189話 敗北者の復讐


「な、何故叔父様が!? 助けに来られた……というわけではなさそうですが……」


 自分の味方だったはずのダヴィドの登場に、アリエルは心を痛めつつもそう尋ねた。

 そんな自分の姪の問いに対し、ダヴィドはにやりと顔を歪ませながら口を開いた。


「そう慌てて結論を出さずともいい。時間はあるんだ……ゆっくりと答えてあげよう」


 口調や態度は、普段自分が接している叔父と変わらないものだった。

 だが、今は何故かその普段通りの様子が途轍もなく気持ち悪いと感じていた。


「まずは何故……という質問だが……そうだねぇ……君を誘拐したのは私の〝復讐〟のためだよ」

「ふ、復讐……?」


 両腕を広げながら高らかに自身の目的を宣言したダヴィドに対し、アリエルは到底理解が及ばない目的だと感じた。

 あの叔父が復讐をしたい相手など、アリエルにはまるで心当たりがなかった。


「……叔父様がそうしたいと思う相手とワタクシに、一体何の関係が?」

「大有りだよ。それも君が根幹を為しているといっても過言ではない」

「根幹?」


 まさか自分が中心とは露も思っていなかったアリエルは、さらに疑問を強くしていた。

 

「分からないのかい?




 相手はわが兄であり君の父親でもあるレナルド・アルヴァレスだよ」

「お、お父様に、ですか!!?」


 父が標的だと明かされ、アリエルは驚愕を隠せなかった。

 何故温厚で人当たりのいい父が弟であるダヴィドに復讐の相手として見られるのかが、分からないためである。


「ああ、私の人生は常にあの男からの敗北で塗り固められてきた……勉学にしろ、運動にしろ、常に兄は私の上を行っていた」


 その話はアリエルも知っていた。

 他ならない、ダヴィド自身が『優秀な兄に勝てた事が無かった』と公言していたからである。それが復讐に至るまでの憎悪を募らせていること以外は。


「君にはわからないだろう……何をどう努力しようとも常に兄と比べられ、精一杯の努力をしたのにも関わらず『努力が足りない』『お前は不出来だ』と比較され続けることなど!!」

「――っ」


 ダヴィドの言う通り、アリエルには解らない話しだった。

 彼女は母が亡くなった時期から目まぐるしく勉強の日々を送っていたため、誰かと比べられることはなく、むしろに良くやったと褒められる時の方が多かった。


 魔導士になってからは多少そういった機会はあったが、模擬戦でゆずに敗北したように、努力だけでは越えられない壁があるのだと実感している。


 それこそ、ダヴィドのように憎しみを抱くことなど無かった。


 そんなアリエルが共感出来ない心情を憎々し気に語るダヴィドは続ける。


「挙句に当主の座も兄が居座った……兄は能力だけでなく、人にも好かれていた。人望と言うのはどうしても実績や才覚が物を言う。兄に敗北し続けてきた私にそんな物あるはずもない」

「で、ですが今の叔父様は、多数の人々にも慕われていますわ!」

「今では手遅れなのだよ!! だがその時点で最早兄に勝とうという意志は無くなっていた。ようやく自分の中で兄に対する執着が薄れていたのだ」


 一度は父への執着を薄れさせていたと聞き、アリエルは何故今復讐に乗り出したのかと疑問を感じた。

 だが話の流れから察するに、これから父への恨みを確かにする出来事が待っていることは容易に想像出来た。


「君の母……ローラと出会うまではね」

「――っ!!」


 よもや、母までもが関わっているのかとアリエルは目を見開いた。

 

 そして思い至る。

 ダヴィドと父はローラに好意を抱いていて、最終的には母は父の手を取った。

 跡目争いに敗れ、恋愛にも敗れたダヴィドの溜まりに溜まった怒りの矛先が父に向いてもおかしくないと察した。


「あぁ、今でも目を閉じれば当時の彼女との出会いを鮮明に思い出せる……銀の髪に清らかな歌声、女性としての完成された美しい容姿……全てが私の理想で、何が何でも彼女の心を手に入れたいと願った」


 それこそアリエルは母や父にダヴィド本人の三人から、当時の馴れ初めを聞いていた。

 一人の女性に恋をしたことは、一度終結した兄弟の新たな競争の火種となった。


「どんな服でもバッグでもアクセサリーでも、もっといえば大きな舞台で歌えるように芸能事務所にも融通を利かせると、私の伴侶となった際の利点を語った。だが彼女の心はなびくことなく、店に来て歌を聞くだけで、婚約者もいる兄と想いを通わせて行った……」


 そう語るダヴィドの様子に、アリエルはかつて母が語っていたことを思い出した。。


『ダヴィが言ってくれたことが魅力的なのは良く分かっていたわ。でも私は歌さえ歌えればそれでよかったのよ』


 母は地位も名誉も必要ないと言っていた。

 ダヴィドと父の差はまさにお金を掛ける場所を違えていた。


 ダヴィドのしていたことは彼女の好意を金で買おうとしていた。

 反対にレナルドは歌の酒を買うことで、彼女の心に真摯に向き合っていた。


 つまり、ダヴィドの一番の敗因は金に頼ったことだった。


「あぁ、あぁ、今思い返しただけでも腹立たしい……あれだけ彼女の為に用意したというのに、全て兄に台無しにされた……あの男さえいなければ、当主の座もローラの心と体も私の物になっていたというのに!!」

