があるわけだし。
「でもなぁ、ちょいと面白い成果はあるんや」
「面白い成果?」
にやりと笑みを浮かべる季奈に聞き返すと、彼女は腕を組んで朗らかに語り出す。
「ウチやひーちゃん含めて数人の魔導士で例の固有術式を試してみたんやけど、ひーちゃん以外皆の術式が崩壊してもうたんや。あーまた失敗やーって思って術式を剥がそうとしたら、それぞれの術式の壊れ方が違ったんや」
「壊れ方が違うって、どういうことだ?」
「肉を焼いた時の焼き加減は皆バラバラになるやろ? それと同じで崩壊した術式は電線がショートしたみたいに焼け焦げとったんやけど、同じ焦げ方が一つもなかったんや。ちょっとだけやったり派手に焦げてたりな」
「お、おお?」
いかん、ちょっとこんがらがって来た……。
それが分かっているのか、季奈は無理もないと苦笑を浮かべながら続ける。
「これはウチの推測やねんけど、もしかしたら個人によって再現出来る属性がちゃうんやないかって思うんや」
「えーっとつまり、翡翠は炎に適性があって、同じ適性を持つ人が強い火力を出したってことなのか?」
「せやで。固有術式以上に個人の資質が大きく出るってことになるんや」
なるほど、ようやくわかった。
季奈があの固有術式を再現するためには、自分が何の属性に適性があるのかを知る必要が出て来たんだ。
そう考えれば、構築すれば使える固有術式よりも構築条件はさらに上がることになる。
「ここまで来たらもう固有術式っちゅう区分を逸脱しとる……『属性術式』って呼ぼか。固有術式のさらに上を行く新しい術式になるでこれ!」
「おぉ……」
属性術式……もしそれが完成すれば、間違いなくゆず達や世界中にいる魔導士の力になる。
そう思うと季奈が四徹までして開発に勤しむのも無理はないと思えた。
「属性術式を確実に構築させるには、各々に適性のある属性を判定するところから始めなあかん。その判定方法はまた別で考えやないかんけど、それさえ出来たらこの術式開発はもっと飛躍的に進んで行くはずで──」
よほど興奮しているのか、解説に熱が入り始めた。
あまりの勢いに押されそうになるが、俺は季奈の頭に手の平を乗せて頭を撫でて宥める。
「お……?」
突然のことに、彼女はキョトンと呆けた表情を浮かべて黙り込んだ。
この隙にと俺は口を開いて語り掛ける。
「凄い発見なのは分かったけど、無理はするなよ」
「いやいや、多少の無茶は重ねてでもはよ完成させやないかんし……」
「だったらなおさらちゃんと体を休めないとダメだろ? 肝心の季奈が倒れたりしたらそれこそ属性術式の完成が遠のくに決まってる。そうでなくとも体調が崩れたらって俺も皆も心配するから、ちゃんと寝てほしいんだ」
「う……」
正論を受けた季奈の表情が気まずそうに歪んだ後、その顔を俯かせた。
身長差があるのでハッキリと見えないが、ほんの数秒経つと彼女は勢いよく頭を上げる。
「ああーっ、もう分かったわ!! 四徹分の睡眠負債を全部返済したらええんやろ!?」
「そうそう、それでいいんだよ」
若干ヤケクソ気味な気がしないでもないが、全く聞き入れられないよりはマシだと思うことにする。
そうして季奈が自分の部屋に戻りに行ったと同時に、俺は魔導器と魔導銃のメンテナンスを終えた隅角さんに呼ばれて、いつもの射撃訓練に励むのだった。
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