133話 そして少女は告げる


 春風キャンプ場から三十分程掛けて羽根牧総合病院に辿り着きました。


 時刻は既に午後九時前だというのに、病院は慌ただしい様子です。

 

「あ、あの!」

「は、はい、なんでしょうか?」

「その……何かあったのですか?」


 外に居た看護師の方に事情を伺って見ます。

 本当は半ばわかってはいるのですが、どうしても確証が欲しくて尋ねてみた質問に、看護師の人は快く答えてくれました。


「ここ数日病院に搬送されて来た数十人の患者さんが、突然一斉に昏睡状態から回復したんです。それで親族の方達に連絡して回っているんですよ」

「っ!」


 全員という言葉に、私の心臓が大きく跳ねたように感じました。

 

「っと、すみませんが失礼します。あなたも誰か知り合いの人がいたら、面会は出来ますので早く顔を見せてあげて下さいね」

「あ、ありが、とう……ございます……」


 忙しなく話を切り上げた看護師の方にお礼を伝え、私は駆け足気味に彼のいる病室へと向かいました。


 途中通り掛かる病室では、我が子の手を取る母親や友人の手を取って無事を歓喜する人達の姿が目に入りました。


 その光景に私の胸の動悸はさらに激しさを増します。


 ――たくさん話したいことがある。

 ――たくさん知りたいことがある。

 

 逸る気持ちが足に乗せられて歩みはより早くなり、階段を上り廊下を進み、私は遂に二〇四号室へとたどり着きました。


 さっきから心臓の音がやかましくて仕方ありません。

 このまま放っておけば破裂するのではと錯覚する程胸を打っています。


 扉の小窓には灯りが付いていますが、直接この目で確かめないことには、微塵も安心など出来る気がしません。


 意を決して扉を取っ手を掴み、引き戸を開きます。


 いつの間にか閉じていた瞼を恐る恐る開き、部屋の中へ目を配って――。







「あれ、親族に連絡するって聞いてたけど、ゆずが一番最初なんだな?」

「――」


 いつもと変わらない調子でベッドのギャッジを上げてこちらを見る司君がそう声を掛けてくれました。


 司君が起きてる。

 私の名前を呼んでくれた。


 それだけで、頭の中で思い浮かんでいた言葉も笑顔も全て白紙になるほど心が震えました。


「――つかさ、くん?」

「どうしたんだよ、そんな信じられないような顔して」

「……どんな、顔なんですか?」

「ええっと、なんかずっと待ち望んでいた瞬間に立ち会った、みたいな感じだけど……」


 私の問いに戸惑いながらも返事をしてくれる司君の表情は、とても三週間も意識を失っていたとは思えないほど、いつも通りの……私の知る竜胆司という人間そのものです。


 ゆっくりと彼の元に近づき、手を差し伸べます。


「手を、出して下さい」

「あ、ああ……これでいいか?」


 司君はなんてことのないように私の右手に自らの左手を重ねます。


 ――あぁ、暖かい……。


 以前握った彼の手とは大違いです。

 その温もりを感じると、どうしようもなく心が湧き踊り、目が熱を持ち視界が滲み出してきました。


 彼の左手首を掴み、そのまま右頬に当てます。

 男の子らしく大きな手のひらは私の頬を優しく包んで、今まで耐えに耐えて来たものが優しく溶かされていく様に感じました。


「な、なぁ、ゆず? どうして泣いてるんだ?」

「ぁ、本当……です、ね……」


 司君に指摘されて、視界が滲むのは涙を流しているからだと気づきました。


「……司君」

「……なんだ、ゆず?」


 確かめるように彼の名前を呟き、その呟きに返事を返してくれました。


 もう、我慢の限界でした。


 私は一切の遠慮を捨てて、彼に抱き着きます。

 全身で感じ取る司君の温もりで、ようやく彼が私の日常に戻ってきてくれたと実感出来ました。


「司君……司君! 良かった……起きてくれた……生きてて、くれた……」

「なんだか良く分からないけど、ゆずにとても心配を掛けたのだけはよく分かったよ」

「うん……一杯、頑張った……一杯、我慢した……一杯、傷付いた……でも、司君が起きてくれたから、もう全部どうでもいい……」

「……ゆず」

「あっ……」


 ぽつりぽつりと今までの思いを打ち明けると、司君の両腕が私の背中まで包みました。


 鼓動が更に大きな音を立てることすら煩わしく感じ、一秒が永遠に感じられるほどの幸福感に満たされました。


「グースカ寝てたことしか分からない俺が言うことじゃないだろうけど、よく頑張ったな、ゆず」

「――ぁ」


 司君はそう言って私の頭を後ろから右手で撫でてくれました。


「う、あ、あぁ……」


 その瞬間、決壊したように目から涙が溢れ出ました。


「うあああああああああんっ!! うあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 彼の胸に顔を埋めてひたすら泣きじゃくります。

