103話 初咲の苦言と翡翠の後悔
~七月二十六日~
「ゆず、最近ちゃんと休んでないわね? 未知の悪夢クラスの唖喰との戦いにおいてあなたの力は必要不可欠なんだから、しっかり体を休めなさい」
翌日、朝食を食べ終えたところで私は初咲さんに支部長室へ呼び出されていました。
命令通りに来たところ、開口一番に言われたのは四日間における私の行動に対する苦言でした。
「初咲さんが心配するほどのことではありません。食事と睡眠はキチンと取れています」
「ウソは言っていないけれど本当のことも言ってないわね。簡素な栄養食品で済ますのは食事ではないし、寝落ちするまで訓練場で鍛錬を続けるのは睡眠とは言わないわよ」
どうしてそれを、とは口に出すまでもありませんでした。
訓練場を使用するには事前に申請する必要があり、誰がどれだけの時間で利用していつ出入りしたのかの入退室の記録は残ります。
支部長である初咲さんはそれらの情報に目を通し、私の訓練場の使用時間からどのような食事と睡眠をしていた推測したのでしょう。
「だから今日はちゃんと休息を取るように、というわけですか? お気遣いはありがたいですが多少の疲労は慣れていますし、その休息を取っている間にも悪夢クラスの唖喰は被害者を出し続けています。一連の事態収拾に私の力をあてにしているのであれば尚更休む暇はありません」
「私が最初に言ったことをもう忘れたのかしら? あてにしているからこそ、いざという時のためにしっかり休息を取りなさいと言ったのよ?」
「休んでいる間にそのいざという時が来たのでは私が休む意味がありません。対応が遅れればそれだけ唖喰が齎す被害は増える一方なのは初咲さんもよくご存知なのでは?」
私がそう言い切ると、初咲さんは目を細めてさらに口調を強めてきました。
「……随分と反抗的ね? 愛しの彼が被害に遭ったのがよっぽど堪えているようね」
「何とでもどうぞ。今更司君への想いを否定する気はありませんし、むしろ想いがあるからこそ私がやらなければならないんです」
司君をあんな目に遭わせた唖喰は必ず私の手で倒す。
そう誓った私の覚悟は揺るぎません。
でも初咲さんは呆れたようなため息をつくだけで、依然として私を責めるような眼差しを向けるだけでした。
「さっきから聞いていれば未知の悪夢クラスの唖喰が相手でも自分なら一人でも戦えると言いたげね? 大した自信だけれどいくら最高序列第一位の〝天光の大魔導士〟でも恋は盲目といったところかしら?」
「っ、何が言いたいんですか?」
初咲さんの揚げ足を取った煽るような言い草に私は苛立ちを覚えて眉をひそめました。
「――慢心が過ぎるんじゃないかしら?」
「まん、しん……!?」
初咲さんから告げられた言葉が一瞬上手く呑み込めませんでした。
私が慢心?
そんなはずありません……いくら最高序列第一位で、人類最強とされていても唖喰には等しく敵であることに変わりないことは他ならない私が一番知っています。
未知の唖喰相手にどうして慢心を抱いていると言われなければならないのか、私には全く見当もつきません。
「何を驚くことがあるの? 先の言葉からゆずの中に他の魔導士の動きに対する期待が一切感じられなかったわ……まるで自分
「っ、私は、司君に日常を教わって変わりました! 慢心なんて抱いていません!!」
胸の中で燻る感情のままに私はそう主張しました。
それでも初咲さんは顔色一つ変えず……。
「その教えてもらった日常を活かしていないのが〝今〟のあなたじゃない。竜胆君だってそんな状況を望んでいな――」
「初咲さんが司君の気持ちを勝手に決めつけないでください!」
ついに我慢できずに私はそう叫んで支部長室を出ました。
これ以上初咲さんと話しても平行線のままです。
「ちょ――もう! こんな時に反抗期が来なくてもいいじゃない!!」
