258話 司の歪み


 自分との日常と想いを否定されたことで、カッとなって司を殴ってしまったゆずに続き、ルシェアと鈴花も竜胆家を出ることとなった。


 玄関を出てすぐ、ゆずはその場で泣き崩れた。

 天光の大魔導士と言われる彼女も、元を質せば十五歳の少女である。

 

 それを改めてルシェアは実感するが、彼女には泣くゆずを宥めることしか出来なかった。


「ユズさん、とりあえず日本支部まで行きましょう」

「う、ひくっ……っ、はい……」

「スズカさんも一緒にどうですか?」


 嗚咽混じりではあるが、自分の言葉に返事をしてくれたことに幾分安堵しつつ、ルシェアは後から出来た鈴花にどうするかを尋ねる。


 彼女も司の元カノである舞川美沙と親しかったと知っているが、その少女の死は鈴花にも大きく堪えたようで、あまり表情が良くない様子だった。


「……ゴメン。アタシもちょっと気分悪いから、もう帰る……学校休むことになったら、連絡する……じゃ」

「あ、はい……」


 言葉通り、青い顔色の鈴花はルシェアの誘いを断り、竜胆家の隣である自宅へと帰って行く。

 その背中は非常に痛ましいように感じ、どうすればいいのか分からなくなってしまう。


 ひとまず、菜々美や季奈に相談しようと思い、ルシェアは涙を流すゆずを伴って日本支部へと向かった。


 ~~~~~


「そんなことがあったんだ……」

「はぁ~……つっちーの元カノがおったことにびっくりしたら、次はそれが舞川やったとか、もう何に驚いたらええんかわからへんなぁ……」


 日本支部の居住区である、ゆずの自室にて事の成り行きをルシェアから説明された菜々美と季奈は、難しそうな表情を浮かべる。


 菜々美の方はルシェアと同じく、美沙の存在を語られていただけに司がどれだけ彼女に対し複雑な心境を抱いていたのかを知っていた。

 それだけに、その美沙の死は菜々美にも少なからずショックを与える。

 翡翠の境遇に関しても、今は亡き先輩魔導士である工藤静から聞いたことこそあれど、美沙の名を聞いた事は無かった。


 それが静なりに翡翠を気遣ってのことであると、菜々美は悟る。


 一方で、季奈は美沙と交流があったものの、翡翠程親密では無かった。

 彼女に司という恋人がいたなどこと知る由もなく、それだけ深い関係にあった彼がどれだけショックを受けたか、まるで想像できない。


 その話の最中でもゆずは泣き続けており、ルシェアに宥められても一向に回復する見込みはなかった。

 

「でも、司くんがそこまで思い詰めるだなんて、あんまりないよね……」

「せやなぁ……菜々美が塞ぎ込んだ時でさえ、自分の事は後回しやったもんなぁ」


 新人のルシェアがいる手前、おおっぴらに語りはしないが、司は本来より早い時期に唖喰の絶滅不可を知ることとなった。

 多くの魔導士を挫折に追い込んだ真実を前にしても、彼は折れることなく──むしろより覚悟を強く持って唖喰と対峙することを誓った程である。


 確かに、元カノであった美沙の死は強烈に堪えただろう。

 だが、それでも司の追い込まれ様は彼にしては稀に見るものだった。


「……司くん、組織も辞めちゃうのかな……」


 ぽつりと、菜々美が呟きを漏らした。

 ゆずの日常指導係とルシェアの男恐矯正係を辞めると言ったのであれば、組織に所属し続けることも辞めてしまうのではないかと危惧したのだ。

 

「「「……」」」


 その可能性に、誰も答える事が出来ない。

 静寂の空気が漂い出し、季奈はふとあることを尋ねる。


「せや、ひーちゃんはどないしとるんや?」

「支部の入口ですれ違ったけど、なんだか思い詰めた表情だったよ」

「ほなら、つっちーが美沙のことを知ったってことは秘密にせなアカンな」

「だね。知られちゃったら、翡翠ちゃんもまた塞ぎ込んじゃうかも知れないもんね」


 それには、ゆずもルシェアも同意する他ない。

 あの小さな少女の笑顔の裏に隠し続けて来た秘密が暴かれたことは、何より彼女本人が最も恐れることだと察する。

 今司や鈴花、ゆずまでもが不安定な中で、迂闊でも翡翠にトドメを刺すようなことを告げてしまえば、最早トラウマの克服するなど泡沫のように霧散する結果となるだろう。


 ──ピリリリリリリリリ!


「ん?」

「あ、ボクのスマホですね」


 四人がどうしようかと悩んでいる際に、ルシェアのスマホが鳴る。

 誰だろうかと他の三人が観る中、彼女はスマホを取り出して連絡してきた人物を確かめた。


「あ……みなさん、もしかしたらどうにか出来るかもしれません!」

「「「え?」」」


 突如、明るい表情を浮かべたルシェアと違い、ゆず達は疑問を隠せずに戸惑いの声を漏らす。

 

