187話 悪夢に抗う少女達の信じるもの


「――だね」

「――っ!?」


菜々美から向けられた憐憫の情を見せる視線を受け、ポーラの中に渦巻いた感情は、〝怒り〟だった。


「な、何が可哀想だっていうのよ!? ワタシは——」

「怖い敵と戦うことが出来ないんだよね? 死ぬのが怖くて仕方ないんだよね?」


 だがポーラのなけなしのプライドから出た言い分も、菜々美はどこ吹く風と言わんばかりに流して、恐怖の感情の元を挙げた。


「そ、そうよ! だから生きるために逃げたいって思うのは当然でしょ? 〝天光の大魔導士〟がいるんだったら、ワタシが無理に戦う必要なんてないでしょ!?」

「そうだね、組織でも命を捨てて戦えなんて言われてないもんね」

「でしょう!? だから早く可哀想なワタシを助けなさいよ!」


 菜々美に自分の考えを肯定されて、ポーラはこの女を説得すれば自分は助かると踏んだ。

 先の戦いを見るまで菜々美を見誤っていたが、この人のいい女を味方を付ければ何とかなると、藁にも縋る思いで懇願した。


 その願いを受けて菜々美は……。


「出来ないよ」

「は——はぁっ!!?」

 

 無理だと一蹴して断った。

 

 当然、ポーラは憤慨した。

 何故自分の考えに同意しておきながら助けられないというのか、まるで理解が出来なかった。

 

なあなたより弱い私じゃ、誰も助けられないもん」

「え、あ……そ、それは……」


 ここに来て自分が散々彼女を弱いと嘲笑っていたことを持ち出され、ポーラは怒りから一転して慌てだしたのだ。


 助命を断ったのは、自分がぶつけた言葉を根に持っているからだと判断したポーラはすぐに笑みを取り繕って口を開いた。


「そ、それは、あれよ! あなたが戦うところを知らなかったのよ! まさかあんなに強いなんて思いもしなかっただけで……だから、今は弱いなんて思っていないわ! だから、助けて――」

「そう。でも私じゃなあなたを助けられないのは本当だよ。ごめんね」

「は、は?」


 だが取り付く島もない菜々美は、淡々とポーラの願いを再度断った。

 まさか二度も断られると思っていなかったポーラは呆気に取られるしかなかった。


 せっかく下手に出てやってるのに、何故断られる?

 そんな疑問が浮かび……ポーラは爆発するような怒りを抱いた。


「ふ……ざけないでちょうだい!! おかしいじゃない、どうしてさっきから〝可哀想〟って言っているくせにワタシを助けないのよ!? 人に期待させるようなことを言っておいて、あなた何様のつもりなの!?」

「別に何様でもないよ」

「その態度がおかしいって言ってるのよ!! 可哀想なら助けなさいよ! 人の命が掛かってるのよ!?」


 自分が助かるためになおもヒステリックに叫ぶポーラだが、それでも菜々美が彼女に向ける憐みの視線が変わることはない。 



「人の命が掛かってるっていうのなら、?」

「は? な、何を言ってるのよ……」


 何故今更そんなことを聞くのか、ポーラがまるで理解出来なかった。


「そんなの、死にたくないからに決まって――」

「うん、自分が死にたくないっていうのは当たり前だよね」

「なら――」

「じゃあ、




 ?」

「ぇあ?」


 理解が追いつかなかった。

 死にたくないから逃げるのに、どうして逃げた後のことを尋ねるのか、ポーラには解らなかった。

 

「唖喰も魔導も関係のない場所に逃げるの? 唖喰を倒せるように強くなるの? 助けを求めて誰かに縋るの?」

「ぁ、そ、う……」

「唖喰と唯一戦える魔導士のあなたが逃げたら、パリの街の人達がどれだけ犠牲になるかわかる?」

「――っ!!?」


 そんな馬鹿なと一蹴出来なかった。

 ポーラとて、クロエさえ絶望に暮れている現状において、自分達が〝今〟生き永らえているのは、ゆずと鈴花、菜々美の三人が居るからだと理解していた。


 理解していたからこそ、自分一人居なくても問題ないと思っていた。 


「街の人達のことなんて考えてなかったんでしょ? それどころか、自分の今後の身の振り方すら考えてない……本当に。自分じゃ何も出来ない、自分じゃ責任の一つも被れない、本当に、本当に、