「そ、そんな人を物扱いされては、お母様が心を向けることなどありませんでしたわ! お願い叔父様、目を覚まして……!」

「ああぁああぁはははは、そういえば君を誘拐した理由を話していなかったね。




 



 アリエル、君には私の子を産んでもらう」

「子を……?」


 ダヴィドがアリエルを誘拐した理由を告げ、ぞくりとアリエルの背筋に悪寒が走った。

 

「最高序列第四位にまで上り詰めた君の魔力と才能があれば、必ず〝天光の大魔導士〟を越える魔導士が生まれる……そうだよ、君と私は、世界を救う英雄の親になれるんだ!!」

「ひっ……!?」


 この人は一体誰だろうか?

 アリエルはそんな疑問を抱いた。

 叔父の姿と声で話すこの人が、同じ人間だとアリエルは思えなくなって来たのだ。


「もちろん、子を産むためには健全な母体が必要だ。だが君が二十歳になるその時までずっと我慢出来る程、私は我慢強くなくてね……日に日にローラに似ていく君を穢さないようにするのは本当に大変だった……だが思い至ったのだ、……とね」

「え、な……ま、まさかっ……!?」


 ダヴィドの言葉を聞いたアリエルはある悍ましい事実に辿り着いた。

 叔父が語ったことが事実であることを理解した途端、アリエルの胸中に形容し難い嫌悪感が走った。


 その様子がおかしいのか、ダヴィドはますます顔を愉悦に歪ませた。


「そうぅだよぉ! クロエが調査していたフランス支部の魔導士達が妊娠した子供の父親は私だぁっ!!」

「そんな……なんてことを……!!」


 フランス支部の腐敗の一端となった元魔導士達の妊娠……それは叔父でありフランス支部の支部長であるダヴィドが犯人だったというのだ。


 世界と人々を守る組織の支部長が私利私欲のために魔導士に手を掛けた。


 そんな非情なことがあっていいものかと、アリエルは目を逸らしたくなる程悲痛に心を痛めた。

 かつての仲間が望まぬ妊娠をして、自殺し、中絶し、未来に不安を抱え、どれだけ苦しんでいるのかを遠目で見てきたアリエルだからこそ、その心は深く傷付けられた。


 彼女達があんな目に遭ったのは、元から自分を標的にした性行為を自制するための性欲の捌け口として、利用されていたと理解したからである。


「ぁ、あぁ……そんな……」

「っ、アリエル様……」


 アリエルの目に涙が浮かび出す。

 その光景は絵画のような美しさがあるものの、ルシェアはアリエルの名を呟くだけで、ダヴィドはより劣情を燻らせるだけだった。


「で、ですがワタクシはまだ十九です……何故今なのですか?」

「君がリンドウ・ツカサとデートへ行ったからだ」

「えっ!? どうして叔父様がそのことを!?」


 アリエルは何故ダヴィドが司と映画を観に行ったことを知っているのか驚愕した。

 あの日の事はフランス支部の入口前で会話をしたゆずと菜々美、クロエとルシェアの四人だけであった。


 にも関わらず、何故ダヴィドが知っているのか。それは……。


「そこにいるルシェア・セニエから聞いたのだよ」

「っ!」

「る、ルシェア……あなたは……」


 名指しされたルシェアは罪悪感を滲ませる表情を俯かせるが、ダヴィドは彼女のことを『協力者』と呼んでいた。


 では彼女は最初からダヴィドの駒として動いていたのかと思った。


「勘違いしないでもらいたい。彼女には君の誘拐の手助けをしてもらったり、君を探す邪魔者の拘束を頼んだだけであって、最初からは関係ないよ」

「っ、ではあの時の飲み物は叔父様が……」

「ああ、睡眠薬入りのジュースをアリエルに飲ませるように指示を出していた」

「最初から叔父様の間者ではないというのであれば、何故彼女を従わせているのですか!?」


 ダヴィドの話を真実だと仮定するのであれば、ルシェアは被害者だということになる。

 では何故ルシェアがダヴィドに従うことになったのかという疑問が生まれる。


 そんな疑問を込められた質問をされたダヴィドは、にこりと微笑み――。



「彼女と際の写真を撮って言う事を聞いてもらっていたからね」

「っ、うぅ……」

「あ、あなたは、まさかそうやって、他の魔導士を妊娠させたというのですか!!?」


 ダヴィドの言葉は彼が何らかの手段でルシェアに対し、性的暴行を加えたということに他ならなかった。


 であれば、妊娠させられた魔導士達が揃いも揃って記憶処理術式を受けたのは、同じような手段で脅した魔導士に無理矢理命令して、記憶処理術式を使わせたのだということになる。


