149話 ギスギスの冷戦


 フランス時間午前零時に起きた俺達は、食事を摂っていた。

  

 交流演習の期間は九月一杯……およそ三週間だが、学業との両立のためフランスに滞在する時間は週末から週明けの三日程度。


 そのくらいだったら時差ボケを無理に治すことはせず、日本時間に合わせた睡眠リズムをとった方がいいという。


 フランス支部の食堂は日本支部の食堂と構造に差異はなく、メニューもフランス語や日本語以外の多数の言語に対応しているため、迷うことなく食べたい物を選ぶことが出来た。

 さらに円換算で食事代を払うことができ、フランスだからって食事のメニューがフランス料理ばかりではなかった。


 それでもせっかくのフランスだからとフランス料理を選んだのだが。


 朝食は本場のパン職人が焼いたというフランスパンだ。

 日本でも食べたことがあるが、小さい頃だったし、硬かったから食べるのに苦労した記憶がある。

 

 流石に一本丸々というわけではなく、一定のサイズに切り分けれた物が配膳されている。


 そもそも、フランスパンが硬いのは、生地を作る段階でパンに欠かせない砂糖を使っていない点にある。

 それによって表面はカリカリに焼き上げられ、あの硬さになるという。

 

 だが、あの独特の硬さを出すために、卵や油脂、牛乳やパターなどの乳製品を使っていないため、何気に高い技術が要求されるらしい。


 そんな背景があるフランスパンに同じくフランス産のジャムを塗って食べる。

 やっぱり硬いけど、食べられない程じゃない。

 

 カリッと焼かれている表面から香ばしい香りが口腔内に充満し、中のふんわりとした食感を引き立てている。


「美味いな……」

「副食のスープも美味しいです」

「本場だと味が全然違って新鮮!」

「これだけでもフランスに来て良かったって思えるね」


 料理の味に舌鼓を打つ。


 席順は俺を挟むようにゆずと菜々美さんが左右に座り、対面の位置に鈴花が座っている。

 日本支部から来た他の魔導士達も含めて十人程がフランス支部の食堂に集まっている。


 フランス側の人……ルシェちゃんやアルヴァレスさん達は既に就寝しているが、彼女達が日本支部と一緒に訓練をするのは午前九時……日本時間で午後四時となる。


 それまでの間、午前一時から九時まで、途中に食事休憩を挟んでの七時間を日本支部側のみで訓練をする。


 夕方に寝て、日付が変わると起きるなんていうプチ昼夜逆転生活は過酷だ。

 だが、ここにいる面々はそんな日々が続くことを了承した上で訓練に参加すると決めた人達だ。


 なら俺は部活のマネージャーのように、訓練をする魔導士達をサポートすることに専念しよう。


 そう思いを固めるが、俺はチラリと鈴花の隣を見やる。


「愛人ならとかない……絶対ない……なんでみんな売約済みなのよ……どうして……」


 初咲さんが食事に手を付けることなく、一人机に突っ伏して項垂れていた。


「初咲さん~、パンを食べましょうよ~」

「あ゛~、止めて鈴花……頭がグラグラする……」


 鈴花が初咲さんに食事を促すために肩を揺らすが、彼女は青ざめた顔で口元を抑えていた。


 昨日、一人だけ婚活パーティーのように男探しに専念してた初咲さんは結局、誰一人として関係を築くことが出来なかった。


 何人かいい返事を貰えたそうだが、揃いも揃って恋人や婚約者がいるにも関わらず、初咲さんを愛人にする腹積もりだったようで、一夫一妻派の初咲さんには合わない人達だった。


 俺達がルシェちゃんと話している間にも近くのバーで結婚相手を探していたが、高すぎる彼女のお眼鏡に適う人は終ぞ見つからず、ヤケ酒をして見事二日酔いをしたというわけだ。


 彼女は食事を摂ったら日本支部に帰るとはいえ、この状態は見ていて悲壮感が漂う。

 今日、ルシェちゃんに良縁の類のアイテムが無いか聞いておこう。

 