「ぁ、ぅ……っ!」


 ここまで言われて、ポーラはようやく菜々美が何度も口にしている〝可哀想〟の意味を理解した。

 

 菜々美は何も初めから、ポーラのことを慰めるわけでも責めるわけでもなく、同情するわけでもなく、ただ、ポーラ・プーレという人間を見て、一切の誇張もないありのままの事実を述べていたに過ぎなかったのだ。

  

 可哀想だ。

 だた菜々美はそう感じただけで、初めから可哀想だから助けるとは口にしていなかった。

 

 期待させるようなことを言うなと、先の自分の言葉を思い返す。

 期待したのは、可哀想だという言葉を勘違いしていた自分だった。


 そう思った瞬間、ポーラは納得した――


 矮小で蒙昧で無知無力なのが自分という存在なのだと。

 魔導士になって強くなった気でいた彼女は、本当に気がしただけで、事実何一つとして強くなどなっていなかったと、自覚したのだ。


 その事実を受けて、ポーラは力なくへなへなと膝から崩れ落ちた。

 

「「「「「…………」」」」」


 さらに、菜々美がポーラにぶつけた言葉はポーラ以外の親衛隊の面々の心に深く突き刺さっていた。

 

 自分達は一体何をやっていたのか。

 最初はちゃんとした目標や意志があって魔導士になったはずだったのに、いつの間にかポーラのご機嫌取りに勤しむようになっていた。


 そんなあり様では、強くなどなれるはずもなかった。


「鈴花ちゃん、いいかな?」

「ん、りょーかい」


 菜々美の言葉を深く聞かずとも、鈴花は気負うことなく了承した。


「ゆずちゃん、皆をお願いね」

「分かりました。菜々美さんも気を付けて下さい」


 ゆずも菜々美の言葉をあっさり了承する。

 クロエと二十人以上もいる親衛隊が動けない以上、完璧に守れるのはゆずだけであるため、必然的に悪夢クラスの唖喰と戦うのは菜々美と鈴花の二人しかいない。


「ま、待ってくれ! ナナミ殿とスズカ殿は本当にそれでいいのか!?」


 クロエは咄嗟にそう言うことしか出来なかった。

 菜々美と鈴花の実力はクロエより下であることは、他ならない彼女達自身が知っている。

 にも係わらず、何故諦めることも絶望することもなく、悪夢クラスであるアルニーケネージに挑めるというのだろうか。


 戸惑うばかりのクロエに対し、菜々美と鈴花は振り返って笑みを浮かべながら告げた。 


「大丈夫、無理はしないよ。司くんがアリエルさんを見つけて連れてくるまで耐えるだけなんだから」

「そうそう、クロエさんは出来るだけの援護だけお願いね」

「なっ……!?」


 クロエが驚いたのは彼女が考えを改めなかったからではなく、司が必ず行方の分からないアリエルを連れてくると言い切ったことだった。


「あの男に一体何が出来るというのだ!? 魔力はあっても操れず、身体能力だって高いわけでもあるまい……それともリンドウ・ツカサがアリエル様を見つける確証でもあるのか!?」

「えっと、確証って言っていいのか分からないけど……」


 クロエの問いに菜々美は何故か頬を赤らめてこめかみを指で掻きながら答えた。


「司くんなら絶対に見つけてくれるって信じてるから、かな」

「は……?」


 クロエは目を見開いて呆けるしかなかった。

 何せ、菜々美が言ったことは彼女を始めとして司と関わりの深い人物にしか分からないことだからである。


 クロエにとって本当に確証になるのかも分からないことに、彼女は戸惑うしかない。 


「あははは、流石に分からないよね……。でもそれでいいよ、私が……私達が勝手にそう信じてるだけで、クロエさんにも無理に信じてなんて言わないから」

「……」


 そう思うのも無理はないと苦笑いを浮かべる菜々美に、自身の心情を的確に突かれたクロエは黙して俯くだけだった。


「アタシはさ、アイツとは昔から付き合いがあるから分かるんだけど、司は出来ない約束はしないやつだよ。自分に出来ることをちゃんと理解してるから、その要領を越えるようなことにはよっぽどのことが無いと首を突っ込まないくらい慎重なんだ」

