238話 攻撃的狂人の誠意

 翡翠が脱走した先で遭遇した唖喰を撃破したあと、翡翠は自分の命が助かった安堵と疲労、何より緊張の糸が切れたことも手伝って、美沙の部屋に戻るやすぐに眠った。

 

 初日からそんなトラブルがあった翌日……。


「おはよう、ひーちゃん! 朝ご飯だよーっ!」

「……」


 翡翠が起きると、前日に怪物と戦ったとは思えないテンションで挨拶をする美沙の姿が映った。

 ハイテンションな彼女とは対照的に、翡翠は無言のままベッドから降りる。


 二つの意味で、夢から覚めた気分だった。


 昨日間近で見た、唖喰という怪物と戦う姿はとてもカッコ良かったのに、今の彼女には影も形もなかった。

 

 そこでふと、翡翠は昨日二度も命を救ってもらったことに関して、まだお礼を言っていないことを思い出した。

 母親からは『助けてもらったお礼を言わないといけない』と教わっている翡翠は、すぐに美沙にお礼を言おうとして……言えなかった。


 気恥ずかしさや緊張ではなく、出会った時はともかく、昨晩の戦闘は完全に迷惑を掛けた形だったからだ。

 自分で蒔いた種であるにも関わらず、自分のために怪物と戦ってくれた美沙と美衣菜に、お礼を言っていいのか迷ったためである。

 

 どうしようか迷いを抱えている内に、美沙はテーブルに料理を載せた皿を並べる。


 それは、きつね色に焼かれた食パン、細かく刻まれたベーコンが混ぜられているスクランブルエッグ、コップ一杯の牛乳が二人分置いてあった。

 部屋にいるのは自分と美沙だけであるため、この朝食は彼女が用意したものであると、翡翠は察した。

 

「スクランブルエッグは私が作ったんだよー。まぁ、ベーコンを切って卵を焼いただけなんだけどね……」


 美沙はそう言って苦笑を浮かべるが、少なくとも自分に同じ事は出来ない。

 その分、目の前で苦笑いする彼女の方がまだ立派に見えた。


「ほら、いただきまーす」

「──いただきます……」


 手を合わせ、食事の挨拶をするように促した美沙に釣られて、翡翠もいただきますと口にする。

 早速、スプーンで美沙が作ったスクランブルエッグを掬う。


 自分の手料理を一口目に選んでくれたことに、美沙はドキドキと緊張した面持ちを見せる。

 翡翠の小さな口に、ベーコンと卵がパクリと運ばれ、モグモグと咀嚼される。

 母親にそう言われていたのだろう、二十回以上しっかり噛んでからゴクリと飲み込んだ翡翠は、考えるように沈黙した後……。


「おい、しい……」

「ホントっ!? 良かったぁ!」


 素直に味の感想を口に出すと、美沙はホット胸を撫で下ろして喜びを露わにした。

 まだまだ勉強中の手料理を振る舞うことに、よっぽど不安だったようだ。


「たくさんあるから、どんどん食べてね!」


 自分の料理を美味しいと言ってくれたことで気を良くしたのか、美沙は明るい笑みを浮かべながら翡翠に食事を促がす。


 見る人が見れば、さながら飼い始めたばかりの小動物にエサをあげる光景に見えただろう。

 

 やがて食事と後片付けを終えた後、美沙はスマホを取り出して電話を始める。

 五回目のコールが鳴ったタイミングで、通話状態になった。


「おはよう、みぃちゃん。朝ご飯が出来てるから、今からそっちに行くね?」

『あ~……? もぅ、アサかよ……フワァ~……』


 電話の相手は、蔵木美衣菜だった。

 何やら眠たげな声音であったため、翡翠は自分が脱走したせいだと思い至る。

 そうやって罪悪感を抱くが……。 


『べつに朝メシくらい、食わなくてもいいんじゃねーのー?』

「ダーメ! 毎食キチンと食べないといけないし、いっつもお昼まで寝てばかりでしょ? 育ち盛りの体に悪いし、みぃちゃん係としても見過ごせません!」

『はぁ~……』


 ……それは杞憂であった。

 会話から察するに美衣菜は起床すら美沙頼りのようで、これが二人にとって平常運転であると理解出来た。

 

 ホッと安堵するところで、翡翠はある事実に気付く。

 

