256話 変えられない喪失
『全部、全部、私の一方的な片想いだったんだ……私なんて、何とも思ってなかったんだ……!』
それが彼女──美沙と交わした最後の言葉だった。
心無い言葉で傷付き、哀しみにうちひしがれるアイツの顔が、今もハッキリと思い出せるほどに脳裏に焼き付いて離れない。
俺は何度も何度も、あの日のことを後悔している。
ゆず達から向けられている好意に答えを出すためにも、美沙との悔恨を払拭しようと決めた。
アイツが進学した高校を知って、その前に翡翠のトラウマを解消しようとして……俺が積み上げて来たモノが足元から崩れるような真実を知った。
美沙が本当は魔導少女で、一年も前に死亡していたという、唖喰の絶滅不可を知った時よりも、世界の残酷さと理不尽が重く圧し掛かる形で。
~~~~~
「──っ、ぁ……」
唐突に意識が浮上したことで、自分が眠っていたことを察する。
体を起こそうとして、やけに全身が軋む感覚がした。
おまけに頭もガンガンと痛む……喉はカラカラで腹だって減っているのに、食欲が湧かない……。
「あぁ……ソファで、寝てたのか……」
そりゃ体を痛めるな。
時計を見れば五時……窓から夕日が射していることから、午後の方だと分かる。
確か、隅角さんから貰った書類を見て美沙の死を知った後、あまりのショックに嘔吐を繰り返したせいで、胃の中が空っぽだ。
頭痛も食欲不振も多分そのせいだろう。
自分でも予想以上に衝撃が強かったのか、丸一日気絶するように眠っていたようだった。
正直、鬱屈した気分で何もする気が起きない。
「美沙が、翡翠の教導係……」
まず彼女が魔導少女だったことに驚きを隠せなかった。
中学時代ではたまに眠そうにしていたり、メールを送っても返信が遅い時があったり、よくよく思い返せば俺は美沙の住居に行ったことも無ければ知りもしなかった。
何度か尋ねたことはあったが、美沙自身が教えることを躊躇っていたため、無理に聞こうとせずそのままにしていたけど、それはアイツが唖喰と戦っていたからと思うと、腑に落ちる。
彼女の住居に招くとなると、どうしても組織の居住区になってしまうからだ。
秘匿性の高い情報の塊とも言える場所に、当時無関係だった俺や鈴花を美沙が招くはずがない。
結果虚しく、アイツの思惑を外れて俺達は二人して唖喰と対峙することになってしまっているが……。
そして、翡翠との繋がり。
あの子が〝おねーちゃん〟と呼び慕っていた人が美沙だと分かると、アイツらしいな、なんて思う。
クラスでも誰に対して分け隔てなく接する姿を何度も見てたし、実際に彼女を慕う人間は老若男女問わずだった。
そんな美沙が……翡翠を守って死んでいた。
ようやく向き合う決心をして行動を起こした途端に齎された事実は、無情にも過去に起きていたのだ。
菜々美とルシェちゃんに美沙との関係を話したことはあったが、その二人からは特に言及はなかった……それもそのはずだ。
二人が組織の一員になって唖喰と戦い始めたのは、美沙が亡くなった後から……大っぴらに公表でもしない限りは彼女達が知らなくても無理はない。
多分、ゆずか季奈に隅角さんや初咲さん……確実に傷付けるが翡翠に告げていたら、もっと早く知ることになっただろう。
もしかしたら、工藤さんも知っていたかもしれないな……。
でも、そこを考えてももう意味はない。
人の死なんていうのは、時間を巻き戻さない限り絶対に覆しようのないことだ。
ましてや、それが元カノで……今更であっても探し始めた人間だって言うんだから、本当に酷い……。
「──俺のせい、か……」
もし、彼女への想いを早く決めていれば、俺は今のゆず達と同じように支えようとして何か出来ただろうか。
鈴花が腕を無くすことも、河川敷で季奈に無理をさせることも、修学旅行で唖喰と戦う三人の力になることも、ベルブブゼラルに襲われることだってなかっただろうし、アリエルさんとルシェちゃんをダヴィドからもっと早く守れたかもしれない……。
「クソッ……なんで男だと術式を使えないんだよ……」
つくづく行き着くのはそこだった。
今まで何度も抱えて来た無力感が、事此処に至って大きく肥大化する。
ラノベにあるように、主人公だけでもヒロイン達と一緒に肩を並べて戦えたら、どれだけ良かっただろう。
自分の体に、日夜過酷な戦いを乗り越える彼女達と同じ力の源があるっているのに、それを操れないってだけでここまで歴然とした差が出て来ることが、堪らなく悔しい。