「スズカ殿……」


 菜々美の疑問を挟む余地のない固い信頼と、鈴花の付き合いの長さ故に見知っている相手の評価に、クロエの中で竜胆司という人物の印象が大きく揺らいでいた。


 突出した能力はない。

 あるとすれば心意気だけ。

 そんな男が何故ここまで彼女達の信頼を勝ち得ているのか、どれだけのことを成し得て来たのか、クロエは司のことを得体の知れない存在のように感じ始めていた。


「なんなのだ……一体あの男は、何の目的で……」

「――彼は、魔法少女に憧れているんです」

「え?」


 そんなクロエの疑問にゆずが答えた。

 だが、出された答えは、やはりクロエの理解の範疇を越えているものだった。


 もちろん、クロエとて魔法少女がどういうものかは知っている。

 しかし、その魔法少女に男である司が憧れる理由が分からなかった。


「魔法少女の、その心の強さに憧れたそうです」

「心の強さ……?」

「彼女達はまだ中学生くらいなのに、自分の家族や友達と過ごす日常を守るために、恐ろしい敵達に勇気を持って立ち向かって行く……そんな心にです」

「だ、だがそれは架空の話だろう? それとあの男に何の関係が?」


 疑問の尽きないクロエの反応に、ゆずは思わず頬が緩むのが解った。

 自分にも今のクロエのように司に対する疑問を感じていた時期があったと、妙に懐かしくなったからだ。


「誰かの希望になれる……それは日常でも非日常でも生きていくうえで何よりの強さになると信じている……そんな思いで必死に私達の力になろうと、支えになろうとする彼に対して顔向けが出来るように、相手が悪夢クラスだろうと私達は逃げるつもりはありません」

「そ、それはただの意地だろう!? あの男がアリエル様を見つけられなければ、私達だけでなく、ユズ殿達まで死ぬことになるのだぞ!?」


 クロエは必死にゆず達に反論する。

 何もクロエはゆず達の実力を信用していないわけではない。

 自分達の不始末に彼女達を巻き込むわけにはいかないと思ってのことである。


 だが、そんなクロエの心情を他所にゆずは首を横に振る。


「〝逃げたくない時〟と〝逃げるわけにいかない〟時というのは似て非なるものです。前者はそれこそ自分の敗北を認められないただの意地です。私達が抱いているのは後者です」

「逃げるわけにはいかない、というのか?」

「ええ、彼がアリエルさんを連れて来た時に情けない姿を見せたくないんです……司君に『頼りになるな』と思われるような、そんな姿を見せたいんです」

「……」


 なんだそれは、というのがクロエの率直な感想だった。

 意地は意地でも、ゆずが言ったことは〝好きな人の前でカッコつけたい〟というものに変わりないからだ。


 変な話だ。

 くだらない話だ。

 理解出来ない話だ。


 そう思うことがあっても、クロエの中で司に言われた言葉が思い返されていた。   


『なっさけねぇ……』


 ――うるさい。


『情けないって言ったんだよ。アリエルさんが行方不明ってだけでオロオロと……普段の刺のある眼光も態度もすっかりしおらしくなって……二重人格かよ』


 ――黙れ。


『〝らしくない〟ってことだ。アリエルさんは何のためにアンタに『任せる』って言ったんだ? こうして失敗を恐れてびくびくすることか? アンタは何でフランス支部のナンバーツーなんて呼ばれてるんだ? アリエルさんの幼馴染で従者だからか?』


 ――何も知らないくせに……何もかも解ったような口で……。

 ――ワタシがどんな想いでアリエル様に仕えてきたと思っている。

 

『自分を支えるために最高序列に近い実力を付けて来たクロエさんを〝信じてる〟からだろうが!! アンタがそうやってオドオドしてちゃその期待を……信頼を裏切ることになる。アンタはフランス支部じゃアリエルさんに次ぐ強さを持ってるんだろ!? アリエルさんが居ない今、フランス支部で頼れる魔導士はアンタだけなんだよ!!』


 ――そんなこと、魔導士ですらない貴様に言われなくとも解っている!!

 ――あぁ、クソ。イライラする。

 ――アリエル様の行方が知れず、悪夢クラスの唖喰が現れたというのに、ワタシは一体、何をやっているんだ。

 ――今の姿は……本当にあの男の言う通りではないか。

 ――クソ、クソ、クソ!!