 そう決めた。



 ~~~~~



「皆さん、おはようございます! 今日はよろしくお願いします!」

「おはよう、ルシェアちゃん」

「おはよう、ルシェアが元気だと、朝から元気もらった気分だわ~」

「おはようございます、こちらこそよろしくお願いします」


 日本支部が訓練を始めてフランス時間で午前八時半を過ぎた頃に、ルシェちゃんが訓練場にやって来た。


 グレー地のミニスカートのワンピースに、黒色のスパッツという、ゆず達と同じ格好で、青色の髪はパーティーの装いのために下ろしていたのか、サイドを編み込んでうなじ付近で結んでいた。


 鈴花の言う通り朝から元気いっぱいのルシェちゃんは、訓練で多少疲労していたゆず達に余裕が生まれていた。


「あ、ねえねえルシェア。今日の訓練にアリエルさんって来るの?」

「いえ、アリエル様は午前中はお祈りの時間ですので、午後からの参加になります」 


 アルヴァレスさんってマジで聖女なんだな……。

 午前中一杯に時間を使ってお祈りするなんて、何を祈ってるんだろうか?

 

 神様への感謝か?


「そっかぁ……〝聖霊の歌姫〟と模擬戦をしてみたかったんだけど、用事があるんじゃ仕方ないね」

「はぁ……なるほど、菜々美さんは私では不満ということですか……」


 昨日の喧嘩を仲裁したアルヴァレスさんに興味があるのか、菜々美さんがそんな言葉を漏らした。

 が、近くでため息が聞こえて、そっちに視線を向けるとゆずが頬を膨らませて拗ねていた。


「え、ち、違うよ! 強さの話じゃなくて、どんな戦い方をするのか模擬戦で知りたかっただけで、ゆずちゃんのことはすっごく頼りにしてるからそんなに拗ねないで、ね?」

「……拗ねていません」


 いや、頬膨らんだままだし、そっぽを向いてるけど、耳まで赤いから照れてるのが丸分かりだって。


「でもルシェアと一緒に訓練出来るなら、アリエルさんと違って緊張しないし楽でいいけどね」


 あ~、確かにアルヴァレスさんと模擬戦して、あの人を傷付けたらすぐに外野から攻撃が飛んできそう。


 あの付き人の人とか特に。


「い、いえ! 新人のボクのほうが皆さんから学べることが多いと思うので、むしろボクが失礼じゃないか緊張しちゃいます……」


 顔を俯かせて両手の人差し指をつんつんするルシェちゃんに、俺は彼女に歩み寄り、前屈みになって目線を合わせる。


「そんなことないって。ルシェちゃんのひたむきなところを見て、ゆず達も訓練に励みやすくなるだろうし、何よりルシェちゃんが強くなれば、夢に一歩近づけるだろ?」

「ツ、ツカサさん……!」


 そう励ますと、ルシェちゃんは顔を上げてパァッと明るい表情を浮かべた。

 

「「じ~っ……」」

 

 ゆずと菜々美さんから何やら視線を向けられていた。

 

 えぇ~……励ましちゃダメだったのか……? 


「……まぁいいです。それで、アリエルさんは後だとして、今日の訓練に参加する人は他に誰がいますか?」

「クロエ様もアリエル様に従事していますので午後からなんです……あと、その、あの……」


 ルシェちゃんが何だか言い辛そうに視線を彷徨わせる。


 どうしてだろう。

 何故か嫌な予感がする……。



「ふん、訓練場がすっかり日本人の汗の臭いで充満しちゃってるじゃない。臭くって堪らないわぁ……あぁ、いやいや……」



 嫌味成分百パーセントの癇に障る高い声が訓練場に響いた。

 それだけで嫌な予感が的中したことを知らされた。


「げぇ……」

「うわぁ……」

「む……」

「はぁ……」

「す、すみません……」


 俺達の嫌悪感を隠しもしない反応に、ルシェちゃんが恐縮してアイツの代わりに謝った。

 だから君のせいじゃないって……。


 嫌だなー、なんて気持ちを押し殺して、一応挨拶をするために訓練場の入り口へと顔を向ける。


 こちらもゆず達と同じ訓練着に、ライトブロンドの髪をポニーテールにして、訓練だろうと手放す気が無いのか広げた扇を口元に当てながらこっちを見下す視線と態度は、昨日アルヴァレスさんに戒められようとも変わった様子はなかった。


 それにあの顔……何か企んでいる……?


 俺がそう感じたと同時にポーラは口を開き……。


「この訓練場はワタシ達、フランス支部の魔導士が使うことになったわぁ……邪魔だから即刻出て行ってくれないかしらぁ?」


 通って当然という風に、交流演習そのものを瓦解させ兼ねない要求をしてきた。


「えっ? 何言ってんの?」

「それじゃ、何のための交流演習なの?」


 ポーラのあまりに無茶苦茶な要求に、他の日本支部の魔導士達も困惑していた。


「プーレさん、どういうつもりですか?」

「どういうつもりも何も言葉通りよぉ? ワタシ達の訓練に邪魔だから出て行ってほしいの」


 そんなことも分からないのか、と馬鹿にするように嘲笑うポーラに虫唾が走る。


 要は、日本支部の面々が気に入らないから交流演習のメインである、合同訓練をしないと言っているのだ。


 まるで昨日、アルヴァレスさんに叱責されたのはこちらのせいだというように……。


 とんだ逆恨みだ。

 知りたくなかったが、これでポーラ・プーレという女の性格が嫌と言うほど思い知らされた


 こいつ……アルヴァレスさんが見ていない間に何度もこうやって自分のエゴを押し通して、思い通りにして来たんだろう。


 アルヴァレスさんの親衛隊のリーダーという地位をかさに着て……。


 嫌悪感が限界に達して気持ち悪くなって来た。

 

 どうしてこんな女が魔導士なんだ。

 どうして親衛隊のリーダーなんだ。


 フランス支部の人選ミス、とでもいうような不釣り合いに、不快感が募る。


 ゆずの主張を悉く躱し、ポーラはルシェちゃんに視線を向けた。


「ルシェア、あなたどうしてそっちにいるの?」

「え? どうしてって……」


 ルシェちゃんが戸惑いながらポーラに聞き返した。

 だが、ポーラはルシェちゃんの心情などお構い無しに再度問い掛ける。


「答えを聞いているんじゃないの。早くこっちに来なさいと言っているのよ?」

「で、でも、やっぱり日本支部の皆様と訓練をしないと交流演習の意味が――」

「新人の癖に先輩に口答えする気? いいから早くこっちに来なさいよ、ノロマ」

「あぅっ!?」


 ルシェちゃんの言葉をポーラが有無を言わさず遮り、彼女に詰め寄って手にした扇で頬を叩いた。

 彼女の白い頬に一筋の裂傷が出来たのを見て、俺は一瞬で頭に血が昇って、ポーラとルシェちゃんの間に話って入る。


「お前、自分の後輩に何してんだよ!」

「あら、なんで役立たずの男が訓練場にいるの?」

「んなことはどうでもいい! この子は正しいことを言ったのに、なんでその悪趣味な扇で殴ったのかって言ってんだよ!」

「悪趣味……!?」


 ポーラが顔を引き攣らせた。


「これは貴方のような凡人には一生縁のない高級ブランドのオーダーメイド品よ!? これだから物の価値も分からないような愚図は――」

「俺のことなんてどうでもいいって言ってんだろ。ルシェちゃんに殴ったことを謝れ」

「治癒術式で治せるような怪我で、どうして謝る必要があるのよ?」


 本当に自分が悪いと思っていないような態度で答えるポーラに、益々苛立って仕方ない。

 このヒステリックでエゴイストな女は、自分が菜々美さんに平手打ちをされたことにぎゃあぎゃあ喚いていたくせに、自分が相手を傷付けたら文句を言うな、なんて横暴がまかり通ると思ってやがる。 


「あ、あの、ツカサさん! ボクは大丈夫ですから……」


 後ろにいるルシェちゃんが治癒術式を発動させて、裂傷が消えた綺麗な頬を見せて笑顔を浮かべるが、その笑顔が強がりなくらいすぐに分かった。


 本当はぶつけられた理不尽に心を痛めているのに、彼女にそんな顔をさせる申し訳なさと、ポーラに対する怒りがドッと膨れ上がって来た。


 俺を安心させようとしたルシェちゃんには悪いけど、俺の怒りはそんなことじゃ治まりもしない。


 再びポーラに顔を向ける。 


「治せる治せないの問題じゃない、怪我をさせたことが問題だろ。ましてや自分の後輩で女の子相手にだ……悪いことしたら謝れって子供でも知ってる当然のことが出来ないのかよ」

「はぁ~? 先輩の私の言うことを聞かない後輩のしつけをして何が悪いっていうのよ?」

「何がしつけだ、あんなの自分の不満をぶつけただけの体罰じゃねえか!」


 なおも悪びれもしないポーラに食って掛かるが、あの女は煩わしいようにため息を吐いてから俺を睨む。


「同郷の魔導士の上下関係に、日本支部の……男の貴方が口出ししないでくれる? それとも貴方、実はルシェアに好意でも持ってるとでも言うの?」

「あ?」

「「「え……?」」」


