190話 世界で一番嫌いなカミサマへ


 人の人生を決める存在がいたとしたら、それは神様であると思います。

 聖職者であるワタクシがこう言っては不信行為と憚られると存じていますが、ワタクシ――アリエル・アルヴァレスは神様が大嫌いですわ。


 全知全能にして絶対的な存在とされる神様ですが、ワタクシは存在するかも怪しい偶像に祈るのはどうしても疑問を感じました。


 神は信仰深い信者をお救いになると言います。


 ――本当にそうでしょうか?

 ――少なくともワタクシは救われませんでしたわ。

 

 ワタクシの身の上をよく知っている神父様に相談したところ、神の救いが訪れないのは私が神を信じていないからだと言われました。

 自分を信じていないから救わないなんて、神とはなんて現金なのでしょうと、口には出さずとも思うところはありました。


 そもそも、人は何を以って救われれば〝神の救い〟というのでしょうか?

 不幸から抜け出して幸せになることが救いなのですか?

 大切な人と寄り添うことが出来れば救いなのですか?

 願いが叶えば救いなのですか?


 それは……神様でなければ救えないことなのですか?

 

 もう八年近くも修道女として礼拝を続けて来ましたが、一向に答えは出ません。


 神は人に試練を与えると言います。


 ――唖喰が人類への試練とだというのなら、一体何を図り、いつ終わるのですか?

 ――私が家族の元に戻るまでの道のりも試練なのですか?


 その問いに対して神父様は、神の考えを理解するのは不敬だと諫められました。

 神が与えた試練において神自身に答えを求めてはいけないと。


 納得がいきませんでしたわ。

 ワタクシはただ、家族の元に戻りたいだけ……教会に訪れる親子のように、家族に囲まれ平穏で普通の暮らしがしたいだけです……。


 そんな普通すらも求めてはいけないと言われたような気がしました。


 そして何より、神が運命を定めるというのであれば、どうしても尋ねたいことが一つだけあります。


 何故、お母様が死ななければならなかったのですか、と……。


 七歳の頃、大好きだったお母様が事故で亡くなられた時から、ワタクシの人生は檻に閉ざされたように閉鎖的なものに変貌しました。


 毎日したくない勉強と習い事の繰り返し、愛人の娘だと毛嫌いするお爺様から厄介払いとして紹介された縁談の数々……。


 お母様が生きていらした時にはお爺様を除く家族全員で過ごしていた食事の時間も、部屋で一人寂しく食べるようになりました。


 その時、クロエだけはワタクシを寂しくさせまいとワタクシの部屋の前で、彼女なりに語り掛けながら共に居てくれました。


 十二歳になった折、お爺様によってアルヴァレス家の本邸から孤児院へ連れ出された時は、酷く傷付いたことを鮮明に覚えていますわ。


 そうしてダヴィド叔父様から魔導士としての実績を積むことで、アルヴァレス家でも無視出来ない地位に上り詰める他ないと言われ、お父様やもう一人のお母様、クロエを始めとした使用人の皆の元に帰るために、ワタクシはひたすら努力を重ねて来ましたわ。


 ですが、学校に通わず家庭教師の元で勉学を積んで来たワタクシには、家族や本邸の使用人達以外には碌に言葉も通わさなかった縁談相手と、それ以外に他人との関わりはありません。


 そんなワタクシが魔導士になって一か月後に経験した初戦闘において、唖喰の脅威をまざまざと見せつけられ、決意も脆く砕かれた結果、ホームシックを引き起こしました。


 お父様達に会いたい、唖喰が怖くて仕方がない、怪我が痛くて苦しい。

 部屋で一人泣きながら哀しみに暮れていると、クロエがワタクシの後を追って魔導士になったとやって来たのです。


『アリエル様は、ワタシがお守り致します!!』


 当時は大変驚きましたが、彼女が居なければ唖喰の絶滅不可を知って絶望していたのではないか……少なくとも今のワタクシとは違う結果になっていたと思います。


 それほどまでに彼女の存在がとても心強かったのですわ。 


 時が経ち、十七歳になったワタクシは全国の魔導士で最も優秀な五人に与えられる称号である、最高序列の第四位に名を連ねる程にまで至りました。


 その佇まいから〝聖霊の歌姫ディーヴァ〟と呼ばれ、後輩の魔導士達からは尊敬の眼差しを受けるようになり、ワタクシが務める教会には十倍の差がつくなど、最早組織にとって重要な地位を得たのです。


