232話 天使の笑顔の裏側
「翡翠ちゃんの過去のことで、何か知っていることがないか、ですか?」
「あぁ。ゆずが知ってる範囲でいいんだけど……」
中学生達の自主練に付き合った翌日、駅前で待ち合わせをしていたゆずに翡翠のことを尋ねてみた。
交流を持って半年……今さらだか、翡翠の過去のトラウマをどうにかしないといけないと感じた。
あんなに小さい女の子なのに魔導少女で、今でも根強いトラウマを抱えているままでは、きっと翡翠の日常は後ろめたさに満ちていたとしても、不思議じゃないだろう。
ここまでくれば美沙との再会を後回しだ。
俺の自己満足の謝罪より、よっぽど重要だと思った。
「ボクからもお願いします。あんなに辛そうなヒスイちゃんは、あまり見ていたくありませんから……」
同じく待ち合わせをしていたルシェちゃんも、俺と似た心境だったのか、一緒になってゆずに頼み込んでくれた。
昨日の翡翠の様子は、明らかにあいつらしくなかったと思い返す。
まだ知り合って一ヶ月のルシェちゃんですら、異常だと気付くのだから、先日のはぐれ唖喰との戦闘で戦えなかったことは、よほどのことだと分かる。
「そこまでしなくても、私の把握する限りでよければ話しますから……」
そんな俺達の懇願に、ゆずは戸惑いながらも答えると言ってくれた。
ホッとする間もなく、ゆずはゴホンと咳払いをして口を開く。
「ただ、その……翡翠ちゃんの過去に関して、当時の私は司君と会う前の私でした。なので、今ほど彼女に感心を向けていなかったので、あまり参考にならないですよ?」
「あぁー……いや、それでも何も聞かないよりはマシだよ。頼む」
申し訳なさそうに告げたゆずの前置きに、俺はそういえばそうだったと思い出す。
俺と出会う前のゆず……つまりは日常や他者を不要だと決め付けていた頃の彼女だ。
あくまで他人との交流は必要最低限で、自ら進んで相手を知ろうとはしなかった。
つい半年前はそんな感じだったことに、今の表情豊かで朗らかな本当の彼女を、日常指導の効果を明確に感じた。
……っと、今はゆずが知ってる限りで、翡翠の過去を聞くんだ。
感慨に耽ってる場合じゃない。
「私が翡翠ちゃんという人間の存在を認知したのは、既に彼女の教導係が亡くなった後なんです」
当時のゆずは、唖喰に殺された母親の遺言に従って生きるため以外のことに無関心だった。
ましてや、彼女は最高序列第一位〝天光の大魔導士〟だ。
死に身近な魔導士の死に、悼みはしても悲しむ余裕がなかったことは想像だに難くない。
特に前から接点があったわけではないこと、翡翠自身が初戦闘以降戦っていないことを含めれば、ゆずが自分の教導担当でもない女の子のことを知らなくても無理はないだろう。
「お、思ってたよりずっと後だったんですね……」
「正直、恥じる気持ちで一杯です……」
もちろん、それは当時のゆずだった頃の話だ。
日常指導を通して、彼女は本来の思いやりを取り戻している。
今の自分なら、大切な人の死にうちひしがれている翡翠に、何か出来たのではないかと罪悪感を見せている。
「その時の翡翠ちゃんは……〝生きているのに死んでいる〟ような雰囲気でした」
「と、言うと?」
「現在の彼女の面影が一切見えない状態です。当時の私ですらまだ残っていた自分の生に対する執着すら、空っぽになっているような……そんな感じだったと、記憶しています」
「そんなに……」
それは、本当に翡翠なのか?
