188話 囚われの歌姫


 一方、ゆず達が悪夢クラスの唖喰と対峙している瞬間と時を同じくして、アリエルを探すためにパリの街を走っていた司は、一度情報を整理するためにフランス支部へと歩みを進めていた。


「ぜぇ……ぜぇ……全、然……見つかんねぇ……」


 本人の言う様に、アリエルの行方は全くと言っていい程掴めていなかった。息を整えるため、街灯の柱に手を掛けてゆっくりと深呼吸をする。


「唯一分かったのが、巡回の為に乗っていた車がフランス支部に戻って来てないってことだけか……」


 フランス中の組織に関係ある企業や施設への巡回である、当然移動手段は車だとは思っていた。

 普段はクロエが運転すると聞いていたが、アリエルに付いて行ったのは未成年のルシェアであるため、別の運転手を頼っているという。

 

 当然、クロエが知らないわけがないと思い至り、そんな情報だけしか得られなかったことに司は歯痒さを感じていた。

 だが能々考えればそれは妙だと感じていた。


(普通に考えるなら、車に乗るタイミングで誘拐犯がアリエルさん達の乗っている車を襲撃して、隔離場所まで移動する……でもブロン財団の事務所は大通りにあって、駐車場はなかった。だからそこでそんなことをしたら目撃者が居るはず……なのにその目撃証言もなかった……)


 そう、大通りで車を襲撃しようと思えば必ず目撃者がいたのにも関わらず、周辺の聞き込みをした際にそういった類の話は聞かなかった。


 このことから導き出される答えは一つ。


「……雇った運転手もグルだったってことか?」


 そう考えるのが自然だった。

 だがそれが事実であるとすれば、ますます犯人グループの規模が大きくなることを意味していた。


 偶々クロエが雇った運転手が犯罪の片棒を担ぐように仕向けるにしても、博打要素が強いのである。

 狙ってやるのであれば、それはアリエルの巡回の日程を把握していることになり、当然、組織関係の巡回のルート等一般人に明かされるはずもない。


 ならばそれが出来たのは、運転手の人員をクロエに推薦出来る立場の人間になる。


 が、ここでネックになるのがクロエの男嫌いである。


 彼女は司のようにアリエルが信頼する男性であっても、無暗に近付くことを酷く嫌う。

 基本的に男はアリエルに危害を加える存在だと認識している彼女が、必要な事だからと自分より立場が上の男性からの推薦を容易に受け入れるはずもない。


 そう断言出来る程度には、司はクロエという人物を理解している。


 それらを踏まえて現状の情報で結論を出すなら、クロエの信頼を勝ち得ている人物に絞られていることになる。


「アリエルさんのお爺さんが一番可能性が高いと思ってたんだけどな……」


 アリエルのことを毛嫌いしているという彼女の祖父なら、誘拐という強硬手段に出てもおかしくないと踏んだ。


 だがクロエは彼女の祖父を毛嫌いしている。

 例え改心したと見せかけて、アリエルの父親かダヴィド支部長を通して運転手を推薦したとしても、男性に対して疑り深いクロエが容易に採用するとは思えない。


 が、若しくはクロエが多少なりとも信頼する人間に金を掴ませていた可能性もあった。


「絶対ないって言い切れないのが上流階級の人間の怖いところだよな……」

 

 金の力というのはそれだけ恐ろしい。

 催眠術等のややこしい手間を必要とすることなく、札束で殴れば簡単に人を懐柔できる。

 それだけ金を掛けたのに得られる絆は安いものなのだが。


「後一人だけ可能性の高い人がいるけど……あの人がわざわざアリエルさんを誘拐する理由がないな……」


 思い浮かんだある人物に対し、司はそう呟く。

 そう、ありえないと。


 もしそうであれば、アリエルがどれだけ傷付くのかまるで想像がつかない。


 その人物を信頼しているというより、アリエルの心情を基準にして、司はそう結論付けた。


「そもそも、犯人はフランス支部の魔導士達を妊娠させて捨てるようなクズだ。例え犯人がアリエルさんのお爺さんだとしても、下手したら自分の寿命を縮めるような馬鹿な真似はしないはずだし、毛嫌いしてる相手に近親相姦っていうのもな……」


 ジャンルとしては否定するつもりはなく、互いの関係が良好であるならば文句はない。

 だが、アリエルの心情としてはどちらに対しても家族以上の情を見せてはいないため、それはないと思う事にした。


「っと、そろそろだな……」


 熟考している内に、フランス支部のある建物が見えてきた司は、少しだけ足を早めて急ぐ。

 ゆず達が戦闘に向かって早二十分が経過しようとしている。

 下位クラスだけでなく、上位クラスが出たとしてもゆずやクロエが居る限り苦戦することもない。

 だが未だにゆず達から戦闘を終えたという連絡がない。


 何か自分の想像もつかない事態が起きているような、そんな漠然とした不安を抱えていた。

 実際にかつて自分が眠らされる事件を起こしたベルブブゼラルと同格の唖喰が出現しているのだが、唖喰のせいで通信を阻害されている状況でゆず達が司に連絡出来るはずもなく、司は悪夢クラスの唖喰が出ているとは微塵も思っていなかった。

 

 ともかく、そんな不安を一刻も早く忘れようと司は首を横に振ってから視線を前方に向ける。


「ん? 誰かいるのか?」


 しかし、フランス支部の入口の前にいる人影が司の視界に入った。

 目を凝らしてその人影の正体を見極めようとする。


 すると、司は全身に鳥肌がたったような衝撃を感じながら、その人物の元へ一気に駆けだしたのだった。


 何故ここにいるのかは分からないが、少なくともようやくアリエル捜索の手掛かりを掴めるという希望が胸に湧いていた。


「ルシェちゃん!」

「え、ぁ、つ、ツカサさん……」


 入口の前にいた人影は、アリエルと共に行方を眩ませていた青髪の少女――ルシェア・セニエだった。

 そのルシェアは逃げる時の武器として使っていたのか右手に細長い角材を握っていた。

 そして、どこか憔悴した様子を見せており、ツカサに対してもよそよそしい態度が見て取れた。


(誘拐されて、自分だけ逃げてきたことに負い目でも感じてるのか?)


 咄嗟にそう分析した司は、ルシェアの目線に合わせるように膝に手を着いて少し屈んだ。


「無事で良かった! クロエさんからアリエルさんと一緒に巡回に行ったきり戻って来ないって聞いて、すごく心配したんだ」

「っそ、そう、ですか……クロエ様が……」

「だ、大丈夫か、ルシェちゃん?」

「は、はい……ぼ、ボクは、だい、じょうぶ……です……ご心配をお掛けして、すみませんでした」


 言葉がやけに途切れ途切れで目を自分と合わさないことから、やはりどこか様子がおかしいと司は悟った。

 逸る気持ちを抑えつつ、怯える様子の彼女を気遣って慎重に言葉を選ぶ。


「ルシェちゃん、いきなり誘拐されて辛かったよな……なんてわかったようなことは言っちゃだめだよな……えっと、怪我とかはないか?」

「は、はい……」

「よし、じゃあ次はちょっと辛いこと聞くけど……アリエルさんが何処にいるのか知ってるかな?」

「――えっ!? あ、その……」


 ショックが強かったのか、より一層悲痛な表情を浮かべるルシェアに、司はもっとマシな聞き方があっただろうと自虐する。


 だがそれでも一生懸命答えようとしているのか、ルシェアは口をパクパクさせながらもなんとか言葉を紡ごうとしていた。


 その頑張りを邪魔するわけにはいかないと司は黙して待つことにした。

 

「ぇ、えっと、あり、アリエル様は……ボクを、逃がすために囮になって……その、助けを求めに、ここに来たんです……」

「そっか……けど今はちょっと間が悪いな」

「え?」

「唖喰が出てるんだ。ゆず達はその対処に二十分くらい前に向かったんだけどまだ終わったって連絡が来てないから、上位クラスでも出て時間が掛かってるんだと思う」

「あ、唖喰が……」


 唖喰が出ているせいでゆず達を頼れないと知ったルシェアが愕然としていた。

 誘拐されていたルシェアが知らなくとも無理はないだろうと司は考えた。


 それならば……。


「ゆず達は今すぐは無理だけど、俺なら手伝ってやれるよ」

「つ、ツカサさん……」


 安心させるように自分が手伝うと言ったはずだったが、ルシェアはより不安気な表情を浮かべたため、やはり魔力の操れない男じゃ頼りにならないのかと、少なくないショックを受けていた。


