145話 演習前日のパーティー


『あーっはっはっはっは! ホンマにつっちーはおもろいなぁ!』

「おいあんまり笑うなよ……こっちはアリーさんのせいで相当苦労したんだぞ?」

『なんやかんやゆうてさん付け止めへんあたりに、つっちーの人の好さが滲み出とんなぁ……』

「まぁ、真意はともかく、髪を梳かしてくれたし……」

『ぶっはは……か、髪を梳いてくれたからっちゅう理由でかいな……はぁ~、ホンマつっちーらしいわぁ~』


 電話越しに季奈の笑い声が響いた。

 今は立食パーティーの最中なのだが、手持無沙汰になった俺は季奈に電話を掛けて、ここまでの経緯を簡潔に説明したら、先の大笑いに繋がるわけだ。


 日本では夜でも、フランスでは太陽がさんさんと輝きを放っている。


 そして辺りを見渡せば、フランスの西洋ヨーロッパが舞台の作品とかでもよく見る建物がよく見える。


 日本の建築とは異なる発展を遂げたフランスも含まれるヨーロッパ建築の歴史は古く、始まりを辿るとなんと紀元前九年にまで遡る程だ。


 日本の家屋のような一戸建ては上流階級の人が住むようなもので、一般的な住居のほとんどはマンションやアパートのような集合住宅だという。


 実際の町並みを見てみると、三~五階のベランダのない窓が幾つもある建物がほとんどで、建物と建物の隙間が全くと言っていいほどない。


 飲食店等も遠目で見ても、一階部分がテラス席のようにパラソルの下に椅子とテーブルが設置されているのがよく見えた。


「すみません、あの建物って何て言うんですか?」


 ちょっと気になった建物があって、ウェイターさんに尋ねてみた。


「手前の建物は〝オランジュリー美術館〟ですね。セザンヌ、マティス、モディリアーニ、モネ、ピカソ、ルノワール、シスレー、スーティンなどの作品を収蔵されております」

「へえー……」

「もともとはテュイルリー宮殿のオレンジ温室でしたが、1927年、モネの『睡蓮』の連作を収めるために美術館として整備されたという経緯が――」

「あ、大丈夫です。建物の名前だけ聞きたかったので……」

「かしこまりました」


 あのまま放置していたら普通に歴史の講義が始まっていたな……せっかくのパーティーをそんなことで台無しにしたくない。


 しかし、美術館とは到底思えない程、ユラユラと揺れる会場からもその神聖さというか、厳かな空気はひしひしと伝わってくる。


 そう、立食パーティーの会場は屋内ではなく、屋外……それも屋上とかベランダとかじゃなくて、船上……つまり船の上だ。


 日本でも船の中で宴会をすることがあるが、フランスでそれ経験することになるとは思わなかった。


 今俺がいるのは船の甲板にあたるスペースだ。

 セーヌ川のひやりと心地よい風と川の香りが鼻をくすぐる。


 甲板には俺以外にも組織に融資をしている企業の重役である男女が商談で盛り上がっていて、中には上流階級のお偉いさんもいて、日本支部とフランス支部の魔導士達に声をかけている。


 あ、フランス支部の魔導士達は俺達より先に船に乗っていたようで、日本支部の魔導士達と交流を重ねている。


『せや、パーティーっていうくらいやから豪華な料理がよーさん出たんと違うか?』

「出たぞ。ちゃんと食べはしたんだけどさ……」


 会場は船全体で、甲板の下にはホールがあり、天井のシャンデリアと床に赤い絨毯がとても目立っていて、白いテーブルクロスが被せられている大きな丸いテーブルの上には、素人でも分かる程の豪華なフランス料理が並べられていた。


