239話 殻破りが最初に破くのは自分の殻


 美衣菜の助言丸投げに従って、美沙はオリアム・マギ日本支部の地下三階にある、魔導士が唖喰との戦闘で装備する魔導装束と魔導武装の整備、その装備に刻む術式の調整を行う〝技術班〟が管轄の整備室へと赴いた。


 先程美衣菜が挙げたオッサン──美沙の親戚である人物は、ここに勤めているためである。

 

「おじさ~ん、いる~?」

「ん? おぅ、美沙か」


 整備室に入った美沙から、目的の人物への呼び掛けに一人の男性が反応した。

 寝癖を直さないままのボサボサの黒髪に、長さがバラバラの無精ひげを顎に生やし、ジャージの上に研究職のステレオタイプともいうべき白衣を羽織っている。


 技術班班長、隅角比嘉也。

 美沙の父親の兄の息子で、彼とは従兄妹である。

 従兄妹といっても年齢は二十歳程離れているが、美沙にとっては数少ない頼れる大人でもある。


「装備の点検なら、何の問題も無かったぞ?」

「うん、いつもありがとう。でも、今日はちょっと相談があって来たの」

「相談?」

「あ、忙しいならまた明日でもいいんだけど……」

「いいや、今は特に急ぐ用事もねえし、聞いてやるよ」

「いいの? ありがと」


 彼が快く承けてくれたことに、美沙は感謝の言葉を伝える。

 そうして美沙は、翡翠の存在、少女の境遇を聞いて自分が面倒を看ると名乗り出たこと、初咲支部長から一月暮した後の翡翠次第だという条件をつけてもらったこと、上手くいっていないこと、全てを明かした。


 それらを一通り聞いた比嘉也は、ふぅと息を吐いて美沙と目を合わせる。 


「お前、その翡翠ってチビのことはどれくらい知ってるんだ?」

「え? えっと、九歳の女の子で、可愛くて、ハンバーグが好きで……」

「違う違う。そうじゃなくて、アイツがどんな性格なのかって意味だよ」

「性格って、さっき言ったみたいに、ひーちゃんはお母さんが亡くなったことと、お父さんとお兄さんに捨てられたショックで塞ぎ込んじゃってて、暗い感じになっちゃっている……かな」


 比嘉也の言葉の真意が分からず、美沙は自分が知る限りの翡翠に関する印象を語る。 

 

 その言葉を聞いた比嘉也は、厳かな眼差しを向ける。


「……同情、してんだろ?」

「──っ!」


 美沙の肩がビクッと揺れる。

 身内の指摘に思うところがあるのか、彼女の表情は強張っていた。

 自覚が無いわけではないようで、美沙の〝持病〟とも言うべき悪癖は中々に根強いなと、その反応を見た比嘉也は『は~』と呆れを込めた息を吐く。


「ヘタな同情は相手を傷付けるだけだって、言わせるのは何回目だ?」

「うぅ……」

「別に人助けを止めろとは言わねぇが、限度ってもんがあるだろ」

「で、でも私は……」

「お前の境遇を思えば仕方ねえさ。だがな、チビはチビでお前じゃねえ。今回はいつにも増して酷いぞ」

「……」


 美沙の反論を次々と一蹴する比嘉也の表情はとても険しい。

 親戚故に彼女との付き合いは長く、これまでにどのような人生を歩んで来たのかというのを、彼は組織の中でも美沙を知る人間の中でも、一番把握している。


 だからこそ、彼は美沙のためを思って厳しく接する。

 もちろん、美沙にもそれが伝わっている。

 そうであっても中々治せないでいるのが、彼女の悪癖の悩ましいところでもあるのだが。


「……同情、してたのは……うん、解ってる。でもそれは切っ掛けで、今は違う」


 苦しさを嚙み潰した面持ちで、美沙はそう口にする。

 強がりや見栄ではなく、本心からの言葉であると、彼女の焦げ茶の瞳は真に訴える。

 

「ひーちゃんがひとりぼっちになったって分かった時、私にはどうしてもそのまま孤児院に行かせるのは良くないって思ったの。だって、の私と同じ──ううん、それ以上に孤独なんだよ」


 初咲の前で翡翠の面倒を見ると言った美沙の真意はそこにあった。

 孤独の辛さや寂しさを深く理解しているからこそ、彼女は小さな少女を見捨てることを良しとしなかったのだ。 


 それは確かに同情だろう。

 その同情が切っ掛けに変わったのは翡翠が逃げ出した時であった。

 暗い夜の中独りで駆ける少女の心情を察せなかった時点で、自分はまだ恵まれている方だと思い知らされた。


 比嘉也という血縁者を始めとして、この日本支部で多くの人との交流を持っている。

 だが、翡翠はそれまで培ってきた血縁者との絆を一日足らずで失くしたのだ。

 

 今では自分と同じだと思ったことを恥じる思いばかりだと、自罰的に責める程に。

 

