257話 無力の矛先


 結局、合い鍵で家に入って来た鈴花達を帰すことは出来ず、三人にリビングへ上がってもらった。

 鈴花は高校一年の頃以来、ゆずはゴールデンウイーク以来で、初めて俺の家に来たルシェちゃんは、緊張しているのかそわそわしている。


 その様子に微笑ましくはあっても、俺はどうしても素直に笑える気分がしない。

 

 リビングにあるソファにルシェちゃんと鈴花が腰を掛け、ゆずは二人の足元に腰を降ろし、俺はテーブルを挟んで三人の対面に座っている。


「──で、なんで学校休んだわけ?」

「……昨日、帰ってから気分が悪くて、吐いたりしただけだ……そのまま疲れてソファで寝たあと、起きたのはついさっきだよ」


 別に嘘は言っていない。

 昨日学校から日本支部へ向かい、隅角さんに美沙に関する資料を貰ってからそれを読んだ後……つまり、ショックのあまり嘔吐をして気絶するようにソファで眠っていた。

 だが、その返答に鈴花は納得がいかない様子で、未だに俺に冷ややかな眼差しを向ける。


「この期に及んでまだしらを切るつもりなの?」

「……本当にそれだけだっての」

「それだけならなんで嘘をつくのかって聞いてんのよ」


 真意を明かそうとしない俺に、鈴花は引き下がることなく訊ねてくる。

 だが、俺はそれでも答えを避ける。


 何せ、美沙の死は鈴花にとっても重大な出来事だ。

 俺でこのザマなんだから、彼女にも大きなショックを与えかねない。

 それだけは絶対に避けないといけない……だから、俺は口を噤み続ける。


「司君、その体調の方は大丈夫なんですか?」

「……まだイマイチ気分が良くないけど、体の方は大丈夫だ」

「……」


 ゆずの質問にそう返すと、彼女も俺が無理をして強がっているのを察しているのか、悲し気に眉を顰める。

 彼女が美沙を知っているのかどうかは分からない……。

 隠し事をする申し訳なさはあるが、それでもあまり人の死を大っぴらに語りたくない気持ちの方が強い。


 特に、鈴花への思慮を抜きにしても美沙の死はなおさら……。


 何も答えない俺に鈴花が無言で睨み付けるが、俺は敢えて無視をする。

 ルシェちゃんもルシェちゃんで、何も言わないことにどうしたらいいのか悩んでいるようだった。


「……司君」

「ん……?」


 不意にゆずから名前を呼ばれて、顔を合わせる。

 彼女はそのまま目を逸らさずに俺を見据えて……。


「──もしかして、翡翠ちゃんの過去と何か関係があるのですか?」

「──っ!」

「え、なんでここで翡翠が出てくんの?」

「そういえば、放課後に技術班の整備室に行くって言ってましたね……」


 鋭いゆずの指摘に、俺は動揺を隠せずに肩を揺らす。

 一方で、俺が直前までどんな行動をしていたのかを知っているルシェちゃんは、ゆずの指摘をさらに補足するように告げ、翡翠に関して事情を一部しか知らない鈴花はキョトンと首を傾げていた。


「えっと、スズカさんはヒスイちゃんのことをどこまで知ってますか?」

「ええっと、確かあの子が唖喰に下半身を食い千切られた時に、教導係の人が身代わりになって治して助かったけど、それから唖喰と戦ってないんだっけ?」

「はい、ボクが知っているのもそこまでなんです」


 俺だって、つい昨日までそこまでしか知らなかった。

 それでも、翡翠のトラウマをどうにかしようとして、その過去にあった覆しようのない事実を知ってしまった……。


「ゆずは?」

「私は……翡翠ちゃんがその亡くなった教導係の方を強く慕っていたということ以外は、鈴花ちゃん達と同等しか知り得ていません……」

「あ、そっか……その時のゆずって、司と会う前だから……」


 鈴花の質問に、ゆずは当時の自分を恥じるように申し訳ないという表情を浮かべる。

 

 ──違う、ゆずは何も悪くない……悪いのは、美沙を殺した唖喰で……その裏を知らずにアイツを傷付けた俺だ。 

 