 映画でよく見かけるガチのパーティー会場に、俺と鈴花は大いに萎縮した。


 だって庶民の俺達には一生縁が無いと思っていた社交の場に、途轍もない場違い感を抱いたからだ。


 料理の味の方は本場のフランス料理とあって物凄く美味しかった。


 ただ、美味しいと分かるだけで、食材が良いのか料理人の腕が良いのかまでは理解出来なかった。


 庶民舌だからっていうのもあるんだけど、場の空気を乱さないように食べるのに必死で、細かい味まで確かめる余裕がなかったんだよ。


『ほ~ん、ま、貴重な経験やったんちゃうか?』

「それはそうなんだけどな……ちなみに季奈は夕食は何を食べたんだ?」

『カップ麺やで?』

「……せめて食堂で食べろよ」


 成長期になんて食生活してんだ。


『ほんで、つっちーが暇しとるけど、ゆずらはどうしてんの?』

「あー、ゆず達な……」


 食事を終えていざ交流となったのだが、ゆず達は流石というか、あっという間に人だかりに飲まれた。


 〝天光の大魔導士〟とその友人ってこともあるだろうけど、一番の理由は彼女達が会場の参加者の中でとびきりの美少女だからだろうけど。


 美醜の価値観って国は関係ないのな……。


『ゆず達がそんな風に人気やのに、つっちーのとこには誰も来やへんねんな』

「あのな、さっき船に乗る前に俺が言った言葉を既に会場にいた人達も含めて全員が聞いてたんだぞ? それで近付く人がいると思うか?」

『あー、おらへんなぁ……』


 季奈に同意を求めたものの、なんだか悲しくなってきた。

 俺が女性の胸はみんな違ってみんないいなんて言ったもんだから、寄り付く人が来ず、手持無沙汰になってこうして季奈に電話をすることになった。


 自業自得とはいえ、やっぱり根本にあるのは偽メイドのアリーさんが何故か俺に接触してきたことだから、どうしても納得出来ない。


『初咲さんはどないしとるん?』

「食事中は散々仕事だの遊びに来ているわけじゃないだの言っておきながら、金持ちの重役男性に片っ端から声を掛けてるよ」

『……必死過ぎてみっともないんとちゃうか?』


 約二名から好意を寄せられている俺が言えたことじゃないけど、いくら三十路前だからってがっつき過ぎだと思う。


 あの人、若い頃はブイブイ言わせてた系で、恋人に求める理想が高過ぎるんだよなぁ……。


 高校の同級生は全員結婚したというのに、自分だけ置いていかれている現状に焦っているようだ。


 ゆずが夢燈島で買った恋愛成就のお守りを渡した時の一言で言い表せない複雑な表情はよく覚えている。


 そんな初咲さんはお守りを信じて今日というチャンスに精を出しているわけだ。


 密かに成功を祈っておこう。


 一方、ゆず達と言えば……。


「ナミキ嬢、一年前とは見違える程綺麗になったね」

「ありがとうございます。ダントリク様も仕事が軌道に乗って来たと風の噂でお聞きしました」


 ゆずはなんか茶髪のイケメンと会話をしていた。


「なぁ、季奈。ゆずがダントリクっていう人と会話してるんだけど、どういう人なんだ?」

『お、ダントリクってゆうたら、表向きは車の部品製造業やねんけど、フランスの魔導士の装備の作製から整備まで一手に引き受けとる有名な企業の副社長やで』

「副社長!?」


 ほとんどトップじゃねえか!

 え、いくら日本支部でも会社の作った装備を使ってほしいからって、ゆずに話し掛けるのか!?


 副社長さんは若く見えるけど、アンタが通過今会話してるゆずの年齢は十五歳だぞ?

 

「――ロリコン野郎……」

『うーわぁ……突撃したらアカンで、つっちー。ダントリク副社長は善意で来とるからな?』


 分かってるよ。

 だからこうして睨むだけで済ませてるだろ?

 それでも腹の虫は治まらないけどな。


『(はあ……、そない嫉妬するんやったらもう答えでとるんとちゃうか?)』

「あ? なんか言ったか?」

『なーんもあらへん。ダントリク副社長がゆずに声掛けた理由って、つっちーがゆずを変えたからやろうな。一年前に日本支部とフランス支部に、イタリア支部の三か国で交流演習した時もパーティーをしたんやけど、そん時のゆずの塩対応はもう凄まじいもんやったで?』

「ああ、寄ってくる男全て切り捨てる光景が目に浮かぶよ」


 さながら転入したての頃に友達になりたいと言って来た石谷達の願いをバッサリ切り捨てた時の様に。

 だが今のゆずは俺の日常指導の成果によって愛想笑いを覚えている。


 故に表面上はそれなりの人付き合いが出来る様になった。

 そのゆずの成長を喜ぶことでなんとか飛び出さないように踏み止まれている。


 ただ、これ以上見ていたら自分でも何をしでかすか分かったもんじゃない。

 ここはゆず以外の二人の様子を見ることで落ち着こう。


 そういうわけで次は鈴花の様子を見る事にした。

 

