282話 アルヴァレス家再訪
足元が覚束ない独特の浮遊感から戻り、地面を踏みしめてしっかりと足取りを確認する。
転送術式で移動する感覚は、未だに慣れないなと少し自嘲的な思考が頭を過った。
魔導士と魔導少女が慣らすまでの努力を思うと、つくづく凄まじいと感嘆する他ない。
数歩前に歩みを進めて、足元に広がっている魔法陣の枠外に出る。
すると程なくして、魔法陣が光り出した。
明るい室内でも目立つ光が徐々に収まっていくと、一人の少女が姿を現す。
「ふぅ! 転送完了、です!」
「付き合ってもらって悪いな、翡翠」
「つーにぃとフランスに行けるなら、これくらい朝飯前です!」
「はは、それは頼もしいな」
紆余曲折を経て竜胆家の一員──即ち俺の義妹となった翡翠の誇らしげな言葉に、惜しみない称賛を送る。
そう、俺と彼女がいる場所はオリマム・マギフランス支部だ。
ある目的があって来ることになり、翡翠はそれにくっ付いてきた。
多分一緒に来てもフランス観光は出来ないって伝えはしたのだが……。
「つーにぃの行くところにひーちゃんありです!」
と、本人からの主張を断り切りれず、せっかく兄妹になったんだし一緒にいたいって思ってくれてるだけいいかと考え、こうして一緒にやって来たのだ。
妹が付いて来る経緯を思い返しながら、日本支部に繋がる転送魔法陣がある部屋を出る。
内部構造は同じだが、やはり空気は日本のものとは異なると実感出来て、自然と頬が緩みそうだ。
そうして廊下を抜けてフランス支部を出ると、入り口に見覚えのある黒塗りの
すると示し合わせたように、運転席もドアが開いて俺達の前にその人は姿を現す。
顔立ちや体つきから女性と判るものの、身に纏うのは執事が着るような燕尾服だ。
ダークブラウンの髪が団子状で後頭部に束ねられており、切れ長い紫の瞳は宿っている感情は、俺と翡翠で異なるように思える。
具体的に挙げるなら、俺には敵意が、翡翠には親愛が向けられているわけだ。
まぁ、この人──クロエさんが男女で扱いの差が違うなんてことは今に始まったことじゃないし、気にしてもどうしようもないけどな。
「こんにちは、クロエさん」
「クーちゃん、お久しぶりです!」
「うむ、よく来てくれたヒスイ殿」
ほら、俺にだけ露骨に挨拶返さないし。
前より態度が酷くなっている原因は、翡翠が体育祭後にした告白とキスだろう。
不満ながら、仕える主が好意を向ける相手が他の女性……それも義妹とはいえ中学一年生に言い寄られている様を見ていれば、その憤りから筋金入りの男嫌いに拍車が掛かっても不思議はない。
でも今日の彼女は、俺達をアルヴァレス家へ送るためにこうして
相変わらず主人に弱いなぁと思いつつも、翡翠と二人で車内に乗せてもらう。
遅くなったが、そもそもの切っ掛けは昨日に遡る。
=====
文化祭が二週間後に迫った十一月頭に2-2組が行う売店の内容も決まったため、俺は一切の妥協はしたくない思いから、アリエルさんを通してアルヴァレス家の力を借りれないかと考えた。
そのために、まずはアリエルさんへ電話を掛ける。
フランス支部での騒動時は所持していなかったが、やはりいざという時に必要だということで、彼女は改めてスマホを所持することとなった。
ちなみに連絡先は既に交換済みだ。
アリエルさんは初めてのスマホの操作に手間取っていたが、その教わった番号を入力して発信する。
──プルルルル……。
──プルルルル……。
……出ないな。
フランスとの時差を考えて今の時間に掛けたんだけど、支部の立て直しに忙しくて今は手元にないのかもしれない。
発信が切れ、また明日にでも掛け直そうかと思って少ししてからRINEにメッセージが入った。
誰だろうかと思って画面に視線を向けると、そこにはアリエルさんの名前があり、出ようとしたタイミングで切れただけだと察する。
アプリを開いてメッセージを表示すると……。
【b】
b?
何が?
意味が解らず頭を働かせるも、やはり意図が掴めない。
するとまたメッセージが入って来た。
【On】
……だから何?