扉の向こうで初咲さんが何か言っていましたが、私は一切気にすることなく駆け足で訓練場に向かいました。
「何が慢心ですか! 何が司君はそんな状況を望んでないですか!」
訓練場で特訓をしていても初咲さんに指摘されたことが頭から離れず、私は更に苛立ちを積み重ねていました。
その苛立ちをぶつけるように、訓練用のターゲットに攻撃術式をぶつけて行きます。
「うわぁ~、こんなに荒れてるゆず初めて見た……」
「鈴花ちゃん! 今は訓練中です! 口じゃなくて手と足と魔力を動かしてください!!」
訓練と関係のないことに無駄口を叩く鈴花ちゃんにそう喝を入れると、彼女は肩をビクッと揺らして半歩程後退りしました。
「わわ、解ってるって、こっちにまで八つ当たりしないでよ……」
「――っ! ぁ、その、すみません、でした……」
鈴花ちゃんの怯えた様子に、私はようやく冷静さを取り戻しました。
すぐに八つ当たりしたことと、怖がらせてしまったことを謝罪します。
「んーん。被害に遭ったのは全くの知らないどこかの誰かじゃなくて、アタシの友達でゆずの日常指導係で好きな人なんだから。ゆずでも怒るのは仕方ないよ」
鈴花ちゃんはそう言って何ともないという風に笑って許してくれました。
「……ありがとうございます」
そうです。
司君が眠ったままであることで辛いのは鈴花ちゃんだって同じです。
司君のご両親も、司君によく懐いていた翡翠ちゃん、季奈ちゃんも工藤さんも、私と同じ人を好きになった柏木さんも今この時も辛いはずなのに、私は自分のことで一杯一杯でした。
そんな当たり前のことに気付かないまま鈴花ちゃんに八つ当たりしたことに罪悪感を覚えました。
「暗いままなのもなんだし、訓練するんでしょ? アタシも付き合うよ。なんだったら季奈も誘うよ!」
「はい、二対一でも受けて立ちます」
「ナチュラルに自分を一の方に置いたね……アタシだって成長してるんだから、後悔しても知らないよ?」
「後悔なんてしません。出来る最善を尽くすだけですから」
鈴花ちゃんの挑戦を受けた私は研究室に篭っていた季奈ちゃんを二人で引っ張り出して、訓練場にやってきました。
魔導装束を身に着けた私は、同じく魔導装束を身に着けた鈴花ちゃん達と対峙することになったのですが、なんだか季奈ちゃんは乗り気ではない様子です……。
「はぁ~ベルブブゼラル対策の術式を考えとったところやったんやけどなぁ……」
「でも行き詰ってたよね。軽く体を動かしたら何かいいアイデアが浮かぶかもよ?」
「気分転換はしたいなぁって思っとっても、体動かしたかったわけやあらへんしなぁ」
「ダメですよ季奈ちゃん。魔導士たるもの鍛錬を怠るわけには……」
「わかっとるわかっとる。何も訓練に参加せえへんとは言ってへんやろ」
「なら早く始めよう、季奈、前衛よろしく」
鈴花ちゃんの合図で私対鈴花ちゃん&季奈ちゃんのペアによる模擬戦を開始しました。
私は右手を前方に構えて術式を発動させます。
「攻撃術式発動、光弾十連展開、発射」
後方に出現した魔法陣から十発の光弾が放たれて、二人に向かっていきます。
対して季奈ちゃんは薙刀を振るって、鈴花ちゃんは矢を放って光弾を打ち消していきます。
初撃を難なく凌いだ二人は攻勢に打って出てきました。
季奈ちゃんが私との間合いを詰めようと接近してきます。
地雷陣の術式を発動して接近を妨害しようとした私の元に小さな光が飛んできました。
咄嗟に顔を逸らしたので当たることはありませんでしたが、これ少々厄介です。
鈴花ちゃんは矢を私に当てるのではなく、私の行動を制限する役割に徹しています。
そうすることで季奈ちゃんが私との間合いを詰めやすくなるからです。
「攻撃術式発動、光刃剣」
「お、やる気やな!」
「私は最初からやる気です」
――キィンッ!!