 鈴花はゆずより後方の位置にいるが……。


「あれ、大丈夫か?」

『え、どないしたん?』

「いや、鈴花の様子を見ようとアイツの姿を見つけたまでは良かったんだけど……」


 咄嗟にどう答えればいいのか判断に迷ってしまうほど、今の鈴花の状況はおかしなものだった。


「やぁ、情熱的な赤いドレスが似合う可憐なお嬢さん」

「えっ、ああ、えと、あ、アタシ、ですか!?」

「そうさ、君があまりに素敵なものだから、まるで一輪の薔薇のように錯覚してしまったよ」

「はいぃっ!? バラって、ええっ!?」


 これまた飛び切りのイケメンの男性が鈴花をやたらキザなセリフで口説き始めていた。

 アイツ、ゆずから受けたマナー講座の際に、こういう口説き文句を言われるって聞いてなんて豪語したと思う?


『大丈夫! アタシが何年司の友達やってると思ってんの? 今更口説き文句の一つや二つ言われたくらいで動揺するわけないって!』 


 で、今の鈴花のあり様を見てみよう……思いっきり動揺してるだろ?

 

 俺のジゴロ発言と女性の褒め方を知り尽くしてるベテランの口説き文句が同一なわけないだろ。

 完璧に舐めて掛かったアイツのミスだ。


「季奈はどうだったんだ?」

『まぁ、そういう場所で口説かれた経験はウチもあるんやけど、家柄上場数は踏んどるから、早々に動揺せんかったけどなぁ……』

「あー、そういえば一応お嬢様なんだったっけ……まだ家に帰らないのか?」

『一応って……まぁええわ。家の方はつっちーが心配することは何もあらへんで。ほら、鈴花助けに行かへんのか?』


 なんだかはぐらかされたな……。

 けど、本人が言いたくないならそれでいいか。


「あれを機にいい出会いであって欲しいから、次は菜々美さんを探すよ」

『えぇ……見捨てるんや……』


 季奈は呆気に取られたように言うが、俺としては純粋に鈴花の将来の為になればと思っている。

 

 ゆずの時は嫉妬したのにって?

 そりゃ自分を好きになってくれてる子が見ず知らずの男に話し掛けられて良い気はしないだろ。

 

 って、アリーさんを部屋に入れた俺が言えたことじゃないか……

 

 とりあえず、俺は菜々美さんの姿を探す。

 けれど甲板にはいないみたいで、しばらく見つけられないでいると、甲板である報せを受けて、仕方なく食事が並べられているホールへと戻った。


 ホールの舞台上ではバイオリンやピアノが演奏されていて、その音楽に合わせて何組もの男女が手を取り合ってダンスを優雅に踊っていた。


 そう、ダンス。

 俺は踊れないからどうしようと思っていたが、どうやら自由参加らしい。

 そう聞いてホッとしたのも束の間、菜々美さんの姿を見つけた。


 

 金髪のロン毛のイケメンが菜々美さんをダンスに誘うために跪いて、彼女の手の甲に口づけをしている瞬間を。



「よし、アイツ撃ち殺――」

『待て待て待て! ウチ、電話越しにつっちーが凶行に及ぶ瞬間聞きたくないで!? 頼むから落ち着いてや!』

「止めてくれるな季奈! アイツ、菜々美さんの手の甲にキスしたんだぞ!?」

『挨拶の一種やん! 鈴花の時はあっさり見捨てた癖に、なんでゆずと菜々美の時だけやたら独占欲だすんや!?』


 そうは言われても、菜々美さんは俺に好意を向けてくれているし、そんな人が手の甲にとはいえ他の男にキスされていて面白いはずがない。

 