「翡翠に……どんな顔して会えばいいんだよ……」
ただでさえ堪えてる俺の心をより重くするのが、美沙の決死の行動で生き延びた翡翠の存在だ。
あんなに小さい体で、下半身を喰い千切られるなんて重傷を負って、さらに憧れて慕っていた人の犠牲の上で生きて、それでも笑って何も知らない俺を悲しませないように黙っていた。
……いや、嫌われたくないって可能性もあるか……そこまで好かれるようなことをした覚えはないにせよ。
どちらかと言うと、恨まれていてもおかしくないのに……。
──美沙を傷付けたくせに、三人の女性に好意を寄せられてるやつのことなんて。
『はいはいはーい! ひーちゃんでーす!』
『きゃああ! つっちー、怖いです! 一緒に居てぇです!』
『ひーちゃんは今日は非番なので、つっちーと遊ぼうと思ったからです!』
なのに、あの子はいつもいつも元気一杯に笑顔を浮かべて、自分の辛い気持ちを隠していた。
『魔導少女のひーちゃんが耐えられなかったことを、魔導士じゃないつっちーが乗り越えたのがすごいって思うです!』
『だってつっちーは前にひーちゃんをすごく優しくギュってしてくれたです。それにつっちーが魔導銃を使うって決めたのは自分のためじゃなくて、ゆっちゃん達のために使うって決めたものです! むしろ優しいつっちーじゃないと魔導銃は使えないってひーちゃんは思っているです!』
『命の大切さは誰でも口で言うのは簡単です。でもつっちーみたいに実感できる人はほんの一握りなので、つっちーは全然良い方です!』
今まで俺を励ましてくれていた言葉も、自分の悲しみを押し殺しながら言っていたのとしたら、健気なんてものじゃない。
『ひーちゃんのママが唖喰に殺されちゃった時、助けてくれた魔導士はひーちゃんの初戦闘の時まで、色々面倒を見てくれたです』
『学校で水泳の授業があるのに、ひーちゃんは泳ぎが上手じゃないからです!』
『そこはつっちーとひーちゃんの仲なので、固いことは言いっこ無し、です!』
──この半年間……俺は一体どれだけあの子の心を傷付けたんだ?
──その度に、翡翠は何度笑みを浮かべて耐えて来たんだ?
『どうしておねーちゃんは自分のことよりひーちゃんを助けたのか、それをちゃんと証明したいって思ったからです』
『ひーちゃんは、唖喰が怖くて、憎くて、仕方がないです。おねーちゃんが居なくなってとても悲しくて寂しくて、どうしてひーちゃんが生きておねーちゃんがいないのって後悔して、唖喰が絶滅出来ないって知って、ずっとずっとどうしようもないままです』
『つっちーは、唖喰に何度も殺されかけたのに全然折れなくて、唖喰が絶滅出来ないって分かっても、ゆっちゃん達のために戦うって決めてるのに、ひーちゃんは……』
『ごめんなさいです……ひーちゃんがもっとしっかりしてたら、つっちーに怪我をさせることもなくて、ルーちゃんにも心配を掛けることなんて、なかったんです……』
思えば、ベルブブゼラルの一件があってからというものの、翡翠の態度が変わっていた。
自罰的というか、劣等感が垣間見える言動が増えていたように思える。
夏休みの初日──ゆずの誕生日の後で俺がベルブブゼラルに眠らされた後、あの子は戦闘に参加しようとしたり、実際に商店街での戦いでは瀕死のゆずを助けたという。
さらに会話の内容は思い出せないが眠る前に俺と会っていたようで、その時どうして助けられなかったのか、ゆずに責められたらしい。
今まで、それは彼女の教導係──美沙に対する罪悪感が原因だと思っていたけれど、ゆずに責められたように、俺に責められたくないと思ったからなのかもしれない……。
「最低だ……俺……」
自分のバカさ加減に反吐が出る。
一体、どの面を下げて翡翠のトラウマを解消しようとしてんだ……。
何も知らないくせに、ゆずや菜々美にアリエルさん……ルシェちゃんを助けた時みたいに上手くやってやるなんて、調子に乗って……。
戦えないことへのコンプレックスだけじゃない……俺自身がトラウマを刺激しているようなもので、あの子に仮面の笑顔を強要していた。
『ぅ、あぅ、やだぁ……やだぁ……!』
一昨日遭遇したはぐれ唖喰との戦闘でも、俺は悲痛に泣く翡翠の意思を無視して、腕を骨折して余計に思い詰めさせた。
これ以上、あの小さな女の子を傷付けないためには、俺は……。
──ピンポーン。
「ぁ……?」
……もうすぐ夕食時の時間帯なのに、インターホンが鳴った……誰だ?