右手に持つ杖に展開させた光の刃と、季奈ちゃんの薙刀がぶつかり合います。
間近に迫った季奈ちゃんは何やらしてやったりといった表情を浮かべていました。
それはすなわち〝あんまり舐めて掛かると痛い目を見る〟と言っているようなものでした。
そう感じた私は一つだけ文句を言いたくなりました。
「季奈ちゃん」
「なんや?」
「私は二人を舐めてはいません」
「舐めてなかったらこんな温い攻撃しやへんやろ?」
「先程言ったばかりですよ? 私は最初からやる気です、と」
「せやったなぁ……ほなウチらの連携を凌いでみ!!」
その後も鈴花ちゃんの弓矢と攻撃術式を織り交ぜた弾幕攻撃と、季奈ちゃんの薙刀術による近接戦闘に多少苦戦はしましたが、全戦全勝を収めることが出来ました。
「はぁ、はぁ……い、一回も勝て、なかった……」
「アカン……ちょっと籠り過ぎてもうたか……?」
「ふぅ、お二人ともいい感じでしたよ」
「あ゛~、勝者の余裕かましてるぅ~……」
「余裕ではなかったのですが……」
訓練場の床で大の字になって倒れている鈴花ちゃんと季奈ちゃんに悔しがられました。
「うえ~、いくら訓練場内に冷房が効いてても真夏に室内で運動すると汗でベトベトになっちゃうね~」
「このままやと気持ち悪いなぁ……鈴花、ゆず、ちょいとシャワー浴びて行かへんか?」
「さんせ~」
季奈ちゃんの提案に鈴花ちゃんが気の抜けた声で賛同しました。
「ゆずはどないするん?」
「私はまだ訓練を続けますのでお二人は先にどうぞ」
私がそう言うと二人は一瞬だけ表情を強張らせました。
「……解ったわ。ほな、お先」
「あんまり根詰め過ぎないようにね」
すぐに表情を笑顔に戻した二人はそう言って訓練場を出て行きました。
それから数分間は唖喰に見立てたターゲットに光弾の術式を当てていると、訓練場のドアが開きました。
鈴花ちゃん達が戻って来たのかと思ってそちらに顔を向けると二人とは別の人物が入って来ました。
「あ、ゆっちゃんです! こんにちはです!」
「翡翠ちゃん……」
入って来たのは翡翠ちゃんでした。
翡翠ちゃんは私と同じくグレーを基調としたワンピースタイプの訓練着を着ていることから、彼女も訓練を目的に訪れたのは分かりました。
その翡翠ちゃんは私に近づいて顔を覗き込んで来ました。
「翡翠ちゃん?」
「ゆっちゃん、なんだか辛そうです?」
「いいえ、別段疲れているわけではないのですが……顔に出ていましたか?」
「ゆっちゃんの体より、ゆっちゃんの心が辛そうです」
「……心が?」
私がそう聞き返すと、天坂さんは首を縦に振って肯定しました。
「ゆっちゃん、つっちーが起きなくなってから笑っていないです……」
「……そんなことはありませんよ」
「すーちゃん達の前ではそうですけど、一人だと全く笑っていないように見えるです」
「……司君があんな風になってしまったのに一人で笑っていられる程楽観的ではありません」
ついムキになって辛く当たってしまいましたが、翡翠ちゃんは臆することなく私と目を合わせて口を開きました。
「ゆっちゃん、今回の作戦ではひーちゃんも唖喰と戦うつもりです」
「え、それは……」
翡翠ちゃんの言葉に私は驚きました。
彼女は初戦闘時に唖喰に下半身を食いちぎられた過去があります。
その時は教導担当の魔導士の尽力で一命を取り留めましたが、以降は前線に出ることもなく彼女は技術班班長の隅角さんの助手業と負傷した魔導士の治療に専念していました。
そのことを知っている私は、翡翠ちゃんが唖喰と戦うと言い出したのは大変驚くことでした。
私が理由を聞く前に翡翠ちゃんが先に話しました。
「……すーちゃんがまた戦うようになって、ひーちゃんは自分が情けなくなったです。すーちゃんは一度戦わなくなってから二か月で立ち直ったのに、ひーちゃんは一年以上も変わっていないままです」
「それは……個人差で……どうしようも無いことだと思います」
恐怖の克服の仕方は本当に人それぞれです。
自分が立ち直ったからといって、他の人が同じ方法で立ち直るかはその人次第です。
鈴花ちゃんは元々の性格もあって確かに挫折した魔導少女にしては早い立ち直りでしたが、翡翠ちゃんが同じようになる必要はありません。
怪我の度合いだって違います。
鈴花ちゃんは左腕と火傷だけだったのに対して翡翠ちゃんは下半身……つまり致命傷です。
私でも経験が無い致命傷を負って、即死せずこうして生きているだけでも奇跡といっても過言ではありません。
私の言葉を聞いた翡翠ちゃんは目を潤わせながらある事実を打ち明けました。
「でも……でもひーちゃんはあの日、つっちーが起きなくなる前につっちーに会ってお話をしていたのです!」
「――え?」
翡翠ちゃんが誕生日会の後に眠る前の司君と会っていたという事実に、私の心の中に黒くてドロリとした感情が渦巻きました。
――どうしてその時に司君を救えなかったの?
