237話 天使の情景


「──ククク……」


 最初に動いたのは美衣菜だった。

 彼女はバッとボロ裾マントを翻すように両手を後ろに振る。

 その先から魔法陣が展開され、二つの細長い物体を顕現させた。


 それは、長い銃身の先端に刃物が付けられたマスケット銃だった。

 

「ヒヒッ!」


 二丁のマスケット銃の銃口を唖喰に向け、タタンッと引き金を引く。

 音速を越える速度で放たれた魔力弾は、二体のイーターを速やかに撃ち抜いた。


「ガルルル!」


 攻撃の隙を衝いて、別のイーターが美衣菜に襲い掛かる。

 マスケット銃の弾は、火縄銃のような先込め式である。

 つい先程二丁とも撃った故に、今の彼女が両手に持つ銃には弾が入っていない。


 だが、美衣菜の表情に焦りは微塵もなく、むしろ鋭い八重歯がはっきりと見える程に口角で弧を描いた。


「オラァッ!!」

「ガッ!?」


 大口を開けて自身を食い殺そうとするイーターの喉に目掛けて、マスケットの先端に付けられている刃を突き立てたのだ。


 続け様にもう一方のマスケットを突き刺し、左右に引き裂いた。

 上あごと下あごが真っ二つに分かれたイーターは、断末魔を上げる時間も無く塵になって消滅した。


 目の前でその光景を見た美衣菜の両手から、マスケット銃がフッと光の粒子になって消える。 


「──ははは、ははハハハハ、ははははハハはハハハハハッッ!!」


 それがスイッチだったのか、美衣菜は翡翠が初めて会った時と同じ狂笑をする。

 背後に展開されたままの魔方陣から、新たなマスケット銃が召喚され、美衣菜はそれをくるくると踊るように回りながら撃っては投げるを繰り返す。


「……」


 その姿に、翡翠は開いた口が塞がらなかった。

 美沙から魔導士がどのような存在かを聞いた時、彼女は〝魔法少女と似たようなものだ〟と言っていたが、それは違っていた。


 否、魔法少女と形容したのは幼い自分に分かるように説明しただけであり、魔法少女そのものだと肯定はしていなかった。


 何せ、戦い方があまりに生々しいのだ。

 一つのミスや油断で簡単に命を散らしてしまうような戦闘を、魔法少女と同一視することが失礼だと思える程に。


 それほどまでに唖喰の攻撃は狡猾で凶悪であり、それに対抗する魔導士の戦い方も合理的に華やかさを損なう形となっていた。


「みぃちゃんがあっちを相手にしてくれてるなら、わたしはこっちだね」


 狂った笑い声をあげながら戦う美衣菜を尻目に、美沙も自身の武器である長棒を水平に構える。

 たったそれだけで、翡翠にとっては異常でも美沙にとっては見慣れた光景であると、理解させられた。


 現に、翡翠と美沙の元には、白い球体にうねうねと赤い触手が生えている唖喰──ローパーと、腹から先がサソリの尻尾になっている蜂の姿をした唖喰──スコルピワスプが、じりじりとにじり寄っていた。


