285話 女騎士の答え


 クロエ・ルフェーヴルという女性は筋金入りの男嫌いである。

 それは生まれ持って抱いた嫌悪ではなく、経験から来る類のものだ。


 一口に経験と言っても体験ではなく、目の当たりにし続けて来たことが要因だが、それでも彼女が異性を極端に目の敵にする大本は変わらない。


 ──母であるローラを亡くして哀しみに暮れる間もなく、望まない教育と縁談に駆り出される自ら仕える主の苦心を見て来たのだから。


 現在では権威が失墜している先代当主──アリエルの祖父が嫌いだった。

 クロエが忠誠を向けているのはアルヴァレス家にではなく、アリエル個人なのだ。

 主に不利益を齎す元凶を憎むのも仕方ないだろう。 


 だが、子供の身で……ましてや傘下の家系の娘でしかないクロエに出来たのは、傍で支えることだけであった。


 夜な夜な、亡くなった母を想って枕を涙で濡らすアリエルを知っているからこそ、クロエは男という生き物が受け入れがたいと感じている。


 祖父が手配した縁談相手は、家柄や外見だけで判断すれば釣り合いは取れるだろう。

 しかし、如何せん彼らは揃って中身が下衆な欲を秘める醜悪さに満ちていた。


 縁談相手の男はみなアリエルを褒める。


 神より祝福されし美貌を、煌びやかな輝きを放つ白銀の髪を、艶やかな琥珀の瞳を、鳥が躍るかのような美しい声を、アルヴァレス家の長女という生まれを……。


 誰も彼も彼女を褒め称え…………誰一人として、我欲を押し付けるばかりで彼女を慮る者はいなかった。

 要は、アリエルを自分の人生を豊にする駒としてしか見ていないのだ。

 

 中にはまだ幼い彼女に情欲の眼差しを向ける者もいた。


 ──穢らわしい、煩わしい、悍ましい。


 女という甘い蜜を啜る虫ような、そんな男達の飽くなき願望に晒され続けるアリエルを知るが故に、クロエの中に男性への怒りと嫌悪が募っていく。 

 

 彼女がルシェアとは異なる男性不信を抱えるのも無理はない。


 それでも、これまた青髪の少女と同じく例外というものはクロエにも存在する。

 その例外に該当する人物に対しては、彼女は信頼を寄せているのだ。


 自らの父、アルヴァレス家当主のレナルド、不服だが主の婚約者とされている竜胆司。


 そして、今まさに自分を愛していると告げた少年──フェリクス・アルヴァレス。


 アリエルが五歳の頃に彼はこの世に生を受けた。

 腹違いとはいえ自分にとって紛れもない弟が生まれた瞬間の、アリエルの喜びようはかなりのものだったらしい。


 というのも、クロエが彼女の従者兼友達になった時期より前なのだ。

 そのため、自分がアルヴァレス家で務める頃には既に赤ん坊だったフェリクスと会っていた。


 とにかくアリエルは弟を可愛がり、彼もまた姉である彼女に懐くのもそう時間は掛からない。

 このまま健やかに過ごせるはずだったにも係わらず、ローラの死をきっかけに姉弟は引き離された。


 従者であるクロエは警戒するに値しないとされたのか、本邸と別邸を行き来は可能であったため、自ら進んでアリエルの近況を伝える役目を担ったのだ


 フェリクスとはその間に交流を重ねていたため、時間で言えば姉のアリエルより多く接していると言えるだろう。

 尤も、クロエ自身に主へそんな自慢をする気などサラサラ無いのだが。


 レナルドに似て実直かつ誠実に育った彼は、彼女にとって数少ない気を許せる相手であり、向こうも烏滸がましいながらも姉として慕ってくれているようであった。


 そうしてフランス支部の騒動を経て戻って来たアリエルはフェリクスとの再会に歓喜し、シャルロットとの出会いに幸せな笑みを向ける。


 司の存在が非常に……非常に気に食わないながらも、アリエルの幸せを思えば自分の嫌悪など抑えようと思えた。


 自分の幸せはアリエルの傍にいることなのだと決意した彼女らしい思いに……。


「クロエ。僕は君を一人の女性として愛している!」


 ──目の前の少年は赤い顔で、でも真っ直ぐな眼差しで自らの想いを口にして伝えて来た。


「──っ!」


 あまりに愚直で実直な淀みの無い告白に、クロエはどう反応を返したものかと答えに窮する。

 何せ、彼女にとって異性から愛の言葉を告げられる等、二十年生きて来て初めてのことだからだ。


 故に顔面に熱が集い出し、心臓が早い脈動を起こす度に未知の動揺を囃し立ていく。

 