そんな疑問が浮かんだ。
何せ、普段の翡翠が見せている快活さが皆無だったなんて、教えられた今でも全く想像出来ないくらいだ。
「それからは、隅角さんの助手業に就いているうちに、現在の状態にまで回復しているのですが……」
「ほとんど金メッキ染みてたってことか……」
あの子なりの強がりだったんだろう。
そう思うと、今まで能天気に接してきた自分が腹立たしくなってくる。
あの笑顔に励まされたり、愛着を感じておきながら、その裏側を知ろうとしなかったことが、恥ずかしくて堪らない。
一体、今まで翡翠が浮かべていた笑顔には、どんな想いが隠されていたんだろうか。
心から笑えていたことが、果たしてどれだけあったのだろうか。
翡翠本人しかわからない疑問に、答えなんて出るはずもなかった。
~~~~~
「ひーちゃんのこと? あぁ、中々難儀な話題振ってくんなぁ……」
「悪い、迷惑だったか?」
放課後。
俺は昨日のはぐれ唖喰との戦闘で使った、魔導銃のメンテナンスのために技術班の整備室に訪れていた。
隅角さんに調整してもらっている間に、たまたまいた季奈にも翡翠の過去のことを尋ねてみた。
ゆずよりは翡翠と交流があったはずの彼女なら、より鮮明に分かるのではと思ったのだが、季奈と難しそうに眉を顰めた。
でも〝難儀〟と語る季奈に、言いづらいことだったのかと謝罪すると、彼女は気にするなというように首を横に振る。
「いいんや。つっちーのことやから、いつかひーちゃんのこともどうにかしようって思うんやろうなぁ、って思っとったくらいや。むしろやっとかって気分や」
「予想してたんなら、あいつに無神経なことを言う前に早く教えてくれよ……」
なんで出来る事前対策を怠ったのかと、俺は季奈に疑問の眼差しを向けるが、彼女は気にも止めずに答えた。
「ゆずの日常指導係に、ルシェの男恐治療、唖喰のこと、三角……や、四角関係諸々。こんだけ考えなアカンことだらけやのに、ひーちゃんのこと教えたら、つっちーの頭がパンクするやろ?」
「うぐ……」
季奈の尤もな指摘に、俺は返す言葉もなく黙るしかなかった。
自分の限界も見極めずに、あれもこれも一緒くたに詰め込んでどうにかしようとしても、手が回らずに中途半端になる。
お人好しが過ぎるが故に、教えてくれなかったと明かされては、俺に反論の余地なんてない。
「ま、別につっちーが知りたいんやったら教えたるけど……そもそもどこまで知っとるんや?」
「助かる。えっと、両親が離婚して、母親が唖喰に殺されたこと。初戦闘の時に、唖喰に下半身を食い千切られたこと。教導係の人が、あの子を庇って亡くなったこと。その事に強い罪悪感と後悔を抱えてること。隅角さんの助手業に就くまでは、今とはかけ離れた性格になってたってことだ」
改めて挙げてみると、とても十三歳の女の子が歩んでいい人生ではないと思う。
ゆずやアリエルさんも相当だが、翡翠の場合これらの出来事が三年以内に起きている。
何度も思うが、本当に自殺していないのが奇跡と言える。
生きているとしても、まともな精神を保てるかも含めてだ。
そういう意味では、翡翠もかなり強い子なのだと分かる。
強いからといって、何も思っていないわけではないのは明白だが。
「せなやぁ……亡くなった教導係の人のことは?」
「いいや……そういえば全然知らないな……」
魔導少女である翡翠の教導係なのだから、魔導士なのは明らかだ。
確か、唖喰に襲われていたところを、その人に助けてもらったって言ってたな……。
そして、自分の身よりも幼い翡翠を優先したことから、かなり慈悲深い人柄なのだと分かる。
でも、俺が知っているのはそれくらいだ。
そう伝えると、季奈はフムフムと顎に手を当てながら熟考する。
すぐにどう伝えるのか纏まったのだろう、腕を組み替えてゆっくりと口を開いた。
「正直な、亡くなったことが惜しいくらい有望な人やったんや。それこそ、フランス支部のクロエさんぐらい強くなれる才能の持ち主やった」
「……翡翠の後悔が強いわけだ」
トラウマで戦えない自分より、なんて言うことが当たり前になる程だ。
特に翡翠はその人に助けられたことで、彼女のような魔導士になろうと魔導少女になった。
憧れの人の未来を自分で終わらせてしまったと、あの小さな体に収まり切れるか怪しいくらい、大きな罪悪感と後悔があるのだと悟った。
「せや。ひーちゃんはな、あの人のことを『おねーちゃん』って、ほんまの家族以上に慕っとった。ほんまの姉妹そのものやったで」