 あからさまに話題を逸らして来たポーラに、俺は呆気に取られる。

 それどころか、ルシェちゃんに口論の行く末を見ていたゆずと菜々美さんからも戸惑いの声が漏れた。


「本当は興味もなかったけれど、〝天光の大魔導士〟の情報をちょっと集めたらす~ぐに貴方……リンドウ・ツカサのことが出て来たわぁ。何でもナミキ・ユズと親しい仲だとか……だとしたらとんだ浮気者ねえ~?」

「……」


 何で俺のことを……なんてことはすぐに理解出来た。


 恐らく、ゆずを揺さぶる弱みを探ったのだろう。

 それで出て来た俺を使ってゆずを間接的に傷付けようとしたのだろうが……。


 どうやら性格と同じに考えも浅ましいみたいだな。


「ああ。人の姿をした唖喰みたいな性格のアンタに比べて、ずっと好ましく思ってるよ」

「――は、な……?」

「――っぶ!?」


 言い返されると思ってなかったのか、はたまた予想外の言葉だったのか、ついさっきまで勝ち誇っていたポーラは面を食らったように呆けた表情をした。

 

 後ろで鈴花が吹き出し、肩を震わせて笑いを堪えていることも含めて、俺は少し溜飲が下がる。

 

 耳を澄ましてみれば、鈴花だけでなく日本支部の魔導士の何人か、挙句にポーラの後ろに控える親衛隊の取り巻き達もクスクスと笑いを堪えていた。


 それでようやく俺の言葉を飲み込んだポーラは、俺に対する怒りと一転して笑い者にされた羞恥で、みるみると顔を真っ赤にして、全身を震わせた。


「~~っ、ワ、ワタシを、あんな醜い怪物扱いしたばかりか、その小娘に劣っているですってぇ!? 男のくせに馬鹿にして……身の程を知りなさい!! 攻撃術式発動、重光槍展開、発射!」


 ヒステリックに怒り狂うポーラが俺に扇を向け、大きな光の槍を形成して放つ。

 あの扇、魔導器だったのかよ!?


 咄嗟に両腕をクロスさせて身構えるが……。



「無駄です」

「――は?」



 いつの間にか俺の前に現れたゆずが、ポーラの重光槍を蠅を払うかのように素手で弾いた。

 弾かれた重光槍は鏡に反射したように真っ直ぐポーラに向かい、あいつの頬を掠めた。


 ゆずが割り込んできたこと、自分の攻撃術式が歯牙にもかけることなくあしらわれたことに、ポーラは再び呆けた声を漏らした。


「そういえば、昨日私は言いましたね……『せっかくですから親衛隊の皆さん全員対私で模擬戦をしましょうか。その腐った性根を叩き潰して、先の自信も粉々に砕いて、彼を冴えないなんて言ったことを後悔させてあげます』と」

「あ、なな……」


 ゆずの言葉に、ポーラは青ざめた顔で腰を抜かし、地面に尻餅をついて全身をガタガタと震わせる。


 それもそうだろう。

 ゆずの表情は笑顔なのに、目は笑っていないし、何より声音が絶対零度の如く冷たいのだから。


「それに、先程からあなたは彼のことを〝役立たず〟だの〝愚図〟だの〝浮気者〟だの、散々罵倒して……まぁ、浮気者は否定しませんが……」


 いや、してくれよ。

 そんな不純な心持ちで女の子と接したことないからな?

 不注意でポロっとジゴロ発言が出るだけで、狙ってやったことは一度たりともないからな?


「司君を通じて私を揺さぶろうとしたようですが、無駄です。先月ならともかく、今の私は司君を信じると決めていますので、最初からあなたの目論見は達成出来ません」

「――ッチィ!!」


 ポーラが俺とゆずを睨みながら忌々し気に舌打ちをした。

 

 ゆずの言った先月というのは、ベルブブゼラルのことだろう。

 聞きかじりではあるが、何でも奪った俺の意識からゆずとの思い出を引き出し、彼女に揺さぶりをかけたらしい。


 それに激昂したゆずはベルブブゼラルに敗北し、心身ともに限界を迎えたという。


 その時は俺の真意を知らなかったが、今は違う。

 気持ちを告白して、返事を保留されているという歪な形ではあるが、俺を完全に信頼するようになった。


 それを知らないポーラに、ゆずの言う通り最初から目論見は達成出来るはずがなかった。


「覚えてなさい……!」


 何ともテンプレな負け惜しみを呟きながら何とか立ち上がり、俺達に背を向けて取り巻き達を率いて訓練場を後にした。


 交流演習の初日はまさかのフランス支部のボイコットというマイナススタートを切るのだった。

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