241話 仲良し姉妹と運命の邂逅


 2015年3月25日。


 翡翠が美沙の家族となることを受け入れて、半年が経過した。

 初咲の出した条件をクリアしたことで、二人はそれまでが嘘のように仲睦まじい様子を見せていた。


 その日は、翡翠が小学三年生、美沙が中学二年生へと進級する前の春休みに入っていた。


「ひーちゃん、お昼出来たよ」

「ありがとです、おねーちゃん!」


 美沙が作ったハンバーグに翡翠は大喜びで感謝の言葉を口にする。

 まず、翡翠の言動が大きく変わった。

 それは変わったというより、本来の少女の明るさが戻ったと形容する方が正しい。


 本当の天坂翡翠という少女はとても人懐っこい性格をしている。

 突然の環境の変化に、独りだけ置いて行かれたような感覚に囚われていたことで塞ぎ込んでいたのだが、美沙と絆を深めたことでそれを解して行ったのだ。


 それは彼女の学校生活においても大変表れており、母親の死にめげない健気な人物だとクラスメイト達に見られていた。


 次に二人の格好にも変化があった。


 美沙が部屋着にしている紺のジャージを、翡翠もお揃いが欲しいと強請ったのだが、そのジャージは既に生産を終了していたため、新しく購入することが難しくなっていた。


 しかし、偶々ではあるのだが、美沙は予備のジャージを購入していた。

 それを取り出して、翡翠に着せようとしたのだが、その一着だけサイズを間違えて買ってしまっていた。

 そのため、翡翠の小さな体も相まって袖が余り、ズボンも穿けないというブカブカの不釣り合いな着方になってしまった。


 袖の方は萌え袖という見方が出来る分まだ許容出来たが、下半身は裾が翡翠の膝にまで達していた。

 流石にそのままはどうかと思われたが、本人がこのままでいいと言ったことにより、二人はお揃いのジャージを着ることが出来たのだった。


「はい、ひーちゃん、あ~ん」

「あ~ん!」


 美沙がフォークで刺したハンバーグを、翡翠の口へ運ぶ。

 彼女もそれを一切拒否することなく、むしろ嬉々として口に含んだ。


 モグモグと咀嚼して、翡翠はパァッと表情を輝かせて……。


「おねーちゃんのハンバーグ、とっても美味しいです!」

「えっへへ、良かったぁ」


 妹同然の彼女の素直な称賛に、美沙はにへらと擬音が付きそうなだらしない笑み浮かべる。

 完全にデレデレであった。


「──きっっも」


 その様子を間近で見せられていた、赤毛のマスクの少女──蔵木美衣菜は、眉間に皺を寄せて煩わし気に包み隠さず毒を吐いた。

 このやり取りを見るのは別段初めてではないのだが、如何せん何度も付き合いたてのカップルのような光景を見せられ続けるとあっては、彼女でなくとも苦行に等しいものだった。


「ちょっと、みぃちゃん。気持ち悪いじゃなくて、ひーちゃんは可愛いでしょ?」

「おねーちゃんの方が綺麗です!」

「ありがと、でもひーちゃんの方がずっと可愛いよ」

「わたしは、おねーちゃんの方が──」

「それが気持ちワリィって言ってんだよッ! ブッ飛ばすぞッ!?」


 だが、二人は一切気にする素振りを見せず、むしろ一層にイチャつき出す始末であった。

 それが余計に美衣菜の怒りを煽るのだが、残念なことに二人は素でやっている。

 まるで注意が意味を成していないのだ。


 ともあれ、美沙が作った料理を翡翠と美衣菜が食べるという食事の風景は、三人にとって当たり前の日常となっており、翡翠はこの半年で怒る美衣菜の対処方法もすっかり慣れていた。


「ひーちゃんはみぃちゃんも大好きです!」

「──ハァッ!?」


 翡翠のドストレートな大好きコールに、美衣菜は大きく顔を引き攣らせた。

 愛情の無い境遇で育ったためか、彼女はこういった好意を向けられることに慣れていない。


「──ッケ、アホらし……」


 照れよりも戸惑いが先行してくるため、否応なしに黙らされるのだった。

 そうして美衣菜は翡翠と美沙に構わず、パクパクと自分の食事に戻る。


「今年はプールに行けたらいいなぁ」

「わたしは、泳げないからいいです……」

「大丈夫、泳ぎなら私が教えるって言ったでしょ?」 

「うんっ!」


 自分が美沙を避けていたせいで、彼女の貴重な夏休みを浪費させてしまったと悔いるが、彼女はなんてことないと返し、今年こそはと約束を口にする。


 この半年は、本当にあっという間だったと翡翠は振り返る。

 美沙と美衣菜の二人と仲良くなったことはもちろん、日本支部支部長の初咲や美沙の従兄である比嘉也、以前風呂場で出会った工藤静ともよく話す仲になり、最近では関西にある魔導六名家の一つ〝和良望家〟の令嬢である和良望季奈という人物とも知り合った。


