233話 あまさかひすいと■■■■■■


「従姉妹って……」

「あぁ。俺の親は四人兄弟の長男の子供でな、チビの教導係はその末っ子の子で、俺とは二十歳くらい離れてたもんだから、おじさんって呼ばれてたな」


 そんなに歳が離れていたのか……。

 しかし、まさか従姉妹だとは思わなかったなぁ……。


「ほぇ~、おっちゃん、あの人とそんな関係やったんか……全然似とらへんな」

「うっせ。むしろお前らの顔面偏差値の方が異常なんだよ」


 翡翠の教導係である人物と面識のある季奈が、隅角さんの顔と見比べて血の繋がりを疑うような眼差しを向ける。


 それに対して、隅角さんは季奈達の方がどうなんだと返した。

 褒めてるようにしか聞こえないけどな。


「アリエルさんとか、同じ人間にみえへんしなぁ……」

「おぉお……あんなエロエロの美女に好かれてるとか、坊主の方がもっと異常だよな」

「俺、狙ったわけじゃないんですけどね……」


 アリエルさんのことで、俺に飛び火してきた……。

 俺だって大してイケメンなわけでも、特筆する身体能力もない。


 なのに、三人の女性から好意を向けられるだなんて、未だに信じられないのが正直な気持ちだ。


 とと、それより、今は話の続きだ。


「それで、従姉妹なら何か知ってることはあるんですか?」

「そうだなぁ……強いて言えば、アイツは小さい頃、魔導士が大嫌いだったくらいだな」

「え!?」


 かなり驚きの要素があることを、またもこの人はさらりと告げた。


「魔導士になったのに、魔導士が嫌いって……」

「父親は運転中に唖喰に襲われて、アイツの母親は魔導士だったけど殉職。で、結縁を辿って俺が面倒見ることになったんだよ」


 そういうことか……。

 母親が魔導士でなければ、その人の家族はバラバラになることはなかったんだ。


 ゆずと翡翠のように、唖喰によって家族がいなくなったのは同じなのに、真逆な感じがした。


 でも、あくまで嫌っていたのは子供の頃だそうで、ある時期を境にむしろ誇るようになったという。


 多分、翡翠と出会ったからなのかもしれない。

 自然とその結論に行き着いた。


「で、だ。チビが天涯孤独になったことに、アイツは自分を重ねたのか、自分がチビの家族になるって言い切ったんだ。まだ二十歳になってないやつがだ……野良猫拾ってくるのとはワケが違うんだぞって、怒鳴っても聞く耳も持たなかったよ」


 口では文句に近いものの、隅角さんの表情には過去の出来事を懐かしむような、温かい眼差しを浮かんでいた。


 それだけで、二人は仲が良かったのだと伝わった。

 翡翠だけじゃない。


 その人が、亡くなったことに悲しみを抱いている人は、他にもいるんだと分かり、それほどまでに大事な命を食い殺した唖喰には、改めて反吐が出るくらいの不快感を覚えた。


「えっと、もう一つだけいいですか?」

「なんだ?」


 その不快感を呑み込んで、俺は前々から気になっていたことを尋ねる。

 変に機会を逃し続けていたがために、今になって聞くのもどうかと思うが、知っておきたいと思ったからだ。


 それは……。


「翡翠の教導係の人って、なんて名前の人だったんですか?」

「あ~……名前はしらんかったんかいな……」

「あ、言っちゃいけないなら、無理には聞かないけど……」

「亡くなってる人のでも個人情報やからなぁ、名前くらいやったら別にええんちゃう?」

「そうだな……坊主は悪用したりしねえだろうし、名前ついでにアイツとチビの経歴をまとめた書類を持って来てやるよ」

「いいんですか?」


 まさか翡翠の情報も合わせて渡してくれるなんて思わず、俺は本気なのかと問い返した。

 その問いに、隅角さんは顔色一つ変えずにいつもの仏頂面のまま、口を開いた。


「ん? それ使って何か企んでるのか?」

「い、いえ。そんな度胸ありませんし……」

「ならいいだろ。ちょっと待ってな」


 人一人の大事な情報だというのに、隅角さんは俺への信頼を確かな様子で、恐らく日本支部の魔導士達の情報をまとめているであろう、資料の山が見える部屋へと入って行った。

 