「でも、どうしたらあの子の孤独を救えるのか、私には分からなくて……おじさん、どうしたらいいかな?」


 自分でどうにかしようとして躓いたからこそ、美沙は交流のある人達に手を借りることを厭わない。

 例え助けを求めた相手に怒られようとも、美沙の意志は揺らぎを見せなかった。


「──はぁ~~……超が付くお人好しを身内に持つと、こんなに面倒だとは思わなかったな」

「ご、ごめんなさい……」


 呆れを隠さずため息を吐く従兄に、美沙は恐縮して謝る。

 あんな説教をされた上で、厚かましく助力を求めるのはいけなかったと謝罪する。


「おいおい、俺は最初から助けないなんて一言も言ってないぞ?」

「えっ!?」


 しかし、比嘉也は気にするなというように返した。

 驚きを隠せず声を上げる美沙だが、思い返せば責めはされても、助けないとは一言も言っていなかった。

 ただ絶句するしかない美沙を、比嘉也はニヤニヤと面白そうに見つめる。 


「助言ぐらいならいくらでもしてやる。悩める魔導士を助けるのも、組織の人間としての役目だからな」

「う、えあぅ……」


 羞恥と感謝が入り混じった複雑な心境を抱きつつ、美沙はそう返すのが精一杯だった。

 一頻り戸惑う彼女を見て満足したのか、比嘉也は咳払いをして真剣な表情を浮かべる。

 

「で、だ。お前がチビにやらなきゃいけないのは同情でも世話でもねぇ」

「なに?」

「舞川美沙って人間を良く知ってもらうことだな」

「私? 自己紹介とか、好きな物とかは教えたことあるけど……」


 この三週間で、翡翠に自分の好みや誕生日などを教えて来たが、少女がそれに続いて何か明確な反応を返したためしはなく、美沙が一方的に話すだけであった。


 だが、そう思い返す彼女に対し、比嘉也は首を横に振る。


「そうじゃねえよ。お前ののことだよ」

「──っ!!」


 その言葉に、美沙は体を強張らせる。

 何せ、比嘉也の言う過去こそ、舞川美沙が魔導士として唖喰と戦う理由であり、彼女のお人好し振りと──根幹となっているためである。

 

 当然、翡翠には話していない。

 魔導士であるにも関わらず魔導士を嫌っているなど、あの少女に話せるはずがなかった。 

 

 比嘉也は、美沙にそれを話せと言ったのだ。


「そんなの……ひーちゃんに嫌われちゃう……」

「まぁ、自分の醜い部分を曝け出すってのは、嫌われるリスクを背負うもんだ」


 怖気づく美沙の態度を当然だと認めた上で、比嘉也は『だがな……』と続ける。


「自分の過去のことを話さない奴から『家族になろう』って言われて、『はいわかりました』なんて言えるわけないだろ? それにチビのことも全然知らないってのもなおさらだ。向こうが話さないのなら自分から行くしかないだろ」

「あ……」


 比嘉也の言葉に、美沙はスッと暗闇が晴れる様な感覚を抱いた。

 ずっと悩み続けた迷路に、活路を見出したのだ。


 彼女が翡翠に何をどう伝えようか決めた眼差しを見た比嘉也は、もう言う事はないと席を立つ。


「上手くいくといいな……ほら、行け」

「うん……あ、おじさん」

「ん?」


 すぐに翡翠の元へ行こうと立ち上がった美沙が、答えを齎してくれた従兄に声を掛ける。

 

「もしね……相手のことを良く知らないのに、その人を救っちゃうような人がいたら、どう思う?」


 美沙の問いは、自分に出来なかったことを仮の話でも出来てしまう人物がいたらというものだった。

 良く言えば美沙のようなお人好し、悪く言えば無神経と無遠慮で相手の心にズカズカと踏み込んでくる。

 そんな人物がいるのだとしたら……思わず淡い期待を日にする程に、美沙は比嘉也の見解を求めた。 


「そうだな……もしそんな奴がいるとしたら……」


 比嘉也は一度言葉を区切り……。


「──よっぽどのバカか、お前以上のお人好しだろうな」


 いるなら見てみたい。

 少しだけ期待する口ぶりで、そう結論付けた。



 そうして美沙が翡翠の元へ向かう背中を見送った比嘉也は、コーヒーを一口飲む。

 先の美沙の言動を反芻して、彼は思い出し笑いをするようにニヤニヤと笑みを浮かべた。


「……あのチビにあそこまで執着するなんてなぁ」


 会話の途中で美沙は気付かなかったが、彼女は比嘉也に天坂翡翠という女の子がいるとしか語っていない。

 にも関わらず、彼は翡翠を〝チビ〟と称した。

   