「そうじゃなきゃ、あそこまで自分を追い詰めたりしないってことか」
そう当時の二人のことを思い返す季奈の表情は、どこか羨ましさがあるように見えた。
血の繋がった家族以上の絆……それを失った翡翠に、どれ程の絶望が重くのし掛かったのか、その経験がない俺には一生理解出来ないと思った。
いいや、理解出来なくても、理解を示すことは出来るはず。
そう、自分を奮い立たせる。
そのために、今こうして翡翠の過去を知ろうとしているんだから。
「ウチがひーちゃんの教導係のことで知っとるのは、こんくらいや」
「そっか……」
確かにゆずより知ってはいたが、なんだかまだ遠い手応えに、どこか納得がいかなかった。
「なんや、もっと知りたいなーって顔してんで?」
「っ、まぁ、そうだけどさ……」
顔に出ていたようで、ニヤニヤと指摘する季奈に半ばヤケクソ気味に肯定する。
なんというか、翡翠は自分の命より大事な人を、唖喰によって二度も奪われている。
自分も重傷を負わされて、前線で戦うゆず達に対しても不甲斐なさと劣等感を常に刺激され続けている。
そんな自分が嫌で、あの子なりに現状を変えようとしても、どうしても唖喰への恐怖が足を引っ張ってしまう。
昨日の戦闘の際に見せた様子と、今まで聞いた過去から、今の翡翠の心境にだいぶ近付いてきた気がする。
「あ、そういえば、翡翠の両親は離婚したのなら、なんで父親と兄はあの子を迎えに来てやらないんだ?」
「んー、すまんけど、それはウチも知らんわ」
「そうかぁ……」
母親は唖喰に殺されたが、父親と兄は健在のはず……そう思っての問いに、季奈は知らないと返した。
「おーい、魔導銃の調整が終わったぞ、坊主」
「あ、隅角さん。ありがとうございます」
そうこうしていると、それなりに時間が経っていたようで、魔導銃のメンテナンスを負えた隅角さんが、俺の腕時計型の魔導器を持って戻ってきた。
そこでふと、翡翠が助手をしていて且つ、組織に身を置いている期間が長い隅角さんなら、彼女の父親と兄のことを知っているのではと思い、聞いてみることにした。
「隅角さん、翡翠の父親と兄って、どうしているか知っていますか?」
「あ? チビの父親と兄……? チッ、嫌なことを思い出させんなよ……」
「え?」
あからさまに嫌悪感を露にする態度に、俺は胸がざわつく感じがした。
そのざわつきの正体を暴くように、隅角さんは続ける。
「チビの父親はな、アイツの親権を放棄したんだよ」
「はあっ!? なんだよ、それ!?」
「なんでも新しい家族との生活のためだとかほざいたらしい。兄貴の方も、付き合ってる彼女とやらのために、妹のことなんて知らぬ存ぜぬだ」
「おいふざけんなよ、そいつら今どこにいるんだ? 翡翠はまだ十三歳なんだぞ!?」
あまりに馬鹿馬鹿しい話に、俺は驚きと怒りを隠せなかった。
そんなバカな話があっていいはずない。
翡翠にとって、血の繋がった家族なのに……。
「落ち着き、つっちー。腹が立つのはウチも同じやけど、ゆって分かるような人らやったら、ひーちゃんは苦しんでないで」
「──っ」
煮えたぎった怒りを、季奈に冷まされる。
話はまだ途中だ。
感情任せに動いていいものではなかったと、自制する。
「まぁ、父親側は親権放棄をして、母方の親戚も既に亡くなってるわけで、チビは孤児扱いってわけだ」
「……」
本当に、十三歳の女の子が経験しなくていいことが多過ぎる。
昨日、菫ちゃんから聞いて知った、翡翠が家族参観の学校行事を嫌うのは、家族に捨てられた経験があるからなのか。
普通でなくとも、元気な両親と過ごしてきた俺じゃ、翡翠を取り巻く事情を解決することなんて出来るのか?
いや、解決でなくとも、せめてあの子が抱えているトラウマを軽くすることはしたい。
そう、切に思う。
「それでシンパシーを感じたのか、アイツは自分がチビの家族になると言い切りやがった」
「アイツ?」
「チビの教導係だよ。それで、
俺の従姉妹だ」
「──えっ!?」
何の気なしに明かされた事実に、俺は驚愕する。
だって、それが事実なら、隅角さんは家族を亡くしたことになるからだ。
人の繋がりは、本当に予測し難いところに繋がっているものだと、伝えられたような気がした。
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