「──ヒッ!」

「大丈夫だよ」


 容赦なく発せられている殺気と食欲に、翡翠は恐怖で顔を引き攣らせる。

 が、美沙は彼女を安心させるために背を向けたまま、声を掛ける。


 その声音は、下手をすれば死ぬことになるというのに、普段の彼女となんら変わりない程に優し気であった。


「ひーちゃんは私が守るから」

「──っ!」


 どうしてこんなに怖い化け物を相手にして、美沙や美衣菜は平然としていられるのか、翡翠には解らなかった。


 だが、美沙の背中はとても頼もしかった。


「シュルルッ!!」


 ついに痺れを切らしたローパーが、美沙へ四本の赤い触手を突き出す。

 美沙は長棒に魔力を流し、クルクルと振り回して的確に捌いていく。


 触手は捌かれる度に千切れるが、ブクブクと肉がせり上がってすぐに再生するため、敵の攻撃の勢いは削がれない。


 膠着状態ではあるものの、美沙の表情は動揺が一切なく、常に周囲への警戒を続けていた。

 時折触手が美沙の不意を衝こうと、背後や足元を目掛けて突き出されるが、それらも見切られた上で捌かれる。


「ギギッ!」


 そこへ、今度はスコルピワスプが割って入る。

 大きなサソリの尾から、ショットガンの散弾のように大きな針を飛ばして来た。


 ローパーの触手も相手にしなければならない状況でそんな攻撃をしてくる唖喰に、翡翠は声に出せずとも反則だと感じた。


「なんの!」


 しかし、悲劇的な光景を幻視した翡翠の予想と違い、美沙は棒を自身の前方で回転させる。

 風車のように回る棒は、襲い来る無数の針を弾いていき、彼女に傷一つつけることは叶わなかった。


「こっちには小さい子もいるんだから……って、そんなこと言っても通じないか」


 何やら愚痴る美沙は、ふぅと息を吐いて一気に駆け出す。

 その助走の勢いに乗せて、美沙は棒を突き出す。

 魔力を流すことによって、そのリーチを倍以上にまで伸ばした長棒は、ローパーの体をあっさりと貫いた。


 そのまま棒高跳びのように、しなる棒の反動を利用して美沙は跳ぶ。

 頭を地面に向けた体勢から、グルッと身を翻して右の手の平をスコルピワスプに向ける。

 

「攻撃術式発動、光剣三連展開、発射」


 手の平の先に魔法陣が展開され、そこから三本の光の剣が放たれる。

 剣は三本ともスコルピワスプを貫き、塵に変えていった。


「ゲガァッ!!」

「っ!」


 またも、攻撃の隙を衝いてリザーガが突進してきた。

 その突進をまともに受ければ、内臓が潰れるどころか、身体に風穴が空いても不思議ではない。


「遅いね」

「ゲェッ!?」


 そんな速度で迫ってくる相手だろうと、美沙は臆することなくそのまま体を縦に回転させて、オーバーヘッドの要領でリザーガへカウンターの蹴りを食らわせる。


 元の突進の勢いと、美沙の蹴りに加えて重力の落下も合わさったことにより、リザーガはフォークボールのような軌道で地面に落下し、塵となって消える。


 その最期を見届けることなく、美沙は危なげなく着地する。


 まだ唖喰は残っているのだ。

 一体倒すごとに一喜一憂していては、あっという間に狩られてしまう。

 

 それを示すかのように、翡翠には到底把握し切れない数の唖喰はワラワラと現れていた。

 

 翡翠からすれば絶望的な状況なのだが、実際に戦っている美沙にはやはり焦燥する感じはない。


「ん~、みぃちゃんはあの様子だとポータルを探す気はないかな。なら、私がやるしかないかー……」


 顎に手を当ててそう思案を口にする美沙に、翡翠は何も言えなかった。

 というよりも、目まぐるしく回る状況に反応する余裕が無いのだ。


 この一日だけで、何度も非日常の光景を目の当たりにすれば、例え翡翠でなくとも混乱は免れないだろう。


「みぃちゃ~ん! 探査術式でポータルの位置を探すから、ちょっとだけ足止めお願いね~」


 美沙は遠くで戦っている美衣菜にそう呼びかける。

 