 手紙のやり取りすら禁止されていたため、叔父様からの近況報告でしか家族の様子を知ることが出来なかったので、これでようやく自由になって会いに行ける……。


 そう思ったのですが、お爺様は執念深くワタクシの排斥を考えているようで、ダヴィド叔父様からは何度も今は耐えてくれと言われました。


 あと少し。

 もう少し。

 

 もうすぐ手の届くところまで来た願いへ伸ばされた手は、自身の復讐のために無関係の人を何人も巻き込んでいた叔父様によって、止められたのです。


 ~~~~~


「お母様を……殺した……!?」

「あぁ、警察に金を握らせて、さも事故のように偽装してな……」


 叔父様の言葉を聞いたワタクシは、その先を何一つ理解したくない一心でした。

 ですが、叔父様はそんなワタクシの反応を楽しむかのように嗜虐的な笑みを浮かべながら、自身の顔をワタクシの顔に近付けて来ました。


「分かっただろう? ローラを殺し、祖父にあらぬ虚偽を流し、私の庇護下に置き、今日までの君が過ごして来た人生は、全て私の復讐のために費やされていたのだよ」

「う、そ……全部……あなたが……?」

「まだ否定してほしいのかね!? 無駄だ無駄だ! もう一度はっきり言ってやろう! アリエル・アルヴァレスの人生は私の手のひらの上で踊っていたのだよ! 家族の元に戻りたいという君の願いも、最高序列第四位まで上り詰めた苦労も、全て私の復讐のスパイスでしかなかった……要は何もかも無駄だったのさぁっ!!」

「――っ!!」


 む、だ……?

 お母様が亡くなって……強いられた勉強も習い事も、魔導士として戦ってきた、これまでの十三年間が……全部……、無駄、だと、いうのですか……?


 追い込んで道を示して、その先で誘いだったことを明かされ、かつてない絶望がワタクシの心に重く圧し掛かりました。


「はああぁぁああぁぁっ!! その表情だぁ!! ずっと、ずぅぅっっっとその表情を見たかったぞアリエルぅぅぅぅっっ!!」


 一体何が面白いのか、叔父様はさらに狂気に身を委ねてその表情を歪めていきました。

 

「さっき君は『もう誰も傷付けないでほしい』と言ったね? 今この瞬間にも巻き込んでいるがいるとも知らずによくもそんなことが言えたものだねぇっ!!?」

「おと、こ……?」


 もう心は限界だというのに、これ以上一体だれが?

 そんなワタクシの疑問に答えるべく、叔父様は先程ルシェアが押して来ていたリヤカーに被せていた布を乱雑に払い……その中にいた人物に、ワタクシは限界まで目を見開きました。


「……」

「リンドウ様……っ!?」


 両手足と口を布で拘束された黒髪の男性……リンドウ・ツカサ様もまた、囚われていました。


「……ルシェア・セニエには復讐の邪魔者を拘束するようにと言ってあってね。クロエが来ると踏んでいたのだが中々どうして、正義感溢れる若者じゃないか」

「ダヴィド叔父様っ!! 彼は日本支部の人間で、あなたの復讐には何の関係もないはずですわ!! それにルシェアは彼を純粋に慕っていたのに、それを、こんな……」


 ワタクシだけならまだ許容出来ました。

 ですが、これは見過ごすにしても、あまりにも惨いことです。

 彼と関わったことで、魔導少女として強くなっていったルシェアの心を慮らない無慈悲な命令に、ワタクシは自分のショックを忘れて怒りを顕わにしました。


 彼に危害が及べばルシェアだけでなく、彼に恋愛感情を向けているナミキ様とカシワギ様も深く傷付ける行為は、到底許せるものではありません。


 ですが、叔父様はワタクシの怒りを流すようにニヤニヤと不気味な企みを隠そうともしない笑みを浮かべていました。 


「この小僧のせいで、計画を早めるハメになった……無関係どころか殺してもいいくらいだ」

「ころっ!? ……彼に手を出せば〝天光の大魔導士〟であるナミキ様が黙っていませんわ!」

「おぉ怖い怖い……そうだね、確かにあの少女を敵に回すのは得策ではないね」


 おどけた様子を見せる叔父様は、その態度と裏腹に本当にナミキ様を警戒しているようでした。