浮かんできた言葉が八つ当たりでしかないと首を横に振って考えないようにします。
そんな葛藤を抑えている間にも翡翠ちゃんの後悔は続きました。
「ひーちゃんがもっとお話ししていたか、お話していなければつっちーはあんな目に合わなかったんですぅ!!」
潤わせていた目から涙が零れました。
それは彼女が密かに感じていた後悔の念が形となって零れたものでした。
あの時もそうでした。
翡翠ちゃんは初戦闘で致命傷を負った時、こうして一人で罪の意識を抱え込んでいました。
そして彼女が戦うと言った理由……司君を眠らせてしまった原因の一端は自分にあるという
でも……それは……。
「翡翠ちゃん……それは違います。私達がもっと早く悪夢クラスの唖喰の存在を認知していれば防げたことだったんです。そのことで翡翠ちゃんが責任を感じる必要はありません」
「でもぉ……ひーちゃんは悪い子なんです! つっちーがひーちゃんと別れた後に唖喰に襲われたって聞いて〝ひーちゃんじゃなくて良かった〟って一瞬だけ考えちゃったです!」
「それも……仕方のないことです。誰だって生きたいに決まっているんですから……」
「それでもひーちゃんは……ひっく、つっちーの好きな魔導少女なのに……誰より誰かのために戦わなくちゃいけないのに……ぐすっ、自分のことばっかりです……こんなんじゃきっと、ひくっ、つっちーに嫌われちゃうです……うぅ……うわああぁぁぁぁぁん!!」
翡翠ちゃんが本格に泣き出してしまって私はどうすればいいのか分からなくなってしまいました。
「ひ、翡翠ちゃん、泣き止んで……」
「うあああああああ!!!」
まるで聞く耳を持ってくれません。
私の言葉じゃ余計こじらせてしまうだけです……。
こんな時、司君なら……。
「――あ」
私はふと頭に浮かんだことを実行に移してみました。
泣いている翡翠ちゃんに駆け寄って、彼女の肩に手を伸ばします。
そして……。
――ギュッ。
翡翠ちゃんを私の胸に抱き寄せました。
よく翡翠ちゃんを抱きしめていた司君ならきっとこうするのではないかと思って……。
実際に効果があったようで、翡翠ちゃんはピタリと泣き止んで私を見上げました。
「――ふぇ?」
「大丈夫です……司君はきっとこうして許してくれます……〝翡翠は悪くない〟って〝心配してくれてありがとう〟ってそう言って翡翠ちゃんを許してくれますよ」
「ゆっちゃん……」
翡翠ちゃんは本当なのかという視線を私に向けてきます。
私はその問いに自信を持って答えました。
「はい、むしろ翡翠ちゃんが無理をして戦って怪我を負ってしまったら、司君が悲しんでしまいますよ?」
「つっちー、女の子が傷付くのが苦手だって言ってたです」
翡翠ちゃんが完全に泣き止んだことを確認した私は彼女を少し引き離して、両手を彼女の肩に置きます。
「翡翠ちゃんは私達を信じてくれている司君のことを信じていないのですか?」
その問いに翡翠ちゃんは首を横に振って否定します。
「ひーちゃんは……お兄ちゃんみたいなつっちーが大好きです!」
その言葉を聞いた私は確信しました。
もう翡翠ちゃんは大丈夫だと、私がそう思って立ち上がった瞬間、携帯に着信が入りました。
「はい、並木です」
『観測室です! ポータルの出現反応をキャッチしました。場所は羽根牧市近くの山岳地帯です! 至急現場へ向かってください!』
――ブツッ。
電話が切れたことを確認した私はすぐに反応のある場所へ向かおうとして、翡翠ちゃんに呼び止められました。
「ゆっちゃん! ひーちゃんも……」
戦いたい。
そう言おうとした翡翠ちゃんの脚は震えていました。
罪悪感で突き動かされていた衝動が治まったことで、戦いに対する恐怖に襲われているようでした。
「翡翠ちゃんは戻って来た私達に治癒術式を施せるようにここで待機していてください。いきなり戦えだなんて、戦うことの怖さを知っている私からは絶対に言えませんから」
「……ごめんなさいです」
「いいえ、魔導少女だって人なんですから、私が守るのは当たり前です」
そうして翡翠ちゃんと別れた私は魔導装束を身に着けてポータルの反応があったという山岳地帯に向かいました。
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