 まさに唾棄すべき凶行に、アリエルは悲しみではなく怒りを抱いて声を荒げた。


「あぁ、君の言う通りだ。そこのルシェア・セニエの場合、君が従わなければアリエルの傍付きにする約束を白紙にして、アリエルやリンドウ・ツカサとの交流の記憶を消すといったら『それだけは』と泣いて懇願して体を許してくれたのさぁっ!!」

「っ、ひぃ、っく……」

「~~~~っ、な、なんて非道な……!」


 己の所業を語るダヴィドに、ルシェアは当時の状況を思い出したのか顔を真っ青に自身の体を抱きしめて泣きだし、その様子をみたアリエルはさらに怒りを爆発させた。


 もうこの人は自分の叔父では無く、ただの犯罪者だと認識を改めた。

 

「さて、私の子を産むに当たって、君が二十歳になるまでの間に男が出来ては困るのだ。君とリンドウ・ツカサが共に行動しなければ、来月の二十歳の誕生日まで耐えるだけだった……あぁ認めよう。私は焦ったのだ……〝天光の大魔導士〟に恋心を教えたあの小僧相手に、長年掛けた計画が台無しにされるのではとな!」

「ま、待って下さい! それでは、まるで叔父様はワタクシに今の仕事を勧めたのは、自由の少ない日々は、予め仕組んでいたと仰っているのでは――」

「あーっははははははははは!!! そうだよ、そうさぁ!! 君が次期当主の座を狙っていると父に吹き込み、君の現状を作り出したのもこの私だぁ!!」

「――っあ、くぅ……」


 一体この男はどれだけ自分の心を傷付けば気が済むのだろうか。

 既にアリエルの心は何本もの言葉のナイフが突き立てられており、最早隙間もない程だった。

 

「あの偏屈ジジイは美味い事私の策に嵌ってくれた。母が死に、祖父に追い詰められて家を追い出された君の唯一の味方として私が居座る! あれほど上手く行ったことは人生で初めてだったよ!!」

「わ、ワタクシが目的なのでしたら! もうお父様やルシェアをこれ以上苦しませないでください!! ワタクシは、ワタクシが叔父様の言うとおりに、しますわ……」


 涙をポロポロと流しながら、アリエルはダヴィドに願い出た。

 もう限界だった。最初から叔父は味方ではなかった。

 

 自分の体が目的であれば、大切な人や仲間の為に捧げることは厭わない。

 だからこそ、もう誰かを巻き込まないでほしいと願った。


 そんなアリエルの言葉を受け、ダヴィドはただ一言だけ告げた。


「いいや、それは出来ないな」

「っ!?」

「言っただろう? 私の目的は兄への復讐だと! 君の体はその復讐の第一歩なのだから、それだけで止めるはずがないだろう!!」

「う、ぁ、あぁ……止めて……お願い……もう、誰も、傷付けないでぇ……」


 なんと歪みきった狂気だろうか。

 ダヴィドは既に悪魔に魂を売っていたのだと、アリエルは深く悲しんだ。

 

 それが面白いのか、ダヴィドは愉悦を躍らせるように笑みをアリエルに向けた。


「憎いかい? 私が憎いかいアリエルぅ? でも憎むなら私では無く、君の母親のローラを憎むべきだ」

「お、お母様を……?」


 何故母を憎む必要があるのだろうか?

 あの大好きな母のおかげで自分はこの世に生を受けたというのに。


「復讐を本格的に行う前に、ローラには全ての事実を打ち明けたのだ」

「えっ!?」


 自分の計画を明かしたのはある意味では自殺行為だろう。

 だがきっと優しい母のことだ、先程の自分のようにダヴィドを止めようとしたことはアリエルには想像出来た。


「『君が私の愛を受け入れるというのであれば、復讐は無しにしよう』そう言ってチャンスをやったのだ……だが! それを! あの女は! 『今考え直したら聞かなかったことにする』と私の愛を受け入れなかった!! あぁ、愛が憎しみに変わる瞬間とはこういう事なのかと身を以って理解させられたよ! だから彼女が私の愛を受け入れていれば君が誘拐されることも、ルシェア・セニエが純潔を散らすことも、ローラ自身がも無かった!! あぁ愚か! 実に愚かな女だぁ!!」


 よほどその時の恨みが強いのか、ダヴィドは興奮したように地団駄を踏みながら暴露した。

 圧倒的な狂気にルシェアは顔を覆って全身を震わせていた。


 だが、アリエルの耳にはどうしても聞き流すことが出来ない言葉があった。


「――もなかった?」


 何故だかその言葉が、喉に刺さった小骨のように酷く引っ掛かった。

 その言葉の裏にある事実を知るべく、ダヴィドにそう尋ねると、彼は目をカッと見開いて、瞳孔が全開する程の狂気を垣間見せる瞳でアリエルを見やって答えた。



「彼女を……ローラを事故に見せかけて殺したのだ」



「ぇ……」



 衝撃の告白に、足元が崩れ落ちるような感覚がアリエルを襲った。

 自身の現状だけでなく、愛していた母の死ですら、この狂人によって齎されたことだったのだと。


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