 彼女のネームバリューがリンドウ様を守る盾となっていると睨んだワタクシは、すぐに彼だけでも開放するように説得を試みることを決めました。


「でしたら、角を立てない内に彼を――」

「あぁ、彼は殺さないさ、







 罰として記憶処理術式を施すだけで許そう」

「「なっ……!!?」」


 さも当然のように語る叔父様に、ワタクシだけでなくルシェアも驚きを隠せませんでした。

 リンドウ様に記憶処理術式を施す……それはつまり、彼とナミキ様達が培ってきた思い出を壊すことに他なりません。


「そんなことをすれば、それこそナミキ様達を敵に回すだけではありませんか!?」

「思い出など命があればいくらでもやり直せるさ。なぁに、この小僧なら心配あるまい……さぁ、ルシェア・セニエ、この小僧に記憶処理術式を施すのだ」

「っ!?」

「叔父様! あなたという人は、まだルシェアを傷付けるつもりなのですか!?」

「優しいなぁアリエル……心配しなくとも、記憶を消せば嫌なことも忘れることが出来るさ。そうすれば自然と心の傷は癒える」

「そんなまやかしの癒しなど、意味がありませんわ!」


 人の心を軽視する発言に、どうしてこの男の本性に気付かなかったのか、ワタクシは恥じる思いで堪りません。


 一方、命令を下されたルシェアはわなわなと全身を震わせていて、その表情は真っ青を通り越えて蒼白と言ってもおかしくありませんでした。 


「ぇ、あ、そ、それは、できな――」

「おや、この期に及んでまだ拒否するのか? そんなことをすれば君の居場所がなくなることくらい、よぉく解っているだろう? さぁ、その小僧の魔導と唖喰に関する記憶を消すんだ」

「っ、ぁ、い、ぃ……」


 彼女の良心がそうさせたのか、ルシェアは叔父様の命令に対して出来ないと口にしようとしたのですが、非道にも叔父様は彼女を襲った際に弱みを握ったようで、それを材料に脅迫されたルシェアは口元を抑えてより震えを強くしていました。


 それでも『はい』と言わない彼女の背一杯の抵抗に対し、叔父様は大きくため息をついた後彼女の肩に腕を回して、耳元に顔を近付けました。


 体に触れられたことで、ルシェアは体の震えをピタリと止めましたが、顔色は一層悪くなっていました。


 そして叔父様は……。


「それとも――?」

「ヒィッ、あ、い、いやあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!???」


 襲われた時の光景がフラッシュバックしたのか、ルシェアは両手で頭を抑え、恐怖で顔を引き攣らせながら耳を塞ぎたくなるほどの凄惨な悲鳴を上げました。


 その様子を見たワタクシは、叔父様はあの少女にあのような反応をさせる程の暴行を働いたことを否応無しに悟りました。


「さぁ、もう一度だけ言うぞ? リンドウ・ツカサの記憶を消せ」

「…………はぃ……」


 もう見ていられないばかりに弱々しい声音で、ルシェアはついに命令を聞き入れてしまいました。

 トボトボとリヤカーの上で気絶したままのリンドウ様の頭に右手を添えて――。



「記憶、処理術式……発、動……っ」


 

「あぁ……」


 ルシェアの右手に淡い光が灯り、術式を発動させてしまいました。  

 

 その絶望を齎す光を見て、ワタクシはギリギリを保っていた心が折れたと理解しました。


 救えなかった。

 守れなかった。


 ごめんなさい……リンドウ様……。

 ごめんなさい……ナミキ様、カシワギ様……。


 目の前で行われた凶行に、ワタクシは全身の力が抜ける程に打ちひしがれました。 

 

「あーっはっはっはっはっはっは!! さぁ! これで邪魔者は居なくなった!! いよいよだ! いよいよ私の復讐が幕を開けるんだぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」


 歓喜と狂気の混じった狂笑を浮かべながら、叔父様はワタクシの元へ歩み寄り、ワタクシが身に纏っていた修道服を下着ごと、部屋に置いていたナイフでビリビリに引き裂きました。