「それでも軽々しくキスとか交際していない男女がしていいことじゃないだろ!」

『それつっちーが言っても説得力あらへんで!?』

「……っぐ!?」

『え、なに? なんか心当たりあるんか?』

「い、いや、何でもない……」


 確かに、俺は菜々美さんの指を舐めたりした事があったわ……。

 それでもあのロン毛が菜々美さんに軽々しく触れたことが無性に腹が立つ。


 くそ、ゆずの時といい、菜々美さんの時といい、なんでこんなイライラするんだ。


 今まで感じたことのないモヤモヤに戸惑いを感じていると、菜々美さんがロン毛のイケメンから距離を取った。

 

 どうやらダンスを断ったらしい。

 イケメンはそれでも引き下がる事無く、菜々美さんに声を掛けるが、菜々美さんは袖にするだけで、結局イケメンの方が折れたことで決着が付いた。


 あ、すっごいスカッとした。


「――ざまぁ」

『うへぇ……つっちーが何か黒いわぁ……』

「黒くて結構。今の菜々美さんはかなりデリケートなんだから、余計な茶々入れられずに済んで良いんだよ」

『(えぇ……これ余計に複雑な事になってへんか?)』

「どうした、季奈?」


 何かブツブツ呟いていたが、ホールの演奏で全く聞こえなかった。


『んや。あ、最後に初咲さんが男ゲット出来たかどうかだけ教えてもうてええか?』

「あ、やっぱ気になるよな。ええっと、初咲さんは……」


 もし上手く行っていれば、誰かお眼鏡に適った人とダンスを踊っているはずだが、如何せん人が多くてすぐに見つけにくい。


「あ……」

『お、見つかったんか?』

「いや、見つかったのは初咲さんじゃなくてさ、ちょっと気になる動きをしてるペアが居てさ……」


 季奈に言った通り、ダンスを踊るペアの中に一組だけ、素人目で見ても動きがぎこちないようだった。

 

 白髪が混じった茶髪の男と、青髪をボブカットにした女性のペアだ。

 普通ならダンスが苦手な二人なんだなー、で済むはずだが、俺は妙に違和感を覚えた。


 それは動きというより、ペアの二人の表情だ。

 こういうダンスを踊る時って、互いの顔を見つめ合うはずなのに、二人とも視線が交じっていないように見えた。


 横顔から見た限り、男のほうはなんだか好色な笑みを浮かべている反面、女性の……体格的に女の子の方は顔を赤くして何かを堪えるように見えていた。


 そして俺から見て女の子側が背中を向けた時、違和感の正体に気付いた。


 ――ああ、そういうことか。

 

「悪い季奈、後でまた電話する」

『っへ? 気になるペアに何かあるんか?」

「あー、なんて言うかな、その……酒の席でよくあるトラブルだ。っじゃ」

『え――』


 ――ブツン。


 ここまで話しに付き合ってくれた季奈には悪いが、見つけてしまった以上見過ごすことは出来ないし、説明している時間が惜しい。

 今からすることの為には、スマホが通話状態なのは都合が悪い。


 電話を切って、俺は違和感を覚えた男女のペアの元へ歩み寄る。

 男が俺に背を向けた時に行動に移す。


「はい、そこまでー」

「――!」

「なっ、なんだ君は!?」


 俺は男の左腕を掴みとって女の子の体から離させた。

 二人共、突然の乱入者に驚いている様子だった。

 

 でも二人の驚き方は全く異なっていた。


 男の方は不味いというような表情で、女の子の方は待ちわびていた救いの手に、髪と同じく青色の目を見開いていた。


 俺は彼女を安心させようと笑みを浮かべる。


「いえ、ちょっと見過ごせないことがありまして、こうしてあなたの手を掴んだだけです」

「ふ、ふん! 失礼な若者だな! 多少着飾っているようだが、私は君のような庶民が軽々しく触れていい人間ではないのだぞ?」


 男はすぐに平静を装いながらそう言った。


「悪いんですけど、俺はあなたの事を良く知りませんので」

「なっ……!?」


 俺の言葉に男は一瞬びっくりするものの、すぐに怒りを露わにしてきた。


「全く、これだから庶民というのは……組織の融資者であるこのブリス・マルベール率いるプロン財団を知らないとは恥知らずもいいところだな!」

「へぇ、ってことは随分と大きな財団なんですね」

「当たり前だ! フランス国内において総資産額でトップテンに並んだことがあるのだからな!」


 自分の財団の功績をひけらかす男の言葉に、俺はしてやったりな気分を隠せずに頬が緩んだ。


「……なんだ、何がおかしい?」


 男はそんな俺の表情が気に入らないのか眉を顰めた。

 そして俺はある物を取り出す。 


「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。ただ……そんなに偉い人がやっちゃダメでしょ?」

「スマホ? 一体何を――ッッ!!???」


 俺のスマホに映っている画像を見て、男は天国から地獄へ落ちたように一瞬で青ざめた。


 そう、画像には男が左手で女の子の尻を揉んでいる様が鮮明に写っていたからだ。

  