 誰に言うでもなく、何より自分に言い聞かせるように心内でそう自虐する。

 そうだ、俺が……悪い。


「アンタのお人好しは今に始まったことじゃないけど、あの司がそんなになるなんて、翡翠の過去ってどれだけキツイのよ……」

「……俺から言えるわけないだろ」

「……ホントにどうしたのよ、普段の司らしくないわよ?」

「──普段の、俺……?」


 何故か、その知ったような口ぶりがやけに気に障った。

 小学生の頃からの仲の鈴花が知っていて当然なのに、どうしてか胸の奥が疼いて仕方がない。


「菜々美さんが塞ぎ込んだ時とか、アリエルさんとルシェアを助けた時みたいに、辛い時でもまっすぐ立ってるのがアンタでしょ? アタシは良く知らないけど翡翠の過去が重いからって、折れるには今更過ぎじゃない?」

「……」


 鈴花なりに俺という人間をあっけらかんと語る姿に、無性に腹が立ってくる……。

 知らないなら折れるには早いとか、理解しているって言い方は止めろ……。 


「そうです。司君はどんな苦境にだって勇気を持って立ち上がれる強い人です。私が一番惹かれた理由は、そういう心の強さですよ」


 ゆずが続いてそう告げる。

 なんだそれ……俺はそんな立派な人間じゃない。

 俺より上手くやれるやつなんて、世界中探せば埃みたいにたくさんいるに決まってる。


 別に……俺じゃなくたっていいだろ……。


「ツカサ先輩……ツカサ先輩がボクを信じるって言ってくれたこと、本当に嬉しかったんです……。だから、もし何か力になれることがあれば、ボクは全力でお手伝いします!」


 二人に倣って、ルシェアもそう言った。

 確かに、俺は彼女にそう宣言したことがある。


 でも、力になるとかそういう話じゃない。

 そんな価値、どこをどう見れば俺にあると思ったんだ……いくら男性恐怖症の発作が出ないからって、俺のことを信じ過ぎだろ。


 三人の信頼を確かに感じるはずなのに、それが却って不快に感じていた。

 それでも、不満を口にするわけにはいかず、俺は顔を俯かせて口を噤むだけに留める。


「大丈夫です。司君がいてくれれば、私はどんな唖喰にだって立ち向かえますし、好きな人のためならことだって出来ますから」

「命……」 

 

 その言葉を聞いた時、ゆずが、俺に手を差し伸べる。

 苛立ちで早く感じていた鼓動が、ドクンっと一際大きな音を奏でた。

 初めて唖喰と会った時……初めてゆずが唖喰と戦うところを見た時……鈴花が魔導少女になると言った時……鈴花が左腕を溶かされた時……河川敷でカオスイーターに襲われた時……修学旅行先で唖喰に囲まれた時……ベルブブゼラルに襲われて眠っていたと知った時……ルシェアが一人での戦いを強いられた時、菜々美を庇ってイーターに半身を噛まれた時、翡翠を助けようとして右腕を骨折した時……。


 今の今まで濃密に経験してきた死の恐怖が一気にぶり返して、美沙が死んだと知った時のショックも思い出して……。 















「それで死んで、残された俺の気持ちはどうだっていいのかよ」

「え──?」


 ──途端に、何もかもが怖くなった。

 

 俺の言葉を聞いたゆずが戸惑い気味に声を漏らす。

 彼女からすれば、驚き以外の気持ちが出ないだろう。

 よく見れば、ルシェアと鈴花も同じように驚いているようだった。


 それもそうだろう。

 何せ、こんな愚痴は今まで思ってはいても、明確に口に出したことはないからだ。

 だけど、一度栓を切った不平不満は留まろうとせず、次々と俺の口から発せられていく。

 

「命を賭けるとか死んでも守るとか、勇ましさはあるかも知れないけど、正直重いんだよ。俺がいつ自分のためにそうしてくれって言った? 死んだらもう会えなくなるって解ってて言ってんのかよ」