 あと一人、気になる人物がいるのだが……。


 そう思考を巡らせていると、美沙がある話題を切り出した。


「そうそう、昨日に日本支部から最高序列に加わった魔導士がいるって聞いた?」

「え? 知らないです」

「シラネー」


 翡翠は便宜上組織所属ではあるが、そこまで魔導の情勢に詳しくなく、美衣菜はそもそも戦闘以外に興味を示さない。


 可愛い妹はともかく、同じ魔導士である美衣菜が知らないのはいけないと、いつものお節介焼きを発動させた美沙は、コホンと一度咳ばらいをする。


「あの子……並木さんが最高序列の第一位になるんだって」

「! へぇ……」

「むぅ~、おねーちゃんだって負けてないのに……」

「こればっかりは仕方ないよ。あの子の方がずっと強いんだから」


 今日本支部の魔導士の中で、特に抜きん出た実力を発揮する少女の存在に、翡翠は美沙だって最高序列になってもおかしくないと不満を口にするが、当の本人は少女の言葉に感謝しつつも自身と相手の実力差を自覚しているため、苦笑を浮かべるだけに留めた。

 

 一方で、美衣菜は目の色を変えて話に興味を持った。

 どうにも、彼女は件の人物に強い関心を向けているようであり、翡翠はそれも何だか気に入らなかった。


 ──一体、あんな冷たい人の何が良いのだろうか?


 半年という時間の中で、翡翠は例の人物と一度だけ挨拶を交わした──いや、あれは挨拶と言えないものであったと首を振る。


 何せ、翡翠が挨拶したのにも係わらず、当の少女は翡翠の顔をチラッと見るだけで何も言わなかったのだ。

 そのため、翡翠の並木という少女に対する印象は、人懐っこい彼女にしては珍しく最悪といっていいレベルであった。

 

 そのくせ、いざ戦闘になれば大好きなおねーちゃんより強いと来る。

 それが翡翠には堪らく不満を募らせる。


 そんな彼女が、全魔導士の中でも最強とされる最高序列第一位となったと聞かされては、面白くないと感じて仕方がないだろう。


「つい先月にもフランス人の魔導士さんが最高序列第五位になったばかりだし、それだけ強い人がたくさんいるって思うと負けてられないね!」

「おっしッ! メシ終わったら模擬戦だッ! 早く終わらせるぞ!」

「もう、ゆっくり食べないと詰まらせちゃうよ?」


 卑屈にならず、より向上心を見せる美沙と美衣菜の会話を眺めて、気にしているのは自分だけのようだと反省する。


 ──ビィーッ! ビィーッ!