 女の子はダンス中に痴漢を受けていて、恐らく融資金を盾に脅されていたんだろう。

 あのまま見逃せばこの子の身が危なかった。


 確実に助けるために季奈との電話を切り、近づきながら男が彼女に不貞を働いていると判るベストショットを撮影し、こうして証拠として提示したのだ。


「言っとくけどバックアップは取ってあるから、ここでスマホを壊しても意味は無いぞ?」

「く、くぅっ……! 私を、脅すのか!? 金が目的か!?」


 逃げ道を塞がれた男は俺に慄いて脅迫するのかと尋ねてくるが、俺が感じたのは血が沸騰する程の怒りだ。


「そんなもんに興味ねえよ。この子に謝ってさっさとどっか行け、ロリコン」

「ぐ、ぐぐ……わ、悪かった……」

「……早く行って下さい」


 女の子は軽蔑の視線を男に向けながらそう言った。

 促されたまま、男は俺達の横を通り抜けるが、すれ違い様に俺を睨みつけてきた。


 ――まだ懲りないみたいだな。


「ちなみに謝ったら画像を消すなんて一言も言ってないからな? もし報復とか来たら……解ってるよな?」

「ヒィッ!?」


 ほんとはこんな胸糞悪い写真さっさと消したいんだけど、今言ったように後のことを考えると残しておいた方が良いだろう。


 俺の脅しが効いたのか、男は真っ青な顔でホールを後にした。

 

 とりあえず女の子を助けられたことにホッと安堵の息を吐いて、彼女に向き合う。


「せっかくのパーティーなのに災難だったな。とにかく気付けてよかった」

「あの、誰か助けてって思ってたら本当に来てくれるとは思ってなくて、その、ありがとうございました!」


 青髪の女の子は礼儀正しくそう言って頭を下げた。

 あの男の脅しに耐えたりする様子といい、それだけで彼女が良い子であることは明白だった。

 そんな子を助けることが出来て本当に良かったと思う。 


「そんなに畏まらなくていいって。俺が勝手に放っておけなかっただけだから、じゃあこれで――」


 立ち去ろうとした俺の左手を女の子が両手で握った。

 おおっと、もう展開が読めて来たぞ……。


「あの! 何かお礼をさせて下さい!」


 ですよねー。

 そう来るよねー。


「見返りを求めて助けたわけじゃないからいいよ」

「でもそれだとボクの気が済みません!」


 なんとこの子はボクっ子だったのか。

 ……ってそんなことはどうでもいい。


「だからいいって。あんな事があった後だし、見ず知らずの男の手を取ったりしちゃ駄目だろ?」

「でもおにいさんはいい人です!」


 どうやら痴漢から助けたことで、彼女の信頼を勝ち取ったようだった。

 しかもおにいさんって……フランス人にしては身長低いなとは思ってたけど、年下だったのか……。


 俺が礼なんて言っても納得してくれない内に、彼女は禁断の言葉を放って来た。


「お願いします! ボクに出来ることならしますので、助けてもらったお礼をさせて下さい!!」

「こらあぁっ!? 女の子が何でもとか言うなぁ!! 分かったからまずはここから離れよう!!」


 遂に言っちゃったよ。

 しかも大声で。


 あまりに居た堪れなくなった俺は彼女の礼を受け入れることにした。

 というか折れた。


 俺が礼を受け取ると分かった女の子は、パアッっと笑顔を輝かせた。


「本当ですか!? あ、で、でも出来たらエッチなことは――」

「今のさっきでそんなこと出来るか! 早く行くぞ!」

「は、はいっ!」


 とても痴漢に遭った直後とは思えない言葉だった。

 どうしてこうも余計な事を口走るのか呆れつつ、俺は彼女の手を引いてホールを出て行った。

 

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