 ただ、この瞬間だけは魔導少女でも〝天光の大魔導士〟でも無く、並木ゆず個人として泣き続けました。



 

 そうして数分後、私がようやく泣き止んだことで、司君が抱擁を解きました。

 でも私の両腕と頭は磁石のように司君の身体にくっついたままです。


「あ、あの~、ゆずさん? そろそろ離れても――」

「いいえ、全然足りません。むこう一か月はこのままでいたいです」

「いやいや、放してくれないと俺が病院にいる経緯が訊けないし、その、お腹に当たってるし……」

「むぅ……では話し終えたらまたお願いします」

「色んな意味で一体何があったんだよ……」


 完全に疑問しかないという司君から渋々……仕方なく離れて彼にこれまでの経緯を説明します。


 悪夢クラスの唖喰であるベルブブゼラルに襲われて三週間も眠っていた事、アメリカから派遣された双子の魔導少女であるアルベールさん達の助力を得た事、私が鈴花ちゃん達と喧嘩をして塞ぎ込んだ際、菜々美さんに叱責された事、そして先程ベルブブゼラルを討伐した事……司君が眠っていた間に起きたこと全てを包み隠さずに話しました。


 そうして話しを一通り聞き終えた司君が最初に出した感想が……。


「初めて会った時、三体のカオスイーターに襲われた時、今回の事……これでゆずに命を救われたのは三回目……なんだかもう頭が上がらないな」

「い、いえ、司君は何も悪くありませんし、私は魔導少女として当然の責務を果たしただけです!」

 

 唖喰に襲われる度に誰かに心配をさせる事を気にしているのか、司君は項垂れて明らかなショックを受けていました。


「それに三週間も寝てたらゆず達を不安にさせて当然だよな……」

「あ、その、な、菜々美さん達に支えてもらっていたので、何とか持ちました」

「それでも一時は自分の命を蔑ろにしようとしてたんだろ? そうならなくて本当によかったよ」


 私達がそんな戦いを繰り広げていた間に眠っていたことを司君は大変気にしていました。

 それに……菜々美さんや鈴花ちゃんの言う通り、司君は自分の事より私の無事を何より喜んでくれたことに、私はあの時に菜々美さんに止められて良かったと安心しました。


 ですが、その菜々美さんとは切っても切れない出来事が先の戦いで起きています。


「あと……工藤さんが、亡くなったんだよな……」

「……はい。菜々美さんの事が気掛かりですが、今はそっとするしかないと思います」


 工藤さんと一番友好関係を築いていた菜々美さんの心境は私には計り知れません。

 私に出来る事と言えば、彼女を見守ることだけです。


「だな。菜々美さんに支えられた分、ゆずがあの人を支えてやるのが正しいと思うよ」

「そうであればいいですね」


 私の意思を尊重してくれる司君にそう返します。

 

「私は、司君がベルブブゼラルに眠らされて、今のように触れ合えなかった間は今まで暖かくて色鮮やかだった日常が凍り付いて色褪せるように感じて、まるで生きた心地がしませんでした」

「え?」

「それほど私にとって竜胆司という存在は日常の根幹を成す重鎮そのものなんです」

「そんな大袈裟な……」


 司君は大言壮語だというように手を振って否定しますが、私は胸の奥がカッと熱を帯びたのが解りました。


「いいえ、大袈裟などではありません! 私が唖喰と戦い続ける理由は司君がいて当然の〝私の日常〟を守るためです。それが脅かされるというのであれば、私は唖喰だけでなく組織と事を構えることも厭いません!」


 司君が眠ってしまった事で、私は自分が思っていた以上に彼の事が大事で、彼の事が好きなのだと気付きました。


 そんな彼を私の日常から奪おうというのであれば、唖喰だけでなく、人であろうと容赦をするつもりは毛頭ありません。


「……」


 私の気持ちをそのままに吐きだした言葉を受けた司君は、呆気にとられたかのように目を見開いていました。


「司君……」

「な、なんだ……?」


 司君は戸惑いながらも私が何を言おうとしているのか問い掛けて来ました。


「~~っ」


 顔が熱くて、心臓の鼓動がバクバクと早く脈打って全身に響くくらいの大きな音が鳴っています。


 それはもう、司君に聞こえるのではと思う程に大きなドキドキが私の体を硬直させます。


 けれども、私はどうしても今、この瞬間に彼に気持ちを伝えたいと思いました。


 ――司君も同じ気持ちなのかな?