そう思いながらも、俺は未だカメラが無いインターホンの受話器を取る。
「……はい、竜胆です」
『あ、いた! ちょっと司! アンタ学校を無断欠席するとかどうしたの?』
『風邪ですか? 私達がいくら連絡しても応答がないので、心配したんですよ』
『もし夕食がまだだったら、ボク達で作りましょうか?』
三人分の声……鈴花とゆずとルシェちゃんか……。
そういえば今日は火曜日……平日で学校があったんだった……。
美沙のことで、学校や食事に体調といった自己管理が抜けていたことに、我ながら呆れるしかない。
両親は昨日から出張でしばらく帰って来ないからこそ、しっかりしないといけないのだが……その余裕すら、今の俺には無かった。
哀しみと後悔と罪悪感がどうしようもなく心を疼かせて来る。
正直……今は誰にも会いたくない……一人にさせてほしかった。
かといって、心配して来てくれた三人に直接そんなことを言えるはずも無く、せっかくの気遣いだが俺はやんわりと断ることにする。
「──大丈夫だ。ちょっと具合悪いだけですぐに良くなるからさ……」
『え、ほ、本当ですか?』
思ったよりもスラスラでた強がりな嘘に、ゆずが真っ先に反応した。
純粋な心配につけ込むのは気が引けるが、
「あぁ、一応うつるといけないから、今日のところは帰ってもらっていいか?」
『あ……そう、ですね……』
寂しそうな声音が受話器越しに聞こえた。
『えっと、それじゃ明日また学校で──』
『待ってゆず』
『え、鈴花ちゃん?』
大人しく引き下がってくれそうだったゆずを、鈴花が引き止めた。
何故制止を掛けたのか、彼女が尋ねる。
『司、アンタ本当に風邪なの?』
「……風邪気味だよ。だからうつす前に──」
『うん、なら
「は、え、まっ──」
──ガチャン。
俺の返答を許可と受け取って有無を言わさず入ると言った途端、玄関の鍵が開く。
どうやって開けたのか解らず、俺はバタバタと駆けるように玄関に向かった。
玄関には、我が家のように堂々と立つ鈴花と、勝手に入っていいのか迷っているのか、オロオロとしているゆずとルシェちゃんがいた。
「お前、どうやって……」
「ん」
どんな方法で家の鍵を開けたのか問い掛けると、鈴花は憮然とした表情のまま右手を上げる。
そこには、一つの鍵が摘ままれていた。
「アンタの両親が出張でいない時は、いつも合鍵使って面倒見てくれって言われてたでしょ?」
「あぁ……そういえば……」
昔からの仲故に、鈴花は俺の両親が仕事で家を空けることが多いことを知っているし、その間にちゃんと過ごしているのか様子を見てもらうために、二人が鈴花に合鍵を渡していたんだった。
うちの両親の本音では、鈴花を通い妻に仕立てようとしていたようだが……。
「でも、俺は別に大丈夫だって──」
「それが嘘だってことは簡単に判るわよ。何年アンタの友達やってると思ってんのよ」
「う……」
「さ、何があったのか話なさい」
長年の付き合いを理由に、俺の嘘を容易く見破って見せた鈴花に、言い訳すら封じられてしまう。
事情を聞くまで決して帰らないと暗に訴える眼差しに、俺はどう言い繕うとも逃れられないことを悟った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます