200話 レナルド・アルヴァレスとローラ・ルアノール


「御馳走様でしたわ」

「ご、御馳走様でした……」


 応接室から移動して食事のスペースにて、アリエルさんが今まであった出来事を語りながらの食事を終えて、そう礼を述べた。

 料理はすっっごく美味しかった。

 普通にフルコースで出てきてびっくりしたけどな。

 しかも料理に使われた七割の食材が、聞いた事の無い高級食材だったのには絶句するしかなかった。


 そうしてアリエルさんは一度部屋へ着替えに行き、クロエさんはその同行、レティシアさんは用事があるとかで食堂を出て行った。


 食べ終えた料理の皿を使用人の人達が静々と片付けていき、俺とレナルドさんだけが残される形となった。


 微妙に気まずいなー、なんて思っていたら、ふと一枚の肖像画に目が止まった。


 それはを束ねて右肩に流し、ターコイズブルーのような色の瞳をした女性が描かれていた。


 その表情はとても綺麗で、なんとなく誰なのかは想像が着いていた。


「あの、あの肖像画ってもしかして……」


 俺が示した肖像画を見て、レナルドさんの琥珀の瞳が酷く哀愁の漂う感情を宿したように見えた。

 その変化を見て自分の中で確信に至る。


 この肖像画に描かれている女性は……。


「おや、分かるかい? 君の想像の通り、アリエルの母であるローラ・R・アルヴァレスだよ」

「! やっぱり……」


 肖像画に描かれている女性は、アリエルさんの母親であるローラさんだった。

 なるほど、前にダヴィドが言っていたように、目の色は違うけど顔立ちはアリエルさんととても似ている。

 

 なんというか、悪戯好きだから妙な所で子供っぽさがあるアリエルさんをそのまま大人にした感じだ。

 当時のバーに通い詰めていた男性客達が魅了されるのも無理はないと判る。


「確か、レナルドさんは彼女を巡ってダヴィドと競っていたんですよね?」

「あぁ……とはいっても後で分かったことだが、彼女は僕に一目惚れだったそうでね。こう言っては何だが初めから弟に芽は無かったんだ」

「まぁ、肖像画を見て分かりますけど、あんな独り善がりな奴と結ばれなくて良かったと思いますよ」


 例え俺がローラさんの立場に居たとしても、絶対ああいう奴の告白は断ってたな。

 美沙に告白された時は顔見知りで、そもそも美沙はいい子だった。

 俺がちゃんと告白を断っていれば、本当に彼女を大事にしてくれる人の付き合えたはずだったくらいには。


 ちょっとセンチメンタルな気分になっていると、俺のダヴィドに対する評価がウケたのか、レナルドさんはカラカラと笑いだした。


「ははは、我が弟は随分と嫌われているね」

「それだけのことをしてますしね。何よりレナルドさんと結ばれたからこそ、アリエルさんが居るわけですし」

「そうだね、あの子の存在は僕とローラの愛の結晶だよ」


 本当に愛していたんだろう。

 レナルドさんは昔を懐かしむように遠い目をしていた。


「彼女のことはどれほど知っているんだい?」

「えっと、小さなバーの歌手だったこと、レナルドさんとダヴィドに好意を持たれていたこと、レナルドさんがレティシアさんを含めて二人と結婚したこと……」


 言ってもいいのか少し考えた後、避けては通れないと思って言う事にする。


「……ダヴィドに殺されたこと、です」

「……最後は言い難いだろうに、良く言ってくれたね」

「す、すみません……」

「いいや、むしろ事故では無くダヴィドの仕業だったと聞いて僕は〝安心〟したんだ」

「あ、安心?」


 どうして事故じゃなくて安心したんだ、なんて思っていると、レナルドさんは……なんというか、迷いを抱えたような表情を浮かべた。


「事故なんて一方的に責められない理由じゃなくて、殺人と言う責めるに値する理由だからだ。彼女に齎されたのは理不尽な事故でなく、身勝手な殺意だったと分かったから……要は、恨みの矛先が定まったからなんだ」

「それは――」

「大丈夫、殺したりなんかしない。僕にはアルヴァレス家の当主として、アリエルの父としてやらなければならないことが山ほどあるんだ。一時の感情に身を任せてその全てを棒に振るような真似は、誓ってしないさ」

「……なら、良かったです」


 兄弟なのにレナルドさんとダヴィドは根本的に違うと伝わった。

 ダヴィドはレナルドさんに負け続けて、募りに募った劣等感と敗北感を爆発させて、復讐に手を染めた。

 それは、云わばレナルドさんが言ったように一時の感情に身を任せたからだ。


 レナルドさんは踏み止まった。

 ダヴィドはそのまま踏み込んだ。


 二人の命運を分けた明確な差が浮き彫りになったように感じた。


「話が逸れてしまったね。ローラと出会った僕はそれはもう彼女の歌の虜になったものさ」


 流石アリエルさんの母親だなと思った。

 レティシアさんという婚約者がいたレナルドさんをこうまで言わせるほどなんだ。

 もし生きていたら、もっとすごい人になっていたかもしれない。


「ローラの美貌と歌の才能に価値を見出したいくつもの芸能事務所が、彼女をスカウトしていた……だが、彼女はそれら全てを断り、バーのステージで歌うことを貫いた」

「ダヴィドも同じようなことを言ってましたね。ただアイツはローラさんを歌手として売り出そうとしてたみたいですけど、なんで断ってたんですか?」

「〝歌を歌うのにお金はいらない。この声とステージがあればいい〟……彼女はいつもそう言ってスカウトを断っていた。スカウトの社員達はこぞって勿体無いと嘆いていたが、僕には彼女が言わんとすることが伝わった……君には解るかい?」

「え、ええっと……」

 

 天才の言葉を読み解けっていうのか?

 お金はいらないって言ってるし、特に生活に困っているわけじゃない。

 かといって話を聞く限り、名声欲があるようにも思えない。

 だとしたら……。


「現状に満足していた、からですか?」

「当たらずとも遠からず、かな」

「う、う~ん?」


 微妙に違うらしい。

 一体ローラさんはどういう意図でそう言ったのだろうか?


「彼女は歌が好きだった。歌を歌いたい時に歌うことをなによりも大事にしていた。だがそれを仕事にしてしまえば歌いたい時に歌えなくなってしまう……つまりは歌うことを束縛される。束縛された中で歌う歌は自分の好きな歌じゃない……歌で嫌な思いをしたくないということだよ」

「……ていうことは、好きなことをするのには今のままで十分ってことですか?」

「その通り……その言葉に感銘を受けたから、僕は一層彼女を心の底から愛したんだ」


 好きなことで束縛されたくない。

 ローラさんの言葉を要約するならそういうことだろう。


 なんというか極端な例えだが、アニメが好きだからって一生アニメを見続けられるわけじゃないみたいな、そんな感じだ。


 見たい時に見るから面白い。

 義務や仕事になってしまうと、段々好きになった気持ちを忘れてしまうんじゃないか……ローラさんはそれが嫌で、歌手デビューすることを望まなかったのだ。


 ダヴィドはそんな彼女の望みを理解していなかった。

 彼女がどうしてダヴィドのスカウトを断っていたのか納得したし、それでも友達付き合いを続けたローラさんの懐の深さに、アリエルさんは母親の良い所を受け継いでいると実感した。


 そして、ある意味ここからが俺にとって本題だ。

 早々にこんな機会が訪れるとは思わなかったけれど、いつかレナルドさんに会ったらどうしても聞きたいことを俺はここで尋ねることにする。


「レナルドさん」

「なんだい?」

「あなたは……どうして二人の女性と結婚したんですか?」

「それはもちろん、二人共愛していたからさ……という答えではいけないんだろうね」


 鋭い。

 なんというか経験者の功のような推測で俺の悩みを概ね察しているようだ。

 なら、下手に遠回しに言う必要はないと、思い切って悩みを直接ぶつけることにした。


「えと、その……大変身に余る思いなんですけど、俺のことを好きだって言ってくれる子達がいるんです……」

「うんうん」

「本当に二人共俺には勿体無いくらい可愛くて、綺麗で、優しくて……でも俺は過去に恋愛でトラウマを抱えていて、二人に対する気持ちをはっきりさせてからじゃないと、告白を受けないって決めてて……最初は二人のどちらかを傷付けることになるなって、ちゃんと覚悟してたんです。でも段々どっちも欠けて欲しくなくて、傷付いて欲しくなくて……どうやったら傷付けずに済むのかって方向に考え方が変わってたんです」

「ふむふむ」


 俺の悩みをレナルドさんは静かに相打ちを打つだけだ。

 でもしっかりと真面目に聞いてくれていることは良く伝わった。


 なんとなくだけど、何度も恋愛相談を受けていそうだ。


「それで、二人の女性と結婚したレナルドさんに、何かアドバイスでももらえたらな、と思いまして……」


 全部出し切った俺は、全身が緊張で汗をかいていることに気付いた。

 は、恥ずかしい……ここまでぶっちゃけたのは引き篭もってた菜々美と口論になった時以来だ……割と最近だった。


 ともかく、俺の悩みを聞いたレナルドさんは、顎に手を当てて考えていた。


「……なるほど、君の悩みは良く分かった」


 そうして俺と目を合わせて口を開く。

 