 いくら美沙がお節介焼きとはいえ、自分と美衣菜の世話を一身に引き受けているのだ。

 美衣菜の場合は、美沙自身が彼女の世話係と認識されていることもあり、手を焼いていても苦に思っている様子は見られない。


 だが、美沙は何を思ったのか翡翠の面倒は自分で看ると主張したのだ。

 取り敢えず一月というお試し期間が設けられたものの、美沙の負担になることは明白であった。


 このまま一月を過ぎて、翡翠が望めば美沙と共に過ごす事になる。

 だがしかし、蔵木美衣菜の生活力ははっきり言って翡翠より下である。


 着替えも食事も入浴も美沙の手を借りてようやくこなしているレベルであり、今のように起床すらも美沙が起こさなければ昼まで寝ているようであった。


 自ら進んで行っているとはいえ、そんな彼女の世話をする美沙の負担になっていいのだろうか?

 命を助けられ、あまつさえ彼女の優しさに甘えていいのだろうかと、翡翠は不安を抱く。


 これ以上彼女に迷惑をかけるくらいであれば、いっそ孤児院に預けられた方が美沙のためになるのではないかと、翡翠は考えた。


 そうして、小さな少女はある決断をするのだった。


 ~~~~~


「う~~ん……」


 それから三週間後、美沙は机に肘をついて頭を抱えて悩んでいた 

 翡翠なりに家族との別離を呑み込んだためなのか、初日のような脱走は起きなかった。


 しかし、依然として翡翠との距離は縮まることなく、むしろ露骨に避けられているようにも思える程だった。


 正直、そこまで警戒されるとは思ってもみなかったのだ。


 まだ時間はあると自ら鼓舞していたが、当の本人である少女が心開いてくれない状況が続いては、どうしようもない。


「ていうかどうしようどうしよう……後一週間しかない……このままじゃ、ひーちゃんが孤児院に行っちゃう……」

「──それをあたしに言ってもイミないじゃん……」


 あわわ、と唖喰との戦いでは一切見せなかった焦燥を露わにする美沙に、ある人物が口を開いた。

 そう、美沙は今、美衣菜と共に居た。


 二人は地下五階での訓練の後、休憩スペースで体を休めていた。

 普段は他力本願な美衣菜も、戦闘中だけは嘘のようにキレッキレな動きを見せる。


 それが彼女の精神の異常性を浮き彫りにしているのだが、本人は気にしておらず、美沙もそれを承知の上で今も彼女の世話をして来たのだ。

 

「ねぇ、みぃちゃん~、何か良い案ないかな~?」

「あるわけねーって。話す相手間違えてんだろ……オマエが嫌われてるだけじゃねーの?」

「やだーっ! ひーちゃんの面倒は私がみたいーっ!!」


 机に突っ伏して両手でバンバンと叩く美沙を尻目に、美衣菜は好物のスルメイカをポリポリと噛む。

 興味が無くとも長年の付き合いがあるだけに、美衣菜は舞川美沙という少女のことはよく知っていた。


 明るいお節介焼き。


 そう形容するのが一番の彼女は、とにかく他人に対してお人好しである。

 美衣菜も最初は良い子ぶってるだけかと思っていたが、美沙は純粋に人を思いやる心を持っているのだ。

 

 だからこそ、手を焼くだけで何の得にもならない自分の世話係をこなせているのだと、世話をされている美衣菜自身も理解していた。


 それだけに、魔導士としての後輩や先輩を問わず、美沙を慕う人間は非常に多い。

 故に、幼い翡翠が美沙に対して警戒したままだという事実に解せないでいた。


(──っま、どうでもいいけど)


 美沙と違って、美衣菜は他人に感心を持たない。

 持つ気さえないとも言える。


 ただ、例外があるとすれば、それは今まさに言葉を交わし、自分の世話をしてくれる舞川美沙と──。


(あ、アイツだ……)


 その人物を見掛けた美衣菜は、美沙の愚痴を聞き流しながら視線を向ける。

 

「……(ぺこり)」


 美衣菜の視線に気付いた相手は、無言で彼女に会釈し、頭の動きに沿う様にふわりと黄色の髪が揺らされる。

 それだけで、彼女はすぐに美衣菜から視線を外し、早々に立ち去った。

 名前はまだ知らないが、彼女はたった一年で既に自分達と同等の実力を身に付けている少女だった。

 それだけであれば、普通に有望な魔導士としての印象に留まるだろうが、美衣菜には少女が抱える空虚な心を見抜いていた。


(テメェの命すら興味がねぇってツラしてやがる……そういえば、あのガキと似てんな……っま、どうでもいいか……)


 誰に告げるわけでもなく、美衣菜はそう結論付けた。


