247話 きっと大丈夫


 翡翠が魔導士になるにあたって、美沙が彼女の教導係を務めることとなった。

 幸いというべきか、少女は比嘉也の助手業をする際に、魔導と唖喰の基本知識と術式を扱いに関する基礎的な技術を修めていたため、早い段階で模擬戦による実践訓練から始めることが出来た。


 本人としては、今すぐにでも美沙と共に戦いたいと希望していたが、美沙が中学を卒業するまでは実戦に参加させないと厳命したことで、それまで訓練に留めることになった。


 納得は出来なかったものの、美沙の心配も尤もなため渋々従った。

 

 そうして実践訓練を始めて一年以上が経過した頃。

 翡翠が十一歳となり小学六年生に、美沙が十五歳になって高校一年生となる前の春休みの時であった。


 日本支部地下五階にある第三訓練場にて、翡翠は美沙と美衣菜の模擬戦を観戦していた。

 というのも、既に二人に連敗を喫した後であるため、休憩を兼ねたものでもあるのだが、翡翠は二人の戦いぶりに目を奪われていた。


「──はぁっ、やぁっ!!」

「ははハはハハハ! まだまだいけんだろォ!?」


 美衣菜が次々と撃っては投げるマスケット銃による猛攻に対し、美沙は長棒を起用にクルクルと回転させて的確に防御する。


 一見美沙が防戦一方に見えるが、彼女は相手の攻撃を防ぎつつ徐々に距離を詰めて行っていた。

 美衣菜もそれを分かっているのか、逆に間合いを開けるように移動しているため、実際には互角の攻防であった。


 ──おねーちゃんもみぃちゃんもすごい。


 それが翡翠の感想であった。

 工藤静を始めとする魔導士や比嘉也から二人は強いと聞いてはいたが、魔導士となってからはよりその強さを肌で感じるようになった。


 美沙の厳命を受け入れた理由の一つとして、彼女が良く知る二人の魔導士と自分の実力差を知ったということがあった。

 

 美沙は練度の高い棒術による近~中距離戦と、固有術式〝メタトロン・ビーズ〟による自由度の高い戦い方を得意としている。

 翡翠も美沙に倣って棒術を身に付けているが、自身の一部のように巧みに操る美沙と比べると、まだまだといったところであった。


 美衣菜の場合、マスケット銃による遠距離攻撃がメインではあるが、銃身に付けられている刃による近接戦も美沙の棒術と互角に渡り合える程の技量を持っている。

 固有術式は敵の動きを拘束するものだけでなく、ちゃんと攻撃用のものもあると本人から聞いたが、未だ翡翠は見たことが無かった。


 なお、訓練中でも彼女はその攻撃性を一切自重しないため、翡翠は一度だけ顔面を殴られて泣き喚いたことがあった。

 その時は珍しくブチ切れた美沙と本気で戦闘を繰り広げ、二時間近く長引いた結果引き分けとなることで治まった。

 

 今では多少殴られたぐらいでは泣かないが、美衣菜との模擬戦に苦手意識を持ってしまっている。

 

「攻撃術式発動、光弾六連展開、発射ァ!」

「防御術式発動、障壁展開!」


 美衣菜がマスケット銃を片手で構えながら美沙へ向けて六つの魔法陣を展開する。

 対し、美沙は右手を前方に広げて魔力による盾を展開した。


 六つの光球が美沙へ向かって放たれるが、展開された障壁を突破することが出来ずに消滅する。

 その隙にというように、美沙が美衣菜に接近する。


「攻撃術式発動、光刃展開!」


 両手に握る長棒の両端に光の刃を形成して、ダブルセイバーのような形状となった。

 だが、美衣菜の方も一切気を抜いてはいなかった。

 

「のこのこと近付いてんじゃねーゾォッ!!」


 パァーンッと風船の破裂したような音が訓練場内に響く。

 

 事前に構えていたマスケット銃の引き金を引いたのだ。

 魔力の弾丸であるため、直撃を受けても怪我をすることはないが、翡翠は反射的に身構えてしまう。


 しかし、美沙は動揺した素振りを見せないどころか、放たれた銃弾を前にしてもそのまま正面に進み──。


 ──銃弾を受けた瞬間、美沙の姿が蜃気楼のようにフッと消えた。

 

