281話 甘えさせ上手なカノジョ
「よし、今日のノルマ終了っと」
翡翠とのデートが変じて、彼女に抱いていた初恋が破れた崎田君を励ました翌日の日曜、俺はオリアム・マギ日本支部の地下五階にある、射撃訓練場で今日も射撃の練習をしていた。
新しい家族となった義妹を、ゆず達を守れるようにと心構えを持って取り組んだことで、かなり集中出来るようになった気がする。
とはいえ……。
「お疲れ様です、ツカサ先輩」
「あぁ、ルシェちゃんもお疲れ様」
今日はルシェちゃんと二人で揃ってだが。
ワンピースタイプの運動着に身を包む彼女が戦闘時に扱う魔導武装は二丁拳銃であるため、前からたまに射撃訓練が重なる時があり、そうなったらこうして一緒に鍛錬に励むようにしている。
扱う銃が違うから一概に同じとは言えないが、正直射撃精度はルシェちゃんの方が上だと思っている。
俺が使う銃より反動がキツイタイプのを、二丁持ちで撃ってることからその差が良く分かるだろう。
まぁ、競うつもりはないから、そこまで気にしていない。
それくらい出来ないと唖喰と戦うには不安定だと、本人も言っていたしな。
「それにしても、ルシェちゃんが日本に来てもう一か月が経つのか……その間にあった出来事が濃密過ぎて、あんまり実感がないなぁ」
「そうですね、男性恐怖症の治療の方も順調ですしね」
男性恐怖症の治療の為、フランスから日本に留学しに来た彼女の男恐治療係を引き受けて、あっという間だったと思い返す。
当初は俺以外の異性だと目を合わせることも難しかったが、今では直接触れさせしなければ発作は起きない程に治まって来ている。
「それに、ヒスイちゃんがツカサ先輩の家族になるなんて思いもしませんでした」
「おかげさまで、前より賑やかになったよ」
元からノリの良い性格なのもあって、翡翠はこの一週間ですっかり竜胆家の一員として馴染んだ。
たまに両親から邪推される時もあるが、最初からそうであったように兄妹として仲を育めていると思っている。
美沙のことで色々と多難ではあったが、誰も欠けることなくこうしていつもの日常を過ごせている幸福を、手放さなくてよかったと思えた。
「……それもこれも、自暴自棄になった俺を支えてくれたルシェちゃんのおかげだ。本当にありがとう」
「こちらこそですよ。ツカサ先輩にお礼を言いたいのはボクの方ですから」
「いやいや、俺の方が助けられてるから」
「違います! ボクの方です!」
「「…………っぷ……!」」
感謝の度合いを競った挙句、堪らく可笑しくなったことで声を揃えて笑い合う。
そうして一頻り笑った後、丁度ゆず達もいない二人きりである今がチャンスだと思い、幾ばくか緊張しながらもある事を尋ねてみる。
「あー、ルシェちゃん?」
「はい?」
「その、だな……具合が悪いとか、そういうのはないか?」
「いえ、特には──あっ……」
若干上ずりそうな声音で伝えた質問の意図を察して、ルシェちゃんはカァッと顔を赤く染める。
かなり遠回しな尋ね方だったが、彼女の察しの良さに助けられたような申し訳ない様な、そんな複雑な気持ちになりそうだ。
──何せ、
嫌だったとかそういう気持ちは無い。
一応避ける準備を整えてはいたが、万が一ということもある。
そうでなくとも責任を取る思いで臨んだことだ。
どっちに転ぼうとも俺はルシェちゃんを見捨てはしない。
そんな覚悟を再確認していると、彼女は両手の指をもじもじと絡ませたり解いたりしながら、朱を彩った頬と上目遣いでこちらを注視して来た。
あまりの可愛さに心臓が大きく弾む。
何か言おうとしても上手く言葉に出来ないままでいると、ルシェちゃんはゆっくりと口を開いた。
「──だい、じょうぶです。ちゃんと
「お、おぉ、そっか……」
何が来たかって?
