127話 ベルブブゼラル戦 ①

 

 傷が癒えたと同時に身が縮まるかと思うほどの空腹が蠅を襲った。


 ――おなかすいた。


 全身に倦怠感がのしかかるが、そんな状態でも蠅が慌てることはない。

 

 こちら側ここには蠅にとって極上の獲物が沢山あるのだ。

 感覚の赴くまま飛んでいけば、すぐにでも蠅は獲物の元へ辿り着くことが出来るほど、蠅が食べるものに困ることはない。


 やがてそこに辿り着いた蠅は獲物を獲るために鳴き出す。


 ~♪


 それは司が眠っている原因にもなっている吸魂歌だ。

 獲物のいるところで鳴けば、蠅は腹を満たすことが出来る。


 今もまた一つ、また一つの蠅の腹に獲物から獲ったモノが溜まっていく、満たされていく。


 ――もっと、もっと、もっと。あとすこし、あとすこし、あとすこし。まだ、まだ……。


 そうしていると、蠅がまだ鳴いているのに、モノが腹に入って来なくなった。


 ――もうなくなった? 


 ――足りない。


 ――足りない。


 キャンプ場には十数人の利用客が居たのだが、その人数分の魂を腹に収めても、蠅の空腹を満たすには全く持って足りていなかった。


 ――もっと、もっと、もっとほしい。


 ふと、蠅の思考にある獲物が引っ掛かった。

 

 それは、蠅の苦手な光を使って、蠅や蠅と似ている白色達唖喰達を傷つけてくる獲物魔導士・魔導少女だった。


 蠅はあの時と同じことをすれば、もっと獲物が来るはずという考えに至った。

 あの時……商店街での出来事も蠅からすればただの食事に過ぎなかった。


 蠅から見て、あの獲物達はとても美味しそうに感じていた。


 だから蠅はもう一度鳴いた。


 ――あなポータルをあければ、シロイロがふえて、もっとエモノがくる。


 そうしてポータルが開き、唖喰が溢れ出てきた。


 ――はやく、はやく、はやく、はやく、はやく。



 ――ああ、きた。



 ベルブブゼラルがポータルを開いたキャンプ場に駆け付けたのは、魔導少女になって八か月の越屋こしやなぎさと、その教導係である魔導士の花川はなかわ真由まゆであった。


「ポータルの出現を確認しました! 付近にベルブブゼラルの反応もキャッチ、至急応援要請をします!」

「まずはポータルをどうにかしないと! 攻撃術式発動、光剣四連展開、発射!」


 蠅は歓喜した。


 ――エモノだ……でもあのエモノゆず、季奈、鈴花とはちがう。


 狙っていた獲物でなかったことに少し落胆するも、何が来ようが蠅にとっては変わらず獲物でしかない。 


「渚、わたしが固有術式で一掃するから援護お願い!」

「はい、真由さん!」


 真由が固有術式の詠唱を始め、それを妨害しようとする唖喰達を渚が攻撃術式を使って塵に変えていった。


 その光景を見ていた蠅は、酷く落ち着かない気分になった。


 ――いやなひかり……いたいひかり……いやだ、いやだ、いやだ。


「固有術式発動、オーバーレイ!!」


 蠅が術式に込められた魔力に怯えていると、準備を終えた真由の放ったビーム状の魔力光によって、蠅が開けたポータルとそこから出ていた唖喰を飲み込んで、消し炭にされていた。


 ――つよいひかり固有術式でシロイロがたくさんきえた。


 ――あなもきえた。


 蠅はこれでは自分の腹を満たせないということに気付いた。


 ――おなかすいた、おなかすいた、おなかすいた、おなかすいた。


 それ空腹は蠅にとって耐え難い苦痛そのものであった。


 ――エモノをうごけなくしてやろう。


 蠅が空腹を満たすには、獲物の動きを止めて直接食べるしかなかった。

 さらに蠅はあの強い光は何度も使えないことを知っていた。


 だから蠅は細長い自分の手を獲物真由に振り下ろした。


「っ真由さん! 防御術式発動、障壁展開!」


 ――バチィッ!!