 ~~~~~


 蔵木美衣菜は水商売をする母親のきまぐれで産んだ、所謂望まない妊娠から産まれた子供だった。

 そんな母親に娘に対する愛情などあるはずもなく、産まれて間もない彼女はネグレクトを受けた。


 それどころか、後になって出生届けも出されていなかったために戸籍がない──無戸籍児だったことが判明した。


 それでも、幼い彼女は母の愛を求めた。

 しかし、それで返って来たのは煩わしい虫を叩き落とすような、平手打ちだった。


 何故自分が殴られたのか、心が未発達の美衣菜には理解出来なかった。


 保育園に預けられないまま、彼女は義務教育を受ける年齢となり、学校に通うようになった。

 しかし、情緒も教養も無い彼女は、給食を手掴みで食べる、突然喚き出すなどの奇怪な行動が目立ち、早々にクラスメイト達からいじめられた。

 

 どうして周りが自分を仲間外れにするのか、どうして教科書や上履きを隠したりするのか、やはり美衣菜には一切理解出来なかった。


 そんなある日、美衣菜はある男子から不当な暴力を受ける。

 男子は、よく日曜日の朝で活躍するヒーローが好きで、よく友達とごっこ遊びをしていたのだ。


 クラス全体でいじめられている美衣菜は、彼にとって都合の良い怪人役だった。


 ボコボコと殴られても彼女が文句を言わないことに、男子はさらに増長する。

 そうしているうちに、美衣菜は男子に問い掛ける。


 ──どうして殴るの、と。


 投げかけられた質問に対して男子が返した答えは……。


『オマエが気に入らないから』


 そう言われた瞬間、美衣菜は暗闇が晴れるような気分になって悟った。


 ──じゃあ、自分が殴ってもいいんだ、と。


 子供らしい、ある意味単純明快な結論に至った。 


 嗚呼、気に入らない気に入らない。

 母のこともクラスのことも、何もかもが気に入らない。


 気に入らないから……全部壊そう。


 ほとんど衝動的と言ってもいい感情にのまま、美衣菜は男子に反撃した。

 手加減を知らない拳は、男子の頬を寸分の狂いなく打ち抜く。


 当然、男子は大いに泣き喚き、周囲は阿鼻叫喚に包まれた。

 そんなことなど露知らず、美衣菜は胸の奥に燻っていた不満がスッと軽くなる快感に耽っていた。


 それから、蔵木美衣菜という少女の内に燻っていた攻撃衝動はあらゆる相手に向けられ、誰も彼女に寄りつかなくなっていった。


 本格的に母親に見捨てられ、天涯孤独の身となった美衣菜を、組織は引き取った。

 組織の中で様々な治療を施された結果、一部の条件下でのみ攻撃衝動を抑えることに成功した。


 彼女が普段身に着けているマスクと、好物であるスルメイカを噛んでいる時などは、その代表例であった。


 その代償としてなのか、魔導士としての能力に不備はないものの、日常生活の大半を他者に依存する形になったが、美衣菜は一切気にしない。


 ~~~~~


 そんな狂気を抱える美衣菜が、唯一と言ってもいい程に心許している美沙が悩む姿というのは、非常に珍しいものであった。


 翡翠のことはどうでもいいが、美沙が困っているのであれば、愚痴程度なら聞く。


 ある意味、この現状こそが美衣菜なりの美沙に対する誠意である。

 

「あーっ! ひーちゃんのお肌を撫でたい! ひーちゃんの髪の匂いで呼吸したい! ひーちゃんのちっちゃい体をギュって抱き締めたい!!」

「それが原因じゃねーの?」


 美衣菜の誠意に気付ているのか定かではないが、何やら危ない発言をする美沙に苦言を出す。

 これ以上、ここで話しても埒が明かないと踏んだ美衣菜は、美沙にある助言をする。


「どうせならオッサンに聞けよ。親戚なんだろ?」


 助言という名の丸投げであった。

 しかし、そうと気付いていない美沙は頭の上に電球を浮かべる程にハッとした表情をする。


「そうだよ! おじさんなら何か良い案くれるかも! ありがとね、みぃちゃん!」


 言うが早いと言わんばかりに、美沙は席から立ち上がって訓練場を後にした。

 その背中を見送りつつ、スルメイカを食べ終えた美衣菜はマスクをつけ直してから息を吐く。


「メンドくせぇ……」


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