更なる疑問が放り込まれただけで、理解から遠ざかった。
結局分からないままでいると、三度目のメッセージが飛んで来たため、今度こそ分かるのかという思いから視線を向ける。
【jour】
「あ、『
ようやく理解出来た。
アリエルさんはスマホに慣れていないから、緊張でフランス語のメッセになったんだろう。
その可愛いらしい初々しさから頬が緩む感じがする。
……まぁ、こんな調子でメッセでやり取りしたら夜が明けそうだし、多分このままフランス語で来そうだから電話の方が早いかもしれない。
そう思い至った俺は、再び彼女の電話番号を入力して発信し、いつでも通話できるようにスマホを左耳に当てる。
──プルルッ。
お、出た。
「はい、竜胆です」
『キャアッ!?』
「え?」
あれ、俺何か変なこと言った?
通話状態にして挨拶と同時に聞こえた悲鳴に、俺は戸惑いを隠せずそう呆ける。
いやいや、今回ばかりは普通のことしか言ってないよ?
挨拶ですらジゴロ発言が出てきたら、ソイツはもう病気だ。
俺はまだ自覚出来るだけマシな方だから。
そう気持ちを持ち直している内に、向こう側が騒がしくなっていた。
『く、クロエ!? ツカサ様のお声が近く聞こえているようですわ!?』
『電話とはそういうものです、アリエル様』
『なるほど……突然鳴り出して対処に手間取っている内に切れてしまわれたり、メッセージが上手く入力出来なかった時は、どうしたものかと思い悩みましたがツカサ様が応じて下さって何よりですわ』
やっぱりそうか。
すぐ近くにいる様子のクロエさんの手助けで、メッセージも送っていたみたいだな。
心無しか、声音も安堵しているようだった。
『……今はワタシではなく、リンドウ・ツカサとお話をするべきなのでは?』
『──ハッ!? もも、申し訳ございません、ツカサ様! 何分〝すまほ〟はまだ不慣れなものでして……』
「い、いや、大丈夫ですよ。誰だって慣れるのには時間が掛かるものですから」
『そう、ですか。はぁん……それにしてもツカサ様のお声がこんなに近いだなんて、ワタクシ耳が幸せですわぁ……』
電話越しに蕩けそうな反応をしているアリエルさんに、苦笑を浮かべるしかなかった。
言えねぇ……。
電話って本当の声を通しているんじゃなくて、一番近い音声を出してるとか言えねぇわ……。
そんな謎の罪悪感を覚えつつ、俺はアリエルさんにあるお願いをする。
とはいえ、文化祭には彼女を始めとして菜々美達を誘うつもりなので、当日までサプライズしたい。
なので、そのサプライズのためにレティシアさんに頼りたいという旨を伝えた。
『──なるほど、レティシアお義母様にご相談ですか。ええ、他ならぬツカサ様のお願いです。ワタクシの方からアポイントメントはお取り致しますわ』
「ほんとですか!? ありがとうございます!」
『ただし、お一つ条件がございます』
「条件?」
=====
……というわけで、その条件はアルヴァレス家に来てもらってから説明するということなので、一月の間を空けて久しぶりにフランスへとやって来たわけだ。
記憶を起こしている内にクロエさんが運転する車は、アルヴァレス家本邸の敷地内へと入っていた。
車が止まり、促されるままに降りると相変わらず大きな屋敷と広い庭が視界一杯に広がっている。
「ほわぁ~っ! キレーでおっきなお家です!」
「ふふっ、ヒスイ殿らしい感想で何よりだ」
俺は二度目だが、初見の翡翠は緑の目を大きく見開いてキラキラと輝かせている。
お姫様にでも憧れていたことがあったのかもしれないな。
そんな無邪気な様子の妹の表情を見て、クロエさんも頬を綻ばせていた。
中々お目に掛かれない光景だからか辺りを頻りに見渡す翡翠の手を引きながら、クロエさんの案内で屋敷の中へと足を運ぶ。
クロエさんが両開きのドアを押してエントランスが露わになる。
「この度はニホンからフランスへ遠路遥々ようこそお越し下さいました、ツカサ様、ヒスイ様」
そこには白銀の波を描く長髪と琥珀の瞳を持ち、高そうな布で仕立てられているであろうワンピースの上からでも分かる豊満な体つきの女性──アリエルさんがカーテシーを披露して恭しく出迎えてくれた。
所作の一つ一つが洗練されて堂に入っていて、彼女本人の魅力がこれでもかと発揮されている。
それこそ、思わず見惚れてしまうくらいに。