 蠅の手が獲物の光で止められた。


「隙あり! 攻撃術式発動、重光槍二連展開、発射!!」


 そうしたら獲物が大きな光を飛ばしてきた。


 蠅は後ろに下がって光を避けた。


「追撃します! 攻撃術式発動、光槍三連展開、発射!」


 また光を飛ばしてきた。


 蠅は上空へ飛んで光を躱した。


 獲物がしぶとい。


 もう一度穴を開けてやろう。


 白色をたくさんけしかけてやろう。


 さあ、もう一度鳴いてやろう。


 





 ――ブオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!!


「っぐぅ!?」

「ま、真由さん、これって……」

「分かってるよ渚、来るよ!」


 真由の後輩である渚の予想を肯定するように、二人の前にポータルが出現した。


 ベルブブゼラルのポータル解放能力。


 二人が実際に相手取ったのはこれが初めてだった。


 この能力の厄介さは、同じ日本支部にいて最高序列に名を連ねる〝天光の大魔導士〟や〝術式の匠〟が苦戦するほどだと聴いていたが、早々に自分の固有術式を使うハメになってしまうとは、思ってもみなかった。


 ――パリィィィィィィィンッッ!!


 ラビイヤーやローパーにイーターといった下位クラスの唖喰達が、空中に出現した直径一メートルほどの穴から雪崩のように溢れ出てきた。


「攻撃術式発動、爆光弾十連展開、発射!」

「攻撃術式発動、光弾十連展開、発射!」


 真由と渚は光弾を放って唖喰達を消し炭にしていくが、本来なら二十体以上は消し飛ばせていたのだが、ポータルから我先にと溢れ出る唖喰達には、全く効果がなかった。


「渚、光弾じゃ埒が明かない! 光刃で攻めるよ!」

「は、はい!」

「「攻撃術式発動、光刃展開!!」」


 光弾での攻撃を早々に諦め、真由はかなりリスクは高いが光刃による近接戦を仕掛けることにした。


「はぁっ!」

「せやぁ!!」


 二人が腕を振るえば、光の刃が唖喰達を両断にて塵に変えていく。


「ふっ!」

「たあぁ!!」


 真由が光刃を振るった瞬間の硬直を狙って何体かの唖喰が飛び掛かろうとするが、それを阻止するように渚が光刃を振るう。


「真由さん、だいじょう……うああっ!?」

「渚!? きゃあ!?」


 渚が一瞬動けなくなったところにイーターの光弾が彼女の左肩に直撃した。


 真由がそちらに気を取られると、まるでよそ見をするなと言わんばかりにラビイヤーが真由の右腕に噛み付いてきたのだ。


「この!」


 真由は左手に魔力を込めて右腕が抉れることに構わず、ラビイヤーを殴り飛ばした。


「っイッタイ! 鬱陶しいのよ!!」


 真由は左手に発現させた光刃で円を描くように振るって、周囲の唖喰を切り飛ばした。

 そうすることで、ほんの少しだけ二人に余裕が生まれた。


「真由さん、今度はわたしの固有術式でいきます!」


 渚が右腕を掲げると、虹色の長剣が出現した。

 彼女はそれを真っ直ぐ前方……ポータルのある方向へ振り下ろした。


「固有術式発動、オーロラブレード!!」


 その一撃は一刀両断と言わんばかりに直線上に縦の亀裂が走り、余波で周囲の唖喰も消し飛ばしていった。


「よし、このままベルブブゼラルに……っ!!」


 攻撃を。


 真由がそう言おうとした言葉を噤んだのは、目の前にベルブブゼラルが迫っていたからだった。