「ハァッ!? ッチ、いつの間にアレを──」

「隙、ありーっ!!」

「ご、ぁっ!?」


 心当たりがあるような反応をする美衣菜の死角から、美沙の長棒による刺突が繰り出された。

 死角──背後からその一撃を受けたことにより、模擬戦は美沙の勝利で決着したのだった。

 

「おねーちゃん、みぃちゃん、お疲れ様です!」


 模擬戦が終わる様子を見ていた翡翠は、二人を労う。

 それに美沙は笑みを浮かべて返すが、美衣菜は不満気な表情であった。


「いやいやいやいや、アレはずりぃだろ……」

「え~? 模擬戦で固有術式を使っちゃダメなんてルールないでしょ?」


 そう、先程美沙の姿が消えたのは、彼女の固有術式で作られた幻影だったのである。

 

 固有術式〝ラミエル・ファントム〟。

 魔力で幻影を作るという効果そのものは単純な固有術式だが、その真価は幻影の姿形を美沙本人が自在に設定出来る点である。


 術者の姿を隠したり分身させたりはもちろん、別人の姿に見せることも動物に見せることも、果ては無機物に見せることだって出来るのである。

 幻影は唖喰にも有効で、美沙が幻覚で翻弄している内に美衣菜が撃ち抜くという、二人のコンビネーションをいかんなく発揮することが可能となるのだ。


 だが、幻影か本物かは触れるまでは美沙にしか分からないため、こと対人戦では途轍もなく厄介な固有術式となる。

 唯一の弱点は範囲攻撃に弱い点であるが、術者本人は幻影に頼り切りというわけではないため、範囲攻撃が出来るからと言って彼女に勝てるかはまた別問題である。


 なお、最高序列の第一位〝天光の大魔導士〟を相手にした時は、すぐに見破られてしまったことで美沙は敗北している。


 改めて認識した美沙を寄せ付けない強さを持つ彼女は、翡翠からすれば別世界の人間のように思えた。


「……」


 翡翠が美沙と彼女との戦いを思い返していると、美沙が虚空を見つめるように遠い目をしていることに気付く。

 その目を見た翡翠は、はぁとため息をつく。


「おねーちゃん」

「──ぁ、ひーちゃん?」

「つーくんさんのことは、本当にいいです?」

「……うん。もう決めたことだもん」


 この一年……美沙は元カレとなった司とは言葉を交わさなかった。

 別段、彼女が未練を捨てたというわけではなく、司を思いやってのことである。


 竜胆司が魔力持ちの男性であるということは、この場に居る三人だけの秘密となっており、組織は彼の存在を認知すらしていない。


 破局したことで、美沙は司と付き合い続けるということは、自身の両親のように彼を唖喰との戦いに巻き込む可能性が高くなると危惧した。

 それが否定出来ない理由は司の性格にあり、美沙曰く彼は自分の大切な人が傷付くことを酷く嫌う人間だという。


 唖喰とそれと戦う魔導士の存在を知れば、彼は間違いなく組織の一員となるだろうと、美沙は判断したのだ。


 そうならないために彼女が取った行動が、破局直後の気まずさを利用して彼と距離を取ることであった。

 司が声を掛ける前に立ち去ったり、電話もメールも着信拒否にして、わざわざ別の高校を受験した程の入念さだった。


 その度に美沙は泣きそうな表情を浮かべるので、翡翠は何度も慰めることになった。

 寝言でつー君と呟くレベルで好きなのに、自分から距離を置くことに心を痛め続けていたが、ついに卒業したことで離れ離れとなった。


 以来、今のように不意にボーっとすることがあるのだが、戦闘中に集中を切らしたことはないため、大きな支障となることはなかった。


 どうやら、卒業が決定的な別離になってしまったため、美沙の表情に再び陰りが見えて来た。

 