「でも残念だが、僕にはその悩みに答えをだすことは出来ないね」

「え……いや、答えでもなくても、こう……ヒントとか……」

「それをしたところで、きっと君が納得のいく言葉は出せないよ」

「なんで……」


 レナルドさんがどういった心境でローラさんとレティシアさんの二人と結婚したのか、そのヒントさえもらえないと言われて、俺はどうしてなのかと戸惑う。


 ただ、レナルドさんも俺が困惑するのを承知で答えているようで、申し訳なさそうに苦笑を浮かべていた。


「僕と君では恋愛に対する価値観が根本から違うからね」

「え、あ……」


 理由は極々当然の帰結だった。

 日本じゃ複数の女性と関係を持つことが憚られているけれど、一夫多妻を容認している国だって存在している。


 レナルドさんは二人の女性と結婚することを良しとする価値観を持っていて、俺はゆずと菜々美のどちらを選ぶかで悩んでいる。


 そう、レナルドさんが言うように相談相手が根本から違っていた。

 どちらかで悩んでいるのに、どちらも選んだ人に相談しては得られる答えもヒントも筋違いなものでしかない。


「す、すみません……無理難題を言ってました……」

「……君がそれだけ悩むと言うことは、その女の子達は本当に素敵な子達なんだろうね」

「はい……本当に俺には勿体無いです」


 彼女達がその気になれば、見た目も能力も俺より凄い人に好かれるはずだ。

 それでも、彼女達は俺という人間を好きになってくれた。


 その気持ちにちゃんと答えたいからこそ、ここまで悩んでいることをレナルドさんは見抜いていた。


「しかし、せっかくの相談だ。君のその悩みを誰に打ち明ける勇気も相当なものだろう……僕の話で良ければいいかい?」

「は、はい!」


 それでも自分の話で良ければと、レナルドさんはどんな経緯で二人の女性と結婚に至るまでの話をしてくれた。


「さて、バーでローラに一目惚れをした僕だが、その時には既にレティシアとの婚約が決まっていたんだ。当然、どうしたものかと頭を悩ませたものさ」

「その気持ちは、よく分かります」

「実に実感の籠った同意だね。ともかく、どうしたものかとダヴィドや信頼できる人物に相談したものさ」

「え……ローラさんを好きになったことをよりにもよってダヴィドに相談したんですか……?」

「あぁ『自分の方が先に好きになったのに!』と久しぶりに兄弟喧嘩をしたよ」

 

 知らぬこととはいえ、なに火に油を注いでんだこの人……。

 分かりたくないけど、ダヴィドが相当頭に来たのは容易に想像出来た。

 

「そうして悩んでいるうちに……レティシアにローラのことが、ローラにレティシアのことがバレたんだ」

「うっわぁ……」


 答えを出す前に知られちゃいけないことが知られたのか……。

 そう考えると、ゆずと菜々美が互いに俺が好きなことを知っている現状がかなりマシに思えて来た。

 どんぐりの背比べみたいな些細な差だけど。 


「なんでバレたんですか?」

「先の兄弟喧嘩の果てに、ダヴィドが二人にバラしたんだよ」

「あぁー……ダヴィドからすれば、ローラさんを独り占め出来る絶好のチャンスだったんですかね」

「今にして思えばね」


 好きな人に婚約者がいると解れば、レナルドさんにローラさんを取られることはないと踏んだんだろう。

 

「そこからは本当に大変だったよ。ローラとレティシアは毎日のように喧嘩の日々で、僕は常に二人にどっちを選ぶのかと答えをせがまれていた。特に二人の共謀によって酒に睡眠薬を盛られて、あわや既成事実が作られる危機があったしね」

「妙なところで仲が良いのは日本もフランスも変わらないんですね……」


 ゆずと菜々美もなんだかんだお互いを大事な友人として接している。

 かと思えば自分の方が俺のことを好きだとか言い争うから、結局どっちなんだよって思うんだけど。


「そうやって互いの気持ちをぶつけあった成果なんだろう、互いに僕を好きな気持ちはとても強くて、絶対に譲れないと解りあって行ったんだ」


 それも本当によく分かる。

 良く二人の口喧嘩に挟まれていると、本当に俺のことが好きなんだって真摯に伝わって来て、なんだか無性に嬉しくなってくる。


 だからこそ、二人のどちらかの想いを断る辛さが大きくなる。

 余計に答えを出しにくくなる。


「それでね、実を言うと二人と結婚するという答えを出したのは僕じゃなくて、ローラとレティシアなんだ」

「ええっ!?」


 さらっと衝撃の事実を打ち明けたレナルドさんに、思わず驚きの声を上げる。

 そっち!?

