240話 君の家族になりたい、と彼女は言った


 自分の事を知ってもらうために、自らの過去を明かすことを決めた美沙は、翡翠と共に夕食を食べた後に少女に話し掛ける事にした。


 食堂ではなく、美沙の部屋で彼女が作ったハンバーグを食べ終え、食器の片づけを終えたタイミングこそがチャンスだと思い、口を開く。


「「あの──えっ?」」


 何の偶然か、美沙と翡翠は互いへ同時に話しかける形になってしまった。


「えと、な、なに? ひーちゃん?」

「え、あの、わたしは、あとでいい、から……」

「わ、私もひーちゃんのあとでいいよ?」

「あ、う……えと、わか、った……」


 まさか同時になるとは思わず、美沙も翡翠もしどろもどろになる。

 だが、美沙から譲られたことにより、翡翠の方から話すことになった。


「あの……あ、ありがとう……」

「え?」

「一回目も二回目も、助けてもらったお礼……まだ言って、なかったから……」

「あ……」


 三週間前のこととはいえ、翡翠一日の間に二度も唖喰に襲われた。

 その二度において、美沙は少女の命を救って来た。

 彼女自身は魔導士として唖喰から人を守るのは当然であり、早々感謝の言葉を贈られることではないのだが、少女からすればそうではない。


「それと、避けてて、ごめんなさい……」

「……避けてたのは、私が鬱陶しかったから?」

「──っ、ちがう!」

「──っ!」


 美沙の問い掛けに、翡翠は声を荒げて否定する。

 その様子に、彼女は目を見開いて少女を見つめる。


「……おねーさんは、強くてかっこよくて、色んな人に好かれていて、頼られているから、わたしがいたら、迷惑かなって思って……それで……」

「……」


 翡翠が避けていたのは、自分のためを思っての事だったと明かされるが、美沙は何も言わなかった。

 否、言葉が見つからなかったという方が正しかった。


「私のために、敢えて嫌われようとしてたってことなの?」

「……うん」

「……そっか」

  

 そう尋ねるのが精一杯で、それ以上はどう言えば分からなかった。

 すると、翡翠が再び口を開く。


「……おねーさんの、親戚の人に会った」

「え、おじさんに?」


 翡翠が比嘉也と会っていたと明かされ、美沙の問いに少女は首を縦に振って頷いた。


「それで、おねーさんのことを避けるかどうかは、おねーさんのことを知ってからでいいって、言われて……」

「──っ!」


 従兄と翡翠が会っていたというだけでも驚きだったが、自分のことを知ってからという言葉の意味を悟った美沙は、今しかないと表情を強張らせる。


 今を逃せば、もう美沙に翡翠と距離を詰められるチャンスは無いと察したためである。


 一度深く深呼吸し、まっすぐ少女と目を合わせる。

 

「──ひーちゃんは、私がどうしてここに住んでいるかわかる?」

「……」


 美沙の質問に、翡翠は首を横に振る。

 彼女が魔導士だから、という単純な理由ではないことは確かだと理解している。

 

 自分のことを語ってくれた美沙は、自身の生年月日や好きな食べ物など、基本的な情報はいくつも翡翠に明かして来ていたが、たった一つだけ話していないことがあった。


 それは……。


「私のお父さんとお母さんは唖喰に殺されたの」

「──っ」


 舞川美沙という人間の家族構成であった。

 そして彼女が語ったのは、両親の死。

 それも翡翠の母と同じく、唖喰に殺されたということだった。


「お母さんは私と同じ魔導士で、お父さんは魔力持ちじゃないけど、唖喰と魔導のことを知ってる人だった」


 美沙と過ごした期間の間に、翡翠も魔導士と唖喰の基本的な情報を聞いていた。

 なので、自分の体に魔力が宿っていることによって、唖喰の姿を捉えることが出来ることも知っている。

 聞けば聞くほど、自分が例えに用いた魔法少女とはかけ離れていく驚きがあり、一通り知った後の自分の気持ちが何なのか、複雑過ぎて形容出来なかった。


 ただ今の話で分かったのは、美沙が魔導士として戦えるのは母親から受け継いだ才能という点だった。

 