 そうか。

 技術班の人達は術式の調整と魔導士の装備と管理、制作も担っている。

 そうなると、必然的に魔導士個人の詳細な記録が必要になるから、ああやって管理しているのか。


 待つこと十分程で、隅角さんは該当資料が入っている封筒を持って戻ってきた。


「ほらよ。見終ったらシュレッダーに掛けたり燃やすなりして、漏洩に十分注意しろよ」

「はい、わかりました」

「……チビはな、アイツが命懸けで守ったやつなんだ。でも本人はそのことで一年以上も自責の念に囚われてやがる。並木ゆずを始めとしたやつらを変えてきたお前ならって期待してんだ……しくじるなよ?」

「──はい」


 資料の入った封筒を受け取ると同時に、俺は隅角さんの想いも託されたような気がした。

 彼が翡翠を自らの助手にしたのは、彼女を目の届くところに置いて、暴走にしないように気遣っていたからだと悟る。


 そうして俺は、季奈と隅角さんと別れて整備室を後にし、ゆず達に連絡をしてから自宅に帰った。


 今日は両親は二人共外泊すると聞いている。

 なので、時間がある限りはもらった資料に目を通すつもりだ。


 夕食と入浴を終えて、俺は封筒の中から書類を取り出す。


 ここに、翡翠を救う鍵があるはずだと信じて……。


 ~~~~~


 それは、少女にとって一生忘れられない出会いだった。


 その日、少女は母親と共に買い物に出掛けていた。


 元々、少女には母親以外にも父親と兄がいたが、少女が物心ついて幾月か経った頃に両親が離婚した。

 父親と離婚してからというものの、母親は少女を一人で育てて来た。


 大好きな家族が離れ離れになってしまったことは、確かに悲しかった。

 しかし、きっといつの日か、再び父親と兄と共に過ごせる日が来ると、少女は決して疑うことはなかった。


 ──少女の日常が母親の死という現実によって壊されるまでは。


 それは本当に何気ない日常の一幕の中で起きた、人ならざる怪物によって齎された悲劇だった。

 道端にいた子猫へ近付こうと母親から離れた隙を狙ってなのか、真っ白の大きなムカデのような怪物が大きなハサミを開いて少女の母親をぐちゃぐちゃに食い殺し、母親は物言わぬ肉塊と化した。


 あまりに突然のことで、少女は母親の死を受け止めるどころか、認識すら出来ないまま茫然自失と立ち尽くすのみであった。

 やがて、母親だった肉塊を咀嚼し終えた怪物は次の獲物として少女に狙いを着けた。

 それでもなお動かない少女を格好の餌だと思ったのか、怪物はゆっくりと少女との距離を詰めていく。

 

 なんてことのない平穏な並木通りに、人の血と肉から発せられる生臭い匂いが立ち込める中、怪物は悠々と少女に近付き、母親を食い殺すのにも利用したその大きなハサミをぱっかりと開き、中には夥しい量の歯が少女の柔らかい肉を求めて疼いていた。


 少女の小さな体躯では、子供がミートボールを一口で頬張るように容易く飲み込まれてしまうだろう。

 

 少女はまだ齢九歳と幼い。

 そうであっても、死という感覚は漠然と理解出来ていた。


 そう、少女が動けないでいたのは、死というものを間近で見た為であった。

 初めて見た人の死を、命の終わりを目の当たりにした少女は、内から生じる抗いようのない恐怖に、身体の自由を奪われていた。

 

 ──怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い怖い恐い……。


 ただひたすら無口にそう訴えることしか出来ない少女に、ついに怪物の牙が少女の柔肌に触れようとした時……。



「ダメェェェェェェェェッッ!!」



 少女とは異なる人物の悲鳴にも似た掛け声が響いた。

 

「攻撃術式発動、光剣四連展開、発射!!」


 聞き慣れない詠唱が聞こえたかと思うと、怪物の体に四本の光が次々と刺さっていき、怪物はその大きな体を塵に変えて消滅していった。


 一体、なんだというのだろうか。

 めまぐるしく変わる状況に、少女が戸惑いを隠せないでいると、一人の人物が少女に歩み寄ってきた。


「良かった……ケガはない?」


 その人物は、少女より年上の女性だった。

 艶のある薄茶の髪を肩に届く長さに切り揃え、焦げ茶の瞳は他者を慮る慈悲深さに満ちていた。

 何より目を引いたのが、その彼女の装いだった。


 深緑を彷彿とさせる緑の衣装は、身体にぴったりとフィットしているため扇情的に見えるが、黒のインナーや白色のグローブ、プリーツタイプのスカートはヒラヒラと舞っていて白色のタイツに包まれた太腿が露わになっているが、少女でも一般的ではないと理解出来るものだった。


 その女性は、未だ恐怖で体を竦ませている少女を抱き寄せた。

 

「ごめんね、お母さんを助けてあげられなくて、ごめんね……」


 耳元で聞こえる女性の声音は、少女の母親の救助に間に合わなかったことを詫びる気持ちで一杯だった。

 

 人の鼓動、人の温かさ、人と言葉を交わしたことで、ようやく小さな少女の中に生き残った実感と、再び家族を亡くした悲しさを理解した。


「ねえ、君の名前は?」


 自分を怪物から助けてくれた女性が問いかけてきた。

 少女は、込み上げてくる涙を堪えながら、ゆっくりと答える。


「──あ、あまさか……ひ、すい、です……」


 人の名前どころか、自分の名前もよく噛む少女が名乗ると、女性はにこりと笑い……。


「……そっか、天坂翡翠ちゃんって言うんだね。私は……、



























 っていうの。あなただけでも助けられて、良かった……お母さんを助けられなくて、本当にごめんなさい」

「う、うぅ……うあああああああああああっ!! うええええええええええええんっ!!」


 少女の泣き声が、ただただ虚しく木霊した。


 これが、天坂翡翠という少女が九歳の時に経験した人の死と、魔導少女を志す切っ掛けになった魔導士──舞川美紗との運命の出会いとなった。