 真由がそのことに気付いた時には、


「がっはぁっ!!?」


 ベルブブゼラルの手が彼女の胴体を貫いていた。


 サソリの尻尾で刺された虫のように、真由の体は宙づりになっていた。


「ま、真由さ――きゃああ!?」


 渚が慌てて助け出そうとするも、ローパーの触手で殴り飛ばされ、距離を開けられてしまった。


「なぎ――ヒィッ!!?」


 真由が引き攣ったような悲鳴を上げた理由は、ベルブブゼラルのラッパ状の嘴が、ペリカンのように大きく開かれていたためだった。


 その口腔内には歯がない代わりに、舌のような細長い器官が真由の抵抗力を奪わんと這いずりだしてきていた。


「イ……イヤアアアアアアァァァァァァァ!!!!」


 捕まれば確実に自分の命が無いことを悟った真由は、自爆覚悟で攻撃術式を発動させようとするも、そんな抵抗を見切っていたかのように、ベルブブゼラルの舌が真由の両腕を拘束し、首に巻き付いた瞬間、ベルブブゼラルの爪が真由の体から引き抜かれた。


「がふっ!?」


 その痛みで、集中を乱した真由は発動準備中だった術式が中断され……。


 真由の力が抜けたと同時にベルブブゼラルの舌が真由の体を自身の口腔内に引き寄せた。


「ああああああああああああイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 獲物を咀嚼しようと、閉じられていく嘴を真由は両手足を動かして足掻くが、非情にも両腕や首に巻き付いた舌がそんななけなしの抵抗すら許すまいと力強く締め付けていく。


 ミシミシと骨が少しずつ潰れていく痛みによって、彼女に現状を打破する術を考えることは出来なかった。


「し、しに……死にたくない! 死にたくない!」


 もはや真由に出来ることは、死への拒絶だけ。


「くっ、真由さん! 今助けます!」


 真由の声を聴いた渚は周囲の唖喰を光刃で切り裂いて次々と薙ぎ払っていくが、距離は全く縮まることはなく、それどころか真由の悲鳴も大きくなってきた。


 そうして唖喰を切り倒していって、渚はようやく真由の姿を捉えることが出来た。


 だが姿といっても頭部以外は口腔内に飲まれていたというありさまであり……。


「っこの! 攻撃術式発動、光剣三連展開、はっし……」

「なぎ……さ、たす――」


 渚が真由を助け出そうとベルブブゼラルに攻撃を仕掛けようとしたと同時に嘴が閉じられ、元の大きさに戻った嘴からはプレス機で押し潰した果物の果汁のように、鮮血が溢れ出た。


「……ま……ゆ……さん……?」


 その鮮血が渚の元にまで飛び散り、彼女の体を赤く染め上げていく。


 渚は尊敬する人物のあまりに惨たらしい最期に、血が体に掛かっていることに気付かないほど、頭は真っ白になってしまった。


「ギュギュギャ……」


 真由を喰い殺したベルブブゼラルは、〝腹ごしらえになった〟というかのように、満足気な声をあげた。


 その声を聴いた渚の思考に一つの感情が浮かんだ。


「……う……あ……やだ、真由さん……くも……よくも!!」


 両腕に光刃の術式を発動させて、渚は激情に流されるようにベルブブゼラルへ斬りかかるが、敵が二対の翅を翻して宙へ飛ぶことで躱されてしまう。


「攻撃術式発動、光槍四連展開、発射!!」


 逃がすまいと渚は四本の光の槍を宙にいるベルブブゼラルに向けて放つ。


 ――ドドドドッ!!