 こればかりは時間が解決してくれることを待つしかないため、翡翠にはどうしようもないことである……それをどうにかしたいと思い気持ちが無いのとは、別であるが。


「そうだひーちゃん。いよいよ明日はひーちゃんの初戦闘だよ! 何かあっても私が守るから安心してね!」

「は、はいです!!」


 美沙は妹の活躍が楽しみで仕方ないという表情を見せるが、それが強がりなことくらいは容易に分かっていた。

 初戦闘への不安と美沙への心配もあり、翡翠の表情は浮かばないものだった。


 ~~~~~


「はぁ~……」


 翌日の夕方。

 翡翠は食堂のドリンクバーに無い飲み物を買おうとコンビニに向かっていた。

 

 中々縮まらない実力差故に、美沙を守るという想いが中々遠い道だと思い知らされ、その不安がため息となって現れた。

 一年前よりは強くなっているが、唖喰相手の実戦でなければ意味はないだろう。

 その唖喰との初戦闘が今日なのだが、不思議と夕方になっても日本国内にポータルが出現していない。


 唖喰が出ない方が良いに決まっているのだが、初戦闘だと気を構えているのにいざ来ないせいで、時間が経つ程に緊張も高まっていた。


 その不安を和らげようと、こうして買い物に出たのだった。


 コンビニ前の交差点で信号が青になるまで待っていると、隣に別の人がやって来た。

 邪魔にならないように気を付けようと、少し横にずれたところでなんと、隣の人は信号が赤のままなのにも関わらず、そのまま直進しようと足を一歩前に出していた。


「危ないですっ!!」

「──ぇ? あぁ……ホントだ……ありがとな」

「いえ、どういたしまし、て、ぇ……」


 咄嗟に制止の声で呼び掛けたため事なきを得たが、その人の顔を見た瞬間彼女の思考はピタリと止まった。


「どうした? 俺の顔に何かついてるのか?」

「……」


 翡翠の反応を不思議そうに見つめるその人は、ところどころ跳ねた黒髪と眼鏡を掛けた黒目の年上の少年で──どこからどう見ても、美沙の元カレである竜胆司であった。


 美沙が頻繁に写真を見せていたため、一年経ってもはっきりと彼の顔を覚えていたのだ。


 そして、まさかのタイミングでの遭遇に、翡翠はどう対応すればいいのか困ってしまう。

 美沙のことを怒ろうにも、彼は自分が美沙の身内であることは知らないだろう。

 かといって、このまま何もなかったように振る舞うのも無理だと直感した。

 どう足掻けばいいのか逡巡していると……。


「なぁ、助けてもらったお礼にあそこのコンビニで何か奢ろうか?」

乙女の最終兵器防犯ブザーを使われたいです?」

「へ?」


 美沙をフッた分際で何タラシ込もうとしてんだ、アァ?

 というような心情で防犯ブザーを手に持つ翡翠に、司は呆気に取られたようにポカンとした表情を浮かべる。

 

 その様子を見て、翡翠は慌てて咳払いをして平静を装う。

 正直に言えば顔を合わせるのも嫌なのだが、危なっかしい瞬間を見てしまったがために放っておくとまた同じ目に遭いそうな気がしていた。


(ち、違うです! これはつーくんさんが事故に遭ったことがテレビで報道されたら、おねーちゃんが悲しむのが目に見えてるので、そうならないための事前防止です!!)


 誰にでもなく、そう言い訳する。

 

「わ、わぁ~い! 助けた甲斐があったですー!」

「良かった。あ、丁度青信号になったから行こうか」


 自分の気持ちを押し殺した渾身の演技に、司は安堵の表情を浮かべたので何とか誤魔化せたと、翡翠は胸を撫で下ろす。

 

 そうしてコンビニで買う予定だった新味の炭酸飲料を奢ってもらい、外に出て一口飲む。

 炭酸が口の中を刺激し、バナナとヨーグルトの風味が広がる。


「美味しいか?」

「はいです」


 余韻に浸っているところに横やりを刺されて、翡翠は一瞬睨みそうになるものの、根性で抑えてにっこりと笑みを向けた。

 美沙はあんなに寂しそうな表情をするのに、この男はなに暢気にコンビニに来てんだと訝しみながら司の顔を見る。


 ──あれ?


 その時、翡翠は不思議な錯覚をする。

 訳が分からず頭が真っ白になり……。


「──おにーさんは、どうしてそんなに寂しそうな顔をしてるです?」