 レナルドさんが決めたんじゃなくて、女性同士で決めたの!?


 なるほど……レナルドさんが参考にならないと言った理由がよく分かった……。

 自分が答えを出す前に、ローラさんとレティシアさんが重婚を受け入れたというのなら、重婚がご法度の日本じゃ参考にならないよな……。


「レナルドさんはそれでいいのかって思わなかったんですか?」

「もちろん思ったさ。でも二人は真剣でね……最終的に僕が折れる形で二人と結婚することになったんだ」

「折れたって……」


 なんだか偉くあっさりしているが、レナルドさんの表情からは微塵も後悔の色は見えなかった。

 本当に参考にならないな……俺は美沙のことがあるし、ちゃんと自分の気持ちを持ちたいと思うからこそ、仮にレナルドさんと似たような状況になったとしても、やっぱり今のように返事を保留するだろう。


「まぁいいかなんて惰性からじゃないよ。こんなに純粋に好意を向けてくれる二人の気持ちを受け入れるっていう意味さ」

「受け入れる……」


 それが出来たことこそが、レナルドさんの懐の深さなんだろう。

 俺じゃ、ずるずる先延ばしにして、自分の気持ちを決めるより先に二人に愛想を尽かされる方が早い気がする……いい加減に答えを出さないとな……。


「そう、簡単な話だったんだ。二人共僕を愛していて、僕も二人を愛している……必要なのはそれだけなんだ」

「相思相愛ってことですか……」


 俺はゆずと菜々美をどう思っているかで悩んでいる。

 レナルドさんは二人への好意に板挟みになっていた。

 

 本当に参考にならないな……。

 スタート地点からして、レナルドさんは俺よりずっと先に言ってるんだから。


「結婚する前から結婚した後のことを考えるなんて、マリッジブルーにしても女々しいと反省しているけれどね」

「女々っ……まぁ、俺も良く言われます……」


 特に鈴花あたりから。

 完全にゆず達の味方だから、尤もなんだけどな。


「あっははは、リンドウ君とは悉く気が合うね。君とはもっと早くにこうして腹を割って話したかったね」

「ははは、俺もレナルドさんと話していて、すごく楽しいです」


 本当に気が合うと思う。

 贅沢を言えば、俺もこんな父親が欲しかった。

 だって竜胆家の大黒柱はアレだしなぁ……。

 アリエルさんが羨ましい……。


「時にリンドウ君。先のアリエルが改めて魔導士として戦うと誓った時に、あの子を守るだなんて中々思い切ったことを言ったね?」

「え、あ、えと、思い上がりも甚だしいですよね……でもそんな、クロエさんみたいに色々は無理ですけど、自分のやれる範囲でやるつもりで……」


 撤回するつもりはないが、やっぱり魔力を操れない俺じゃクロエさんのようにはいかないと言われているようで、俺は慌てて弁解する。


 それがおかしいのか、レナルドさんはクスクスと笑いだしていた。


「いや、構わないよ、責めているわけではないんだ。君の中でそれだけあの子を大事にしてくれていると伝わったのだからね」

「は、はぁ……それは、良い人だとは思っていますけど……」

「僕達もそうだが、あの子が一番君に感謝しているんだ。父親として、これからもあの子を……アリエルと仲良くしてあげてほしい」

「も、もちろんです! アリエルさんを悲しませるようなことは絶対にしません!」


 再び頭を下げたレナルドさんに対し、俺は驚きつつも背筋を伸ばしてそう答えた。

 俺が組織に居続けて、ゆず達のために人の悪意と戦うと誓った。

 あの覚悟を間近で聞いていたアリエルさんに失望されないように、精一杯努力するつもりだ。


 そんな俺の言葉を受け取って顔を上げたレナルドさんは、安堵したような笑みを浮かべていた。


「そうか……そう言ってくれて、ありがとう」


 そうお礼を言われて、アリエルさんが大好きな父親だと言ったことを実感した俺も思わず頬が緩んだ。

 そうして、俺のアルヴァレス家への予期せぬ訪問は幕を閉じて、いよいよ日本に帰る時間となった。

  


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