 ~~~~~


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 舞川まいかわ美沙みさ

 女性 誕生日:六月一日

 年齢:享年15歳

 身長:156cm 


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「──は…………ぁ………?」


 何度見直しても変わらない記述には、全く予期しなかった残酷な事実が記されており、司に心臓が止まるかのような錯覚をする程の大きな傷跡を残した。


 舞川美沙……それは今まさに司が行方を捜していた、かつて恋人関係にあった少女の名だ。

 他人の空似だと疑ったが、生年月日は司が知るものと一致し、貼付されている顔写真は紛れもなく彼女本人であった。

 

 だからこそ、司は頭が真っ白になる。

 

 美沙が魔導士──否、魔導少女であったということに、愕然とする他なかったのだ。


 喉が渇きを訴えようとも、肺が酸素を求めようとも、全身がガクガクと震えて冷や汗が流れても、気付かない。

 瞬きも忘れて、目が乾こうとも、構わず司は穴が空くほどその書類を見つめ続ける。

 

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 2017/3/23

 18:33

 

 東京県外の建設放棄跡地における唖喰との戦闘にて、重傷を負った新人魔導士『天坂翡翠』の救助し、多数の下位クラスの唖喰からの猛攻から守り通すものの、唖喰に殺害される。


 遺体は唖喰によって全て喰らい尽くされていたため、回収不可。


 上記の唖喰を撃破した魔導士『並木ゆず』の状況分析と『天坂翡翠』の証言、当時気絶していた『天坂翡翠』の傍にあった魔導器が『舞川美沙』の物であると判明し、以上から『舞川美沙』の死亡を確認する。

 

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 ──殺害される。

 ──遺体は喰われた。

 ──死亡を確認する。

 

 どれもたった一つの答えに収束するように記述されており、司は愕然とした。


「美沙が…………一年前に、死んでる……?」


 避けようもなく突きつけられた答えに、司は青褪めた顔を悲痛に歪ませる。

 

 その胸中にあるのは、深い絶望と強い罪悪感、後悔、戸惑い……。

 ありとあらゆる負の感情が、一斉に司の心を覆った瞬間だった。


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