「ま、まぁ、魔導銃で脅すくらいしか出来ないだろうけど、アリエルさんの居る場所に案内してもらってもいいか?」

「……」


 ルシェアは逡巡したのち、司に目を合わせてゆっくりと口を開いて告げた。


「――分かりました。アリエル様の居る所にご案内します」

「よし、じゃあ一緒にアリエルさんを助けよう!」

「は、はい……」


 やはり気落ちしている様子のルシェアを見て、いざとなったら彼女を遠ざける事も視野に入れておこうと心内で決めていた。


「えと、ボクが道を教えるので、ツカサさんは前を走って下さい」

「ああ、分かった」


 彼女の道案内でカフェに行ったことを思い出しつつ、司は走り出そうとルシェアに背を向け――。







「ごめんなさい」



「――ぇ」


 何故彼女が謝るのか分からず司が振り返った瞬間、右手に持っていた角材を振りかぶるルシェアの姿が視界に入り、すぐに暗転した。




 ~~~~~



「ん……」


 ひやりとした空気を感じて、ゆっくりと目を開ける。

 一体自分はいつ眠っていたのだろうかと、ぼんやりと寝ぼけている頭を働かせて眠る前後の記憶を思い返す。


「あぁ……そういえばルシェアの飲み物を頂いてから、なんだか急に眠くなったのでしたわ……」


 そう思い出した女性……アリエル・アルヴァレスはゆっくりと周囲を見渡す。


 薄暗いためはっきりと見えないが、どうやら建物の中にいることは解った。

 しかし、アリエルの記憶の中にこのような部屋は存在していなかった。


 何故こんなところにいるのか、当然アリエルには全く見覚えがない。


 とにかく部屋を調べるために体を動かそうとする。


 ――ジャリィ……。


「え?」


 だが、体は動かすことが出来ず、それどころか金属が擦れる音が響いた。

 そこでようやくアリエルは、自分が拘束されていることに気付いた。


 壁際に両腕を吊るすようにして手首に鎖で繋がれた枷が嵌められていた。足にも同様の枷が両足首に着けられており、術式を発動させてみようとしても、眠っている間に魔導器を取り上げられているようで、発動する素振りもなかった。


「お爺様の手の者でしょうか? ついにこんな大胆な手段に出るとは、相変わらずワタクシのことがお嫌いのようですわね……」


 嘆息しながらアリエルは一番可能性のある心当たりを呟く。

 過去に祖父の間者がアリエルの使用人として潜入していたことがあり、それ以降は彼女の近辺の家事は全てクロエが担っていた。


 それでも誘拐まではしなかったため、こうしている現状から油断していたのだろうと反省する。

 

「それに、ルシェアは大丈夫なのでしょうか?」

 

 どうにも自分以外の人の気配がしないため、一緒にいたルシェアは別の部屋にいるのではと考える。

 とにかく、待っていればいずれ誘拐した人物から何かしらの接触はあるはずと思い、アリエルは気持ちを落ち着かせて待つことを決めた。


 ――ガコン、ギイィ……。


「!」


 重い鉄の扉を開ける音が部屋に木霊した。

 そしてその扉を開けたのは……。


「ルシェア!?」

「! あ、アリエル様……」


 陰りを見せる程の暗い表情をしながら入ってきたのは、同行していたはずのルシェアだった。

 彼女はリヤカーを押して何かを運んで来ているようであり、布が被せられているためそれが何かは解らなかった。


「どうして……」


 何故彼女が?

 まさか彼女は祖父の手の者なのか?


 そんな疑心暗鬼がアリエルの胸中に走る。


「ルシェア、答えて下さい……」

「――それは……」


 ルシェアが悲痛な表情で顔を伏せながらどう答えたものか悩ましげな素振りを見せると……。



「それは彼女が私の協力者だからだよ、アリエル」



 その答えは彼女の予想外なところから齎された。


「ぇ……何故……あなたが……?」


 その人物は、ルシェアと共に部屋に入ってきていたようで、アリエルはその人物を見た瞬間、全てが壊れたのかと錯覚する程の衝撃を受けた。


 嘘だ。

 信じられない。

 あの人がこんなことをするはずない。


 だが、現実にその人はアリエルの目の前に現れた。


 その人物は金髪をオールバックにまとめており、上唇に沿う様に蓄えられた同色の髭の男性……。


「ダヴィド、叔父様……」

「ようやく……この時が来た」


 フランス支部支部長であるダヴィド・アルヴァレスは、満面の笑みを浮かべてそう告げた。

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