「最初はお父さんだった。仕事で車を運転している時に、唖喰にぶつかってそのまま、ね」


 姿を捉えられなくとも、実体を持つ唖喰と不運にも遭遇してしまった美沙の父親は、車毎捕食されたという。

 当時は事故死と伝えられており、美沙がそのことを知ったのは魔導士になった際、比嘉也から伝えられたからである。


「お母さんは、唖喰との戦闘中にそこにいた一般人の身代わりになって殺されたの」


 魔導士は唖喰から人と世界を守るために戦う女性である。

 美沙の母親はその矜持に従って当たり前のことをしただけであったが、美沙はそのことに酷く不満を持った。


「どうして娘の私より、そんな見ず知らずのために死んだのって思った……。唖喰もだけど、私が真っ先に怒りをぶつけたのは魔導士っていう存在だった」

「え……」

「お母さんが魔導士じゃなかったら、私は家族と一緒に過ごせたのにって、自分の体にある魔力も毛嫌いしてたの」


 そう自虐的に語る美沙の言葉に、翡翠は大きな矛盾に気付いた。

 

 ──魔導士が嫌いなはずの美沙が、何故魔導士として戦っているのかという点である。


 その矛盾は彼女自身も自覚しており、苦笑を浮かべながら答える。


「変だよね? でも、何も知らずに毛嫌いするなっておじさんに言われて、どうしてお母さんが魔導士になったのかを身をもって知れって言われて、私は渋々魔導士になったの」

「……」

「あ、もちろん、今はちゃんと自分の意志で戦ってるよ? でもやっぱり魔導士が好きになれないのは変わらないけどね……」


 一瞬、美沙は魔導士の役目から自分を助けたのかと思ったが、彼女は即座にそれは否だと否定する。

 そのことにホッと安堵するも、美沙が未だ魔導士に対して好意的な感情抱き続けていることに、胸を痛ませる。


「魔導士として唖喰と戦っていって、幸か不幸か私には才能があって、ひーちゃんの前で戦ったみたいに、強い方にはなれたんだ」


 普通であれば喜べるかもしれなかったが、美沙にとってはそうではなかった。

 才能があって強くなるに連れて、何故母親にこの才能がなかったのかと呪いに似た恨みを抱くようになったのだ。

    

 いっそ弱ければ、納得出来たところもあったが、これでは母親が弱かったから死んでしまったと暗に責められているようにも思えたからだ。

 もちろん、比嘉也からはそんなことないと弁明されたが、美沙の悩みが晴れることはなかった。


「そうして魔導士になって二年が経過した頃にね、あの子に出会ったの」

「あの子?」

「とっても強い子。私なんて足元にも及ばないくらい、魔導士としての才能に恵まれた子なの……」

「え……」


 その言葉を聞いた翡翠は、とても信じられないでいた。

 魔導士の中で、特に優れた五人にのみ名を連ねることが許される〝最高序列〟に、美沙は選ばれるだろうと思っていたからだった。


 そんな彼女以上に強い魔導士など、翡翠には全く予想出来なかった。


「歳は私とひーちゃんの丁度真ん中くらいなんだけど、一目見て私より強いって分かったよ」

「……」


 それこそ、まさかだと思った。

 美沙と同い年かそれ以上と言われれば、まだ納得出来る余地もあっただろう。

 だが、よりによって年下だとは考えなかった。


「実際に、模擬戦でも勝てたのは最初の数回だけで、今じゃまるで敵わないんだ」


 圧倒的な才能の前に、美沙はついに魔導士を嫌う本当の理由に気付いたのだ。

 

 ──自分が生きた証を残したい。


 まだ齢十二歳の少女が至った、ある種の承認欲求であった。

 自分を越える才能を前にして、美沙は母親が誰かを庇って亡くなって人の死を実感した。

 魔導士として戦っていれば、人知れず死んでいなくなってしまう。

 それは孤独よりもずっと怖いことだと美沙は感じた。


「どうせ死ぬなら、自分っていう人間が生きた証を残したいって考えたんだ」

「──っ! それじゃ……」

「うん、ひーちゃんの予想通りだよ。ホントの私は全然優しくなんてない……」 


 そこから、彼女は人助けに注力した。

 相手のために自分の出来ることを全力で尽くす。


 少しでもその人の記憶の中に舞川美沙という人間を残すために。


 そう、美衣菜に世話を焼くのも、誰かに力を貸すのも、打算的なものから生まれたものだったのだ。

 彼女が翡翠にそのことを話さなかったのは、これが最大の理由であった。


「……わたしの家族代わりになりたいっていうのは、うそ、だったの……」


 翡翠は口に出してから自分の言葉を悔いる。

 今のはこの場で口にするべきではなかったということくらい、少女でも理解出来た。


 だが、美沙は失笑を浮かべるだけで、翡翠を責めることはしなかった。

 