「あ、だ、いやああああああああああ!!!!」


 肌が、胸が、ひやりとした冷たい空気に晒されて、これからされるであろう行為を明確に察したワタクシは、現実を否定したい一心で悲鳴を上げることしか出来ません。


「あぁああああぁぁぁぁああはははははははは!!! 遂に、遂に私は君と一つになれるんだあああああああああああああ!!!」

「い、痛い! いやぁ!!」


 愉悦に下劣に顔を歪めた叔父様の手が、ワタクシの体に伸びて胸を乱暴に掴んで来ました。以前にリンドウ様に触れられた時とは違い、それは不快感と苦痛でしかありません。


 そんなワタクシの心情に構わず、叔父様は興奮で息を荒くしていきます。


「ああああ! それだぁっ! 君のその悲鳴を……そして喘ぎ声を聞かせてくれええええぇぇぇぇっっ!!」

「嫌ぁ! 誰か……誰かぁっ!?」

「無駄だ無駄だ! 君の美貌も白銀の髪も美しい声も豊満な体も全部全部全部全部、私のモノだああああぁぁぁぁ!!!!」


 嫌、嫌、嫌、嫌ぁ!!?


 どうしてワタクシはこのような目に遭うの?

 お爺様の言う通り、愛人の娘だから?

 叔父様の言う通り、お父様とお母様のせいだから?


 分からない。

 分かりたくない。

 

 もう沢山です。

 こんな目に遭うばかりの人生は、もう嫌です。


 あぁ、神様なんて嫌い……。

 結局あなたは一度としてワタクシに救いを齎すことはありませんでした。

 お母様を助けなかった神様なんて嫌い。

 クロエに負担を強いる神様なんて嫌い。

 身も心も傷付いているルシェアを救わない神様なんて嫌い。

 関係の無いリンドウ様も見捨てる神様なんて嫌い。


 嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い……。


 




 カミサマなんて大嫌い。















 




「――っいい加減にしろよ、このクソ野郎がぁっ!!!!」


「ごぼがっ!!?」



 ――ぇ?



 突如男性の声が聞こえたと思った途端、ダヴィド叔父様が部屋の壁まで殴り飛ばされていきました。


 何が起きたのか分からず、声のした方へ見やると……。




 あぁ。

 あぁ!!


 救いは、ありました。

 でもそれは嫌いで仕方のないカミサマが齎したものではありませんでした。


「何度も何度も反吐の出ることばっか言いやがって……」


 その声は怒りに震えていました。

 誰でもない、ワタクシのために。


「この人がやって来たことが全部無駄? そうするように仕向けて碌に選択肢も選ばせなかった奴が、偉そうに決めつけんなよ。決めるのはアリエルさんだ」


 その言葉で、この人は人の努力を決して見捨てないと解った。

 ワタクシの努力は、何もかも無駄ではなかったと言ってくれた。 


「ローラさんが自分の愛を受け入れなかったから死ぬのは当然? バカじゃねえのか、そんな独り善がりの愛なんてほしくねえし、復讐だのなんだの言いながら、アリエルさんにローラさんを重ねて自分の物にしたいだけじゃねえか」


 お母様には何の罪もないと、仰って下さいました。


「アリエルさんもルシェアもローラさんも、今までテメェが食い物にしてきた魔導士の人達も、その失恋拗らせただけのくだらねえ復讐に巻き込むんじゃねえよ。やりたきゃ一人でやれ」


 そう言って彼は——リンドウ・ツカサ様は叔父様の言葉と目的を全て否定しました。


 目から涙が溢れて止まりません。

 先程まで流していた絶望から来るものではなく、リンドウ様の言葉と行動で救われたことによる、喜びから来る涙が、止めたくないと心が訴えかけてくる程に溢れて来ました。


 世界で一番嫌いなカミサマへ。

 もし彼があなたが遣わせた〝救い〟だとしても、ワタクシは決してあなたに祈りません。


 救いを齎したのは、目の前で怒りに震える彼なのですから。



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