 四本の光の槍が全てベルブブゼラルの体に突き刺さった。


「や……!?」


 喜びも束の間、渚は一矢報いてやったという歓喜の表情から一転、青ざめていった。


 光の槍が刺さったままなのに、ベルブブゼラルが歯牙にもかけていなかったからだ。


 それだけなら青ざめることもなかっただろう。

 渚が青ざめた理由はもう一つある。


 渚が何度周囲を見渡しても、夜のキャンプ場の芝や空を埋め尽くすほどの唖喰が、彼女を包囲していたからだ。


 彼女を取り囲む唖喰達の混じり気のないただひたすら暗闇を感じさせるほどの視線に、渚は怒りで麻痺していた恐怖が体を支配したのだ。


 その視線に込められた意思は……〝はやくたべたい〟という自分を〝餌〟としか認識していないものであった。


「あ……」 


 そんな視線を全身余すことなく受けた渚から先程の勢いは失せ、腰が抜けて足が動けなくなってしまった。


 ――今動けば瞬く間に喰い殺される。


 自分の生殺与奪権が完全に唖喰側に握られたと理解した途端、全身が小刻みに震えだした。


「はぁ……はぁ……」


 浅い呼吸を繰り返しながらも、倒れるわけにはいかないと、必死に自らの奮い立たせることしか、今の渚には出来なかった。


 そしてそんな渚に……。


 ~~♪


「っ!? この音は……」


 ベルブブゼラルが吸魂歌を奏だしたのだ。


 その効果は音を聴いた生物の魂を吸い出すというものであり、現に渚の体にも虚脱感が襲われていた。


「うぅ……や……だ……今、倒れ、たら……」


 今倒れれば、意識の無い体を他の唖喰達に貪られてしまう。

 

 痛みを感じることがなく死に絶えるというのは、好意的に捉えられるかも知れないが、唖喰達が企むことは、一切の抵抗力を奪うためである。


「ま……ゆ……さん……」


 薄れ行く意識を必死に持たせようと、渚は殺された真由を呼ぶ。



 そして、渚の瞼が閉じられ、視界が暗闇に覆われる瞬間……。













「固有術式発動、分裂効果×分裂効果二重付与ダブルエンハンス!」


 渚の耳に、声が聞こえた。


「シャアアッッ!!?」「グアアアッッ!?」「オオオオッッ!!」「キュアアアア!?」「ガルルアアアッッ!!?」「ギュギュアアアアッッ!?」「グルルルルッッ!!」「ズギャアアッ!!?」「ルアアアア!!」「ガオッ!?」「ギャギャアアア!?」


 程無く唖喰達の断末魔が聴こえ、渚の意識がくっきりしていくのが分かった。


「……あ、れ? 意識が戻った……?」


 どうやらベルブブゼラルの吸魂歌は、相手の魂を奪いきる前に何らかの方法で中断されると、奪っていた分も相手の方に戻るようだった。


「越屋さん、大丈夫ですか!?」

「あ……橘さん……?」


 渚を救ったのは、鈴花だった。


 先の声は鈴花のもので、彼女の固有術式によって渚を包囲していた唖喰達を殲滅したのだ。


 戦闘開始前に出した救援要請を受けて、駆け付けてくれたのこと、自分の命が救われたこと、その二つの事実を理解すると、渚の目から涙が零れた。


「あ、ありが、とう、橘さん……」

「あの越屋さん、花川さんは……」

「ま、真由さんは……っ!」


 渚は真由の凄惨な最期を思い返して、思わず口を押さえる。


 鈴花はそれだけで真由が殺されたことを察した。


「ギュギュアアアア!!」

「いい加減にしなさいよこの胸糞趣味の最低蝿虫野郎!! 何回も女の子泣かして……仏の顔も三度どころか一回でブチキレるわ! ここからはアタシが相手よ!」


 自身の食事を邪魔されたベルブブゼラルが憤慨の声を上げているが、鈴花はそんな敵に指を指して反論する。


「た、橘さん! 私も……」

「あかんあかん。あんたは大人しく後方に下がっとき」

「え……」


 渚も鈴花と共闘の意思を示すが、突如聞こえた別の人物が発動した転送術式によって、強制的に東京支部へと送還された。


「堪忍袋の緒が切れたのはウチも同じや。往生せいやぁ!!」

「キナ、それジャパニーズゴクドウみたいだよ!」

「Death or dea死か死th……好きな方を選ぶことは許す」

「ベル、それどっちも同じだよ!?」

「騒がしいわよ、気持ちはわかるけれどね」

「絶対に倒す……!」


 渚を転送した季奈以外にも、アルベールとベルアール、静に菜々美も戦場となっているキャンプ場に集まった。


 そうして三度目となる対ベルブブゼラル戦の火蓋が切られた。

 

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