「ア゛ア゛ッ!? メーレーすんなよ!?」


 しかし、当の彼女は美沙の提案に真っ向から反感を示した。

 むしろ、戦闘に水を差されて怒りを露わにしていたくらいであった。

 それでも美沙は全く気にするそぶりを見せず……。


「ご褒美にスルメイカあげるよー!」

「オイオイオイオイッ、マジかよッ!? さっさとそれを言えってのッ!!」


 美沙のご褒美という言葉に、美衣菜は打って変わって嬉しそうに声を弾ませる。

 そのテンションのまま、彼女は左手を天に掲げる。


「一袋丸々よこせよ!?」

「いいよー。で、ひーちゃん、耳を塞いでおいてね」

「え、え?」


 交渉を終えた美沙は、翡翠にそう声を掛ける。

 だが、ただでさえこの非日常に戸惑うばかりの少女には、いきなりそう言われてもすぐに行動に移せなかった。


「はい、言われた通りにする!」

「う、うん……」


 パンパンっと手を叩いて促す美沙に言われるがまま、翡翠はサッと耳を両手で覆う。

 それと同時に、美衣菜が掲げた手の先に魔法陣が展開される。


 だがそれは、彼女の背後に現れたままの二つの魔方陣と異なり、一際大きなものだった。

 翡翠が疑問に思っていると、そこから銃口が横に二つ並んでいる〝水平二連式〟と呼ばれる形状のショットガンが現れた。


 美衣菜はそれを前方に構える。


「固有術式発動、ハウリング・クラスターッッ!!」


 彼女がそう呟いて引き金を引いた瞬間、二つの銃口から凄まじいインパクトが迸った。

 ズンッと大きな音が衝撃となった感覚だけが、翡翠の体を襲う。

 それはまるで、化け物の咆哮を彷彿とさせるくらいで、美沙に言われた通り耳を塞いでいなければ鼓膜が麻痺するか、下手をすれば破けていたと思えるほどであった。


 耳を塞いでいる翡翠でさえそうなのだから、衝撃を直接浴びた唖喰達は凍りついたようにその動きを止めていた。


 固有術式〝ハウリング・クラスター〟。

 ショットガンから発せられた音の衝撃に魔力を纏わせ、発動者以外の周囲の相手の動きを止めることが出来る効果がある。

 直接的な攻撃能力はないものの、下位クラスどころか上位クラスの唖喰でも止められるが、音を媒介としているだけに、あまり距離が開くと効き目が悪くなるという弱点がある。


「──見つけた。九時の方向、距離三百メートル」


 しかし、美沙は敵全体の動きを止めることに固執していなかった。

 耳を塞ぎ、目を閉じながら発動させた探査術式のレーダーにより、唖喰が出現するポータルの位置を割り出したのだ。


 位置と方角が分かれば、彼女が起こす行動は一つだけである。


「ここからなら、余裕で届くね。固有術式発動メタトロン・ビーズ」


 美沙がそう言って両手を広げると、キラキラと光の粒子が浮かび出す。

 それはさながら星のように煌めいており、術者である美沙本人の可憐な顔立ちも相まって、非常に幻想的な光景が広がっていた。


「──きれい……」


 内に湧き上っていた恐怖など、影も形も無くなる程に翡翠は見惚れていた。

 無性に、美沙から目が離せないままジッと見つめていた。


「集い、翼剣と為せ」


 そんな少女の心境に構わず、美沙の詠唱に合わせて光の粒子は複数の地点に渦巻いていき、ある形状へと変化した。


 翼を模した鍔の無い剣のような形で、その数は72にも及んでいた。

 それらの切っ先は、美沙が発見したポータルまでの道のりを立ち塞ぐ唖喰達に向けられる。 


「散っ!」


 美沙が手を横に振るうと同時に、翼状の剣はヒュンヒュンと風を切りながら飛翔し、次々と唖喰達を貫き、引き裂き、斬り刻んでいく。


 彼女の攻撃を阻止しようと唖喰達が襲い掛かるが、美沙は予想通りといわんばかりに別の翼剣を振るう。

 

 72振りの翼剣を巧みに操る彼女に死角など存在していなかったのだ。


 なおも剣はその速度を緩めることなく、翡翠の目では捉えきれない距離まで至り……。


「ん、ポータルの破壊に成功したよ。後は敵の殲滅だね」

 

 翼剣を操る美沙は、ポータルを貫いた手応えを口にする。

 

 固有術式〝メタトロン・ビーズ〟。

 粒子程度の極小サイズにまで希釈した光弾を操るだけの術式だが、十三歳ながら魔導士としてベテランの域に達する美沙が駆使するその数は、実に三十六万にも及ぶ。


 一つ一つの威力は蚊に刺された程度なのだが、連続で浴びせることはもちろん、粒子を集束させることでその威力を跳ね上げることも、翼剣の形状以外にも様々な形にも可能という、非常に使い勝手のいい固有術式である。