 ~~~~~


「御機嫌よう皆様……と言いたいところですが、何やら思わしくない空気ですわね」

「お久しぶりです──アリエル様!」

「ええ、元気そうでなによりです、ルシェア」


 ルシェアの挨拶に、女性はニコリと優雅な笑みを浮かべる。


 彼女に電話を掛けた人物……それは、波打つ白銀の髪と本物の宝石と見違う程の透き通った琥珀色の瞳、同性すら見惚れずにいられない突出したスタイル、魂を震わせる歌声に、絶世の美貌を誇る女性であり、最高序列第四位〝聖霊の歌姫ディーヴァ〟の肩書きを持ち、魔導六名家の一つに数えられるフランス名家の令嬢──アリエル・アルヴァレスであった。


 何故、ルシェアが解決出来ると確信したのか……それは、彼女が元修道女という経歴の持ち主だからである。

 フランス支部における騒動の後に修道女は辞めたのだが、人に導きを示す言葉を授け続けた経験故、ずば抜けた観察眼を持っていることから、彼女であれば、司を立ち直らせることが出来るのではないかと踏んだのだ。


「ユズ殿!? その涙は一体どうされたのだ!?」

「あ、クロエさん……これは、その……」


 アリエルに続き、彼女の従者であり幼馴染でもある、クロエ・ルフェーヴルも同行していた。

 涙のあとがくっきりと残っているゆずを見て、慌てて理由を尋ねられ、彼女の性格を知るゆずは一瞬どう答えたものか逡巡する。


「さてはリンドウ・ツカサの仕業か!? やはり、ユズ殿を泣かせるような輩にアリエル様の婚約者など、認めるわけにはいかん!!」

「う……」


 しかし、ゆずが答えを決めるより先に勝手に司のせいにした。

 それが当たらずも遠からずであるため、四人は反論出来なくなる。


「クロエ。事情も聞かずに決め付けはよくありませんわ……まぁ、今回に限ってはツカサ様が原因であることに変わりは無いようですが……」


 ゆず達の反応を見て、何故彼女達が集まっているのかをある程度察した口ぶりで、アリエルがクロエを制する。

 

 そうしてアリエルとクロエの二人に、ルシェアは舞川美沙と天坂翡翠の関係、それと司と美沙の間に交際関係があったこと、美沙の死と翡翠のトラウマ、そしてそれを司が知ったことで、塞ぎ込んでしまったことを話す。


 クロエは終始反応を返していたが、アリエルは相槌を打つだけで話を整理しているようであった。

 全て話し終えた時、アリエルはフムフムと頷いた後、自身の見解を述べ出す。 


「なるほど……ツカサ様の根幹を揺るがすヒビは、マイカワ様の存在が抑えていたのですね……」

「根幹のヒビ……?」


 アリエルが口にした言葉に、菜々美が意味を尋ねる。

 

「ええ、ツカサ様という人間を支える屋台骨……大黒柱と言っても差し支えませんわ。それが壊れた時、その人は精神が追いやられるのです」

「「「「……」」」」


 ゆず達はその言葉に納得が言ったように押し黙った。

 司の現状もそうだが、ゆずは彼がベルブブゼラルに意識を奪われた時、菜々美は静が戦死した時と、各々に自身の根幹となる部分を崩された経験があるためである。


 むしろ、あれだけゆず達のために心身を砕いて来た司が、あのように自暴自棄に近い状態になったことにも理解出来た。


 そんな彼女達の内心を察しつつも、アリエルは続けて語る。


「正確に申し上げれば、元より垣間見られたツカサ様の〝歪み〟とも言える部分がバランスを崩している状態です」

「歪み?」

「司くんにそんなところがあるようには見えないけれど……」

「あ……もしかして……」

「ん? ルシェアはなんか心当たりあるんか?」


 常に他者を思いやる司に歪みがあると言われても、ゆず達にはピンと来なかったが、唯一ルシェアには心当たりがあるのか違う反応をした。


 季奈の問いに、ルシェアは『えっと……』と自信なさげに答える。


「ツカサ先輩って、凄く自己犠牲的な部分がありますよね?」

「自己犠牲って……あ……」


 ルシェアの言葉に、菜々美はある光景を思い返した。

 フランス支部との魔導交流演習の際、彼とのデート中に襲い掛かって来たはぐれ唖喰のイーターから、庇われたことがある。

 