「「「!!」」」


 そうして食事を終えてしばらくすると、唖喰の出現を報せる警報が鳴り響いた。

 それを聞いた美沙と美衣菜は顔を引き締めて、敵が現れた場所へ移動しようと部屋を出る。 


「あ、おねーちゃん!」

「ん? なぁに、ひーちゃん?」


 呼び止めるのは忍びないと思いつつも、翡翠は美沙に声を掛ける。


「あのね、わたしももうすぐ十歳になるから、おねーちゃんと一緒に──」

「ダメ。それだけはダメって言ってるでしょ?」

「でも──」

「ひーちゃんの気持ちは嬉しいけど、私はひーちゃんが大事だから今のままでいて欲しいの。お願い……」

「……う、うん」


 一転して厳しい態度で懇願を断る美沙に、翡翠は何も言えず引き下がるしかなかった。

 少女の願い……それは、自分も魔導士としておねーちゃんと一緒に戦うというものであった。

 大好きな美沙の力になりたいと願いに、彼女は嬉しいと返したものの、今のように翡翠を死の危険から遠ざけるべく、それだけは認めないと言ったのだ。


 美沙が本気で自分の身を案じてくれている喜びはあるが、彼女の力になれない無力感に苛まれる気持ちもある。


「どうしたらいいのかな……」


 一人残された少女の呟きに答えが齎されることはないまま、二人が無事に戻って来るように祈るのが、今の翡翠に出来る唯一のことだった。

 

 ~~~~~


「攻撃術式発動、光剣四連展開、発射!」

「ゴッゲギャ!?」


 美沙の放った四本の光の剣が、突進を繰り出してきたリザーガを貫いた。

 

 美衣菜と共に町はずれの河川敷に現れた唖喰の群れと対峙していた美沙は、目視出来る範囲で唖喰がいないことを確認した彼女は、瞼を閉じて探査術式を発動させる。


 ソナーレーダーのような映像を瞼裏で見ていると、はぐれ唖喰がいることが分かったのだが……。


「っ、いけない!」


 唖喰とは別の生体反応……即ち、人間の反応が十メートル近くにあったのだ。

 さらに運の悪いことに、二つの生体反応は進行方向が同じ……つまり、はぐれ唖喰に終われている魔力持ちの人物だと察せられる。


 唖喰の姿を捉えられるだけまだ不幸中の幸いと言うべきではあるが、一刻の猶予も無いと美沙は慌てて駆け出す。


 彼女のいる場所と目的場所までは一キロ程距離が開いてるため、美沙は全力で駆ける。

 だが、途中で住宅街を挟んでいるため、一直線に向かうことが難しい。 


「ああもう、こうなったら空から行くしかないよね! 固有術式発動、メタトロン・ビーズ!」

 

 ショートカットのために美沙は固有術式を発動し、三十六万もの豆粒サイズの光球を背中に集約させ、なんと一対の大きな翼へと変形させる。


 身体強化術式を最大出力で発揮し、美沙は地を蹴って跳躍する。

 たった一回のそれで二十メートル以上も跳んだ彼女は、障壁を空中に展開し、それを蹴って前方へ弾丸のように突き進む。

 さらに背中の翼を広げてグライダーのように緩やかに降下することで、その速度を維持していった。


 春休みの昼間になんとも大胆なショートカットを披露するが、美沙の頭の中には救助対象の人物の無事以外片隅に追いやられているため、全く気にする素振りを見せないでいた。


 そうして反応発見からものの三十秒で、美沙は目的の場所に辿り着いた。

 そこは商店街の路地裏であり、複雑に入り組んだ通路が多い所であった。


「あっ!」


 危なげなく着地して路地裏へ侵入する。

 目を向ければ、はぐれのイーターを前にして救助対象は腰を抜かして座り込んでいた。


 すると、救助対象である少年はイーターの後ろにいる美沙に気付いたようで、彼女はもう大丈夫だと声を掛けようとして──。


「──逃げろ!!」

「え──」


 一瞬、ほんの一瞬であるが、美沙は自分に向けて放たれた言葉を上手く飲み込めなかった。

 何せ、彼は青い顔色で全身を死の恐怖で震わせているのにも関わらず、自分の身の危険を無視して、美沙に逃走を促したのだ。


 それが冗談の類でないことぐらいは、相手の目を見て理解出来た。


 だが、少年の声でイーターも美沙の存在に気付き、彼女へ標的を変えて飛び掛かって来る。


「あぶ──」

「っ、邪魔!」

「グルァッ!?」

「は?」


 しかし、美沙は背中に展開していたメタトロン・ビーズの翼から、ガトリング銃のように光弾を放つことで、あっさりと返り討ちにした。

 

 その光景を見ていた少年はポカーンと口を開けて呆けていた。

 一目見て明らかに地球上に存在しないと分かる異形の怪物を、片手間で倒してしまう美沙の存在に目を奪われているようであった。


「あの、大丈夫?」

「え、あぁ……大丈夫……」


 そんな少年の心境などいざ知らず、美沙はいつも通り相手の無事を確認する。

 彼女の声にハッと気づいた少年はゆっくりと立ち上がって、改めて美沙と目を合わせる。


 その少年は、ところどころ跳ねている黒髪に、眼鏡を掛けた黒目であり、人のよさそうな穏やかな雰囲気を感じ、服装は紺色のパーカーに、カーキのカーゴズボンを穿いていた……所謂、どこにでもいそうな平凡そうな人であった。


 年齢に関しても美沙は自分と大差ない……もしかしたら同い年かもしれないと推測する。


「えっと、助けてくれてありがとう」

「えと、どういたしまして」


 二人の間に妙な緊張感が漂う。

 少年の方は、怪物を倒した美沙がかなりの美少女であることに。

 美沙の方は、従兄の比嘉也以外で初めて出会う魔力持ちの異性であることに。


 それだけでなく、美沙にはもう一つだけ緊張する理由があった。


(こういうのって、確かボーイミーツガールって言うんだっけ……学校の友達から貸してもらった少女漫画に、そんな展開があったような……)


 そう、美沙とて年頃の少女である。

 恋愛に対する憧れの一つや二つは年相応に抱いており、相手は唖喰という怪物を認識出来る異性……記憶にあるシチュエーションに、美沙は無性に心臓の鼓動が早くなる感覚がしていた。


 しばらく沈黙が続く中、それを破ったのは少年の方であった。


「あ、あのさ! 一つ聞きたいことがあるんだ!」

「え、あ、はい!?」


 少年の声に、美沙は戸惑いながらも背筋をピンっと正す。

 さらに早くなる鼓動に意識が向きそうになるのを堪えながら、彼の言葉に耳を傾ける──。








「もしかして君は……魔法少女なのか?」

「──っへ?」


 尋ねられたのは、ムードもへったくれもないものだった。


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