「つ、司君……? どう、したんですか? 急に……」

「急にじゃねえよ。今までだって何度もそう思ってたよ」

「──っ!!」


 唐突に浴びせられた罵倒に、ゆずは混乱しながらも俺の真意を尋ねるが、それが本心から来ている言葉だと伝わると、口元を両手で覆って目を大きく見開いた。

 

「ツカサ先輩、止めて下さい! ユズさんはツカサ先輩を大事に想ってるから励まそうとしただけで、そんなつもりは──」


 ゆずが戸惑いを隠せない中、ルシェアが俺に反論する。

 その表情は悲痛が混じっていて、そんな顔をさせてしまうことに胸の痛みがさらに強くなった。


「本当に俺のことを励まそうとするなら、そっとしておいてくれよ。気分が悪い時にそんなことを言われても、受け止められるわけないだろ……」

「体調が悪い時に押し掛けてしまったのはごめんなさい……でも、ユズさんもスズカさんもボクも、ツカサ先輩を心配したから……」

「俺はそんな心配されるような人間じゃねぇよ……」

「そんなこと──」

「──無いって言うのか? 男性恐怖症の発作が俺に出ないからって、どうしてそこまで俺の事を信じられるんだよ。俺だって、お前が苦手な他の男と何一つ変わりはしないんだぞ? 出会って二ヶ月も経ってないのに、分かった気になるなよ」

「──っ、あ……」


 ルシェアが俺を信じているのは、他の男と違うからと思っているようだが、全然そんなことはない。

 普通に色目を向ける時もあるし、我慢強いだけで結局頭の中はそこらへんの男と同じだ。

 

 改めて俺はそういう人間なんだと告げると、ルシェアは目尻に涙を浮かべながら悲しげに目を伏せた。

 そんな彼女に声を掛ける間もなく、グイッと服の襟を掴まれる。


 掴んだのは鈴花だった。


「いい加減にしなさいよ! 何らしくないことしてんの!? ゆずとルシェアに謝りなさいよ!!」

「〝らしくない〟ってなんだ? 俺は聖人君子でも清廉潔白でもない……もう、うんざりなんだよ……」

「~~っ、ホンットバカじゃないの!!? アンタは魔導士と魔導少女の日常を守るって決めたんでしょ!? 今やってることはそれを破ってんのと同じじゃない!!」


 あぁ……そんなことを言ったっけ……。

 自分のことなのに、何処か他人事のように聞いている俺の態度が気に食わないのか、鈴花は更に怒りを露わにする。


「翡翠の過去のことで何か辛い思いしたのは分かるけど、その不満をゆず達にぶつけるのは間違ってんでしょうが! 不貞腐れてる暇があるなら、二人に謝って翡翠を助けなさいよ!!」

「──は?」


 そう言われた瞬間、ただでさえギリギリの理性で抑えていた怒りが完全に爆発した。

 衝動に駆られるまま、俺はテーブルに置いてあった資料を手に取って鈴花に投げ付ける。


「アイツの過去は辛いなんてもんじゃないんだよ!! むしろ知らなきゃよかったくらいだ!!」

「っ、痛……なに、これ──っ!!??」

  

 投げた資料の紙が散らばり、鈴花がその中の一枚を手に取って目を通した途端、彼女の眼の色と顔色が一気に変わった。


 慌てて他の紙も手に取り、必死に目を動かして何度も何度も読み返していく内に、鈴花は恐る恐る青褪めさせた顔を俺に向けて尋ねる。


「……これ……どういう、ことなの? 美沙が魔導士で、翡翠の教導係で、一年も前に亡くなってるって……」

「えっ!? ミサって……確か、ツカサ先輩の元カノだった人じゃ……」

「……翡翠ちゃんの教導係が、司君と関わりのある人……!?」


 鈴花の問いに、ゆずとルシェアも大いに驚いた様子だ。

 ゆずは翡翠の教導係だった美沙が俺と密接な関係にあったこと、鈴花とルシェアは美沙が魔導士だったことに、それぞれ驚愕を感じていると分かる。

 