 気付けばそんな疑問を口に出していた。

 何故翡翠が司にそのようなことを尋ねたのか……彼の表情が美沙とよく似ていたからである。


 質問の内容に驚いたのか、司は目を見開いて翡翠を見つめる。

 そこでようやく、彼女は自分が口に出したことを理解して取り消そうとするが、司が話す方が早かった。


「去年にな、半年間付き合ってた彼女が居たんだけどさ、俺、その子のこと傷付けちゃって、後悔してるんだよ」

「──っ!」


 美沙伝手に知った話を語る司の表情は、言葉通り後悔を滲ませるように悲し気なものであった。

 未だに司のことを引き摺る美沙と同じく、彼もまた美沙への未練を抱えていたのだ。


 ──それなら、なんで好きでもなんでもないなんて言ったの?


 そう思わずにはいられなかった。

 だが、それを口に出しては、せっかく美沙が我慢して突き放した意味が無くなってしまう。

 なんとしてもそれは避けたい一心で、翡翠は言葉を選ぶ。



「……おにーさんは、その人のこと……好きだったです?」

「っへ?」


 司からすれば恋愛に興味のある女子小学生に見える言葉は、翡翠からすれば一番知りたいことであった。

 この返答によって、今後の身の振る舞い方が変わる……そう期待しながら尋ねた問いに司は……。





「──あぁ。別れてからやっと、好きだって気付いた」

「──」


 嘘を感じさせない真っ直ぐな答えに、翡翠は大きく目を見開く。

 そんな翡翠の反応に気付かず、司は自虐的な笑みを浮かべながら続ける。  


「何とか謝って寄りを戻す──は、まぁ虫が良すぎるから友達として付き合いを続けたいって思ってたんだけど、酷い別れ方したもんだからさ……嫌われて避けられまくってそのままクラスも高校も別々になって、結局ダメで……平たく言えば失恋したんだよ」


 でも、と一旦区切り……。


「ゴメンって言いたかったな……」

「──っ!」


 偶然会って、偶々聞き出せたその本心は、翡翠の司に対する認識を改める程に真摯だった。

 普通、一年前のことをそこまで引き摺れないにも関わらず、変わらず彼は美沙を想っていた。


 ──どうして、こんなにままならないことが多いんだろうか。

   

 美沙は司を想うがために巻き込みたくないと彼を避けた。

 しかし、それは狙ったこととはいえ二人が仲直りするチャンスを犠牲にするものであった。

 もし美沙がその考えに至らなければ、喧嘩のことも笑い話に出来たはずだった。


 もし、今翡翠に出来ることがあるのなら、それは……。

 

「……両想いなら、応援したくなっちゃうです」

「え?」

「ジュース、ごちそうさまでしたです! それと!」

「ん?」


 キョトンとする司に、翡翠はにっこりと本心からの笑みを彼に向ける。


「おにーさんならきっと大丈夫です! バイバイです!」

「あ、ありがとう……」


 自分と美沙の関係を明かすのが一番だっただろうが、それは翡翠が独断で決めていいことではない。

 彼の本当の気持ちを、美沙に伝えてからだ。


 ──だから、早く帰らなきゃ。


 逸る気持ちを表すように、翡翠の足はどんどん早くなっていく。

 司に言った通り大丈夫だ。

 きっと上手くいく。


 美沙と司が仲直りすれば、またおねーちゃんの幸せな笑顔が見れる。


 そのために、翡翠は走る。

 大好きな人と笑って過ごす未来を目指して……。

 






 ──ピリリリリリリリリリッッ!!  


「──っ! 唖喰!」

  

 こんな時にという気持ちと、いよいよだという気持ちが入り混じって複雑だが、唖喰が出たのなら仕方ないと割り切って、電話に出る。


『ひーちゃん。いよいよだよ。いける?』

「はいです! 大丈夫です!」


 電話相手である美沙にそう啖呵を切る。

 その返答に満足したのか、美沙はポータルの出現位置を伝えた後で通話を切った。


 ──そうだ、きっと大丈夫だ……。

 

 そう自分を鼓舞しながら、翡翠は現場へと向かう。   


 
















 ──2017年3月23日、午後5時……悲劇の瞬間まで、あと一時間半。


 

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