 何か言わなければと必死に唇と喉を震わせるが、掠れた呼吸の音しかせず、現実感のないフワフワとした感覚が勝っていた。

 加えて緊張からか背中や額に冷や汗も流れ出して来て、気持ち悪くて仕方がない。


「ふ、フェリクス様……何故、ワタシ……なのですか?」


 やっと出た言葉は、何とも拙い否定が含まれていた。


 何も彼の気持ちを疑っているわけではない。

 自分が少年が恋慕する相手として選ばれたことが信じられないのだ。

 

「──それは……」

 

 その言葉を投げ掛けられたフェリクスは、やはりクロエから目を逸らさずに視界に捉えたまま理由を語る。


「姉様と一緒に過ごせなくなった頃から……いつも気張ってて真面目で、言えば失礼なんだけれども仏頂面なクロエは、笑わないんだって勝手に決めつけていた」

「……」

「でも、姉様が帰って来たその日の晩、物心ついてから初めてクロエの笑顔を見て……」


 彼は一度区切り、一息間を空けてから続けた。


「その笑顔が綺麗だって思ったからなんだ」

「は……?」


 嘘を言っているように見えない、一部の含みも持たない純粋な称賛にクロエは目を丸くして呆ける。

 数秒の時間を掛けてその言葉を理解すると、彼女は顔をさらに赤くして大きく狼狽し出した。


「な、ななっ!? わ、ワタシの笑顔などアリエル様に比べればまるで露に等しいもので……」 


 その動揺に構わずフェリクスは再度語り出す。 


「確かに姉様は身内贔屓目に見ても綺麗な女性だと思う。けれども、ボクが一番魅力的だと思ったのはクロエの笑顔なんだ……その笑顔を、僕一人だけに向けてほしいと、願うようになった……」

「フェリクス様……」


 独占欲と言えばそれだけ。

 だが恋愛感情として昇華させるには十分な理由だろう。


 しかし、その成就はクロエの気持ちと返事でどうとにでもなる。


「……」


 肝心の彼女は何も言えず顔を伏せる。


 クロエ・ルフェーヴルにとって、これは人生で初めての異性からの告白だ。

 そもそも、彼女は自分が異性に好かれるとは思っておらず、もっと言えば男嫌いもあって特別好かれたいと思ったこともないのである。


 それは……。


「──ワタシではフェリクス様の想いに応えられないと、思います……」


 心を許しているフェリクス相手と言えども例外ではなく、その告白は容易に受け入れられなかった。 

 

「……理由は?」


 しかし、彼は悲しむことも取り乱すこともなく、優しく穏やかな声音でそう尋ねて来た。

 仕える主の弟の告白を断ったに近い返答が、常にナイフの切っ先を向けていることと大差ないという事実に、胸が裂けるかのような痛みを感じながらもクロエは言葉を紡ぐ。


「……フェリクス様が嫌いだということではありません。むしろワタシにとって数少ない好ましく思える男性だと思っています」


 それは、フェリクスがアリエルの弟でアルヴァレス家の長男だからではない。

 実際に彼と日常を過ごして来た上で、その人格を信頼しているのだ。

 