言わせんなよ恥ずかしい。
とにかく、ふぅと大きく息を吐く。
それと返事が曖昧なのも見逃して欲しい。
正直、複雑過ぎて本心が分からないから、喜ぶのも悲しむのも不正解な気がしたんだよ。
ええい、心臓がうるさいし緊張のせいで全身が暑くて仕方がない!!
「……ちょっと残念ですけど」
「──ッブ!?」
「え、あぁっ!?」
無意識に小声で呟かれたにも関わらず聞こえてしまった言葉に、思わず吹き出してしまった。
数瞬遅れて気付いたルシェちゃんが、一瞬で茹で上がったように顔を真っ赤にしながら両手を振って慌て始める。
「ちちちち、違うんです!? いや、えと、違くなくて、でもやっぱり、まだ早いかなって……で、でもでも、ツカサ先輩とならって思うとやっぱり──」
「ちょ、ストップストップ!? 墓穴掘ってるから!」
「いやああああっっ!? 違います!! ボクはそんなエッチじゃないですからぁぁぁぁっっ!!」
「大丈夫! 解ってる! 解ってるから落ち着いて!?」
羞恥心と混乱から大いに取り乱す彼女に、落ち着くように声を掛けていく。
ぶっちゃけその慌てようが可愛いかったが、口に出すと余計に拗れそうなので噤んだ。
「悪かった。でも事が事だから一応確認しておこうと思ってただけなんだ」
「い、いえ。ツカサ先輩はボクの体の心配をしてくれていただけですし……」
何とか落ち着いたルシェちゃんに謝罪すると、彼女は赤い顔のままそう言って許してくれた。
この子の気持ちを知っているからこそ、さっき残念そうにした理由にはある程度理解は出来るが、俺達はまだ学生だから些か早計というかなんというか……。
そうなれば、ルシェちゃんは確実に俺の傍にいることになるわけで──ってダメだダメだ!
俺までそっちに思考を持ってかれてどうする!
逸れだした思考に気付いて、首を振って強引に戻す。
なんてことをやっていると、ルシェちゃんから声を掛けられた。
「あの、ツカサ先輩。遅くなっちゃいましたけど、今回も色々とお疲れ様でしたね」
「あぁ、流石に今回のは堪えたけど……支えてもらったおかげで何とかなって良かったよ」
美沙の死は、個人的には唖喰の絶滅不可以上のショックだったが、ヤケになった俺を見捨てずに献身的に寄り添ってくれたルシェちゃんの存在に救われた。
少しでも歯車が掛け違えば、翡翠と兄妹になるなんて答えを出せなかっただろう。
そのことに関して包み隠さず感謝を伝えると、彼女は柔らかい笑みを浮かべて素直に受け取ってくれた。
「えへへ……それじゃ頑張ったツカサ先輩に、ボクからご褒美をあげます!」
「ご、ご褒美? そこまでのことじゃ──」
「そんなことを言ったら、また前みたいに自暴自棄になっちゃいますよ?」
「うぐ……」
そこまでのことじゃないと言い掛けたところで、ルシェちゃんから先に釘を刺されてしまう。
思わず苦虫を嚙み潰したように眉を顰めた俺の表情を見て、彼女に反省していることは伝わったようだ。
「そ、それで、ご褒美って?」
若干気恥ずかしさを隠しながら尋ねると、彼女は訓練場の床に腰を降ろして女の子座りをする。
そして、白い太ももを手で軽く叩きながら笑みを向けて……。
「膝枕をどうぞ!」
「ひ、膝枕……?」
あまりに魅力的なご褒美に驚きを隠せない。
ふと思い出したのが、フランスでメイドに変装していたアリエルさんに同じことをされた時の光景。
色んな意味で忘れられないアレを彷彿とさせるが、幸い相手はルシェちゃんだ。
アリエルさんのように変な悪戯はしない安心感から、俺は少し逡巡したあと受け入れることにした。
「じゃあ、頼む」
「はい、どーぞ」
横になってルシェちゃんの太ももに頭を乗せる。
滑らかな白い肌と女の子らしい柔らかな感触に、心臓がやかましく囃し立てるが強引に無視する。
「どうですか?」
「あぁ、良いよ」