 その理由は……。


 ~~~~~


 比嘉也が美沙と会話する一時間ほど前。

 彼は一息つくために食堂のドリンクバーでコーヒーを入れに行った際、妙に挙動不審な少女を見かけた。

 

 その少女は薄緑の髪を腰に届く長さまで伸ばしており、無地のピンクのTシャツに紺のスカートを穿いていた。

 愛らしさを感じさせる容姿は、将来有望であることは明らかであったが、比嘉也が気になったのは少女の緑の瞳だった。

 

 生気が無い……自分の命に執着が無い瞳だった。

 そこまで見て、比嘉也は最近従妹が面倒を看ている少女だと察した。


 近くに美沙がいないのに、何故あの少女が一人でここに居るのか……普段の比嘉也ならば気にも留めなかったが……。 


「おい、お前」

「え?」


 彼は自分でも気付かない内に、少女──翡翠に声を掛けていた。

 自分から面倒事に首を突っ込むなんてと自虐するが、それでも少女に話しかけることを止めなかった。


「飯を食うわけでもなく、飲み物にも手を付けないで何をしてんだ?」

「……散歩」


 そう、比嘉也が気に掛かったのは、食堂にいるのにも関わらず翡翠が飲食をしていないことだった。

 来たばかりとも思ったが、何やら考え込んでいた様子であったため、それなりの時間をここで過ごしていることが窺えた。

 

 聞けば散歩という、なんとも分かりやすい嘘も彼の推測を後押ししただけである。


「俺は魔導士の装備の制作整備を請け負う技術班ってとこの班長だ」

「……博士ってこと?」

「あぁ、そんなもんだ」


 子供らしい発想に、比嘉也は否定することなく肯定した。

 確かに言われればそれっぽいなと思ったりしたが、彼はその感想を口にすることなく続ける。


「そんで、お前の面倒を看るって言ったやつの従兄だよ」

「!!」


 比嘉也が美沙との続柄を明かすと、翡翠の両目は驚きから大きく見開かれた。 

 自分と従妹が似てないことは承知であるため、彼は驚くのも無理は無いと肩を竦める。


「──わたしには、いないのに……」

「!」


 だが、ぽつりと呟かれた少女の言葉に、先の感想が間違いであったことを悟る。

 経緯は知らないが、天涯孤独であろう少女相手に今の情報を明かすのはまずかった。


 これでは美沙の行動を邪魔してしまった形になると察した彼は、何かしらフォローをした方が良いかと思い頭を掻く。


「あの……」

「ん?」

「あの人は、なんで避けてるわたしに構うの?」

「なんでって……」


 しかし、意外にも少女の方から話掛けて来た。

 さらに内容は美沙に関することであり、比嘉也は少々驚いた。


 翡翠が美沙の事を尋ねたこともそうだが、なにより少女自身が彼女を避けていることを自覚していることにである。

 

 ──これは、わざと避けてるってことか?


 比嘉也はなんとなくではあるが、そう悟った。

 翡翠の真意は分からないが、避けられようともめげずに少女との絆を深めようとする美沙の行動は、全く無駄ではなかったと感心する。


 と、感心するより先に、翡翠の問いに答えねばならないと思考を切り替える。


 なぜ美沙が翡翠に避けられようと構うのか……もちろん、従兄である比嘉也にはある程度予想が着いている。

 だがそれでも、自分の口から明かすのは避けるべきだと判断した。

 何せ、美沙が少女の家族になろうとした理由は、おいそれと触れていい内容ではないからである。


 故に比嘉也は……。


「お前から見て、アイツはどんな人間に見える?」

「え?」


 返された質問に、翡翠はキョトンと目を見開く。

 

「ゆっくりでいい。分かる部分だけ言ってみな」

「えっと……」


 そう促された翡翠は、これまでの三週間の中で美沙と過ごした時のことを思い返す。

 すると、不思議なことに色々と思いだせた。


 優しいところ、損得勘定無しに相手に世話を焼くお節介ぶり、ちょっと変なところもあるが、戦闘の時は別人のようにかっこよくて、誰からも好かれている少女……たったの三週間でこれだけ挙げられるのは、それだけ彼女が自分と仲良くなろうと働き掛けていたことが功を奏したと言えるだろう。


 そうした天坂翡翠から見た、舞川美沙という人間の姿を打ち明けると、比嘉也は考え込むように瞑目して黙ってしまった。


 何か失礼なことでも言っただろうかと、翡翠が内心ビクビクしている内に比嘉也が目を開けて翡翠を真っ直ぐ見つめる。


 その眼差しに当てられて、翡翠は思わず背筋をピンっと伸ばす。


「アイツがただのお人好しに見えるんだったら、お前は美沙のことを全然知らないんだな」

「え──」


 あれだけ印象深い人間である美沙の特徴を挙げたのにも関わらず、彼女の従兄はそう返した。

 だが、比嘉也は戸惑う翡翠に答えを出すことなく、話は終わりだと言うように背を向ける。


「どういうことか知りたけりゃ、本人に聞け」

「で、でも……」


 一番解り易く、手っ取り早い方法を教えられたものの、翡翠は難しそうな表情を浮かべて迷いを見せる。

 その様子を見た比嘉也は『あのなぁ……』とため息を吐きながら続ける。


「チビがなんで美沙を避けてるのかは分からねぇが、無視を決め込むのはアイツのことをもっと知ってからでも遅くないんじゃねぇか?」

「あ……」

「いっぺん二人で腹割って話し合え。後の事は後で考えろ」


 彼はそう言うと、もう言うことは無いと食堂を去った。

 残った翡翠がどうするかは分からないが、二人にとって最悪の結果にならないことを祈るだけであった。


  

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