「──と、固いご挨拶はここまでにして、改めて良く来てくださいましたわね」
「ふわぁ~……アーちゃん、凄くキレーだったです!」
「あらまぁ、お褒めに預かり光栄ですわ」
表情の切り替えでフッと容易く場の空気を変えてしまうあたり、やはりアリエルさんらしいな。
無意識に伸びていた背筋の力を抜きながらそう思う。
「クロエ、お二人のお出迎えご苦労様ですわ。後はワタクシがお義母様
「はい、かしこまりました」
あれ、クロエさんは一緒に来ないのか。
てっきりこのまま付いて来ると思っていた分、なんだか拍子抜けだった。
ともあれ、アリエルさんの案内でかつて訪れた時にも通された応接室へと辿り着く。
豪奢な家具が真っ先に目に映り、次にカール状の金髪と高価そうなドレスを着たアリエルさんの姉と言われれば納得してしまいそうな、若々しい女性──レティシアさんがソファに座っていた。
「ご機嫌、リンドウさん。あら、随分と可愛らしいお嬢さんもご一緒なのね?」
「えと、こんにちは、です……」
「ご無沙汰しています、レティシアさん。この子は翡翠っていう俺の義妹です」
「なるほど、リンドウさんの……」
若干緊張した様子の翡翠の挨拶に併せて、彼女と俺の関係を簡潔に伝える。
すると、レティシアさんは何やら頷きながら立ち上がり、翡翠の前で優雅に膝を折って目線を合わせ、再度口を開く。
「初めまして、私はアリエルの義母のレティシア・アルヴァレスと申します」
「え、えっと、竜胆ひ、すい……です……わ?」
如何にも貴族といった佇まいや雰囲気を曝すレティシアさんに、翡翠はガチガチに緊張して妙な語尾になっていた。
それにレティシアさんは不満どころか笑みを浮かべて返す。
「そう身構えずとも無礼講で構いませんよ。我が家のヒーローであるリンドウさんのご家族とあれば、敬意を持って相対するのは自明の理なのですから」
「う、うぅ……」
──つーにぃ、一体何をやったんです?
言葉にせずとも、視線でそう問いかけていることが容易に伝わった。
フランス支部の騒動のことに関して、翡翠は組織で公表された部分の情報しか知らないため、そう思うのも無理はないだろう。
「お義母様。ヒスイ様が戸惑っておられていますわ」
「あら、ごめんなさいね?」
「だ、大丈夫です……」
緊張しまくりの翡翠を見兼ねたのか、アリエルさんからの助け舟によって一旦落ち着いた。
「あの二人はまだ来られて居ないのですね?」
「恐らくもうじきのはずですが……」
ん?
まだ誰か来るのか?
そう思った途端、応接室のドアが開きだしたためそちらへ顔を向ける。
そこには、少年と少女が立っていた。
少年の方は金髪を程よい長さで切り揃えており、琥珀の瞳は爽やかな光が宿っているように見える。
顔立ちは文句なしのイケメンで、清潔感のある白のシャツと黒のズボンとシンプルながらも彼自身をよく引き立てているようだ。
もう一人の方……少女の方は腰まで届く金髪に青いリボンが付いたカチューシャを着けていて、水色のワンピースと白タイツという装いは、典型的なお姫様を彷彿とさせる。
青の瞳はパッチリと開かれており、どちらかと言えば愛らしさを感じさせる美少女だ。
そう二人を分析していると、揃って一歩前に出て俺に首を垂れ出した。
「僕はフェリクス・アルヴァレスと申します。我が家の恩人にして義姉様の婚約者たるリンドウ様のことは、母様と義姉様からよくお聞きしていますが、こうして顔を合わせる機会に感謝致します」
「私はシャルロット・アルヴァレスですの。アリエル義姉さまとフェリクス兄さまの妹でございます。未来の義兄さまとなるツカサ義兄さまには、以前からお会いしたいと思っていましたの」
これまた何とも恭しい挨拶をする二人に、俺は戸惑いを隠せないでいた。
何せ、彼らは自らを〝アルヴァレス〟と名乗ったからだ。
それはつまり……。
「ご紹介の通り、こちらの二人はお父様とお義母様との子供ですわ」
「やっぱりそうですか……」
アリエルさんと違って、アルヴァレス家の正当な跡継ぎだということだ。
ただ、どうしても気になることがある。
──婚約者候補だからって義兄様呼びは早くない?
俺と初対面なはずの二人の外堀が、既に埋まっている事実には受け入れるのに時間が掛かりそうだった。
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