「ですが、その……ワタシは自分に恋愛は不要だと思っていましたので、改めてフェリクス様と恋仲になれるかと問われると、分からないのです」


 そう思ったのは、男嫌いと共に併発した一種の戒めのようなものであった。


 ──アリエルを謀るような人間と同じ性別の相手に、恋愛感情を抱くなんてありえない。


 誰に言われたわけでもなく、クロエ自らが己に課した鎖を間違いだと思ったことは無い……しかし。


「アリエル様に抱く感情は忠誠と……不敬ながら愛情があると理解出来ます。ですが、異性に向ける恋愛感情との違いが、ワタシにはどうも理解出来ない……」


 別段、自分にレズビアン趣向があるわけではない。

 結局のところ、フェリクスを異性として好きかどうかを考えたことが無いため、自分の気持ちが分からないことに繋がる。


 軽い気持ちで交際を受け入れられる程、クロエの恋愛観は簡単に考えていけないと訴え、断るにしても彼はアリエルの弟……これからも接する機会が多い相手だ。


 なんとかこの場で答えなければと思って出した返事が、自分は相応しくないと引き下がることだった。


 そうしてふと理解する。


 ──あぁ、リンドウ・ツカサはこの気持ちと向き合おうとしているのか。


 アリエルが愛して止まないあの少年は、他にも四人の女性に想いを寄せられている。

 一人でも頭が痛くなる程に悩むというのに、彼は何とも真摯な人間だと図らずも実感させられた。 


 優柔不断だと見て不満をぶつけていたが、なるほど……これは容易に決めることが出来ない。

 たった一言の返事だけで相手や自分の人生を変えてしまえるくらい、告白は重大な分岐点なのだと知る。

 

 もちろん、クロエも全員がそういった告白をしたりされるとは思っていない。

 だが、少なくとも彼が向き合おうとしている彼女達は……今自らに想いを告げた少年も、みんなが自分の人生を賭ける程に真剣なのだ。


 それが分かるからこそ……。


「あの男……リンドウ・ツカサに恋をしたアリエル様は、ローラ様がお亡くなりになられる以前よりもとても楽し気な表情を浮かべられている。男性恐怖症を抱えているルシェアも、人形のようだったユズ殿も、他の異性に言い寄られることが多いナナミ殿も、つい先日に兄妹仲になられたヒスイ殿も、同じように幸せそうな顔をしていて────眩しいと思った」


 それは淡い羨望だった。

 同じように恋愛をしてみたいというより、自分が理解出来ない気持ちを感じられていることが。


 ──クロエ・ルフェーヴルに女としての幸せを得る必要は無い。


 男嫌いを自覚し、アリエルと共に魔導士として戦うと決めた頃にそう誓った。

 その誓いに嘘偽りは無く後悔も無い。


「フェリクス様からの告白は光栄極まりないものです……しかし、女を捨てたワタシは貴方様の伴侶に相応しくない」


 自分ではどうあっても彼女達のように恋愛に真剣になれるとは思えなかった。

 そんなことでは、たった一度の初恋を向けてくれたフェリクスに申し訳ないと引き下がる。


 クロエの言葉に耳を傾けていたフェリクスは瞑目し、胸に手を当てる……よく見れば、そこにシワが寄っていた。


「……家柄だって外見だって問題ないって思っていたけれど……そうか、何より心が釣り合ってないのか」

「申し訳ありません……」


 フェリクスの言う通り、司と違いクロエなら家柄などのしがらみはない。

 しかし、他ならないクロエ自身が彼と自分は釣り合いが取れないと思っている限り、受け入れられることはないのだ。


 光栄ではあるが恐縮するばかりのクロエに、フェリクスは互いの息が掛かるのではという距離まで歩み寄って来た。


「ふ、フェリクス様?」

「謝らなくていいよ、クロエ。それに──」


 ニコリと笑みを浮かべた彼はクロエの耳元へ顔を近付け……。



「可能性が無いわけじゃないって分かっただけでも、告白して良かったって思えるからね」

「え……?」


 告げられた言葉が理解出来ず、呆けていると改めて顔を合わせたフェリクスは笑みを浮かべたまま続ける。


「諦めると思ったの? 自分は相応しくないって言われただけでそんなつもりは毛頭ないさ」

「し、しかし……!」

「それにねクロエ。キミは女を捨てたなんて言ったけれど──」


 戸惑いを隠せないクロエに、フェリクスはその爽やかな瞳を真っ直ぐに向けて、ある決意を口に出す。


「僕に恋心を抱かせた時点で、十分に女性として魅力的だよ」

「──っ!?」


 顔に一気に熱が集まり、心臓が大きく跳ねたと実感する。

 目の前の少年は、腹違いと言えど立派にアリエルの弟だと認識を改めさせられるのだった。


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