「ふふっ、それは良かったです」
嬉しそうな声音から、言葉通りに受け取っていいのだろう。
すると、彼女は俺の髪を指先で摘まんだりしていじり始めた。
「ツカサ先輩の髪って、若干くせ毛ですよね」
「それ、生まれつきなんだ。あんま手入れとかしてないからみっともないだろうけど」
「ちょっとだけはみ出てるのが可愛くて、ボクは好きですよ」
「そっか」
膝枕をされているせいだろうか、普段無意識に張っていた肩肘が自然に解れているような気がする。
ルシェちゃんといると心が落ち着くのは、俺がそれだけ彼女に気を許している──いや、弱味を曝け出せる相手として安心しているからだろう。
特にあの夜の出来事があったからこそ、尚更かもしれない。
「ほんと、ルシェちゃんといると気が楽だよ」
「ユズさん達の前では、いつもカッコつけるからじゃないですか?」
「男はカッコつけたがりなんだよ。もう本能だ本能」
「ツカサ先輩の場合はそれで本当にカッコイイから、いつもやきもきしそうです」
そういえば翡翠が俺に告白とキスをして来た時も、ゆず達が大慌てする中でルシェちゃんだけは比較的冷静だった気がする。
だからといって楽観視はしていないようで、自分勝手ではあるが想われている実感として嬉しく思ってしまう。
「なんだ。余裕ぶってる割りに嫉妬するんだな」
照れ隠しも兼ねてそう返すと、彼女は眉間に少しだけシワを寄せて不満気に頬を膨らませる。
「それはそうですよ。ボクだってツカサ先輩のことが好きなんですから、他の女の子に優しくするところを見たら嫉妬くらいします」
「人に優しくするのって当たり前じゃないか?」
「そうですけど……ツカサ先輩はもっと乙女心を察せるようにしてください」
「……肝に銘じておくよ」
何とも耳が痛い言葉だった。
そんな会話の応酬に妙な心地良さを感じていると、ルシェちゃんが俺の頬をつつき出す。
無言でいじる彼女に視線で何をしているのかと尋ねる。
それが通じたのか、ルシェちゃんは何故かジト目を向けて来た。
「さっき、ツカサ先輩はカッコつけるのは男だって言ってましたけど、ボクの前だとカッコつけないのは?」
それ、言外にカッコイイ俺が見たいって言ってません?
思わずそう勘違いしそうになるくらいに、今の言葉は中々悶えそうになった。
緩みそうになる頬の表情筋を抑えつつ、ルシェちゃんの言葉に答える。
「カッコつけてない俺は嫌か?」
「っ、その聞き方はズルいです……」
そう返すと、彼女は頬を桃のように仄かに染めて顔を逸らした。
可愛い。
堪えていた表情筋があっさりと崩れて、声を上げて笑う。
「あははっ。ルシェちゃんの前だとカッコつけないのは、それだけ気が楽だってことだよ。だってさ、強がってもすぐに見破られるんだからあまり意味ないだろ」
「──そう、なんですか?」
「嘘言ってるように見えるか?」
「……ふふふ、確かに見えないですね」
俺の本心を悟ったルシェちゃんは、朗らかな微笑みを浮かべる。
その愛らしさに心臓が跳ねる感じがした。
「ツカサ先輩。まだユズさん達との合流まで時間がありますし、少し眠ってみたらどうですか?」
「ん~……そうしようか」
普段なら遠慮していた提案も、彼女相手なら良いかと瞼を閉じて快諾する。
頭を撫でて来る手の動きがゆりかごのように心地の良いリズムを刻み、緩やかな眠気に抗わず身を預けていく。
悪い気分は一切しない、温かな安らぎはぬるま湯と言っても過言ではないだろう。
これは、くせになりそうだ……。
ゆず達の誰が相手でもこうは行かないかもしれない。
それだけの包容力をルシェちゃんが持っているってことか。
なんてことをぼんやりと考えている内に、俺は夢も見ない程の熟睡をするのだった。
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