 悲観と絶望に暮れていた心に、沸々と怒りが湧いてきていた。

 言われっぱなしなど癪だ。

 このままではゆずの言う通り、司がアリエルを連れて来た際に自分達の情けない姿を彼女に見せることになるではないか。


「――そんなこと、認められるわけがない……!!」


 敬愛するあの人に失望されたくない。

 そんな反骨心で以って、クロエ・ルフェーヴルは立ち上がる。


 その瞳に、最早先程までの諦念はなかった。

 あるのはアリエル・アルヴァレスの仲間としてふさわしい戦いをするという確固たる意志だけであった。


「すぅ~……、ふぅ~……」


 一度深呼吸をして、クロエは口を開く。


「親衛隊全員、聞けえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!!!」


「「「「――っ!!?」」」」


 空気を揺らす程の絶叫が戦場に響き渡り、名指しされた親衛隊の面々は肩をビクリと揺らしてクロエへと視線を向けた。


「貴様等は一体何のために魔導士になった!? アリエル様の功績から垂らされる甘い蜜を啜るためか!? 金稼ぎのために唖喰を倒すためか!? 人の守る優越感に浸るためか!?」

「「「「っ!!」」」」


 グサグサと、親衛隊達の心にクロエの言葉が刺さる。

 誰一人として、違うと言えなかったからである。

 こんなはずでは、こんなことでは……そういうのは簡単だが、自分を正当化するためだけの言い訳にしかならないことを深く理解していた。

 

「貴様等が魔導士となる際に面接を受け持ったワタシだから知っている……貴様等はルシェア・セニエと同様に純粋にあの方の力となることを望んでいた!!」

「「「「っ!?」」」」


 ルシェアの名を出されて、全員が顔を上げた。

 実際、ポーラに屈することなくアリエルの役に立つためだけに鍛錬を積んで来た少女は、アリエルの傍付きを約束されるまでに至った。


 何故忘れていたのか……。

 呆然とする彼女達に対し、クロエは続ける。


「だが実際の貴様等はどうだ!? アリエル様の支えになるどころか、あの方の足を引っ張っているだけではないか!? そんなことをするために魔導士になったわけではないだろう!?」


 お前達は足手まといなのだと現実を突き付けられて、全員が苦虫を潰したような表情を浮かべる。

 

「辞めたいと言うのなら構わない。貴様等のことはフランス支部の汚点として後世にも存分に語ってやろう。──何か言いたいことはあるか?」


 クロエのらしくない嘲りに対し、やはり反論する者はいなかった。だが……。


「――っざけんな……」


 ぽつりと、声を漏らした女がいた。


 その女性はある光景を思い出していた。

 今まさに名を出され、自分達と違ってポーラに従うことなく、仲間外れにされようとも一人で戦い続けたルシェアに助けられたことを。


 彼女は何があろうとも諦めなかった。

 だからだろうか、彼女はアリエルに認められ、クロエが教導係として就いた。


 今なら解った。

 自分は彼女が羨ましかったのだと。

 孤独でいることを拒んで、おべっかを使ってばかりだった自分がなれなかったに地点に至った彼女を。


 だからこそ、コレット・カルヴェは怒りを感じていた。


 言われるがままの自分自身に。

 ああまで言われたのに、体が震えて動けないことに。


「で、でも私達に出来ることなんて……」


 親衛隊の一人が弱々しくそう告げた。


「意志を武器としろ。何も特別なことは必要ない……ただアリエル様に誇れる姿を、恥じない戦いをするだけでいい」


 それに対して、クロエは淡々と助言をする。


「自分の身は自分で守れ。たったそれだけでユズ殿の負担を大幅に減らせる。それに、防御術式ぐらいならお前達は立派に扱えることはよく知っている」

「――っ!」


 クロエにそう言われた親衛隊の面々が一人、また一人と俯かせていた顔を上げていく。

 その瞳には微かな、でも確かな意志が芽生え始めていた。


 そんな彼女達の目を見たクロエは、普段は絶対にしないであろう、勝ち誇るような笑みを浮かべて宣言した。


「いいか!? 命を捨てる必要はない! お前達はただ、アリエル様が来るその時まで耐えるだけでいい!! 何が何でも生き抜けぇっ!!!」

「「「「「――はいっ!!!」」」」」


 クロエの言葉に背中を押され、親衛隊が一斉に防御術式による障壁を展開した。

 その光景を見ていたゆずは、クロエの確かな変化に頬を緩ませる。


「ユズ殿。彼女達のことはもう大丈夫です……我々に力を貸して下さい」


 ゆずに向き合ったクロエは頭を下げて懇願した。

  

「ええ、アリエルさんが来る時まで、必ず耐え抜きましょう」


 天光の大魔導士は、そう頼もしげに告げた。

 

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