 けれど、その中で一番ショックが強いのは、鈴花だった。

 当然だ。

 あの日の当事者の一人で、彼女も同じように美沙のことで後悔を抱えている。


 美沙の死を信じられず、鈴花は俺の肩に手を置いて詰め寄って来た。


「答えてよ!? なんで美沙の名前がここにあるの!?」

「……んなの、俺だって信じられねぇよ……でも、分かるだろ? アイツが死んだ原因を作ったのは、俺だ。あの日、あんなこと言わなきゃ、美沙が死ぬことなんてなかったんだよ」

「……ち、違う……美沙を殺したのは唖喰で、あの時のはアタシが──」

「いいや、俺だよ。あの日、美沙にちゃんと謝っていれば──いや、美沙の告白を断っていれば良かったんだ」

「──っ」


 鈴花自身も親しかった美沙の死という真実は、アイツを知っていた俺達の心に深い影を落とした。

 それほどまでに、彼女の存在は大きい。

 

 そうだよ……もっと早くアイツの気持ちに答えを出していたら良かったんだ……。


「もう分かっただろ。俺と関わってたら、ゆずもルシェアも鈴花も、菜々美やアリエルさんに、翡翠だってそうだ。みんなを傷付けるだけなんだ」


 だから、と俺は続ける。


「俺はもう……、








 日常指導係と男恐矯正係は辞める」

「「「──っ!!?」」」


 俺がそう口にした途端、三人は鉄砲を食らったように顔をバッと上げた。

 何も言えないままの鈴花とルシェアに、もう何も言うことはないと決め、帰るよう促そうとする。


「──うそ、ですよね? 司君……?」

「……」


 ゆずが、先の発言を否定してほしいと訴えるように、尋ねて来た。

 その問いに、俺は無言で否定する以外ない。


「色々、混乱しているからであって、本心じゃないんですよね?」

「……冗談で言うわけないだろ」

「──わ、私は司君のいない日常なんて嫌です! 司君は私の大事な人で……す、好きな人ですから、辞めてほしくなんて、ありません……」


 彼女が俺との日常を何より大事に想っているのは重々知っている。

 ベルブブゼラルとの戦いだって、その気持ちがあったからこそ、戦い抜くことが出来たくらいだ。

 それ故に、ゆずは縋るように俺に日常指導係を辞めないでくれと懇願する。


 でも……。


「俺の日常を、ゆずの日常に巻き込むなよ」

「ぇ──」 


 俺はその願いを拒絶した。

 

「好きだからって、俺を巻き込んで良い理由になるわけないだろ。大体、たまたま俺だっただけで日常指導なんて誰でも出来ることじゃねえか。なら、もう無理して続ける理由もない」

「っ、あ……その……」

「まだわかんないのか?







 俺一人が居なくなったぐらいで無くなる日常の中で生まれた想いなんて、その程度なんだよ」

「──っ!!」


 ──パァンッ!!


 ゆずにとって根幹とも言える部分を否定した瞬間、リビングに乾いた音が木霊する。


 ──それは、ゆずが俺の頬をビンタで殴った音だ。


 じんじんと頬が焼ける様に痛む。

 その痛みをぶつけたゆずは、泣きそうな目で俺を睨んでいた。


「──ぁ、っ!!」


 だが、すぐにハッとすると顔を一気に青褪めさせ、おろおろとした後にどうしようもなくなったのか、彼女はカバンも持たずに玄関から家を出て行った。


「あ、ゆ、ユズさん!」


 その後を、ルシェアが置いて行ったカバンを持って追いかける。

 

「……」

「……」


 残された俺と鈴花は、互いに口を交す事無く、無言で別れた。

 そうして三人が出て行ったことを実感すると、ドッと全身から力が抜けて、俺はソファにもたれ掛るようにしてその場に崩れ落ちる。


 胸の奥がズキズキと痛む……呼吸が出来ているのかはっきり分からない。

 端的に言えば、俺は自分の言動に抑えようのない嫌悪を抱いていた。


「これでいいんだ……俺がいると、みんなを傷付けるのは目に見えてるんだから、これで……いい」


 そう、自分の行動に悔いはないと言い聞かせながら、俺は一人、窓から夕陽の光も入って来ないリビングで項垂れる。


 もう、美沙と同じ過ちを繰り返さないために、これで良かったのだと、思いながら……。


 

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