 ――ちゃんと言えるかな?

 ――断られないかな?

 ――迷惑だって思われないかな?

 ――いつもみたいに笑えるかな?


 このまま気持ちを伝えていつか見た夢のように司君が私の日常からいなくなったら……それなら気持ちを伝えずに今の関係のままでいた方が……と、段々と後ろ向きな考えになっていって……。



『もちろん、好きな人に嫌われるのはとても怖いよね。でも告白する前からフラれることを考えてたら一生キリがないよ』



 菜々美さんから言われた言葉に、背中を押された感覚がしました。


 ――そうだ、私は……。


 想いを固めて、目をギュッと閉じて、胸元に両手を添えて、口を開きます。



「――好き」

「――え?」

「好きです。私は……司君のことが……好きです」

「……」

「司君の恋人になりたいんです、もっとあなたのことが知りたいんです、もっと私のことを……私の知らない私も知ってほしいんです……」


 期待と不安が入り交じった感情を乗せた想いを、声を震わせながら司君への恋心を告白します。

 

 ――言った、全部言っちゃった!?


 ちゃんと呼吸をしていたはずなのに、さっきまで息を止めていたかのように息苦しくて、私は肩を大きく揺らしながらゆっくりと息を整えます。


 冷房の効いた涼しい病室なのに、私は緊張で火照っているのか額の汗が止まりません。


 顔を上げて、司君の顔を見ます。


「~~っ、ぁあ、ここで、来るかぁ……」


 司君は私から顔を背けて、口元を右手で覆っていました。

 そして心なしか耳や指の隙間から見える頬が真っ赤に染まっていました。


「あ……」


 それを見て、司君も告白を受けて緊張しているのだと気付いた私は、更に頬に熱が集まるのが解りました。


 少なくともすぐに切り捨てられることは無い程度には、好感を持たれていると実感したからです。


「そ、その……どう、ですか?」


 心臓の鼓動が太鼓の音のようにドンドンと大きな音を鳴らしていることに耐え切れず、司君に告白の返答を尋ねます。


 司君は口元を覆っていた手を下ろして、一度深呼吸をして、私と目を合わし辛いのか、視線が定まらないままゆっくりと口を開

いて――。


「……ゆずみたいに可愛い女の子から、好きだって言ってくれて、凄く嬉しい」

「っ、じゃあ――」

「でも、ごめん。ゆずの告白は、受け入れられない」

「――ぁ」


 フラれた……。

 心が音を立てて崩れるようなショックに顔を俯かせると、司君が慌てて私の両肩を掴みました。


「その、ゆずと付き合うのが嫌だって言ってる訳じゃなくて、俺の心の問題なんだ」

「司君の……?」


 司君の言ってることが分からず、そう聞き返すと彼は苦笑いを浮かべながら答えました。


「その、俺は過去に色々あって自分が相手をどう思っているかハッキリさせてからじゃないと、告白を受けないって決めたんだ」

「で、では、一度交際してみれば――」

「それはダメだ。それでゆずを期待させて裏切るようなことになれば確実に傷付くし、ゆずを傷付けたくないからこそ、ちゃんと自分の気持ちをハッキリさせたいんだ」

「……」


 司君の恋愛価値観を目の当たりにして、私は司君が告白を受けないと答えたのは、決して私のことを意識していない訳ではないと解りました。


「ゆずが凄く勇気を出して俺に告白してくれたのは本当に嬉しい……ゆずには悪いけど、ちゃんと考えて答えを出すよ。だからその時が来るまで、待っててもらっていいか?」


 そう告げた司君の目は、とても真剣で本心からの言葉だと解りました。


 司君の今の気持ちを伝えられた私の心境は、今すぐ恋人になれない不満よりも、まだフラれたと決まった訳ではないという安心感が勝った気分です。


 そして、司君のお願いへの返事はもう決まりました。



「お断りします」



 そう告げました。


「だよなぁ……」


 司君は当然だと言うように頭を掻きますが、その様子に互いの認識に齟齬があることに気付いた私は、説明することにします。


「誤解しているようですが、私が断るのは司君の気持ちが決まるまで待っていてほしいという点です」

「――え?」


 言っている意味が解らないという表情をする司君が面白くて、思わず頬が緩むのが押さえられませんでした。


「早々に私のことをちゃんと好きになってもらえるように頑張るつもりなので、大人しく待つつもりは毛頭ありません」


 ――だから、覚悟して下さいね?


 そう答えた時の彼の呆けた表情は一生忘れられません。


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