 菜々美がすぐに唖喰を撃破し、治癒術式を施したことでどうにか九死に一生を得たが、一歩間違えれば死ぬところであった。


「日曜日にボクがツカサ先輩とヒスイちゃんを助けた時も、あの人は右腕を骨折していたんです……いくら優しいからって言っても、あそこまで自分の身を犠牲にするのはなんだか怖いなって思ってて……」

「そう、だよね……私もあの時司くんが死んじゃったらってとても怖かったよ……」


 何度も司の窮地を間近で見て来た二人が、不安気に振り返る様子を観て、直接見ていない季奈やクロエも難しい表情を浮かべていた。


「ツカサ様は、一度懐に入れた人物を際限なく信じる方です……その方々が傷付くとあれば、自身の痛みと同等に捉える高い感受性と思慮深さも持ち合わせておりますわ。ですが、それは聞こえはよろしくあっても、人という生物においては異常とも言えるものです」

「異常って……そこまでのことなのですか?」


 とても信じられないと、ルシェアが否定気味に問う。

 だが、アリエルは目を逸らすとな言う様に厳しい眼差しで答える。


「疑いようもなく異常ですわ。相手の痛みを自身の物と捉えられることとは、即ち身の丈以上の痛みを背負う事と同義です。ツカサ様に関してはむしろ、今日この時まで保たれていた方が奇跡と言う他ない程に、幾重もの重荷を背負われていたと見て間違いありませんわ」

「重荷って……えらいハッキリいいよるなぁ……」

「ハッキリしている事実ですもの。あの方は自身を過小評価しがちな面もありますので、背負っている思いの重さも必要なものだと割り切ってたのでしょう。普通の人間では、すぐに押し潰されてしまってもおかしくない重量を抱え込んだのは、自業自得と言われても仕方ありません」


 自業自得……そう言われても、ゆず達は反論出来なかった。

 何せ、唖喰と関わり続けると決め、ゆず達のために心を砕いて来た司の行動は誰も強制していない。

 全て彼自身が選択をした結果であり、その中で少しづつ溜まっていたストレスを自覚せずに放置していたのは、紛れもなく司本人の怠慢であった。


「……気付かなかった私達が言っても意味がないかもしれないけど、相談してくれれば何か出来たはずなのに……どうしてそこまで……」

「『普段から唖喰との戦いで疲れてるだろうし、自分のことくらい自分でどうにかしよう』……きっとこのように考えられていたと思われますわ」

「うちらを気遣ってたんが裏目に出たってわけかいな……」


 何とも司らしい考えに、全員が口を噤む。

 彼女達からすれば、司の力になるのは苦でもなんでもない。

 だが、そんな彼に甘え続けて来たことが、司の負担をより大きくしていたと後悔させた。


「──私が司くんに好きだって言ったのも、迷惑だったのかな……」

「──っ!!」


 菜々美の呟きに、ゆずが肩をビクッと揺らす。

 アリエルも含めた三人は、既に司に好意を伝えている。

 しかし、それすらも彼の重荷となっているのであれば……。


 一度そう考えてしまうと、頭の片隅に張り付いて払拭出来なくなってしまう。


「……否定は、出来ませんわね。特に、交際経験のあったマイカワ様の死は、ツカサ様にとって重大な喪失です」

「……私達への気持ちを決めるのに、とても悩んでたもんね……好きになってくれた人が亡くなったって知ったら、もう同じことを繰り返さないように、告白を断るのかも……」

「──っ、嫌だ……司君に嫌われるだなんて……絶対に、いやぁ……」

「ユズさん……」


 否定出来ないと答えたアリエルの言葉を皮切りに、菜々美がフラれる不安を口にし、さらにそれまで口を挟まなかったゆずが嫌だと声を荒げた。

   

 ルシェアが心配そうな声でゆずの名を呼ぶも、彼女はグスグスと泣くだけでそれ以上は何も言わなかった。


(……このままでは皆様の士気に関わりますわね。何か一計を案じる必要があるかもしれませんわ)


 そんな彼女達の様子を見ていたアリエルは、一人逡巡する。

 最早竜胆司は自分達にとって替えの効かない唯一の存在であるため、このまま彼がいなくなれば最悪の結末を迎えてしまうと察した。


 それを回避するために、彼女は自身に出来ることを模索する。


(──もう、手段を選ぶ余裕はないのでしょう……ワタクシの見立てより早いですが、致し方ありませんわね)


 そうして彼女は以前から考えていた策を実行に移す事を決断する。

 いざその策を実行した後、司は立ち直るだろう。


 だが、それは結果論で行程に関しては、決して褒められるものではないことも自覚していた。


 ──それでも、アリエル・アルヴァレスは行動を起こす。


 自身が恋慕する司のためならば、持てる力を振るうと決めたのだから。

 そんな彼女の決意を察する者は、誰もいなかった。


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