 

「みぃちゃん、やっちゃって!」

「はハはハハッ! リョーカイリョーカイッ!!」


 美沙の声に合わせて、美衣菜は高いテンションのまま次の行動に移る。


「固有術式発動、パラライズ・パラダイス!!」


 美衣菜が詠唱した後、三度後方に展開された魔法陣から、先の二つとは異なる形状の銃が出現する。


 それは、銃口が縦二つに並んでいる──〝上下二連式〟のショットガンだった。 


「オラオラオラオラーーッッ!!」


 ショットガンを構え、周囲の唖喰達に向けてでたらめに撃ちまくり、辺りに光弾がばら撒かれる。

 美沙が展開した結界の中にいる翡翠は、着弾の衝撃を警戒して咄嗟に身構えるが、次の瞬間に起こった事の前では無用の行為だった。


 光弾が唖喰達の群れの間に着弾すると、カッと小さな閃光が迸り、光の網が広がって敵を捕らえていたのだ。


 その網の拘束力はかなりのものなのだろう、唖喰がいくらもがこうとも全く払うことが出来ず、大きな隙を作ることとなった。


 固有術式〝パラライズ・パラダイス〟は、放たれた光弾を起点に、粘着性のある光の網を発生させる術式である。

 捕らえるだけでなく、徐々に唖喰にダメージを与えていく効果もあるため、下位クラスの唖喰相手であれば網に捕まった時点で撃破したようなものである。


 当然、その隙にも美衣菜本人や他の魔導士による攻撃も有効なので、唖喰にとってはこれ以上ない厄介な術式となっている。


「はっハハ、あっはハハハ、はハハはははハはッ!!」


 まな板の上の鯉を捌くように、美衣菜は狂笑を木霊させながらマスケット銃で撃っては投げを繰り返して、次々と唖喰を屠ってゆく。

 その姿に恐れをなしたのか、唖喰達は一体また一体と逃走を試みようとするが、美衣菜がそれを許すはずもなく、それどころか逃げようとした個体を優先的に始末していった。


 そして、もう一人の魔導士の存在も、かの怪物達の敗北を決定づけることとなった。


「これでおしまいだよ──固有術式発動、サンダルフォン・アドヴェント」


 美沙がそう詠唱を終えると、彼女は棒をやり投げのように構える。

 すると、その棒を柄として、中央が異様に突き出た三叉の豪奢な光の槍を形成した。

 槍の輝きは翡翠が見て来たどの術式よりも、強く強く惹かれた。


「でやああああぁぁぁぁっ!!!」


 身の丈以上の大きさを誇る槍を、美沙は一切の重さを感じさせることなく掛け声と共投擲する。

 一条の流星の軌跡を描いて放たれた槍が唖喰の群れの前方に突き刺さると……。


 ──夜空の闇を白夜に染め上げるような極光の柱が出来上がった。


 あまりの眩しさに翡翠は目を閉じるが、光は瞼の裏にまでも届いていた。

 戸惑うばかりであった少女でも、美沙の投げた光の槍が並大抵の実力で扱えるものでないことだけは理解出来た。


 長いようで短い閃光はゆっくりと収束していき、翡翠が恐る恐る目を開けた時には唖喰は一匹残らず全滅していた。


「ん、残敵ナシ! ひーちゃん、大丈夫?」

「…………」


 敵がいないことを確認し終えた美沙は、ポカンと呆ける翡翠に声を掛けるが、当の本人の耳には全く届いていなかった。


 幼い少女が初めて見た魔導士と唖喰の戦闘は、彼女の知る魔法少女とは程遠いものではあった。

 しかし、それ以上に……。



 ──カッコイイ……。



 天坂翡翠は、そんな感慨に耽っていた。


 サッカー選手がゴールを決めたように、事故に遭った子供が医者に救われたように……。


 少女は舞川美沙という魔導士の戦う姿に感動を覚えたのだった。

 

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