「そう、思われも仕方ないよね……」

「あっ……」


 それどころか、甘んじて受け入れる自虐に近い感想を口にする。 

 そんなつもりはなかったのに、美沙を傷付けてしまったことで翡翠は後悔の念を抱く。


 咄嗟に撤回できれば良かったが、すぐに口に出すことが出来なかった。

 何せ、美沙の優しさは虚構だったと明かされ、翡翠の中にも動揺が起きているからである。


 上手く言葉を紡げないでいると、美沙の方から再び話し掛けられる。


「でも、ひーちゃんが目の前で家族を失くした哀しみを見て、私はこの子の力になりたいって本気で思ったの」

「え……」

「虫のいい話だって分かってる。本当だって信じてもらえなくてもいい……私は、初めて心の底から誰かのためになろうって思えたんだ」

「……」


 そう語る美沙の表情は、自分を信じて欲しいという懇願に似たものだった。

 だが、信じてと言われて早々に信じられる程、翡翠は無警戒な少女ではない。


 どう答えたものか返事に窮する間に、美沙は翡翠に体を寄せて、その小さな手を握る。


「今の私のお願いは一つだけ……家族代わりなんて距離の置いた関係じゃなくて、ひーちゃんと家族になりたいの……」

「──っ!」


 真っ直ぐに自分を見つめる美沙の眼差しに、翡翠は息を呑む。

 そして、少女の脳内に彼女と過ごした三週間が思い返される。


 きっかけは嘘だったとしても、果たしてそれだけで美衣菜の世話や自分の面倒を看切れるなど、出来るのだろうか?

 これまでの時間で共有した美沙との時間を、嘘の一言で無かったことにしていいのだろうか?

 得体の知れない怪物を相手にして、果敢に立ち向かうことが出来るだろうか?

 それ以前に……自分が美沙の家族になっていいのだろうか?


 様々な疑問が浮かんでは消えを繰り返した後、翡翠は恐る恐る口をする。


「……おねーさんは、どうして、わたしと家族になりたいの?」

「……」


 その問いに、美沙はふわりと微笑みを浮かべ……。


「私とひーちゃんは、形は違っても家族がバラバラになっちゃったでしょ? それで、ひーちゃんのことがなんだか他人事にどうしても思えなくて、私が一番望んでることってなんだろうって思ったら、それしか出てこなかったんだ……こんな理由じゃ、だめ?」


 美沙が翡翠と家族になりたいと語った理由は、上辺だけ聞けば身勝手だと捉えられただろう。

 しかし、翡翠は今まさに舞川美沙という人間を知った。


 彼女は大きな孤独を埋めようと人助けをして来た。

 その事実を知った翡翠の一番の心境は、一体誰が彼女を支えているのだろうということだった。


 支えてばかりで自分のことは後回しにして来た彼女が、初めて誰かを頼っているのが、今ではないだろうか。


 幼いながらも、明確にそれを悟った翡翠は、バッと美沙へ体を預ける。


「わ、っとと?」


 突然の事で美沙は驚くものの、後ろへ倒れることなく少女の体を抱き留める。

 柔らかく、温かい翡翠の体を密接に感じる美沙の耳に、声が囁かれる。


「──おねーちゃん」

「あ……」

「わたしが、おねーちゃんの妹で、良いの?」

「──うん。ひーちゃんが、良いんだ」


 孤独を抱えた二人の間に明確な絆が生まれたのは、まさにこの瞬間であった。

 美沙は今まで触れられなかった時間を、翡翠は今まで避けていた時間を埋めるように、互いの体温を心に刻むのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る